003. イマジン

 この世界の一日は、さほど地球と変わらないらしい。

 体内時計で目覚めれば、ちょうど日の出。蒼一たちは、すぐに出立の準備をする。


 宿屋の女主人にカレンダーを見せてもらうと、一年が四百二十日もあった。一日が二十四等分されているのは変わらない。

 水筒に水を入れてもらい、宿代を払うと、手書きの森の地図をサービスしてもらえる。狩場や水の補給地が載っているのが有り難い。


「狩場にいるのは野豚や鹿だよ。山に入るまでは、危険な魔物はいないね」

「助かる。また機会があったら来るよ」

「なーに、勇者が泊まったってのは、宣伝になるしね」


 にこやかな女主人に見送られ、二人は柵と大きな扉で区切られた街のゲートに向かった。


 本来は門を抜けるのに、申請書が要るらしい。

 ゲート横の小屋で査問待ちに並ぶ二人を、係の兵が見つけると、列から引き離され門を通される。

 勇者はどこの関所もフリーパスだと教えられた。


「お気をつけて!」


 警備兵に敬礼され、蒼一たちは森へと歩み出す。

 狩人は小道に沿って、南西の湖近くを目指す物が多い。蒼一の目的地であるカナン山は、北西に森の最深部を突っ切るルートだ。


「この木、みたこと無い種類ですね」

「葉っぱは普通なんだけどな。幹が赤黒いのは、知らないなあ」


 赤い枝に赤い土、森の緑の合間に散る補色が、異世界感を醸し出していた。

 獣道に入る前に、蒼一はスキルの確認をする。


「一応、もう一回確かめてくれ。地図系のスキルは、何が残ってるんだ?」

「地図はこの、識別とかのジャンルなんです。昨日も言ったように、なーんにも残ってないですよ。移動のとこは、まだ残ってますけど……」


 移動はワープや逃走みたいなやつが並んでいるが、名前の差が微妙で、スキル効果が想像しにくい。

 はっきりと有用そうなのは、当然もう取られていた。

 迷うことなく進むには、何か助けがあった方がいい。狩人としては、二人は初心者なのだから。


「……探知だ。物を探すスキルは無いか?」


 雪は巻物をクルクルと回して、細かい字を目で追う。

 相当読み込んでいても、記述量が下手な辞書より多いため、希望のスキルを探すのに蒼一はかなり待たされた。


「探知する物で分かれてて、いくつか残ってます。宝とか敵とかは有りません」

「何を探せる?」


 巻物に顔を寄せ、彼女が単語を挙げて行く。


「食品、同種族、カエル、熱、自己……」

「おい待てよ。自己探索って何だ。自分探しか?」


 何が悲しくて、異世界まで飛ばされてアイデンティティーを確立しないといけないのだ。

 インドでやれ。


「何に使うんでしょうねえ……自分を見失う攻撃があるとか」

「ただの混乱じゃねーか。探すんじゃなくて、回復しないと意味無いだろ」


 食品や同種族、つまりは人間探知は、まだ意味はあるだろう。ただ、探知に引っ掛かる物が多過ぎる不安はある。

 今、役に立ちそうなのは――


「熱探知にしよう。カナン山の先に火山があるそうだ。そいつを方角の目標に出来るかもしれん」

「では……えいっ」


 女神の巻物が一瞬光り、獲得能力が追加される。蒼一の感覚に変化は無い。


「ん……、素で分かるんじゃないな。これがタブラの出番だろう」


 雪の広げたピンクの紙に、彼は熱の所在を求めて意識を集中する。

 濃淡様々な赤い点が、紙に浮かび上がった。

 さらに遠くの熱源を探すと、紙の端が真っ赤に染まる。


「これくらいの距離が限度だ。この大きいのが火山だろう」


 紙を水平に回しても、赤い点は追随せずに位置を変えない。

 面白がって、雪はグルグル回し続ける。


「楽しいですー」

「おい、行くぞ」


 方角はこれで分かる。二人は森の中へ、草木を手で払いながら踏み入った。





「あっ、あれ!」


 雪が前方を指差して、蒼一のローブをつかんで引っ張る。

 下草に紛れる灰色の毛玉が、モゾモゾと動いていた。

 二人は立ち止まり、その生き物をしばらく観察する。


「……耳が大きいな」

「ウサギさんです。可愛いですねえ。さばくの難しいかな」


 食べる気満々なのは、逞しくて何よりだと、蒼一も満足そうに頷く。

 彼はボウガンを取り出すと、短い矢をセットし、ウサギに向けて構える。

 シュパッ!


「どうだっ!」

「ハズレー」


 いい所に矢は飛んだが、的が小さくて狙いにくい。


「命中を補助する能力が欲しいなあ……」

「今、探します?」

「いや、先にあのウサギを追おう」


 ウサギは耳が大きい以外は、あまり地球の生き物に似ていない。

 灰色の丸い身体に、長い尻尾。小さくすれば、ネズミの方が近い。

 目のいい雪が追跡してくれている間に、蒼一は宿で貰った地図に視線を落とす。


「この先は少し開けていて、狩場になってるらしい。豚のマークがある」

「オカズが増えますね」


 ピョコンピョコンと跳ねる小動物は、木の間を走り、やがて明るい野原に出て行った。


「あれが狩場だろう。障害物も無いし、俺たちも獲物を……」


 彼の言葉は途中で消え、雪の腕をつかんで止まらせる。


 ドシャッ!

 鈍い打撃音がすると、二人が追っていたウサギは肉片に変わった。

 初戦の相手には相応しくないと、蒼一は森の奥へ撤退することに決める。木々に隠れ、狩場から離れた方がよさそうだ。


「豚って大きいんですねえ。ここの人、あんなの食べてるんですか!」

「ばっ――」


 雪の遠慮の無い感想は、狩場の中央まで届いてしまった。醜悪な顔が、二人の方へグルリと振り返る。


 ――気づかれた! なら、やってやろうじゃないか。ついでにツッコんどこう。


「服着て二足歩行の豚がいるかよ! トンカツはそんな業の深い食いモンじゃねえっ!」


 人間と同じくらいの身長だが、腕回りは倍ほど太い。

 全身が毛むくじゃらで、申し訳程度にベストのような上着を付けていた。


「でも、顔は豚ですよ? 豚より猪かな」

「まあな。人型の猪、イノジンだ」


 世界平和でも希求しそうな名前を付け、彼は腰の剣を抜く。


「雪はここで隠れとけ。スキルの試運転だぜ」


 蒼一は木立を走り抜け、イノジンの前に踊り出した。

 足元には、ウサギだけでなくうつぶせに倒れた人間までいる。


「おい、大丈夫か!」


 死んでいるのか、ピクリとも動かない。

 近づく彼を見ても、イノジンに逃げる素振りは無かった。それどころか、手に持つ棍棒状の枝を振り上げて蒼一を威嚇する。


「ゴブアッ!」

「豚語が分かるか!」


 黒光りする刀を上段に構え、手に入れたスキルを彼は発動する。

 能力を使うのに、瞑想も訓練も必要無く、ただ使おうとするだけだ。それだけで、勇者であれば力を極限まで引き出し、そのスキルの何たるかを具現化する。

 熱探知もそうだった。では、これはどうだ。


「月影っ!」


 もう何度も繰り返した経験者のように、蒼一の剣が一切のブレもなく空中を切り裂く。

 陽光が燦々と輝くナグサの森に、人の背丈ほどの三日月が現出した。


「ゴブッ……!?」


 月の白光が猪を照らし出し、その眩しさに顔をしかめて目を細める。

 月影の絶技が、剣閃だけで相手の視力を奪ったのだった。

 一秒ほどだが。


「……これだけか?」


 山から吹きおろした風が、狩場の二人の間を通り抜ける。

 その風に聞かずとも、月影の効果はこれだけ、だ。


「ゴバッ!」


 イノジンが棍棒を真っ直ぐに振り下ろした。

 先ほどウサギを葬った、愚直だが強烈な一撃だ。


「うわっ!」


 咄嗟に身体を捻り、蒼一は攻撃を寸前でかわす。棍棒の風圧だけが、彼の鼻先を霞めた。


「まだ手はあるぞ、地走り!」


 走らなければ――その思いが彼を突き動かす。

 敵の周囲を全力で蒼一が駆けると、描かれた円の軌跡に、猛烈な砂煙が立ち上った。


「ゴブッ?」


 狩場の視界が急激に悪化し、砂の濃霧が対峙する一人と一匹を閉じ込める。


「ハア……ハア……いきなり効果がダブってんじゃねえか!」

「蒼一さん!」


 姿が見えなくなった彼を心配し、雪が木の陰から叫んだ。


「引っ込んでろ! ……ぐあっ!」


 森に振り返った蒼一を、力任せに振られた棍棒が襲う。

 見えないまま繰り出されたデタラメな一撃は、彼の脇腹をクリーンヒットした。


「いっ……」


 ボグッという嫌な音が、確かに聞こえた。

 折られた肋骨が激痛を訴える。


「か、回復……歩行……」


 ヨロヨロと立ち上がり、彼は砂煙の中を歩き出す。

 イノジンの放った追撃は、空を切った。


 “回復歩行”は、本来は回復を担当する術者の負担を減らすための補助スキルだ。

 行軍中に少しずつ傷を癒せる能力で、治癒力自体は弱い。

 しかし、勇者が使えば、生半可なスキルでは太刀打ちできない回復量になる。


「お、おおっ、痛くねえ!」


 蒼一の喜びの声が、イノジンの攻撃を呼び寄せた。

 ブンッ!


「ぐあぁっ!」


 もう一度やり直しだ。


「回復……歩行……」


 猪の回りを一周すれば、彼の身体は全快する。

 土煙が薄くなったのを見て、今度はダッシュに切り替えた。


「地走り!」


 撹乱だけでは、この猪は倒せない。走る合間に、煙の中へ斬撃を放つ。


「ゴブッ!」

「ゴブゴブうるせーんだよっ」


 適当に振った太刀筋は見事にイノジンを捉えるが、手応えが悪い。硬い筋肉に阻まれ、致命傷にはならなかった。

 猪の反撃が、彼の肩を強打した。


「回復歩行!」


 再びイノジンの回りを走り出すが、肩の痛みが消えない。


「ダメです、それじゃ回復走行です!」


 チラチラ見える蒼一に、雪も戦況を把握しだしていた。

 アドバイスに従って歩きだした彼を狙って、棍棒がブンブン振り回される。


「歩いてちゃ当たるんだよ!」

「片足は地面についてないとダメです!」

「えっ?」

「競歩の基礎です!」


 ――そういうことは覚えてるのな。


 朧げな記憶を辿り、蒼一もかつて見た陸上競技を再現しようと努めた。


 ――たしかこう……。


「そうです、膝を曲げたらダメなんです!」


 よく分からないまま、彼は独特の競歩スタイルで回復を図るが、また煙が薄れる。


「地走り!」


 ブンッ!


「くっ、回復、歩行……」


 ブンッブンッ!


「何度も当たるかよ、くらえ!」


 二度目の斬撃が猪の肩口にヒットした。

 まだ敵の傷は浅い。


「何度でもやってやるさ。地走りっ!」

「ゴブッ!」


 蒼一の腰に打撃ダメージ。


「か、回復歩行……」

「ヒザ、ヒザが決め手です! 手もちゃんと振って!」


 ビュンッ! 黒刀の風切り音。


「ゴアッ!」


 これで三ヒット目。


 地走り! 回復歩行……

 ヒザ、ヒザッ!

 ゴブッ……

 月影っ!


 ルーチンワークの用に、歩行と走行を繰り返し、間に剣を叩き入れる。

 月影はオマケだ。少しは使わないと、勿体なかった。


「回復、歩行……おりゃっ、これでどうだ!」


 渾身の一刀を、砂にまみれたイノジンの頭に振り下ろす。


「ゴブアァァ……」


 猪の額に減り込んだ刃が、遂にその命を奪い、巨体がゆっくりと地に崩れ落ちる。

 ……いや、まだピクピク動いてるな。


「トドメですっ!」


 走り寄ってきた雪は、両手で武器を握っていた。

 倒れるイノジンの頭部に、彼女はロッドをダウンスイングする。


「行け、マジカルロッドォ!」


 グシャッ!

 頭蓋骨を陥没させた猪は、今度こそ本当に絶命したようだ。


「このロッド、オススメだけあって強いですねえ」

「……その使い方でいいけどさ。マジカルはねーわ」


 戦闘を終え、蒼一は息を整えつつ、刀の刃を拭く。

 刃毀はこぼれなどカケラもない、美しい光沢が復活した。


「でも、凄いですね、蒼一さん」

「いや、苦戦もいいとこだよ。もうちょっと戦闘スキルを――」

「ジャスト十八回の攻撃で倒しましたよ!」

「数えんなや!」


 次の戦闘までに、まともなスキルを獲得しよう。蒼一はそう決意していた。

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