第5章 鈴打ち鳴りて、開眼の錠-2-


  ◇


 カナリアは、嫌いである。

 昔はよく眺めたけれども、もう今は好んで見る事はない。

 臭ってくるから。そこから死が。

 ……だが神父はそんな感情をおくびにも出さず、

「かわいいですね」

 垂れた瞳を一層細めた。

 それに男は不器用に口元を歪めた。

「ここで少々お待ちを」

「かしこまりました」

 男が去り部屋に人気がなくなると、神父――デュラン・フランシスは首を左右にコキと鳴らした。

 一つある窓には分厚いカーテンが敷かれている。ほんの少し持ち上げ外を見ると、空は一面黒一色になっていた。ガラスに室内の光が反射して、とても星が見えるような感じではない。

 少し息を漏らし、デュランは再びカーテンを閉めた。そして室内を眺めた。

 絢爛である。

 さすがは、レイザランを治めるラーク公の屋敷。

 絵画を眺め、花瓶を見つめ、調度品を一望し。デュランはだが興味なさげにまた首を鳴らした。

 そうこうするうちに、先ほどの男が再び姿を現した。

「こちらへ」

 騎士服を身にまとうその男に従い、デュランは廊下に出た。

 扉を閉める間際に、あのカナリアはと思ったが。わざわざ開けてもう一度見るような真似はしなかった。

 ――男について歩く事数分。

「お入りください」

 ここか、とデュランは神父の平服であるキャソックの襟元を正した。

「失礼します」

 レイザランの領主・ラーク公。

「ようこそお越しを」

 だがそこにいたのはラーク公ではなく。一人の女性。

「ラークの妻、テリシャと申します」

「……デュラン・フランシスと申します。この度は教会よりの使いで参りました」

 美しい女性だ。だが、

(病んでいる)

 その理由は直に知れるが。

 勿体ないと、デュランは思った。

「わが主カイルは所用で出ておりまして」

 ラーク公。代々続く名門公爵家。現当主はカイル・グルドゥア・ラーク。今年で33となる、若き主である。

 先代当主は妻・テリシャの父。カイルは婿養子としてこの家にやってきたのである。

「わたくしが名代とさせていただきます」

「は」

 デュランは頭と垂れ、胸に手を当てた。

「まずは先代公爵様の突然のご不幸、誠にお気の毒でございました。心中お察しいたします。若きご当主の才は聞き及びます。教会内でも評は高く」

 テリシャは静かに微笑んだ。

「それで、今回の用向きはどのような?」

 デュランは少し背後に意識を向けた。さっきの騎士が戸口でじっと立っている。

「実は、依頼を出したのはわたくしで」

「あなた様が?」

 何ゆえに? デュランは小首を傾げた。

 教会。そこはこの国において最大の宗教母体にして。

「これは内々にお願いしたい事でございまして」

 声を潜める姫君に、デュランはニコリと微笑んだ。

「当然ながら。ゆえに、私が参りました」

「……デュラン様と申されましたか、」

「秘密はお守り致します。これは、必ずです」

「……」

「姫様」

 デュランはこれ以上ないほど優しい笑みを浮かべ、テリシャを促す。

「お美しいあなた様を悩ます罪深き事象のすべて、私めがこの身に変えましても解決いたしましょう」

「……」

 デュランの微笑みは甘い。この笑みで溶かせぬ女はいないと自負している。

「……お助け願えますか、デュラン様」

「当然」

 そのために参りましたゆえ。そう言って彼は、姫の手の甲に口付けた。

 テリシャが抱えた悩み、それは。

「半年前からでございます。わが子が目を開けぬのです」

 テリシャの合図と共に乳母が赤ん坊を抱え現れた。

「それだけではなく、泣きも動きもせず」

 どのように乳母があやしても、赤子は布にくるまれたまま何ら反応を見せない。布に包まれ動かぬその様はまるで人形のようだ。実際肌の色は赤子とは思えないほど真っ白であった。

 デュランはそっと鼻元に顔を近づけた。寝息はする。

「眠っていらっしゃるご様子」

「ずーっとでございます」

 ずっと、ずっと。

 ぼんやりとそう言い、テリシャは乳母から赤ん坊を受け取った。「わが子、クレイ」

「いかなる医師に診せても原因はわからず。生まれてもう2年。当に立って歩いて、話し出しても良いものを」

 なのにこの子は目も開けてくれない。テリシャは赤ん坊の肌に頬をつけた。

「クレイ、クレイ?」

 良い子、良い子、目を開けよ。

 テリシャの目から、涙が零れ落ちた。

「何ゆえに、このような事が……」

「少しよろしいでしょうか?」

 そう言いデュランは手を伸ばした。「御子をお貸し願えますか?」

「……」

「おうおう、口元が姫様によく似ておいでだ」

 大きくなったらさぞや美男になりましょう。そう言って微笑みながらゆったりと腕に抱き、デュランは赤子を見つめた。

 ゆりかごのように、右へ、左へ、揺らしながら。

「――ん」

 不意に、その眉間が一瞬寄せられる。

「寝台へ」

 赤子を横たえ、改めてデュランはその体に触れる。

「……デュラン殿?」

「……これはこれは」

 デュランは呟いた。

「どうやら、私が来て正解だったようだ」

「……?」

「これは呪術」

 いわんや、

「この子は呪いを受けている」

 デュランの言葉に、テリシャは口元を押さえた。

「の、呪い……!?」

「ええ」

 赤子の胸に手を当てたまま、デュランはすっと目を細めた。

「それも随分凝った趣向の」

「……デュラン様、その呪いを解く事は?」

 問いに、デュランは答えなかった。ただじっと目を閉じ、赤子の鼓動を手に感じ続けていた。 その唇が僅かに動く。彼が呟く言葉、その音は誰にも聞き取れない。

 されど彼は繰り返す。

 ――ラウナ・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ

 それは聖なる言葉。この言語を操れる術者は、今この世にたった1人しかいない。

「……む」

「デュラン様」

「……少し、道を開けました。呼吸が楽になるでしょう」

 慌てテリシャは赤子を覗き込んだ。確かに先ほどまでとは変わり、肌に薄すらと赤みがさしていた。

「一体これは」

「喉の奥にある気道、呼吸を司る道がございますが」

 体を起こしたデュランの頬を汗が流れた。

「徐々にそれが塞がる術がかかっておりました」

「それは、」

「この後2週間もすれば、完全に塞がる所でした」

 危なかったですなと彼は笑い、姫君は絶句した。

 倒れ掛かる彼女を支えたのは、戸口にいた騎士。音もなく寄り添い、その肩を抱いた。

「よい……ランドルフ、大丈夫」

 その様にデュランはほんのり目を細めた。

「今一時、呼吸に関わる術は解きましたが。時間の問題でしょう。術はまたかけられる。元を断たねば。赤子の目は永遠に閉じられたまま」

 姫の顔に影が落ちた。

「テリシャ様、術者の心当たりは?」

 続け彼はそう聞いたが、テリシャは答えなかった。代わりに騎士が彼に尋ねる。

「貴公は術は解けぬのか」

「赤子の閉眼(へいがん)の錠ですか」

「我らが教会に頼んだのは、人並み以上の術者。そなたには打ち砕けぬか、その呪いは」

 デュランはポリポリと眉を掻き、少し笑った。

「まぁその旨は。当然の事ながら」

「可能なのか」

「私を誰だと思っておいでか?」

「……」

「この術は解ける。私なら容易い。ただ問題はそれだけでは足りぬという事。元凶となる術者をどうにかせねば術はまた繰り返される。ここで私が解けば、術者は更に強力な術をこの赤子に仕掛けて参りましょう。その時この子の体が持つのか。……まぁよい。ひとまずは解呪の儀をいたしましょう」

「……デュラン様」

 胸元から護符を取り出した彼にテリシャは言った。

「姫、」

「……ランドルフ、デュラン様をあそこへ」

「――」

「デュラン様。あなた様に今一つ、見て頂きたいものがございます」

 姫を見つめる騎士の目と、泣きもしない赤ん坊。そして目を潤ませる姫君。

 デュランは平然と「何でございましょうか?」と言ったが。



 ……が。である。



 導かれるままにデュランはその場所へと至った。

 地下。

 テリシャはおらぬ。供はランドルフという名の騎士のみ。

 それに最初こそ不満げだった彼も、直にわかる。テリシャがこなかった理由が。いやむしろ、遠ざけたのは騎士の方か?

 ここは公爵家の地下室だ。上は絢爛豪華。すべての物が一見光り輝いていた。

 だが。

「何だこの臭いは」

 ここに立ち込めていたのは腐臭。服の袖でデュランは鼻を隠した。

(この臭いはまるで獣の、)

 彼がそう考えたその直後。

「あちらでございます」

 騎士が促した方向、暗闇の中にそれはあった。

 牢。

 ……公爵家の地下に牢がある、それにはさほど興味はわかなかったが、問題はそこにいたもの。

「……れは、」

「デュラン・フランシス様。お尋ねしたい。あなたはあれをどう見るのか」

 デュランは呆然と立ち尽くした。その顔から、それまで彼が浮かべていた余裕めいた笑みは完全に消え去っていた。

 彼は頭(かぶり)をふり、「馬鹿な」と呟いた。

「これは、」

「……」

「ランドルフ殿と申されたな、これは一体どういう事か!! これは、」

「デュラン様。これが、わが姫が抱えているもう一つの悩み」

「――」

「これが何なのか、あなたは」

 わかるというのか?

 デュランは呆然とそれを見、ランドルフを見、

「これは」

 ――蘇る、あの日の記憶。

 大嫌いなカナリアが、胸の奥でまた鳴く。




「姫」

「神父様は?」

「仰せの通り、客間に」

「それで?」

「あの神父……一目にて気づきました」

「そう……」

「姫に再度の面会を要望されましたが、姫はもうお休みゆえと伝えおきました。明朝一番の面会を求めております」

「わかりました」

 言い、テリシャは瞼を伏せた。「それで神父様は何と?」

 訪ねながら、テリシャは同時に首を横に振った。「いい。明日直接聞きましょう」

「御意。それでクレイ様は」

「……」

「姫」

「……わかっている。わかっているが……」

「期日は残り2週間。神父が申した日にちとも完全に合致いたします。選択の余地は」

「わかっている……ああ、使いを立てよ。明朝……いや、いますぐに。馬を走らせよ」

「御意」

「……ランドルフ、私の選択は間違っているか?」

「……」

「私の選択は、」

「いいえ姫」

「……」

「何より、クレイ様のお命が大事。後の事は考えてはなりませぬ」

「……」

「クレイ様を救えるのは、姫様のみ」

 それ以外は考えてはなりません。

 姫は両手で顔を包んで泣いた。

 そして最終的に、ランドルフの胸へと身を寄せたが、ランドルフは眉間にしわを寄せながら目を閉じ、首を振った。

「姫」

 そしてその肩を優しく撫でてやる。

 そっとそっと。手折ってはならぬ、至宝の花を包むがごとく。

「ランドルフ」

 どれほど身を寄せても抱いてくれぬ騎士に、姫は少し傷ついた顔をして彼を見上げた。

 それにズキリとしたが、ランドルフは優しく微笑んで見せた。

「早急に手配をいたします。姫は手紙を」

「……ええ」

 苦い。

 部屋を出ながらランドルフは、胸に言いようのない苦く苦しいものを感じた。

 その時、気まぐれに見た廊下の隅に、花が活けてあった。

 薔薇だった。

 そこにあるのは赤い薔薇。だが彼の脳裏に浮かんだのは白い薔薇。

「……」

 ――あれは白薔薇だった。

 数日前、石を手に入れた時打ち合った剣士。金の髪と碧眼のあの剣士が持っていた剣……柄にあったのは、

「白薔薇の剣……」

 ランドルフの心を過ぎる1つの結論。だが彼はそれをテリシャに伝える事はしなかった。

(今、これ以上)

 あの方を悩ませるような事はしたくない。

 せめて自分にできるのはそれだけ――そう思いランドルフはそっと自分の手を見、そして握り締めた。

 爪が肉に食い込み跡を作ったが、構わず。

 その手を、呪うかごとく。


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白薔薇の剣-最後の王女の物語- 葵れい @aoi_rei

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