第4章 魔窟の争-2-
――カーキッドが横に薙いだ剣を、黒装束はスルリとかわす。
そのまま振り切ったら岩を叩く事になる。カーキッドは間髪、切っ先を反転させて突いた。
だがそれを、刺客は一歩奥へと飛び退って逃げた。
奥にあるのは闇。
そして別の闇の中から、両手から繰り出される短剣がカーキッドに襲い掛かった。これはどうにか愛刀でやり過ごすが、この男にしては珍しくその顔が苦く歪んだ。
苦戦しているのである。
(闇に)
襲撃者にとは言いたくはない。これは闇のせいだ。
(白昼ならば)
そしてこんな狭い所でなければ。だがそれが単なる言い訳だとは、カーキッド自身がよくわかっている。
密閉空間は長剣にとって不利な場所。であるがゆえに用いられる戦術もある。
高く振りかざすには上が足りない。かと言って、横に薙ぐには立ち居地が関係してくる。
相手の数もわからぬ。無論意図も。
でもわかっている事は。
(あいつがいる)
先日の夜襲の際、最後に消えたあの黒装束の者。あれがリーダーだ。
恐らく今日も必ずここに、
――迫り来る短刀に、カーキッドは剣を盾にして防ぐ。
そこへ横から別の刺客が。ギリギリ鞘を引き立て、流す。そのまま横に蹴りを入れるが、かわされた。脚は宙を裂いた。
そこに生まれた隙に、刺客が打ちかけてくるが。
「甘ぇ!!」
壁に手をつけ、その反動から回し蹴りする。
1人の首はもらった。完璧な感触だった。
だがその間に、スルリとカーキッドの脇を抜け、黒い影が彼の背後へ周った。
カーキッドは咄嗟振り返った。マズイ、そちらにいるのは、
「オヴェリアッッ!!!!!」
顔を隠せ、正体を悟られるな、本名は使うなと散々言っているカーキッドから、こぼれた音は、警告音。
カーキッドの背後でまだ事の成り行きに戸惑いを見せていた彼女は、闇から現れたその黒い影に一瞬ひるんだ。
だが右から左からと突き出された剣に、体が勝手に反応をする。風のごとき手さばきでそれを何とか受け流す。
だがそれは単純に剣だけ。その使い手の体制までは崩れてはいない。
弾かれた剣を持ち替え、再び彼女に飛ぶようにして襲い掛かる。
これは、とオヴェリアは思った。
(何、この剣)
これまで彼女が扱ってきたのは騎士道、そしてその剣技。対長剣用の正当な打ち合い、それに対応する技。
だが今打ちかけてくるこの技は。
(剣じゃない)
これは、打って返す剣の技にあらず。
(殺すための技)
それは剣とて同じなれど、これはもっと端的に相手の命を仕留(しと)めるために昇華されたような。
オヴェリアは、生涯でこの時初めて感じた。自分に向けられたこれほど単純なまでの殺意を。
この黒装束の者は、今、自分を殺そうとしている。そのために、
――ブンッと、下段から剣が突き上げられた。
ギリギリでそれをかわす。そこへ真正面から、オヴェリアの双眸目掛けて短刀が。
「あ」
突きつけられる。
瞳と切っ先は一直線に結ばれる。
だが今この瞬間オヴェリアが剣を振れば、彼女の速力ならば相手の腹はがら空き。確実に捉えられた。
けれども彼女は愕然と見ていた。切っ先の向こう側にある死を。
「ぼさっと」
――それを背中から叩き斬ったのはカーキッドだった。
「すんなッッ!!!!」
斬られた、だが刺客は倒れない。身を回転させカーキッドに刃を向ける。
それを受け止めたものの、彼が相手にしているのはその者1人ではない。闇からウヨウヨと、次から次に、刺客は彼目掛け襲い掛かる。
――いや、正確には違う。
オヴェリアへ向かおうとする者を、彼はただ1人で打ち止めていたのである。
「オヴェリアッッ!!!!」
ガッと、刺客の1人を頭上から叩き割る。血が吹いた。
「しっかりしろッ!!!」
オヴェリアは小さく呻く。
戦わねば、剣を振るわねば。カーキッドが危険にさらされる。今、やらなければならない事は1つ。
その間にも、カーキッドの剣を潜り抜けた刺客が、彼女の元へと走る。
「剣を握れ、オヴェリアッ!!!」
カーキッドは叫ぶ。彼女は剣を構える。
だがその瞳が揺れている。
振るった剣と短刀が打ち合いに火花を散らす。
オヴェリアの足場が揺らめく。それでも何とか崩れずこらえたその足元を、刺客が払うように蹴りつけた。呻きながらよろめくが、剣を返して下から一閃させる。
両手で持ち、もう一太刀振るおうとしたその刹那。
「あ」
壁に当たる。
腕に衝撃が走る。突出していた壁に弾かれ、白薔薇の剣が宙を待った。
その好機を、刺客が逃すわけがない。頭上振り下ろされる短刀を、オヴェリアは咄嗟に、腰のもう1本の剣で受け止める。
それは先日の町で手に入れた短刀。ルビーをあしらった装飾品のような美しい剣だ。彼女はあれ以来、白薔薇の剣と共にこのルビーの剣も帯刀していた。カーキッドには「荷物を増やしてどうすんだ」と小馬鹿にされたが。
ギリと歯を食いしばり耐える。押される剣を力の限り受け止める。
その切っ先が、彼女の目の前にある。
耐えなければ、こらえなければ、ここで死ぬ。
死ぬのだ。
(母上)
目に過ぎるは、母の最期。
だから、だから。
――だから、剣を鍛えたのではないか。
食われそうになったから。
闇に。
(だから私は)
速さではオヴェリアの剣は一流。誰にも負けなかった。
けれどもその腕力は別。彼女は女なのである。力勝負は分が悪い。
カーキッドはその様子を確認し、慌てて、目の前の刺客を斬った。
オヴェリアは押され、壁際まで追い詰められている。
白薔薇の剣は床に転がり、
「退けェッェェェェ!!!!!!」
カーキッドは剣を振り回し吠えた。
らしからぬ、形振り構わぬ剣技。ひるんだ黒装束たちが一歩退いたのを確認するまでもなく、 オヴェリアを襲うその刺客を、上から両断しようと剣を滑らしかけた時。
――ズダン。
風。
一瞬何が起きたのかカーキッドにもわからなかった。
ただ次の瞬間わかった事は、オヴェリアを襲っていた黒装束の首から、棒が生えていた事。
矢だ。
「松明を!!」
目の前でたった今まで自分を殺そうとしていた者が崩れていく。
わけもわからぬまま声がした方を振り向くと、人が走り来る所だった。
その姿、神父の平服キャソック。
彼はカーキッドが転がしておいた松明を引っ掴むと、持っていた棒に火を移し、そのまま闇に向かって放り投げた。
炎があれば光となる。光があれば闇は散る。
闇がなければ黒の装束とて、如実に姿を現す事となる。
そうやって神父は木々に炎をくべ、辺りに撒き散らした。
見渡せるような空間ができる。
闇の中だった戦場が、いつしか光の中へと。
目で確実に相手の動きがわかる空間となれば、カーキッドの剣は早い。ザクリと、続けて2人まとめて斬る。
「オヴェリア!!」
そう言ってカーキッドは、白薔薇の剣を持ち主の元へと蹴飛ばした。
彼女は息を荒げながら立ち上がり、剣を構える。
目を閉じる。
彼女の剣は早い。
刺客が剣を繰り出すその4歩手前で、もうその手首は宙へと飛んでいる。そして自分の手首がもがれた事を知る間もなく、背後からカーキッドが一突きにした。
「お前ら」
背中を足で踏み込みながら剣を抜き、カーキッドはゆったりと振り返った。そこに居並ぶもの達は一様にジリと足元を鳴らした。
「生きてここから、出られると思うなよ」
なぜ彼が、「オヴェリア」とその名を何度もはばからず呼び続けたのか。
それは、生きてここから出すつもりがないから。
目で捉えられる姿、7。
剣を、カーキッドは一瞬後ろへ引き、そこから一気に走り駆ける。視野が確実ならば、ふり幅の調節もできる。
狙いは、一番奥にいる者。すべてを飛び越し、その肩に斬りつける。
その最中、手から針が落ちたのは見逃さない。そのまま返す刀で胴体を一薙ぎにし。
「そっちに行くぞ!!」
残してきたオヴェリア向かってに叫ぶ。飛び越してきた黒装束たちが、カーキッドとオヴェリアの二手に別れる。
オヴェリアの方には神父もいる。彼女は神父の前に出ると剣を構え、一気に白い薔薇の剣を突き立てる。
足場が滑ったのが幸い。ザッと浅く2人の膝を切る。
だが向こうの動きは緩まない。飛ぶように頭上から襲い掛かってくるそれを、構えた剣で一刀。風速を伴いそれは、腰を真っ二つに切り裂いた。
吹き荒れる血飛沫に目を閉じながら、感覚で、死角から襲い来るもう1人の喉を、切り裂いた。
後は黙っていようともカーキッドが斬る。
総計12。
屍が転がる。
◇
「危ない所でしたね」
息を切らすオヴェリアと、まだ剣気を消さないカーキッド。2人を前にして、神父はほっとした様子でそう言った。
「あれは一体何者……」
戸惑うように彼が言ったその刹那、カーキッドは上体を少し起こし、その双眸を神父へと投げた。
「てめぇは何者だ」
スッと剣先を神父に向ける。
それに彼は驚いた様子で、大げさなくらい目を見開いた。
「私は旅の神父」
「ずっと、つけてたな」
「……カーキッド、」
「そうだ。俺達をつけてたのはこいつだ」
そう言って彼は双眸の殺気を強めた。オヴェリアを庇うように立つと、今にも飛び掛らんがごとく剣を構えた。
「もう一度聞く。何者だ? こいつらの仲間か?」
「……はは、」
すると彼は薄く笑い、「ご冗談を」
「物言わず後をつけたのは失礼をいたしました。だがこれだけは絶対、その黒い面々と私は一切関わりはありません」
「どうだか」
「……実を申せば私もこの先に用事がありましてな。だが道はこの洞窟しかないと聞き困っていた所。1人で洞窟に潜る勇気もありませんので。閉所と暗闇はどうも苦手苦手でして。そんな時、洞窟へ向かうあなた方をお見かけした。便乗してそっと抜けようと思った次第。声を掛ければよかったのだが、あまりにお2人が仲睦(なかむつ)まじい様子だったので、邪魔になるかと思ってついつい」
「誰が、仲睦(なかむつ)まじいだって?」
いよいよ本気で斬りそうになるカーキッドを、オヴェリアが止める。
「神父様。何はともあれ助かりました。ありがとうございました」
「いやいや、私は何もしておりませんよ」
言いながら笑う。元々笑ったような目が、一層曲線を描いた。
神父はそのまま、自分の弓によって倒れた屍に寄り、矢をグイと引き抜いた。
「あー、ダメか。これはもう使えないな」
「お前、前に会ったな」
オヴェリアは態度を和らげたが、カーキッドの殺気はまだ消えない。
「はて? そうでしたか?」
「3日前、町の宿だ」
焔石の一件があったあの町。酔い潰れたオヴェリアを抱えて部屋に戻ろうとした時、声を掛けてきた旅の神父。あの時の笑顔は、カーキッドの脳裏にしっかりと焼きついている。
「あれからずっと、つけてきやがったのか?」
カーキッドの問いに、神父は目尻を細めて返した。
「あなた方が行く道と私が行く道が同じだった、それだけの事」
「……」
「改めてお願いしたい。この洞窟を抜けるまで、ご一緒させてはいただけませんか?」
オヴェリアはカーキッドを見上げた。彼はまだ神父を睨みつけている。
「カーキッド、」と、小さく呟き、オヴェリアは頷いた。
「一緒に参りましょう。この闇の中で1人は、さぞかし心細い思いをされた事でしょう」
「ありがたい」
「……おかしな真似をしたら、即、叩き斬る」
カーキッドの言葉に神父は本音を漏らし苦笑した。
「恐ろしや。まるで狂犬のようだ」
◇
――それからしばらくして。3人は無事に洞窟を抜け出す事ができた。
「ああ、太陽はいい」
出るなり神父は背伸びをし、うーんと唸った。
「助かりました。ありがとうございました」
洞窟の向こうに広がっていたのは草原。脇には川が流れている。
カーキッドは出るなりすぐさま、川へ向かった。血を流したかった。オヴェリアも同様に返り血を浴びてひどい様だった。
「それでは私はここで。またどこかで会える事を祈って」
そう言って笑顔で立ち去ろうとする彼に、
「神父様、お名前は?」
神父は驚いた様子で彼女を見つめ返したが、すぐにふんわりと笑って答えた。
「デュラン・フランシスと申します」
「デュラン様」
「それでは。――オヴェリア様、カーキッド殿」
カーキッドがハッとする間もなく、デュランと名乗った若い神父は足早に駆けて行った。その背中には矢束が背負われていた。
「弓持ちし、神父……」
「次会ったら斬る」
「……カーキッド」オヴェリアは嘆息を吐いた。
「助けてもらったのは事実」
助けてもらった? 確かに……カーキッドの脳裏には一瞬苦い思いが過ぎる。
(平和ボケしてたかもしれん)
こういう場所の危険性は充分わかっていたはずのこの体。心にあった油断。それはカーキッド自身が感じていた。
だが。
(あいつは、わざと)
デュラン・フランシス。彼はわざと気配を隠さなかった。
――自分たちに気づかせかったがごとく。
黒装束の刺客と、現れた神父。
「食えねぇ」
「?」
「……いや、いい」
何かある。
第一にあの黒装束は一体何者で、何を狙っているのか
「……オヴェリア、顔洗え。そのままじゃ町があっても入れん」
「あ、はい……」
「いっそ脱げ。川に飛び込め。そうすれば気持ちいいぞ」
「イヤです。何のために迂回路を使ったというのですか」
彼女が浮かべる苦笑に、カーキッドの中に渦巻いた殺気も少し、薄らぐ。
――むろんそれは、我知らず。
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