プロローグ 白薔薇の騎士-2-


 抜き身の剣を、そのまま一気に横に薙ぐ。

 騎士は剣を立ててそれを受け止めるが、足元おぼつかぬその体勢で、完全に捉えきれるものではない。

 よろめいた、受けきれないと騎士は咄嗟に悟る。

 それでも左の足でギリギリ持ち直したその脚力は、さすがにここまで勝ち上がっただけはある。

 ――5回戦。

 この時点、残りは16人。

 総勢約300人という参加者からここまでやってきた。それもここで、さらに8人にまで絞られる。

「―――ッッッ!!!!」

 腕力は騎士が上。押し合いの勝負になれば、騎士の方が圧倒的に有利だろう。

 だが誰が見ても一目瞭然。押されているのは騎士の方だった。

 しかも彼は、優勝候補の1人、第一師団のルータス・グロリアである。

 貴族の名門・グロリア家の長男にして第一師団の二番隊隊長を務めるこの男。ここまでは予想通りの圧倒的な力量差を見せ付けてきただけに。

 だけに、である。

「ルータス殿なら家柄もそれなりに見合うが」

 大臣たちのそうした意見をも、現実は無視をして。

 試合を見ていた武大臣グレンは思った。ルータスは負けると。

 だがそれはここまで試合を見た結果として思った事ではない。

 最初に2人、見合わせた時より。

 その立ち姿。

 位置。

 空気。

 気配。

 ……それは思念か?

 あの剣は……、思わず出そうになった呟きを、グレンは寸前で飲み込む。

「のう、グレン」

 薔薇前試合も今日で5日目だ。

 すべての試合を記憶に収めようとするかのように、じっと闘技場を見つめるハーランド王の傍らで。 グレンもまた、同じようにすべての戦いを見てきた。その上で。

「あれをどう見る?」

 グレンは答えられなかった。

 あぐねた言葉、何を口から紡げば、今をやり過ごす事ができようか?

 そう思った瞬間、カンという甲高い音がして。急ぎグレンが見た時にはもう、白い地表に無造作に剣は転がっていた。

 それが誰の剣か。ルータスが剣を向けられている事実を見れば明らか。

「勝者! カイン・ウォルツ!!」

 歓声は、まるで爆発のようだった。

 張り詰めていた空気が一気にはじけ飛ぶようなその轟音に、王は空を見、そして勝利した者を見た。

「カイン・ウォルツか……」

 カインと呼ばれた白い鎧をまとった剣士は丁寧に頭を下げ、闘技場の中へと消えていった。

 残された騎士の方が、その場にしばらく呆然と、魂を忘れたように立ち尽くしていた。

 その様が無様だとは言えぬ。だが哀れだとも思えぬ。

 武大臣はそっと目を閉じる。

 見たくなかった。




「やるなぁ、あんた」

 闘技場から一歩入った連絡路にその男は立っていた。

「……」

 カイン・ウォルツは兜の面甲を降ろしたまま、男を見た。

 傭兵隊長、カーキッド・J・ソウル。

 カインより頭一つ高いその男は、彼をじっと見下ろした。

 カインはその視線を兜の下から受けとったが、すぐに手放し、みちの先へと踏み出した。

 その横顔、そして背中を見やり、カーキッドは鼻で笑う。

「面白ぇ」

 呟き、彼は陽気な笑い声を立てながら闘技場へと出て行った。

 歓声が起こり、その余韻が沈む間もなく。

「勝者!! カーキッド!!」

 その名が高らかに呼ばれた時、カインの姿はもう闘技場のどこにもなかった。




 薔薇の御前試合6日目。

 8人まで絞られたここから、本当の戦いは始まる。

 準々決勝である。

 この中には第十三師団総隊長マルセの他、予想通り優勝候補の筆頭・近衛師団長シュリッヒもいた。

 色々な者がひしめき合った今回の試合。参加者の中には武道家もいた、槍使いもいた。だが結局最後に残ったのは全員剣士だった。

 8人中、うち6人が正騎士。残る2人は、傭兵隊長カーキッドと。

 ――白をまとう剣士。

 カイン・ウォルツ。誰もその名を知らぬ。姿を見た事がある者もいない。残った中でも一際小柄のこの者が、今回の大会でシュリッヒの次に注目を集めていた。

 シュリッヒは名門ではないとはいえ、貴族。その丹精な顔立ちから女性からの人気も高い。

 対しカインは、兜を決して取らない。

 だが、小さな体で騎士を打ち負かしていく様が人気を集め、話題となっていた。

 ――だが、誰も思わぬ。

 それでも今回の大会、誰もが優勝はシュリッヒであろうと思っていた。

 この時だけ公とされる国営の賭博でも、それは一目瞭然であった。

 カイン・ウォルツ。

 どこまで戦えるのか。

 でもそれは、大穴中の大穴。

 誰も思わぬ。

 彼が、シュリッヒを上回るとは。




「姫様は今日もお部屋から出ていらっしゃらない」

 侍女のフェリーナは、心中穏やかではなかった。

「次はいよいよ準決勝だというのに。陛下は初日からずっと試合を観覧していらっしゃるのに……姫様はおいでにならなくてよろしいのかしら?」

「とか言って、あなたが試合を見たいのでしょう?」

 仲間の侍女に茶化され、フェリーナは顔を赤らめた。

「だって! この試合で、姫様の旦那様が決まるのよ! シュリッヒ様のお姿、姫様も見ておかれるべきだわ!」

 姫様はそういう事にはあまり関心がないから……と、全員がため息を吐く。

「だからよ。後で会話となった時、シュリッヒ様の勇姿を見ていないとなれば、お2人の間に亀裂が生まれるかもしれない」

 彼女の中で、今回の大会の優勝はシュリッヒで決まっていた。何せ城内の噂好きの面々は、全員彼を推していたから。

「姫様。フェリーナでございます」

「フェリーナ!」

 扉を叩く彼女を、周りの侍女は驚いて止めた。

「姫様は、お声を掛けるまで誰も近寄るなと」

「でも」

「オヴェリア様の命令は絶対でしょう?」

 でも……と、彼女は唇を尖らせ物言わぬ扉を見た。

「眠っておいでなのかしら……」

 分厚い扉の向こうからは、何の気配もなく。

 ただ、辺りは静まり返るばかりだった。




「へぇ? 準決勝はシュリッヒ公か」

 控えの間にて。

 カーキッドはたった今貼り出された対戦表を見て、口笛を吹いた。

 ――四強。残ったのは近衛隊長シュリッヒ、第十三師団マルセ、そしてカーキッドとカイン。

 カインもそれを見たが、すぐに部屋の隅に行き腕を組んだ。相変わらず兜はつけたままであった。

 その様子をチラと見、カーキッドはニヤリと笑った。

「なぁあんた、今くらい兜を取ったらどうだ? それとも、そんなに見せちゃ困る顔か?」

 何も答えぬ。視線もよこさぬ。

 シュリッヒとマルセに関しても同じ。一切言葉を交わす事はなかった。

 沈黙だけが共にいる。

 カーキッドは鼻を鳴らした。

「まぁいいさ」

 ――程なくして、兵士が迎えにやってきた。

「シュリッヒ様、カーキッド様、時間です」

 人で溢れ返っていた頃は呼ばれる声を聞き取るのも一苦労であったが、今は十分耳に飛び込んでくる。何せこの部屋にはもう4人しか残っていないのだから。

「へいへい」

 先にシュリッヒが部屋を出た。カーキッドも一歩遅れて部屋を出る。

 だがその出掛けに、カインを振り返り。

「次、見に来いよ」

「……」

「損はないと思うぜ?」

 ニヤリと笑って、出て行った。

 ガチャリと金属が鳴る音がして。カインはしばらく、カーキッドが消えて行った方向を見ていたが。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 今大会、1度も他人の試合を見に行った事がなかったこの者が、初めて動いた瞬間だった。




 カーキッド・J・ソウル。

 傭兵隊長である。

 正騎士ではない。剣だけを頼りに、流れ流れてこの国へやってきた。

 実力だけでその地位まで上り詰めたが、傭兵にこの上はない。

 ――普通なら。

 兵士の世界は実力主義。されど身分や家柄がまったく関係していないというわけではない。現実に騎士団の要職についている者の多くは、貴族やそれに繋がる者が多い。まったく無名の家の出にして権力ある地位についているのは、ごくごく一握り。

 有名無名問わず、努力と実力での組織図を理想としつつも、現実にはやはりしがらみは出る。王はそうした物を嫌ったが、実際には彼の知らない所で馴れ合いは起こっていた。

 否、知っていても手出しができなかったのやもしれぬ。

 ――それも、王族が生きていくための取らざる得ない手段の一つではあったから。

 貴族の支えなしでは、王族とて立ち行かぬ。絶対的な王制を誇った250年前に比べれば、その権威は弱体化を否定できなかった。

 だが、それでも王は王だ。出生から決まる運命。常に生まれた人間が、そこにたどり着く事などどうあがいても不可能。

 だがここに、すべてを越えるような事象が転がっている。

(勝てば)

 すべてを飛び越えられる。

 大会前に王は約束した。この試合に勝利した者には、『白薔薇の騎士』の称号を与えると。

 それが意味する事、傭兵のカーキッドとてわかっていた。

 ヘヘヘと笑い、彼は玉座を見た。この闘技場を一望する王の観覧席。そこには今日もハーランド王がいる。最初から最後まで、すべてを見届けるつもりなのだろう。

「凄ぇ王様だ」

 カーキッドは剣を抜いた。

「その目をおっ広げて、よく見てろ」

 これが、あんたが望む、未来を切り開く剣だ。

 シュリッヒは騎士の礼にのっとって、剣を面前に構える。だがカーキッドにそれはない。抜き身の剣を投げ出したように持つのみ。

 静寂に、静寂に。

 物言わぬ審判に導かれるように、彼らを見守る大衆が言葉を閉じ込めた頃。

「始め!!」

 声が上がる。

 だが2人は凍ったように、その場を動かない。

 沈黙。

 空気すら動かない。時が止まったように、風すらも恐れてこの空域を避けている。

(これは)

 カーキッドは内心舌を打った。

(さすが)

 近衛の棟梁。

 近衛師団は王家直属の騎士団。万事の時は盾となり王を守る。この国最後にして最強の鉄壁である事、それが求められる部隊。

 だからこその、精鋭集団。

 騎士である限り、近衛に属する事を憧れぬ者はこの国にはいない。

 だがカーキッドは正直、彼らを馬鹿にしていた。

 いざ戦時となっても、奴らはここを動かない。彼らが剣を振るうのは、戦火が目と鼻の先まで迫ってからじゃないかと。

 戦場を駆け回った自分とは、戦いに対する意識が。

(雲泥)

 そんなぬくぬくのお坊ちゃんに、この俺が劣るとは思えない。

 ……そう思って、ここに望んだけれど。

 中々どうして、目の前のこの男。隙がない。

 ジリと、足音の一つでも立てようものなら。

(斬られる)

 そんな、完璧な気配。

「……」

 面白ぇ。

「ゾクゾクする」

 呟き、カーキッドは口の端を吊り上げた。

 ――だがそれはシュリッヒとて同じであった。

 カーキッドの構えはあまりにも無防備。それなのに飛び込めない。

 構えではなく、その身から解き放たれるその気配が。

(殺気)

 だが互い、ここで見つめ合うたけのために立っているのではない。

 交えるのは剣。

 そして、そこに込めたるは。

 想い。

 ――先に動いたのは、カーキッドの方だった。小走りから、一気に距離を詰める。

 シュリッヒは剣を持ち直し、それを待ち構える。

 打ち合いになる、だがその刹那、カーキッドの体が消える。

 右から潜るようにして、上へと切り上げる。

 それをシュリッヒは打ち止める。

 最初の打ち合い、甲高い音が場内一杯に響いた。

 その音は大会中ここまでで、最も高く、空気を貫くような鋭い音。

 観客がその余韻に意識を囚われている最中にも、2人の打ち合いは続いた。

 模擬試合用に刃は殺してある。だが重い剣がぶつかる音は、剣などわからぬ素人にとって、命のやりとりにしか思えない鋭い物であった。

 数度の打ち合いの果て、シュリッヒが一歩間合いを外す。

 だがそれをカーキッドは許さぬ。右足を奥へ一歩、踏み込む。

 右から薙がれた一刀に、シュリッヒは剣を立てて受け止めるが、それを押し払い退け、そのまま太刀をカーキッドへと突きつけた。

 喉を狙う。

 兜と鎧のつなぎ目。

 当たるや否や、ギリギリ、地面に転げてそれを避ける。

 そこからカーキッドはシュリッヒの足を払った。倒れこむシュリッヒに上から襲い掛かる。

「卑怯な」

 叫ぶ貴族に、カーキッドは笑って答える。

「戦場でもそれを言うんかい?」

 だが突き立てた剣はそのまま地面へと吸い込まれる。

 ハっとしている暇はない。背中だ。背後に回ったシュリッヒが、無防備な背中を剣で打つ。

 ねじってかわすが、完全ではない。

 衝撃、倒れこまなかった事は見事。

(重い)

 わき腹をやられたか? カーキッドは口元を歪めた。

「面白ぇ」

 面白いのだ。

 こんな模擬の遊びのような試合で、カーキッドは高鳴る胸を抑えきれない。

「いいねぇ」

 こいつは強い。思っていたよりずっと。

 腕が鳴る。昂ぶる。ゾクゾクする。

 カーキッドは兜を脱ぎ捨てた。

 そして真っ向シュリッヒを見据え、初めてまともに剣を構えた。

 斜め下段。

 先程と似ているが、こもった力が違う。

 魂が。

 ――解き放たれる。

 走り出したカーキッドの横、剣がそれに従う。

 砂を削り、粉塵が沸き返る。

 下からの突き上げ、先刻と同じ。

(だが、)

 シュリッヒは1歩退く、いや、それに加えてもう2歩。

(さっきより数段早い)

 鼻先を剣が行き過ぎる。1歩で済ましていたならば、確実に捕らえられていた。

 シュリッヒの中で、感覚修正がなされる。カーキッドの剣が変わった。2段、3段先を読まねば。

(捕まる)

 だがそんな時間、彼は許さない。矢継ぎ早に左から打ちかける。

 胴を掠める、胸板に剣先が掠めた。それだけで衝撃を味わう。

 だが体制は崩さない、足は動く。3打目を受け止め、そこから押し返しカーキッドの足を狙う。

 しかしその動き、もう読まれている、寸前でかわし、代わりに剣ではなく蹴りが飛んできた。それを三分さんぶ程度でかわせたのはやはり、相手がシュリッヒだったから。

 カーキッドはシュリッヒを認めた。こいつはぬくぬくの坊ちゃんなどではない。

(だが)

 甘いんだ。

 お前が読めるのはせいぜい3手先。5手先まで読まなければ。戦場では生き残れないんだ。

 カーキッドはニヤリと笑いながら、剣を振り上げた。

 胴体はがら空きだ。シュリッヒはそこに食いつかない。

 しかし瞳が奪われた。それは同時に心が奪われたという事。

 飛び込まなくても、それが罠だとわかっていても。

 視界に入れた、一瞬だろうが心迷った。

 そうなればもう、罠は完成してるんだ。

 カーキッドは咄嗟右へ切り返し猛烈なスピードで横から薙いだ。

 その切り返し、よく受けた。

 でもシュリッヒの反応は遅れている。

 だから次の切り返しにはついて来れない。

 カーキッドの右足が一歩出た、そこまでは見えた。

 だが。

 ――同時にシュリッヒの左足は後ろへ退いた。

 それが答えだった。




 カン。

 シュリッヒが剣を落とすその音は、哀れなほど小さかった。




「シュリッヒが負けた!!」

 その場にいた全員が息を呑む。

 上がった歓声は狂喜か、混乱か。これは狂乱の宴か。

 大番狂わせ。

 誰もが信じて疑わなかった、優勝候補第一頭が。

「ふはは……」

 だが王はさして驚いた様子もなく、ただ笑った。

「愉快」

「傭兵隊長カーキッド」

「あんな人材がいたか」

「……各地を転戦し、1年前この国に。その腕前は私も見た事がありましたが……まさかここまでとは」

「シュリッヒを倒すか」

 武大臣グレンは、そっと傍らの王を見た。目尻のしわは穏やかで、本当に楽しんでいるのが見て取れた。

「グレンよ、」

「御意」

 皆まで言わずともわかっている。王はカーキッドが気に入った様子。

(この試合の行方は別として)

 傭兵隊長では、収まりきらぬか。

(だが何よりの問題は)

 この次。

 グレンの目が厳しくなる。

 そしてその眼光は同時に、王の双眸にも宿る。

 ――焔のごとき色として。

 かつて騎士として名を馳せた、その頃と同じ。

 色。

 ――光。

 言い換えればそれは、

 熱。

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