アクアク 始動
「悪夢を、見るんです」
俺たちは、夢見から掛詞の事情を聞くため、近くの公園に場所を移した。
ジャングルジムも滑り台も撤去され、砂場と、動物を模したバネのついた乗り物みたいなやつが2つあるだけの、物寂しい公園。長いベンチに、夢見を挟む形で座る。
和歌等における修辞法のひとつ。ひとつの言葉に複数の意味を持たせる技法。
表沙汰にはなっていないが、この町では最近、掛詞を用いた呪いを体に刻まれるという事例が数例確認されている。
かくいう俺も、二ノ瀬も、掛詞の被害者だ。二ノ瀬に関しては掛詞はきれいさっぱり消滅したけれど、俺の右腕の掛詞『ヨル』は、症状が若干緩和しただけで、まだくっきり残っている。
掛詞は、その『読み』に基づいた様々な呪いや怪奇現象を、刻まれた本人や周囲に与える。
二ノ瀬の『ノロイ』は、『鈍い』と『呪い』。
体感時間が2秒遅れるという鈍いと、自分でも無意識のうちに他者に危害を及ぼす呪いをかけてしまう呪いの、2つが掛けられていたのだ。
そんな感じで、掛詞がどういうものかを簡潔に説明し、自分の受けている呪いに心当たりはないかと尋ねたところ、夢見はそう答えたのだった。
「悪夢、か。どんなものなんだ?」
「ええと……説明しづらいんですけど、夢の中で私は小さくって。大きい男の人や女の人に、暴力を振るわれたりして、虐められるんです。そんな夢を毎晩見るんです」
「酷いクマだけど、それは、もしかして?」
二ノ瀬の質問に、夢見はさっと俯く。
「……はい。悪夢が、怖くて。眠りたくないんです。体力が限界になって、気絶したり、意識を失っている時は、夢も見ないから」
「それで道端で倒れてたってワケか」
たかが夢かと思ったが、実際のところ事態は深刻なようだ。
二ノ瀬が、夢見に密着するように置かれた大きいボストンバッグを指さす。
「そのバッグ。夢見さん、運動部に入っているのよね?」
「はい。バレー部に」
「一睡も取らずに激しい運動を長時間行うなんて生活を続けていたら、今度は気絶では済まないかもしれないわよ」
「それは、そうなんですけど。悪夢を見る度に、こんなもの見るくらいなら死んだ方がマシって気分にさせられるんです」
答えづらそうにしながらも、夢見はハキハキと返答をする。ハッキリと、姿勢よく、「死んだ方がマシ」などという言葉を口にする。
寝不足でふらふらしながらも、基本的に背筋を伸ばしたいい姿勢でいようとしているあたり、運動部だなぁという感じだ。言動と態度のミスマッチが、危うさを加速させている。
「とにかく、八田さんに相談しないことには始まらない。夢見ちゃん、ちょっと歩くけど平気か?」
「大丈夫です。どこへ向かうのか聞いてもいいですか?」
「この公園を出て、右に曲がって、跳ね橋を渡った先に……」
「そっちには行けません」
きっぱり、夢見は断った。
八田は、恩人である俺でさえ見た目だけ見たら『怪しい』という感想を拭いきれない、赤スーツの妙に不吉そうな人間だし、八田の姿を見て逃げ出されてしまうかもしれないなと心配してはいたのだが。まさか、八田本人を見ないうちに、彼の元へ行くことすら拒否されてしまうとは思わなかった。
「えっと。八田さんっていうのは、ここにいる二ノ瀬や、俺の掛詞の呪いを解いてくれた人で。霊媒師って名乗ったり怪しいけど、信用出来る人だから」
「そこは、関係ないんです。ごめんなさい。私の個人的な事情で、町の東側には行きたくないんです」
「はあ。お医者さんに行くのを嫌がる子供じゃないんだから、そんなわがまま言わないでよ」
「お医者さん、行くの嫌ですよね。私も2年放置してる虫歯があるんですけど、未だに歯医者に行けてなくて」
「いや今そういう話はしてな……え? 2年? 虫歯って2年放置して大丈夫なもんなの?」
二ノ瀬に睨まれる。いけないいけない、あんまりにもあんまりなツッコミどころが出てきて我慢できなくなってしまった。
「とにかく、せっかく親切で言って頂いているのに申し訳ありませんが、そっちの地域に行くのは、どうしても嫌です」
「だけどこのままじゃ命が危ないぞ」
「構いません。悪夢を見るのも、町の東側に行くのも、私にとっては死んだ方がマシです」
「死んだ方がマシとか、そんな簡単に言わないの」
「…………」
俺の無言の視線に、何よ、とバツの悪い顔で応じる二ノ瀬。デリケートな話だし、口に出して言うのははばかられるから頭の中で叫ぼう。お前が言うな。
それはさておき、ここまで強く拒絶するということは、それが夢見の掛詞を紐解く上での手がかりになるかもしれない。
「何か事情があるのなら、相談してくれないか。さっきも話した通り、掛詞は、精神に深く関わる出来事やトラウマ、悩みとかが関係してたりするんだ」
「……そういうことなら、」
お。話してくれる気になったか。
「もう、その掛詞っていうのを消すの、諦めます」
「え」
「本当にごめんなさい。善意を踏みにじるようなことだというのは分かっていますが、誰にも知られたくないことなんです」
「…………」
「埒が明かないわね」
やれやれ、こうもキッパリ否定されては取り付く島もないな。二ノ瀬の言う通り埒が明かない。
大きく溜め息を吐いて、俺は尻ポケットからスマホを取り出した。
「じゃあ、電話で対策を聞くよ。向こうに行かなきゃいいんだろう」
「あ、はい。それなら大丈夫です」
掛詞のアドバイスを、直接顔を見せず電話で聞いて済ませようなんて、失礼じゃなかろうか。さすがの八田も怒るんじゃなかろうか。
不安になりながらも、他に打つ手もなし。LINEを使って八田に電話をかける。わずか1コールで繋がった。
「もしもし」
『掛詞か』
「あ、はい、そうです」
急だな。まぁ世間話をするような仲でもないし、彼のところに話をしに行く時は決まって掛詞のことだから、当然といえば当然か。
端的に事情を説明。間夢見という少女が『アク』の掛詞による悪夢に悩まされていること、彼女が町の東側に行くことを強く拒絶していること。このままでは睡眠が取れず、彼女の体が危ないこと。
『事情は大体分かった』
「あの。こんなお願い、失礼だとは思うんですけど。八田さんがこちらに来ることは出来ませんか?」
『……悪いな。霊媒師としての仕事をする時以外、私はここを離れられないのだ』
「そうですよね。失礼しました」
『間くん、だったか。彼女と直接通話をすることは可能だろうか』
「聞いてみます」
夢見にスマホを差し出し、八田が直接話をしたいと言っていることを伝えると、夢見は頷き、迷いなく受け取った。
本当に、町の東側に行くこと以外は特にタブーはないらしいな。自分でスマホを渡しておいて何だが、見ず知らずの相手と急に通話をしろと言われて即座に従うとは。
スマホを受け取って、名前と中学校、バレー部所属であると軽い自己紹介をして、二三会話を交わすと、夢見はスマホを耳元から離してスピーカーモードにした。八田の指示だろう。
『それで。町の東側には来たくないんだね?』
「はい。その事情をお話することも、申し訳ありませんが、出来ません」
『分かった。話したくないなら話さなくていい。あくまでもこれは、君の心の問題だ。掛詞とはそういうものだからな』
掛詞とは、心の問題。
たしかに二ノ瀬の時も、『鈍い』も『呪い』も、彼女の心の問題が文字となって現れ出でたものだった。その他の俺が知る事例も同様。
八田曰く、俺自身の掛詞は、それに当てはまらない特殊なものらしいが。確かに俺自身は自覚している悩みもトラウマもないので当たり前なのだが、なんだか複雑だ。
ようは心のありようが掛詞に影響を及ぼす以上、無理に彼女に事情を語らせて心を乱すのは、得策になり得ないという判断。納得のできる話だ。
『それで君は、その掛詞の原因となるような悩みやトラウマに心当たりはあるのか』
「……あります」
『でも、話したくない、か』
「はい。すみません」
『謝らなくていい。さっきも話したが、無理に話して心を乱すのは逆効果だからな』
八田の余裕が、さっきのやり取りでの自分の余裕の無さを引き立てて辛い。これが大人の違いってやつなのかな。
『では質問を変えよう。掛詞については、結城くんが既に話してくれているかな』
「はい。お聞きしました」
『必ず2つ以上の呪いが含まれていることも聞いただろうか』
「はい」
『それなら話は早い。結城くん、ご苦労』
「あ、いえ。これぐらいしか出来ないし」
掛詞とは元々、和歌などにおいて、2つ以上の同じ読みの言葉を掛け合わせたもの。今風に言うならばダブルミーニング。
前回、二ノ瀬の掛詞を解呪する時に、それを失念していてやばいことになりかけた。1つ目の『鈍い』の印象が強烈だったことを言い訳にしたいが、致命的なミスだったと今でも反省している。
だから今回夢見に掛詞のことを説明する時は、特にそれを伝えるのを忘れないよう気を付けていたのだ。
『君は悪夢に悩まされているそうだが、他に何か君の身に異常は起きていないだろうか。『アク』という読みにまつわる異常だ』
「……アク、ですか」
黙って、深く考え込む夢見。
二ノ瀬が立ち上がり、俺の隣まで来て、自分のスマホを見せてくる。表示されているのは、メモアプリに入力された『あく』と、それについての予測変換。
悪、開く、飽く、空く、灰汁、悪魔、握、明く。どれもこれも、呪いを表す変換としては、ありそうといえばありそうで、無さそうといえば無さそうな。
俺にスマホを預けたまま、二ノ瀬は公園の遊具に乗りに行ってしまった。無表情でぐよんぐよん揺れるガールフレンド。よく漫画とかで「黙っていれば美人」みたいなキャラがいるが、二ノ瀬準の場合、黙っていてなおかつ姿勢よくじっとしていてほしい。あ、楽しくなってきたのかちょっとニコニコし始めた。本当にやめてほしい。
『アクという読みにまつわる、異常。君の周りで、悪夢の他に何か起きていないだろうか』
「……5月のスポーツテスト、握力が去年より5上がりました」
『たぶん違う』
夢見はおそらく真面目に答えているのだろうが、笑いをこらえきれなくて顔を逸らしてしまう。
『心当たりがない、か。自覚がない。そういう事例は珍しくないが……いや、やめておこう。隠してはいないようだしな』
「…………?」
八田は何を言いかけたのだろう。
夢見も、さっきから行儀よく座った膝の上でぐっと拳を握りしめるばかりで、反応に乏しい。
「それで、八田さん。これから俺たちは、解呪の為に何をすればいいでしょうか?」
『……できることは何もないな』
「え?」
『できることは何もない。分からないことが多すぎるし、彼女がこちらに来ることができないとなると、こちらからは手の打ちようがない。とりあえずは、君と準くんで、少しでも間くんが自分の事情を話す気になるよう、交流を深めてもらいたい』
「交流を深めるって。それだけですか?」
『専門家として不甲斐ないばかりだが、解呪のための心理的背景を探ろうにも、こうも話せないことばかりではね』
まぁ、そりゃそうか。八田はいつも、掛詞被害者本人の事情に深く踏み入ることは出来ないと言っているし、本人が話したくないと言っていれば、それ以上何も出来ないのだろう。
現状、してやれることはなし。彼女の心理状態が少しでも変化し、事情を話す気になってくれることを期待して、交流を深めるしかない。
『間くん』
「はい」
『無理にとは言わない。正直、君が掛詞の解呪を諦めると言ってしまえばそれまでだ。だが、出来るだけ、そこにいる結城くんたちを信じて、一緒にいてやってくれないか。
いや、中学生相手にこの言い方は堅苦しすぎるだろうか。要は、友達になってやってほしい』
「ふふ。友達、ですか」
少し驚いた表情のあとに、ゆるりと口角を上げて、間が微笑む。ここまで話していて初めて笑顔を見た気がする。
中学生らしい、あどけなさの残る笑顔だ。
「分かりました。これからよろしくお願いします、結城先輩、二ノ瀬先輩」
「あ、うん。……先輩って呼ばれ慣れてないから照れるな。こちらこそよろしく」
「結城はともかく、私のことは準先輩って呼んでねーー」
「お前はいつまでそれ乗ってんだ! 戻ってこい」
「ふふふ」
また笑った。少し年の離れた俺たちを友達というのは抵抗があるかと思ったが、そうでもないらしい。
案外、友達を作ることが出来れば、掛詞は消えたりしてな。
『よかった。それじゃ、2人とも、よろしく頼む』
「はい」
『あと結城くん、少し2人で話したいことがあるから、このまま通話を切らずスピーカーモードを解除してくれるか』
「あ、はい。了解です」
ちらりと2人を見る。二ノ瀬と夢見は、さっそく2人で談笑を始めていて、今の八田のセリフは聞こえていないらしい。
ちょっとトイレ、と断りを入れて、受け取ったままだった二ノ瀬のスマホをベンチに置き、自分のスマホのスピーカーモードを解除。公園の公衆トイレの影に行き、通話を再開する。
『結城くん。これは、なんと言っていいものか……真面目な忠告ではあるのだが、その、話半分に聞いてほしい』
「話半分? はい」
なんだ。八田らしくもない、含みのある物言いだし、なんだか歯切れが悪いな。
信頼している専門家の不自然な態度に、底知れぬ違和感、不安を感じて、右耳にあてたスマホを両手で握り、気持ち強く耳に当てる。
通話の最後、八田は、こう言った。
「――間夢見。
彼女の言葉を、あまり信じすぎるな」
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