枕詞《マクラコトバ》
アクアク 発端
10年ほど前から再開発が進められている、高校や大学キャンパスの多く構える学園都市だ。
この町のシンボルという扱いになっているでかめの跳ね橋を隔てて、大きく東側、西側に分けられる。俺たちの通う
東側には、八田が居場所にしている廃神社など、歴史のある建造物がいくつかあったため、それを守ろうという地元住民の反対があり、5年前まではあまり再開発が捗っていなかった。
のだが、手始めにと建てられたショッピングモールの便利さ、華やかさ、何よりも
それからというもの、ジャンジャンバリバリとでかいビルやら娯楽施設やらが出来ていき、今やこの町は、県内有数の商業都市である。
「とまあ、こんな感じで出そうと思うんだけど。どう思う、二ノ瀬?」
問いかけた先には、全く興味なさそうに折り紙を黙々と折り続ける二ノ瀬。話し始めた時にはうんうんとニコニコ頷いてくれていたはずなのに。
しばらく間が空いて、鶴折り女は思い出したかのように感想を言う。
「大体いいと思うわよ。先生方からは嫌な顔をされそうだけどね」
「お前な。途中から聞いてなかっただろ」
「聞いてたってば。『県内有数の商業都市』くらいまでは」
「めちゃくちゃ最後の方までちゃんと聞いてるじゃないか。もうちょい頑張れよ。普通そういうのって、めちゃくちゃ序盤のフレーズを出して『ほとんど聞いてないじゃねーか!』ってツッコミを引き出すところじゃないのか」
「もう少し感想を言うとすれば、長い、かしらね」
「……それ、もしかして、今の俺のツッコミに対しての感想か?」
「強いて言うなら、先生方というより、生徒の親御さんが見に来た時が心配ね。再開発の件、けっこうボロクソに言ってるじゃない」
「所詮は目立たないサブの出し物だからな。地元のお偉さんが見に来るとは思えないし、大丈夫だろ。町の紹介をする上で、再開発ってワードは避けられないし」
言い終わって、時計を見る。もうそろそろ下校時刻だ。
こんな風にだらだらと駄弁りながらやっていたせいで、思ったより時間がかかってしまった。今日のうちに部長たちに提出してしまおうと思っていたけど、このぶんだと無理そうだな。
心の中でそう結論づけた途端に、ほっとしてしまう自分がいた。
夏休みは明けたが、まだまだ嫌な残暑の残る9月上旬。放課後、俺と二ノ瀬は、11月の文化祭に向けて、出し物の準備をしていた。
俺の向かいでひたすら鶴を折っている少女、二ノ
2人とも、コミュニケーションが苦手とかそういうのではないけど、ワイワイはしゃぐ空気があまり得意ではないため、何故かいつも鍵のかかっていない、実習棟の空き教室を勝手に使って作業している。
俺は、所属する放送部のサブ的な出し物である、この地域の名所を紹介するPVの冒頭ナレーション台本を書いているのだが。
「二ノ瀬、昨日からずっと折ってるけどその鶴は何に使うものなんだ」
「あら、鶴をいっぱい折る理由なんて、千羽鶴以外にある?」
「……え」
いつかの日の彼女でもあるまいに、彼女の言葉に応答するのに2秒を要してしまった。
「お前のクラスの出し物、劇じゃなかった?」
たしか、現代を舞台にした恋愛ものの、オリジナル台本の劇をやるとか言ってたはずだ。二ノ瀬は小道具係で、一昨日までは器用な手つきで、せっせと背景の一部であろうおもちゃ箱をデコレーションしていたのだが。
俺の問いに、二ノ瀬は心底気だるい顔をしたと思ったら、唐突に今折っていた完成間近の鶴を握り潰した。こっわ。
「無駄に完璧志向なのよ、うちの劇。小道具としての千羽鶴なんか適当に紙束ぶら下げとけば遠くからなら分からないでしょって思うんだけど、本物の千羽鶴じゃなきゃ意味ないって」
「ふうん。いいんじゃないの、やる気があって」
「やる気があるのはいいことだけど。まず配役をちゃんと決めてから細かな部分を詰めてほしいわ」
「配役まだ決まってないのかよ。お前、小道具係とかしてないで役者やればいいのに。ビジュアル的に華やかだろ」
「嫌よ。キスシーンがあるのよ?」
「なんで当たり前のように主演を想定してるんだよ」
「いや、途中のダンスシーンで脇役もエキストラも全員キスするみたいなんだけど」
「倫理の平均点めちゃくちゃ低そうだな、お前のクラス」
どんなB級映画でも脇役含め全員キスとかありえないだろ。発情期かよ。
「結城こそ、たしか放送部って、メインの出し物はお昼の文化祭レポート番組でしょ? そっちに出たらいいのに」
「……あの辺の連中とは折り合いが悪いって、前も言っただろ。それにこっちのが楽でいい」
恋人と楽しく机を向かい合わせている席では話すのをはばかられる、少し胸くその悪い事件があって以来、俺は部長をはじめとする放送部の一部面々と気まずい関係になっている。
後で話すと約束したまま保留している、俺の『ヨル』の
俺の表情が曇るのを察してか、鼻歌を歌い出して鶴折りに戻った準に倣い、俺も文章の推敲をすることにした。
小さな歪みを抱えたまま、俺たちの町は回り続ける。回り回って、転がっていって、いつかひとつの結末へと辿り着く。
どれだけ後回しにしても、来週にはこの原稿を部長たちに提出しないといけないし、いつかは俺の掛詞についての話を二ノ瀬にしてやらないといけない。
近付いてくる憂鬱に、二ノ瀬に気付かれないようそっと溜め息を吐くと、下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
#
9月ともなると、夕方6時は立派な夕闇の時刻。
この1ヶ月、用事などの無い限り、俺は毎日二ノ瀬を家まで送って帰っている。校内では表立ってイチャついたりしない分、校門を出たところから家の下まで、ずっと手を繋ぐ。
「今週末、どうする?」
「午前中までなら会えるわよ。午後はバイトの面接があるから」
「本屋だよな」
二ノ瀬は1年の時、コンビニでバイトをしていたのだが、掛詞のせいで反応が2秒遅れて全く仕事にならなくなり、辞めてしまったそうだ。
貯金も心許ないし、せっかく呪いが解けたのだから、そろそろ新たにバイトを始めようと考えていると一昨日相談を受けたばかりだった。
「駅前のとこだよな。普段からけっこう使ってるから、お前の働いてる姿見るの楽しみだよ」
「ええ、知ってるわ。先週の月曜日はいかにもミーハーっぽいタイトルの恋愛小説を買ってたのも知ってるし、一昨日はあまり私の口から言うのがはばかられるようなタイトルの、R……」
「待て待て待て待て怖い怖い怖い怖い! お前にバレないように買ったのになんで知ってんの」
「信頼してくれるのは嬉しいけど、昨日みたいにコンビニでふたり一緒にお会計する時、整理していない財布を平気で彼女に渡すのはやめた方がいいわよ。私、けっこうそういうの見て覚えるの好きだから」
「探偵かお前は。まったく油断も隙もない……」
……今日から、ちゃんと夜のうちに財布の中身整理するようにしよう。
と、ふと視線を逸らした先。
「……え、あれって」
人が、倒れている。
背の丈からして中学生くらいか。歩いていてそのまま身を投げ出してしまったような格好で、うつ伏せに真っ直ぐ倒れている。
二ノ瀬と顔を見合せ、お互いに頷き合う。
「串原南の制服ね」
二人で彼女に駆け寄ると、二ノ瀬が少女を仰向けに裏返して、上半身を抱き起こした。
「ねえ、大丈夫?」
「……う」
天然パーマ気味、肩までの長さの栗色の髪。
小さい呻き声を聞き取ろうと、耳を口元に近付けると、わずかに制汗剤の匂いが漂ってくる。
肩からかけた普通の学生カバンの他に、大きめのボストンバッグの持ち手を握っているのを見るに、運動部所属だろうか。
やがて少女は、長いまつ毛を重そうに持ち上げ、ゆっくりと目を開いた。
「あっ、だ、大丈夫です……!」
その目に、俺は釘付けになった。
二ノ瀬も、小さな悲鳴をあげて、俺の方に顔を向けた。ぱくぱくと声にならない声で俺を呼びつける口の形は……。
「……か、カケコトバ……」
少女の瞳には、『アク』の掛詞が刻まれていた。
――これが、『アク』の掛詞を宿す少女・
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