アクアク 中盤
「いや、どう見てもそこで掴みにいっちゃダメでしょう。もっと寄せなきゃ」
「やーい、下手くそ」
口やかましい女どもに内心で舌打ちしつつ、これで3枚目の100円玉を投入する。次取れる目処が立たなければ、潔く諦めよう。
左矢印の描かれたボタンを押し、左アームが箱の真ん中、箱に印刷された車のフィギュアの写真、カーブミラーを射抜くように止める。続いて上矢印、箱の右上隅を突くように、ストップ。
アーム降下。不安定に置かれたフィギュア箱はこれで上手く傾き滑り、見事景品獲得口へ落ちるだろう。そんな俺の目論見を嘲笑うかのように、箱は少し揺れるだけで微動だにせず。
人を舐め腐ったかのような態度のゆるゆるのアームが、箱の側面を撫で、そのまま帰っていった。
「あーあ。衛先輩、ほんと学びませんね。1回目それやって、全く同じ感じでダメだったじゃないですか」
「うるさいな。お前らは出来るのかよ」
「そもそもこういう台はやらないわよ。取れそうに見せておいて、ある程度お金を入れなきゃ取れないようにしているのが目に見えているもの」
「普通そうですよね。私も、たこ焼きのやつとか小物系しかやりませんもの」
「じゃあ先に言えよ! 俺が300円を浪費してるのを心の中でバカにしながら見てたのかお前らは」
「心の中でっていうか、普通にバカにしてましたよね」
くそ。出会った当初は礼儀正しいスポーツ女子という印象だったのに、今となってはとんでもないクソガキだ。完全に舐められている。
二ノ瀬は二ノ瀬で、相も変わらず二ノ瀬だし。真顔と人を馬鹿にした笑顔しか表情がないのかお前は。
『夢見と交流を深めろ』、という八田の指示のもと、俺と二ノ瀬はあの日からほぼ毎日、放課後に夢見と遊んでいる。
こんなことでいいのか、と、若干の罪悪感が湧かないでもないが、夢見が自分のことを話してくれる気にならなければ、文字通りお話にならんのだから仕方がない。
ただ問題は、レパートリーが少ないこと。夢見は部活帰りだし、まだ倒れるまで眠らない生活を続けるつもりのようだから、体を動かしたりする遊びはNG。そうなると、そこまで遊びを知らない一介の高校生としては、カラオケかファストフード店かゲームセンターくらいしか思いつく場所がない。
今のところは夢見もそれで満足してくれているようだが、話を聞いている限り、俺なんかより彼女の方が遊びにしても何にしても色々慣れているし知っているようだし……そのうちボロが出るというか、俺たちとの遊びに飽きてしまうのではないかと心配である。
幸いと言うべきか、夢見はゲームセンターなどで一緒に遊んだりする友達が中学にいないらしく、高校生とはいえ、歳の近い俺たちと遊ぶこと自体が新鮮で楽しいと言っていた。しばらくはゲームセンターとカラオケと喫茶店のローテーションで満足させられそうだ。
それにしても、この間ウインドウショッピングをしている時に驚いたのだが、女子中学生である夢見が俺よりも男物のブランド品に詳しいなんてことがあるものだろうか。俺自身そこまで衣服や装飾の類に詳しい自負があるわけではないが、それでも友達の影響で多少の知識はあったから、中学女子の知識に負けるとは思わなかった。
よる9時まで遊んでも何も問題ないとか言ってるのも気になる。そこまで俺が気にする筋合いはないかもしれないが、どういう家庭環境で育ったのか少し心配なところである。それが掛詞に関わっているのかもしれない。
「あーあ。セダンのフィギュア欲しかったな」
「取ったらお前にあげるなんて一言も言ってねーんだけど。てか、セダン知ってんの?」
「知り合いが乗ってるんです。型落ちのセルシオ。色々カスタム? してるみたいだから、ほぼ別物みたいなものなんですけどね」
まあセダンくらい知ってるか。あのフィギュアのパッケージにはグロリアとしか描いていなかったのに、セダンという名称が出てきたから少し面食らってしまった。
中学生の女の子は車になんか興味無いだろうという俺の偏見をこそ改めるべきかもしれない。この前二ノ瀬に外車の魅力を熱く語ったのに、1ミリも興味を示されなかったどころか、授業中居眠りをしたことがないという誇りを持つ彼女を眠らせてしまったトラウマが、俺の中で強く残っているのかもしれない。
「車好き仲間が増えてよかったわね、結城」
「言葉にトゲを感じるぞ、二ノ瀬」
「そういえば、お二人は彼氏彼女なのに、お互いを苗字で呼び合いますよね」
「彼氏彼女だから苗字で呼びあっているのよ」
「そ、そんな考え方もあるんですね」
「ええ。というか、恋人同士になったからって名前で呼び合うカップルの方が、私にとっては理解に苦しむわね。結婚したら飽き飽きするほど名前で呼び合うでしょう。今のうちしか、お互いが10年余り大事にしてきた苗字で呼び合うことはできないんだから、彼氏彼女の関係でいる間くらい、それを大事にしたいとは思わない?」
「わぁ! 素敵な考え方ですね、憧れます! さすが準先輩!」
目をキラキラさせて二ノ瀬に抱きつく夢見。この交流が始まってから、この2人の距離はまるで本物の姉妹のように縮まった。
にしても、よく分からんまま彼女の呼び方の変化に付き合っていたが、ちゃんとそういう考えの元で行っていたことだったとは。あの頃のくせで準とか呼んでしまわないように気をつけないと。
二人で買った揃いの腕時計を確認して、二ノ瀬は俺に声を飛ばす。
「さて、いい時間だし、夢見ちゃんも坂本も今日のところは帰りましょうか」
「なんて!? 今坂本っつったか!? 今の話の流れで名前間違えるのだけは絶対やっちゃダメだろ! 浮気疑うわ!」
「嫌ね。あなたには私の掛詞を解呪してくれた恩があるし、あの日からあなたへの愛を忘れたことはないわよ。八田」
「確かに八田さんも恩人だけど違う! てか八田さんとも浮気してんのかお前!? 何股だよ!」
「夢見ちゃん、付き合うなら結城くんみたいに、こういう楽しい会話のできる人を選びなさい。顔なんて二の次よ」
「どこが楽しい会話だ! 遠回しに人の顔ディスるのやめろ、普通に傷付くだろ!」
「分かりました! じゃあ衛先輩でいいです、付き合ってください」
「いいですってなんだお前! 彼女のいる前で堂々とそんな事言ってんじゃねーよ!」
あぁ、疲れた。もう嫌だ。女二人に男一人の構図はこうなるから嫌なんだ。明日あたり剣持とか呼ぼうかな……。
夢見とはゲーセンの前で別れる。いつも夜は危ないから送ると言うのだが、断固として固辞するので諦めた。
「では先輩方、また明日。よろしくお願いします」
「うん。また明日」
「お前は挨拶の時だけかしこまるよな」
「武道は礼に始まり礼に終わりますからね」
「お前バレー部だろうが。また明日な」
夜の町に消えていく夢見を見送り、反対側の道へ歩き出す。彼氏の務めとして、二ノ瀬はちゃんと家まで送るようにしている。
二三、くだらない話をしたあと、二ノ瀬は声色を変えた。
「夢見ちゃんのことだけど」
ちょうど、俺も話をしようと思っていた。
「このままでいいのか、って?」
「…………」
顎に手を当てて、少し考え込む。
「八田さんも言っていた通り、今はこうしかできないのは分かってるわ。けれど、こうやって楽しく遊んでいても、夢見ちゃんの目の下のクマは深くなっていくばかりだし……多少強引にしてでも、一刻でも早く彼女の掛詞を解くべきなんじゃないかって」
「言いたいことは分かるよ。でも、強引にって、どう強引にやる? 夢見の、自分の事情を全く話したがらない態度は、相当なものだぞ。深く突っ込んで拒絶されたら、それこそ悪手じゃないか」
「……そうね。言っても仕方の無いことだったわ。忘れて」
二ノ瀬は、あっさりと自分の言葉を引っ込めた。
もちろん彼女の言いたいことは、俺だって痛いほどよく分かるつもりだ。夢見は楽しそうに遊んでくれているけど、今日はおそらく二徹目。少し足取りがふらつく場面もみられた。
見ていて痛々しいし、早く治してやりたい気持ちはわかるが、だからって、彼女の言うところの強引な手段は、取りたくても取りようがないというのが現状なのである。
赤信号。二人並んで立ち止まる。
「ここ一週間、夢見と遊んでいて感じたことなんだけどさ。八田さんの言ってた、『彼女と交流を深めてくれ』っていうの……実は、それ自体が掛詞を解呪するための手段なんじゃないかって思うんだ」
「え? どういうこと?」
小首を傾げてこっちを向く二ノ瀬。
「夢見の掛詞は、アク。今のところ分かってるのは、悪夢を見る『悪』だ。それなら、お前の時と同じで、『悪』の逆である、『善』を与えてやれば掛詞は解けると思うんだ」
俺は説明の続きをしながら、自転車を押して、前に進もうとした。その手を二ノ瀬に掴まれる。
「なんだよ」
「赤信号」
「車通ってないし別にいいだろ」
「よくないわよ。死にたくなければ止まって」
死にたくなければって、車に轢かれたくなければって意味だよな? 言うことを聞かなければ殺すって意味じゃないよな?
車に轢かれるよりも恐ろしい眼光に冷や汗をかき、俺は車体を歩道側へ引き戻す。
「で? 続きを話して」
「ああ。えっと、だから。お前の掛詞を解く時、『呪』の逆である『祝』をお前に与えることで解呪したじゃないか。それと同じで、夢見の『悪』に対して、俺たちが夢見に『善』の、優しい心で接してやることで、掛詞は解けるんじゃないかなって」
正常な人間とは、『1』である。
いつしか八田が言っていた言葉だ。
掛詞が掛けられている人間は、いわば、その1に掛詞といういらないものを掛けられて、異常な数値になってしまっている状態なのだ。
だから、小学校の算数、分数の計算の考え方。
いらないものが掛けられてしまっているのなら、それの逆数を掛けてやれば、1に、正常な状態に戻るはず。
『呪』には、『祝』を掛ける。
『悪』には、『善』を掛ける。
掛詞には、反対の言葉を掛けてやることで対処が可能である。それが八田から聞かされていた、掛詞の重要な仕組みのひとつだ。
「…………なるほどね。つまり、このまま彼女と楽しく、優しく、善の心を以て接することこそが、実は最短の解決法だと?」
「そう思ったんだけど。なんか、違うって言いたげだな」
「そうね。断言はできないけれど、少なくとも、賛同はしかねるわ」
青に変わった信号を渡りながら、二ノ瀬は自分の考えを淡々と述べる。
「反論はふたつ。まず一つ目は、もし本当にそれだけでいいなら、八田さんはそんな回りくどい言い方をするかしら? 普通に、優しく友達してあげればじきに治るよ、とか言えばいいんじゃない?」
「それも……そうかな? いやしかし、八田は常々、あまり掛詞被害者の事情に深く干渉できないと言っているし、それで直接的に解決方法を示すことはできなかった、とか」
そこまで言って、思い出す。
八田は、スピーカーでの通話を終えたあと、俺にだけ、こう言ったのだ。
――あまり彼女の言葉を信じすぎるな。
もしも、ただ仲良くしているだけで解決できるようなことなら、わざわざそんな警告をするだろうか? これから仲良くしようという相手に警戒心を抱くような、心に疑心のタネを撒くようなことを言うだろうか?
「いや……いい。それについて、こちらから反論はできない。二つ目の反論は?」
「ないわ」
「は?」
「ないわ、と言ったの。ただ『反論はふたつ』って反論する前に先に言うの、漫画とかで見て格好いいなぁって思ってたから、言ってみたかっただけ」
「お前は本当にどうしようもないヤツだな」
「そんなに褒めないでよ。二ノ瀬照れちゃう」
「ひとつも褒めてない。結城キレそう」
「でも、一つ目の反論だけで十分だったでしょう?」
「……それは、その通り」
八田の指示が、そっくりそのまま解呪の手順になるという考えは間違いだったようだ。
だけど、方向性自体が否定されたわけではないと思うんだよな。『悪』の
まだ一週間だから効果が目に見えていないだけで、案外このまま俺たちと仲良くしているだけで、徐々に快方に向かうんじゃないだろうか。
会話が止まり、各々で思考を巡らせながら歩いていると、二ノ瀬のマンションの前に着いた。
マンション前の小さな公園に自転車を止めて、二三話し、そろそろ帰ろうか、というとき。
「あの!」
大きな声をぶつけられ、思わず肩をぐっと持ち上げてしまう。
公園の入口。夢見と同じ中学校の制服を着た少女が、肩をいからせ、しかし内股の足をかくかくと震わせて、俺たちを睨んでいた。
「何、かな」
できるだけ年下向けの愛想いい笑顔を向けて返事をすると、少女は少しだけ肩を落として、こちらへ歩いてきた。
眼光はいまだ鋭い。
「夢見……間夢見さんと、最近よく遅くまで遊んでいますよね」
「遅くまでって」
反射的に反論をしそうになったが、いやしかし、午後8時とかは中学生が外出歩く時間としては十分遅い部類に入るか。
俺が口淀んでいる間に、二ノ瀬が代わりに頭を下げる。
「そうね。ごめんなさい。だけど最大限気を付けているし、危ない所には行っていないわ」
「そう、ですか……」
「あなたは、夢見ちゃんのお友達?」
「はい。友達です。大切な」
大切な。そう強調すると共に、彼女は、俺たちに向かって一歩踏み出す。
今夜この空に月はなく。しかし、公園に一本だけ設置された頼りない街灯が、彼女の瞳を、青白く反射する。
「もう、夢見に関わらないでください」
それは紛れもなく、敵意、警戒の色だった。
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