ノロイノロイ 山場
一応、俺一人だけでも八田の元へ向かう。いつも通り読書をしている八田に挨拶をすると、彼はすっくと立ち上がり、
「時間が無いからなるだけ手短に言う」
一方的に言った。
「結城くん。掛詞とは何か、国語の意味で言ってみろ」
「え? えと、一つの言葉で二つ以上の意味を表したもの、ですよね」
「そう。それを失念したのが君のミスだ」
それを失念した……?
今回、準に刻まれた文字は、ノロイ。つまり、『鈍い』。
……いや、違う。
掛詞には、2つ以上の意味が込められている。少なくともあとひとつ、ノロイという読みを持つ意味が含まれているはずなのだ。
「他のノロイって何なんですか」
「前も言ったろう。私は君達の問題に過干渉はできない」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「分からんなら分からんでいい。おそらく彼女も、自分の心の深い部分を、短い付き合いで君に悟られるような言動はしないだろうしな」
俺と八田の影が深く伸びて、落ちた若葉を闇に染める。空はもう紅い。
「ここに来ると連絡を寄越し、君だけ来たということは、彼女に何らかのトラブルがあったのだろう」
「はい。交通事故の現場に出くわして、轢かれた被害者が、準の知り合いだったみたいで。真っ青になって走っていきました。その後、もう放っておいてってラインが来て……」
「知人の事故にショックを受けて、それがなぜ、『もう放っておいて』に繋がる?」
言われてみれば、確かに。
事故と、彼女の掛詞には、何ら関係がないはずだ。それなのに俺との関係を絶とうとする、掛詞の解呪を諦めるということは。
裏を返せば、『事故』と『掛詞』に、何らかの繋がりがある、ということだろうか?
文庫本をジャケットのポケットにしまい、八田は背を向け歩き出す。
「串原南中学、屋上へ急げ」
「屋上!?」
「これは2秒の遅れも許されない。行け」
「っ、はい!」
自転車に飛び乗る。
紅を超え、紫色に移ろうとしている空を睨みながら、俺は懸命にペダルを漕いだ。
#
串原南中学の警備は夏休み中ということもあってか結構緩く、OBでもない高校生の俺でも、部活帰りの生徒に怪訝な目で見られる以外は問題なく屋上まで辿り着くことができた。
祈りを込め、屋上へ繋がる重い扉を蹴飛ばすように開く。
「準!」
屋上の真ん中に立っていた制服姿の準が、2秒遅れて振り返る。
月明かりに照らされた彼女の瞳は、淡く濡れていた。間もなく完全に日が落ちる。
「……放っておいてって言ったのに、必死ね。ワンチャンあるかも、とか思ってる?」
「ちょっと思ってる! じゃなくて、えと。早まるな!」
「……正直ね。正直で、まっすぐ。私もそうありたかった」
嫌な予感がして、俺は彼女に向かって走り出す。その1秒後、腕1本分くらいの距離でくるりと回って、彼女は屋上の柵へ走り出した。
さすがにそのアドバンテージがあれば逃がさない。今度こそ彼女の腕を掴むことに成功した。
「……離して!」
「今度こそ離さない。なぁ準、お前の掛詞のノロイっていうのは、『鈍い』ともうひとつ、『呪い』だったんじゃないか? 口偏に、兄の、呪いだ」
「…………くっ」
ぺた、その場に膝をつく。いつまた走り出すか分からないから、腕は離さない。
「孝ノ路の、一丸だったか? 彼が事故にあったと知って、何故かお前は俺との関係を絶って、ここで死のうとした。それは、一丸の事故に、お前が責任を感じたからだ」
「……やめて!」
「お前は、彼を呪っていた。何らかの理由で。違うか?」
「……違う! 呪ってなんか……!」
呪い。
人が人に悪意をもってかけるもの。人の不幸を願うまじない。直接手を汚さず人に被害を与える、陰湿で卑怯な代物。
そんなものを、自分が誰かに対して使っているなんて、誰だって認めたくはないだろう。
「けど、心当たりはある。そうだろ?」
「…………」
「話してくれ。俺も掛詞を持つ身だ、今度ちゃんと俺の事情も話す」
「……そうね。この期に及んで、衛に隠し事しても仕方ないか」
自嘲気味に笑って、準は胸に手を当て、呪いの真相を語り始めた。
「……私。4月1日23時59分58秒生まれなの」
「……は?」
俺にはその呪いはないのに、反応が、2秒遅れてしまう。
唐突すぎる告白。その意味を理解するまでに、また、2秒費やしてしまった。
「……2秒」
「……そう、2秒。あと2秒遅れていれば、私は、一丸と同じ学年になれた。あと2秒遅れていれば、今もまだ高校1年生だった」
早生まれ。
幼稚園や小学校などにおいての学年の決定は、3月31日と4月1日を境にすると思われがちだが、実際はその次。4月1日と4月2日を境にして決められる。
「……一丸とは幼なじみで、ずっと一緒だった。家が厳しいから、高校生になったら告白して付き合おうと思って、その時をずっと待ってた」
「そういうこと、か」
「……ええ、そういうこと。私が1年早く高校に上がっている間に、15年以上の付き合いを裏切って、アイツは何処の馬の骨かも分からない女と交際を始めた。それを知ったのが……」
「今年の5月暮れだな」
「……ええ」
体に溜まった悪いものを全部吐き出すように、露悪的に告白する準。その目から零れ落ちる大粒の涙を、俺は腕を離せなくて、拭えない。
「……分かってる。こんなの逆恨みだって。気持ち悪い、面倒臭い、自業自得な女のエゴだって。けど抑えられなかった。口にも行動にも出さないけど、内心で、どす黒い『呪い』を止められなかった」
ノロイ。
鈍いと、呪い。
準は掛詞の呪いをかけられていたが、同時に、幼なじみとその彼女に呪いをかけてもいたのだ。
体感時間が2秒遅れる
それこそ、彼女に刻まれた掛詞の正体。
「……一丸とはまだ友達の関係が続いていてね。最近、不幸な出来事が続いてるって。どんどん悪化してるって。このままだと私、あの2人を殺してしまう」
「だからってお前が死んだら!」
「……好きだった人を、あんな目にあわせるなんて。生きてて恥ずかしい。こんな私に親切にしてくれてありがとうね、衛」
ふと、掴んだ腕がすっぽ抜ける。
「あっ!」
話をしている間に彼女は、掴まれた方と反対の腕で、着ていたシャツのボタンを外していたのだ。
俺の手の中に彼女のシャツだけが残り、上半身下着姿の準が、柵へ向かって駆ける。必死で追うが、今度こそ追いつけない。
「……今度生まれ変わるなら、もっと、性格のいい人になりたいな」
駄目だ、追いつけない。
準は、機敏な動作で、俺の肩くらいある柵を乗り越えて――
「準ーーっ!!」
「…………」
――落とすかよ。
「……えっ?」
「間に、合った……!」
俺の右肩から生えた、全長8mほどの、いくつもの真っ赤な血管が表面に浮かんだ、指が6本の、筋骨隆々の化け物の腕が、柵を破壊して落ちゆく彼女の腹をガッシリ掴んだ。
俺の掛詞は、
「……何よこれ!? 離して!」
「離さねぇ。準、お前、生きてて恥ずかしいって言ったよな」
「……今この状況で何言うの!」
妖の腕を普通のサイズまで戻し、準を引き上げる。普通の左手と、異形の右手で、彼女を抱えた。
「俺だって、こんな腕見せて恥ずかしいんだ。お互い死ぬほど恥ずかしい部分見せあったんだ、責任取らなきゃ気が済まないよな」
「……えっ」
「俺と付き合え、準」
その時、後ろのドアがけたたましい音を立てて開き、怒鳴り声が飛んできた。
「ここで何してる!」
「やべ、捕まってろよ!」
「……えっ、ちょっと!」
妖の手で思い切り地面を殴りつけ、バネの力で空中高く飛び上がる。
町全体を見下ろす高度。2秒遅れで悲鳴をあげた準が、さっきとは違う涙を空に落とす。
「……嫌ああぁぁ!!」
「馬鹿、暴れたら落ちて死ぬぞ!」
2秒後、準は諦めたように大人しくなった。
煌めく夜景。自分たちの住んでいる世界がまるでちっぽけだと嫌でも分かってしまう景色の中、準は、消え入りそうな声で、
「……その場のノリで言ったなら、後悔するわよ。もう取り消せないから」
「当たり前だ」
「よろしく。結城」
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