願いを叶える杯なんて……

 夢の中で見る夢。それは果たして、彼女の中に眠る理想の具現かそれとも夢か。

 しかしながら、戦いの時を待つ残りの時間を寝て過ごそうと思っていたユキナが見たのは、とある戦場に、自分と彼がいる光景だった。

 周囲では、この最終決戦のために互いが募った神々が、大将の戦いを邪魔させんと戦っている。その計らいのお陰で、二人は簡素な戦場の中で静かに見つめ合う時間を与えられていた。

 これから最後の戦い――今までと違い、どちらかが死ぬまで続く言わば最終決戦だというのに、二人は不適にも見つめ合い、笑みを浮かべていた。

 その健やかで穏やかな笑みは、まさしく自分の恋人に向けるもの。しかしそれは間違いではなく、二人はここまで戦ってきても、しかし恋人であることに変わりはなかった。

 しかし彼にとって、今の自分がもはや愛する人間でないことは知っている。例え知っていなくても、その顔を見ればわかった。

 彼にはもう別の――いや、本当の想い人がいる。彼はもう、この偽りに気付いてしまったのだ。後はもう、雌雄を決す戦いに臨むだけだった。

「ミーリ、最後にお願い……告白して? 私に、今あなたが捧げられるだけの愛を咆哮して。私はもう、それで――」

 目を覚ますと、バスカヴィルが濡れた頬を舐めていた。静かに流していた涙を拭いながら、おもむろに起き上がる。

 そこにはスサノオと、太公望が待っていた。普段二人だけで一緒にいる方ではないので、なんだか不思議な組み合わせである。

「……どれくらい寝たのかしら……」

「さぁ。どうやらここの時間の流れは、現実とは違うらしい。まぁ夢の中だから、当然と言えば当然と言えるがな」

「そう……なぁに、このバッジ?」

「大会参加者の中に精神操作系統の能力者がいるとのことで、試合開始までそれを付けるようにと。外すと何かしらの影響が起こると言っていましたが、その影響までは知ることが叶わず……」

「ふぅん……まぁいいわ。心なんて操ったところで、私をあいせるのはミーリだけなんだから。これ以外に何か変化あったのかしら?」

「はい。デモンストレーションで使われる予定だった異世界の龍が暴走。これを同じ世界の者と思われる人間が処理。他の場所でも多少のいざこざがありましたが、大きなものはそれくらいでしょうか。

 ユキナ様の戦闘中にエントリー窓口付近でも戦闘があったようですが、生憎とこの時空を維持するための調整をしながらでしたので、我が宝具パオペエを持ってしても干渉が難しく」

「わかったわ。その程度なら、なんでもない。ところでその異世界の龍は、不死身だったのかしら?」

「炎をまとう龍でしたが、殺すのが難しいというレベルで不死ではないかと。対処した者の操る術に、不死殺しと見受けられるものは私の目から見てございませんでした。無論、私にも感知しえない術や力を使っている可能性も捨てきれませんが――」

「そう……異世界、異世界ね……私の世界の龍でも大丈夫かしら。ならデモンストレーションで龍を持ってきましょうか! 擁護する龍ファフニールとかなら――」

「それは捕まえるのも難しい上、かつ不死の象徴である龍。こちらの世界に連れてくる前に、おそらくデモンストレーションの時刻を過ぎてしまうかと」

「そう……残念」

「なら、私と体を動かすか? 隣に練習場があるらしいぞ? ……体動かしたいんだろ? 今」

「……えぇ、そうね」

 酷い夢、とは言い難い。しかし、素晴らしい夢とも言い難い。

 しかし今、その夢を払拭するためにとても体を動かしたかった。こんな嫌な思いをするのなら、もう夢なんて見たくない。

 この大会の優勝賞品も、聞けばなんでも願いが叶うという願望器。そんなものに想いはない。それもまた、儚い夢の一縷。

 この大会に参加する全員が何かしらの願望を持っているとして、彼らがその願望を叶えるためにこの大会に参加しているとするのなら、なんの願望もなくただ迷い込み、暇潰しに参加している自分の存在は、単なる邪魔でしかないだろう。

 しかし結局、彼女もまた一人の少女。天の女王という立場さえなければ、例外的に強いというだけの一女性である。二〇歳など、まだ夢見る少女。夢など、ないわけもなかった。

「ユキナ、杯を手に入れたら、おまえならどうする?」

 練習場へと向かう道すがら、スサノオが問いかける。バスカヴィルの頭を撫でながら、ユキナは少しだけ考えて吐息した。

「もちろん、お腹にいる私の子の安産祈願よ」

「いいのか? 過去をやり直すことだってできるかもしれない。そうすれば、あんな事件が起きるまえに――」

「ダメよ。私達は戦って、どっちかが死ぬ運命なんだから」

 さらりと言うユキナ。しかしその返答が来ることを、スサノオは知っていた。

 これは意思確認だ。

 少女は夢見る少女であっても、しかしながら神々を率いる大将。対する彼も、少女に対抗すべく神々を引き連れている。

 対する神々を倒すため、掲げられた軍の名はお互い神を討つ軍シントロフォス。備えるは互いの軍の全勢力を傾ける最終決戦。全員がこの戦いに向けて、着々と準備を進めている。

 それは無論、スサノオ達もそうだ。皆ユキナの力にひれ伏し、尊敬し、救いを求め、欲求が満たされることを求めて、それぞれの理由から彼女について行き、戦いに出ることを決意した者達だ。

 スサノオもまた、彼女の力とカリスマ性を見てついていくことを決めた。故に彼女から戦う理由がなくなれば、彼女にもまた戦う理由はないわけである。

 故にここまで付き合わされておいて、今更戦う理由がなくなったからもういいわなんて言われても困るだけなのだが。

 しかし同時、友として彼女の幸せを願いたい気持ちも多々ある。故にここでもし彼女が過去を改変したいと言えば、応援する気持ちもなくはなかった。

 しかし、スサノオは知っていた。ユキナがその願望を、叶えないということを。

「もう引き返せないし、引き返すわけにもいかない。私達はもう、世界を巻き込んでる。この戦いはウヤムヤになっちゃいけない。決着をつけるべきなの。私達が、私達の手で」

 そう強く心に誓い、ユキナはバスカヴィルを置いてフィールドへと赴く。すでに数人の参加者達がそこで自主トレをしていたり、他の参加者達の観察を行っていた。

「さぁ! そんなことより体動かしましょ! 目指せ優勝、目指せ安産! ミーリとの子、必ず産んでやるんだから!」

「……そうだな。私もできるだけ力を貸そう。さぁ! どんな攻撃がお望みかな!」

 二体の女神による最後のウォーミングアップは、実に激しく凛として、刀剣と蹴撃のぶつかり合いは、他の参加者達に一縷以上の興味を引かせるものであった。

 そのままウォーミングアップを続けること数時間。ついに、会場にアナウンスが流れる。

――まもなく開催です。参加される方は闘技場へとお越しください――

「行ってくる! 見てて!」

「ご武運を」

「無様な戦いをするなよ?」

「えぇ!」

 願える叶える杯なんて、彼女は強くは求めない。しかし少女は今、天の女王。人間の少女としてではなく、天を統べる女王としてフィールドに舞い降りる。

 女王が司るは美と豊穣。そして人類史に度重なって起こる、戦であった。


 

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