まだ時間にならないの?

 待合室に戻ったものの、ユキナはやはり退屈していた。

 外では巨人や道着少女、魂だけ年老いている紳士様ムッシュー

 この待合室では守護霊を連れた少年と、ナイフの中性青年がウォーミングアップをしていた。まぁ、結果的にウォーミングアップになっている者が大半のようではあるが。

 あぁぁあ、なんか自分もウォーミングアップしたいなぁなどと思ったのが幸いした――というべきか不幸を招いたというべきか、先ほど現実に戻っていった太公望がまた唐突に待合室に現れた。

「お騒がせします、異世界の戦士達。私は彼女に用があって参った次第。どうかこれから起こることに一切の手だしなく、また気に留められることもなきようお願いいたします。こちらの事情に関わりますと、あなた方の世界に影響しかねますので」

 全身も顔も赤い布で覆った高身長が現れれば、大抵の人間は怯えるものである。例えそれが静かな丁寧語で周囲を宥めていたとしても、一縷の恐怖くらいは感じるかもしれない。

 しかしながら、彼らはこの大会に参加している戦士であった。太公望の姿を見ても怯えることはなく、話せばじゃあ何もしませんよとそれぞれの時間に戻り始めた。

「どうしたの? 太公望」

「申し訳ありません、ユキナ様。洞窟に侵入者の存在を許してしまいました」

「え、スサノオとナルラート……クシナダはいなかったの?」

「スサノオ殿とその奥方は、あなたに捧げる霊力補充のために神霊狩りに赴き、ナルラートホテプはあなた様のために島の果実を取りに行った次第。その場に私も居合わせたのですが、あなた様がいる中で全力を出せず、あなた様への接触を許してしまいました……重ねてお詫び申し上げます」

「太公望?」

 頭を下げていた太公望だったが、その場で突然膝をつく。両膝をつき、詫びるように頭を下げたのは、決して彼の意図ではなかった。

 だが決して、ユキナは重力を操ったりだとかの能力は使っていない。何か特別な動作をしたわけでもなく、何も意図してしていない。

 ただ彼女は少し言葉を重く、鈍く響かせただけである。

 その瞳が金色に色づいて、ワンピースであることなど構わず脚を組み、その表情から一切の感情が抜け落ちてわずかな怒気のみが辛うじて残ったそのとき、彼女も知らないプレッシャーがその場を襲っていた。

「敵の侵入を許したのはいいわ、許してあげる。でもね? 私を天の女王と敬ってるのに、私があなたの本気でどうかなってしまうと思ってるのは何? 自己評価にしても、過大過ぎない?」

「も、申し訳ありません……しかし――」

「しかし、何? あなたも知ってるでしょう? 

 私を殺せるのはミーリだけ。私の命には死神も冥界神も天帝ゼウスすらも届かない。私を殺せるのはミーリだけ。これは天変地異が起ころうと、世界が滅ぼうとも変化しない完全法則。

 この法則を汚せる存在なんて、この世のどこにもいやしない。かの創造神ですら、そして私ですら。それが私だと、まだわかってなかったの?」

 別段、彼女はプライドが特別高いというわけではない。敵の侮辱も侮蔑もそれを吐いた肉塊ごと一蹴し、気にしたことはない。

 しかしどうも、自分を殺せる存在はミーリ・ウートガルドだけだという法則にケチをつけられるのは嫌いらしい。

 しかしこればっかりは、太公望も正直理解し切れていない能力――いやそもそも、能力なのかすらもわからない。

 事実、彼女は人生上負けなしだ。どれだけの深手を負ったところで、負ったそばからすぐに回復、再生する。それどころか、最近では傷さえ負わなくなった。

 つい最近も、彼女に捧げられる神が彼女に刀剣を突き立てることに成功したが、しかし刀剣は彼女を傷付けることすらできずにただ肌に少しだけ埋まり、それ以上何もできなかった。

 その神の最期は言うまでもない。ただそのあとのユキナは大変だった。

 おそらく彼女の神格化が進んだ影響だろうが、神の刀剣すらも通さなくなってしまった自分に激昂し、しまいには泣きじゃくってしまった程だ。

 このままじゃ、ミーリが私を殺せなくなる、のだそうだ。

 彼女の思考は、一時代に名を遺しただけの軍師には理解しがたいところがある。その場はなんとか皆で宥めたが、しかし彼女は不安を残したままだっただろう。

 もしかしたらそれ以降強くなったのかもしれない。ミーリ・ウートガルド――想い人ならば自分を殺せる。それが天の女王が定めた不変の法律であり法則だと、思うしかなかったのかもしれない。

 だがまったくもって、彼女が何故彼に殺されたがっているのか、そこが未だにわからないままなのだが。

「太公望? 私の話を聞いているの?」

「重ね重ね申し訳ありません。ですが弁論させていただけるのなら、今のあなたは想い人との子供を孕んでおります。あなたが死なずとも、子供はわかりません。私には子供を守る自信がなかったのです。私の力不足をお許しください……」

 太公望は重圧に逆らわず、土下座する形で頭をさらに下げる。

 太公望の言い分を聞いたユキナから少しずつ、少しずつ重圧が抜けていくと、脚を組むのをやめ小さな手で太公望の肩を叩いた。

「そう、ごめんね怒って。あなたの配慮を察せなかったわ。ありがとう、太公望」

「もったいないお言葉にございます」

 女王の重圧が解け、太公望は立ち上がる。それに応じてユキナも立ち上がり、うんと背筋を伸ばした。

「で? その侵入者は不敬にも、私の夢の中に入って来たのね?」

「そのようで……どうやら精神攻撃にてあなた様を追い詰めるつもりのようにございます」

「上等ね。太公望?」

「御意、私はこの世界の空間固定に回ります。賊の方は――」

 ユキナが手を出してくる。それを理解できない太公望だったが、しかしユキナに手を取られて持ち上げられると、やっと意味を理解した。

 二人で、お互いほどほどの力でタッチする。全力だと、太公望の腕が折れかねないからだ。

「任せなさい」

 フィールドへと赴き、ユキナは地面を一蹴り。フィールドを砕いて飛翔し、フィールドを覆う厚いガラスの障壁と天蓋に穴を開けて空へ。そして飛び上がった空でクルリと回り、突風にて泳ぎ渡る雲を一蹴した。

 そして大きく息を吸って平らな胸を膨らませ、そして一気に腹を凹ませて放った。

「ミーリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!!!!!」

 何故彼の名前を叫んだのかはわからないが、放たれる声の雷鳴。轟き響き渡る絶叫は、彼女の夢を覚ましてしまうのではないかというレベルで放たれる。

 だがそれは、人間達には聞こえなかった。それは世界では、超音波と呼ばれる蝙蝠コウモリやイルカなどの動物が放つ音階だったからである。

 故にこの絶叫に驚いたのは、人間以外の全生物。すべての鳥はその場から飛び立ち、犬や猫は絶叫によって卒倒、気絶する。蟲も魚も関係なく、この夢の世界全体を混乱に陥れてまで、ユキナは敵をおびき寄せたのである。

 それは、とてつもなく大きな目のない黒犬に跨った四腕の仮面。体格からして男と見るが、彼は愛犬だろう犬が苦しんでいるのを見て強く歯を食いしばり、怒りを露にしていた。

「あら、ただの犬? せめて狼とかにして欲しいものね。フェンリルとか狼王ロボとか、そうでなくてもコートードくらいであって欲しかったわ? で、そのワンちゃん名前は?」

「……バスカヴィル」

「あら、あのミスターワトソンの小説に出てくる魔犬? 口から火を吐く黒犬なんてあったけど、そう……なるほどね? フフッ!」

「何がおかしい! ってかてめぇ、なんでこいつが――バスカヴィルが来てるってわかってた! でなきゃこいつが苦しむ音なんてわざわざ出すはずもねぇ!」

「あら、ただ叫んだら超音波になっちゃっただけよ? 侵入者が来たってことしか聞いてなかったしね? それに……」


「例え教えてあげても、魔犬に跨ってる程度で粋がってる無名の神に、理解できることなんて一つもないわ」

 目は、まだ赤いままだ。つまり未だ本気ではない。浮かべている笑みは、当然余裕から来るものだろうことは明白。彼女は完全に、敵とその愛犬を舐めきっていた。

「まぁいいわ。どうやら、私の仲間になりたくて実力を見せに来た感じでもないみたいだし……まぁあんたなんて、入りたいなんて言っても断るけど? あ、ワンちゃんは飼ってもいいけどね?」

「っ……!!! 舐ぁめぇるなぁぁぁっ!!! やれ、バスカヴィル!!!」

 魔犬バスカヴィルが口の中に炎を宿し、咆哮する。そしてその牙を口炎で熱し、灼熱の顎でユキナに襲い掛かった。

 

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