第43話 必然の奇跡


「【主よ、我らにご慈悲を。彼の地への招待を。我らが求めしは、常若とこわかの国。永劫えいごうに至る癒し。けがれし蛮族の侵攻を妨げる、最後の神域】」


 クレアが思い描いたのは聖域の存在。噂にしか聞かぬ実態不明の精霊の住処。その地に自らの思いを馳せて、言の葉を紡ぎあげる。


「【彼の地への羨望は未だ揺るぐ事なき。深淵の静寂、生命の煌めき、凱歌の調べ。そのつが織り成す永遠とわの安寧を、我らに与え給え】」


 クレアの内蔵はエネルギーの対流を感じていた。それは、奇跡? ……違う。このために、この瞬間のために、蓄えられていた奇跡のような必然の事象。


 魔力受容体レセプタに流れ込んだエネルギーは、膨大な量のオラクルを創り上げて、緑、白、黒の三つの輝きを放つ魔法陣がそれぞれ一つずつ空に浮かぶ。


「ナンダ、アノ魔法陣ハ? 教会ノ使徒ガ知ラヌ魔法ダト! 憤リヲ覚エル」


 ヤコブは戦慄した。己の知らぬ魔法を生み出している下賤な人間がいると。そして、苦悶に苦しみながら、光景を見ていたアナも同様に戦慄していた。


「……どうして、彼女が魔法を……。使えないのではなかったですか?」


 兄に尋ねると、その兄は笑みを浮かべていて、どこか楽しそうに返答する。


「……これは俺の予想だが、あいつは魔法に関して類まれなる才を持っているんだ」

「……魔法を使えないのに才がある? どういう意味で?」

魔力受容体レセプタ。基本的に魔法の発現にはこいつの大きさがものを言う。こいつが小さければ、簡単な魔法は発動できても、高度な魔法を放とうとすれば、失敗し、体に支障が出る恐れもある。それを、回避するために簡易魔法から学んでいくのだが、もしその逆、魔力受容体レセプタがあまりにも大きければ、どうなるだろうな?」

「……そんなこと考えたこともありません。調べる方法も限られているのに……」


 メルクはアナがそう言った矢先、指を差し指摘した。


「そう。誰もが皆常識の範囲内で魔力受容体レセプタの大きさを図る。けど、常識外の魔力受容体レセプタが実在するのだとしたら、それが、クレアに存在するとするのならば、全て得心がいく。クレアが、魔法を使えない理由、それは、ただの燃料不足。エネルギーが足らなさすぎるんだ」


 メルクの思わぬ答えに、アナは開いた口が塞がらない。あまりにも突拍子もなく、どうにもくだらない解答に、アナは呆気にとられた。


 メルクの考えはこうだった。クレアの魔力受容体レセプタは異常なほど発達しており、その容量は他の追随を許さないほどの大きさである。それ故に、簡単な魔法を発動したところで、エネルギーが十分に充填されることなく、魔法として成り立たなくなる。そういう理屈だった。例えるならば、昔ながらの水汲みポンプで、井戸から水を汲み上げようとした時、最初の数回は水が出ない。その時、ポンプの中に水を溜めていて、吐き出すまでに十二分な量じゃないと水は放水されない。そのポンプに蓄積しただけの状態を彼女はずっと続けていたのだ。


 詰まるところ、この状態を創り出したのは、フロンティアの仕組みだ。危険が及ぶからと高位の魔法を試すことができず、いつまでも簡単な魔法ばかり試すことしかできないこの仕組みが、母親の心配心が生んだ、弊害だった。


 だが、それはこの時のためのフラグであり、奇跡のための布石だったのだとメルクは思案する。これが、起こるべくして起こった必然の結果なのだとしても、これを奇跡として信じた方が、よほど面白いとそう考えた。


「もしかして、マスター以外にクレアがボクの姿を捉えることができていたのも、それによるものかもしれないね。魔力受容体レセプタは精霊と疎通を可能にする機関。それが、あまりにも優れていたからこそ、体の何かに影響を与えて、精霊の姿を捉えられるようになっていたのかも」


 メルクに脳内会話でそう補足説明したピッドは、小さく笑った。そして、合わせたように魔法陣が完成する。


「【憐れな我らに救済の慈悲を、今一度乞い願う】」


 誰もが知らぬ輝き。誰もが知らぬオラクル。空に浮かぶ魔法陣はこの『呪文スペル』によって、閃光を放った。


「【ノヴォ・ティル・ナ・ノーグ】」


 三つの光を中心として、サン・カレッドを覆うように巨大なドーム状の何かが広がった。ドーム状の空間にはどこか神秘的な空気が流れ、視界には美しい草原のような景色が映るような気がする。そして、それは怪我を負った人々を急激に癒していく。痛みは消え、精神に負った深い傷も、甘やかに溶かしていく。傷口は塞がり、苦悶に満ちた人々の顔は、絶望に塗れた民の表情は、いつしか微笑みを宿していた。


 クレアが願った光景をまるきり再現したように、聖域の平和な空間を、癒しの空間を、魔法によってサン・カレッドにもたらした。誰も知らない未知の魔法によって、クレアは新たな魔法を生み出し、凄まじいことを成し遂げてしまったのだ。


「……精霊様ノ加護ヲ授カッタ私ヲ差シ置イテ、愚カナル国ノ女ガ慈悲ヲ賜ルダト。私ノ知ラヌ、私達ノ知ラヌ魔法ヲ生ミ出スダト。……認メヌ。認メヌゾ!」


 ヤコブは咆哮を上げた。けたたましい爆音に内包しているのは嫉妬、憤怒、怨嗟、憎悪。それらが混然一体となって、空気を震わす。理性を失わせる咆哮は自身の制御の鎖も解き放って、魔獣マギカに近づいていく感があった。


「……ソモソモ、主ヨリ賜ッタ力ヲ、身勝手ニ改変シ、新タナ魔法トシテ昇華サセルナド主ヘノ冒涜ニ等シイ。私ガ全テ、消シ去ル。コノ愚カナ国ヲ破壊スル!」


 魔法が巨大な障壁によって守られている以上、ヤコブのやることは一つだった。その暴力的な獣の剛腕を振るい、鋭利な爪で切り裂き、魔法を使うことなく全てを破壊し尽くす。それに尽きていた。

 大杖を地面に何度も突き立て、人工的に地震を多発させる。そこにあるのは、魔法の力など一切介在しないヤコブ自身の本来の力と変化する原因となったアルゴリスの谷のネメアの力を合わせた、単なる膂力。爆発的なその力によって、大地を鳴動させる。


 グラグラと目眩めまいのするような地震が、長時間続き、サン・カレッドの建物は悲鳴を上げ——なかった。それは、クレアの発動した魔法のさらなる効果。ドーム状に展開した魔法の力はヤコブのいる場所とサン・カレッドの街全域を隔絶し、大地の揺れを一切通じさせなかった。


 本来、一人に対してでも使いづらい回復、そして、痛みを軽減し、精神を落ち着かせる安らぎ、さらに外界と隔絶することで生まれる絶対的な防御力。あらゆる意味で桁違いで、究極的な魔法に、ヤコブは牙のようになった歯で、口を強く噛んだ。


「……じゃあ、次は俺達の番だ」

「そうだね、マスター。行こう」


 メルクとマスターは、隔絶した空間から離れており、ヤコブの近くに立っていた。ともに確認しあい、距離の迫ったヤコブを鋭く睥睨へいげいする。

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