第21話 少女と王女の邂逅


 アナはメルクを襲撃して、一人で外に出ていた。ホテルの主人にいつも二人でいるところを見られていたから、少し不審がられていたが、取り繕ってごまかして、ここまで来た。


 時間は夜。と言っても、深い時間ではないから、夜店に酒を飲みに来る屈強な男達が集まって来ている。

 酒臭い男が高らかに声を上げて会話しているせいで、アナが歩いている通り沿いは、喧騒と酒の匂いに包まれている。その通りを顰め面になりながら、アナは通り抜け、やがて目的の場所へとたどり着く。

 場所は昨日アナとメルクが劇的な再会を果たしたあのカフェ。古びれたそのカフェの前で、アナはじっとその時を待つ。


 喧騒渦巻く大通りとは裏腹に少し中心部と離れたこのカフェはとても静かである。誰かが通ればその靴音が鳴り渡るその通りを、ゆっくりと誰かが歩いてくる。


「……やはり……来ましたね。お兄様を誘惑する女豹めひょうが……」


 ぼそりと呟くアナの視線の先には黒いローブを深々と纏うスラリと伸びた女性の姿。


「…………メルク……様? ではないですね」


 黒いローブのフードを持ち上げると長く伸びた金髪とそれを止めるカチューシャが現れる。エメラルドのようなその碧眼を待ち構える桜色の目に映す。


「……えぇ。あなたと会うのはこれで二回目でしたか。お兄様の生徒さんとやら」


 敵対心むき出しの口調でアナは王女に対してけしかける。


「……その髪の色とそのお顔、メルク様に聞いて、よく覚えております。メルク様の妹、アナ様ですね」


 アナに対して、丁寧に受け答えるクレアは微笑を浮かべて、そう返答する。


「ご名答。私は天才技師メルクの妹にして、大切な家族、アナです。あなたなどよりもずっと兄と関わりあってきた、誰よりもお兄様のことを知る人物です」

「アナ様、以前お見かけした時も思いましたが、可愛らしい容姿をしておられて、メルク様もお幸せなのだろうと、わたくしはそう思います」

「……先ほどから、メルク様、メルク様とお兄様のことをよくも知らないのに親し気にそう呼んで。妹として、とても不快でならないですね」


 アナの目は鋭く尖り、表情は歪み、今にも内に秘める獣を繋ぐ鎖を壊しそうである。


「……それは、失礼しました。ですが、どうしてアナ様がここにおられるのです? わたくしはメルク様……あなた様の兄上に魔法を習いに来たのですが」


 クレアは激高しそうなアナに軽く謝罪をして、一番の質問事項を投げかける。


「……それです。私が認められないのは……」


 溢れかえりそうな感情の渦を理性で押し殺し、アナは冷たく続ける。


「どういうことですか? メルク様はできないわたくしにご厚意で教授をしていただいているのでしょう? 何か、異なることがあるのでしょうか?」

「……いいえ。それは、間違いないでしょう。お兄様の大地の母のような寛大なる心か、はたまた底も知れない下心によるものか、第一王女であるあなたに魔法を教えている。それは変わらない事実ではあります。……ですが、お兄様が魔法を頻繁に使用する、そのことがどうも私には腑に落ちません。ましてや、人に魔法を教えるなんて……お兄様は魔法を憎んでいるかもしれないのに……」


 震える少し青みがかった唇で伝えられた衝撃の事実にクレアは開いた口が閉まらない。


「……魔法を憎む? どういう意味です、それは?」

「文字通り、そのままです。今日はその詳細について、あなたに知ってもらいに来ました。……そして、あなたにお兄様と関わることを辞めて頂くよう頼みに来ました」


 再びのアナの発言にクレアの表情は曇る。


「……まぁ、話はカフェの中でじっくりとしましょうか? 王女クレア様?」

「……はっ、はい。わかりました。アナ様」


 苦い表情をする桃色の髪と金髪の髪の二人の少女は、その美貌に不釣り合いな薄汚れたカフェにゆっくりと足を踏み入れた。


「お二人さん、ご注文は何にしましょうか?」


 店主は昨日と全く同じ衣装を纏う少女と見知らぬ少女に問いかける。二人が座るのは昨日と同じ席であって、黒ローブを纏った不審な少女が二日連続で、しかも同じ席に座っているのだから、店主は心配でならない。しかも、昨日の夜、この黒ローブと薄汚れた衣装を纏った少年が現れて、料理を提供してからの記憶がないし、不審度は増すばかりだ。


 それでも、店主は脂汗を流しながら、必死に取り繕って、こうも真面目に接客している。店主のかがみと言って、差し支えないだろう。


「……私はストレートティーと軽食でケーキを」

「……わたくしも紅茶でミルクティーを」


 二人に店主の葛藤など知るべくもないが、あまりに冷めすぎている。

 店主は小さく頷き、キッチンへと戻ると調理を始める。店主が向かったのを確認して、話を再開する。


「……では、私達兄弟の話をしましょう。……まず、あなたの知っている名前は少し違うと私は思いました」

「……メルク様……メルク・テイルズ様ではないのですか? もしかして、偽名だとか?」

「……やはり、でしたか。……クレアさんがおっしゃっていたその名は間違ってはおりません。ですが、私はメルクと兄の名を呼ぶ者はほとんどいないと記憶しています」

「……それは、どういう意味でしょうか?」


 クレアがいぶかしげに質問する。名前で呼ばないなど、少し変わっているのだから。


「兄の本当の名は『メルク・ロッド・テイルズ』。……ロッドは伏せ名にしていたみたいですね。クレアさん、あなたならばこの名の意味がわかるでしょう?」


 アナの試すような問いかけにクレアはハッとした様子で目を動かした。アナの言う通り、クレアは知っていた。正確にはクレアもその一員の王族の人間が知る名だった。


「……はい。存じております。ロッドと言えば、四大国の一つグラン・テッラ帝国の皇帝の名前。……もしかして、あなた様方兄妹は……皇帝陛下の……」

「その通り。私の名前も『アナ・ロッド・テイルズ』。皇帝陛下を実の父に持つ王族。あなたと同類の存在です」


 二人と店主以外いない純喫茶という方が似つかわしいカフェの中、しばしの沈黙が支配した。


「……あの、ご注文の……紅茶を……」

「【汝、瞳を閉じるべきだ。汝、安息を得るべきだ。然らば、我らが安らぎを授けよう】。【レポーズ・ヒュプノス】」


 唐突に話しかけられたアナは思わず超高速で『詠唱アリア』と『呪文スペル』を紡ぐ。瞬間的に編まれるオラクルの文字によって渦を巻く魔法陣の光。それは、二人が座るテーブルに紅茶を置いた瞬間に店主の顔面に突きつけられ、意識を奪い、倒れさせた。


 店主もまさか二日続けて眠りに就かされるとは予想だにしなかっただろうし、実際問題店主は眠らされたことを自覚できていないのだから、言及のしようがないわけで、本当にご愁傷さまと言うしかない。


「まぁ! 何をしているのですか?」


 あまりにも突然すぎる出来事にクレアは数秒タイムラグを置いて、答える。


「……驚いて、つい。……流石にやりすぎてしまいました」


 理由は異なったとしても、流石は兄妹である。


「……ですが、これからの話はどちらにせよ秘匿にしなければならないので、大丈夫でしょう」


 ——訂正、理由もそこまで違わないらしい。


「……では、改めて、私達一家の話をしましょう。少なからず、あなたは知らなければなりません。よろしいですね、王女クレア?」


 アナの桜色の瞳が問いかける。クレアは小さく頷いて、耳をしっかりと傾けた。




 ——同時刻。とあるホテルの一室。


 深い眠りに就く少年は夢を見ていた。何の因果か、その夢は妹の語るものと同じようなものであって、少年は意識せず歯を噛み締めていた。

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