第3話 クレアの懇願
——翌日、朝方。
「……あの」
「……」
「……あの、店主さん。起きてくれませんか?」
小鳥の
聞き覚えのあるその声の主を見てみれば、金髪碧眼の美しい容姿をした少女が仰向けに眠る俺の上に立っていた。黄金比で配置された顔のパーツを担うのはパチリと開く大きな瞳。
髪は長く伸びた、しかし切り揃えられた黄金色のストレート。小さな耳にかかるように三日月型の銀色のカチューシャをつけて、その長い髪をまとめている。
小さな耳には瞳と同系色のイヤリング。高貴な生まれを想起させるそのイヤリングと銀色のカチューシャ、整った顔立ち。その三つから成る色合いは見事なコントラストを醸し出している。
と、彼女も顔立ちを見た感想だが……この顔はどう見ても、いやよく見なくとも、よく知られた有名人だ。
サン・カレッド王国第一王女。次期国王の可能性を秘めた王族が一人、クレア・レティア。その人であった。
「……あの、起きられましたか? 店主様……あの……私に……魔法を教えてください!」
「…………へっ?」
それが、彼女との——正確には二度目——の出会いだった。
「……ちょっと、何を言っているのか、見当がつかないのですが……」
俺の思考回路はどうにかなっていた。俺の目の前にはこのサン・カレッド王国の王女様がいて、しかも商人の俺に魔法を教えてくれと乞うている。
「……だって、あなたは私の変装を見破って……」
目線を顔から少し落とす。確かに今の格好もあの時見た黒ローブと酷似している。——こいつだったのか。
「それに、ズルしようとした客に相反する魔法をぶつけて、見事に返り討ちにしたではありませんか」
昨日の変な視線もこいつだったのか。
「——マスター、起きたのか~? ……あれ、この感じ、昨日の黒ローブ少女に似ている」
目を覚ましたらしいピッドは、姿を隠しながら、俺の前に立つ少女の放つ感覚から、昨日いた少女だと理解した。
「マスター、ほら。言った通りになった。やっぱり、ボクの勘は当たるんだよ~」
脳に直接響いてくるピッドの声は少年のように騒がしく無邪気であって、心底
「一応確認したいんですが……あなたはクレア・レティア王女ですよね?」
「……はい。城から隠れて抜け出して、ここまで来たんです」
彼女がふと視線を向けるのはサン・カレッド王国の中心にして、中央機関も担っている彼女の邸宅。もといサン・カレッド王城である。現在、日が昇り始めて間もない時間であるから、強くも優しい朝日が本来白いはずの王城をオレンジ色に染めていた。
「……抜け出したって、駄目じゃないですか。国全体の一大事ですよ」
流石に彼女の発言はこの国の国民ではない俺にもかなりの衝撃を与えた。それに、今は早朝だからまだわからなくはないが、昨日は昼間に黒ローブを纏って抜け出していたことになる。その時、王城内がどんな騒ぎになっていたかを想像するだけで、冷や汗が否応なく飛び出してくる。
「……バレなきゃいいんです。普段、部屋に閉じこもっていることが多いのですから、少し抜け出したところで気にされません」
彼女の瞳の訴えには妙に説得力がある。納得してしまっている自分が心配になるが、もう流されるしかないだろう。
「……それで、俺に魔法を教えてほしいって、どういう意味ですか?」
議題を本来のものに戻した。
「言葉通りです。店主様、あなたに『魔法』を教えてもらいたいのです」
「……教えるったって、俺はただの商人ですし」
「……でも、昨日魔法を使っていたじゃないですか」
「それは……」
俺が商人であるという以前に、『魔法』を『教える』ということがよくわからなかった。
フロンティアには『精霊』がいる。これはこの世界に住まう者が誰だって知っている周知の事実である。世界の中心にあるとされる『聖域』に住まうとされる『精霊』は『魔法』発動の力の源であり、誰もが敬愛する存在だ。
遥か昔、精霊の力を授かりたいと願った人々が『
それは、今にも受け継がれ、『魔法』は普遍的に使用されている。
——つまり、逆に言えば『魔法』は『
「……あなたの周りにいくらでもいるじゃないですか。魔法をうまく行使できる人が」
「……」
クレアは言い噤み、口を閉ざす。
サン・カレッド王国を含めた四国の中心となる場所や機関では必然的に強く魔法を行使する者が集まる。国王や姫君を守りたいと忠誠を誓うものが集まるというものが一堂に会すというのも一理あるが、そのほとんどが圧倒的な強さを誇る権力者達を謁見するために集まるのだ。
そう。この国そして四国を通して最も魔法を使えると言われているのは国王や王族、皇族といった国のトップに近い人物なのである。なぜなら、そういった人々が遥か昔に精霊との交流を図り、魔法という力を授かり、それを礎にして国を立ち上げ、大きくしてきたのだから。
つまりは、彼女は俺なんかより魔法の才能に恵まれているはずで、誰かに教えを乞うなんていよいよおかしいと思うのだが、今、現在進行形でクレアに頼まれている。
全く訳が分からない。
「……実は……」
クレアは数秒間の時間をあけて噤んでいた口を開き、声を出す。
「……私……魔法が……使えないんです」
「えっ!?」
耳を疑った。
この発言が世間に広まれば、一大ニュースとして世間を騒がせるだろうと感じさせてしまうほどに。
「……ありえる訳がないでしょう。あなたほどの人が……」
何度も考えるが想像しがたい。この世に魔法を行使できない人がいるなど。借り物の力でしかない魔法は『
皆目見当もつかない。
「では……少しだけ実験してみましょうか」
そう言って、クレアは石畳の道に転がる小さな石に視点を合わせる。
「【その灯篭に灯火を。闇夜を照らす火よ、来たれ】」
クレアが紡いだのは『
精霊にも色々ある。基本の四つ
「【フーラム】」
そして、クレアが紡いだのは『
——発現する……はずだった。
「……何も起こらない!?」
標的にしていた石ころには何ら変化は見られない。『火』の
「……見て頂けましたか? どうしてか、私の魔法はこの通り発動されないのです。時機に王としての務めを果たさなくてはならなくなるかもしれません。だから、立場上魔法が使えないというのは問題があります。ですから……」
彼女は少し目を潤ませて俺に懇願してくる。これは困った。
サン・カレッド王国の中でも五本の指に入ると言われるこんな美人に頼み込まれれば断るものも断れない。はて、どうしたものか……?
「……どうして、俺なんかに?」
少し考えた結果、もう少し話を続けることにした。断る糸口を掴むために。
「先ほども言いましたが、あなたの魔法に目を引かれたのです」
「俺の魔法に?」
クレアはしずしずと頷いた。俺の魔法に何か特別なものなどあっただろうか?
「店主様、あなたは昨日、『
「そんなこと、俺してたか?」
「しらばっくれないでください。昨日、実際にそれをしていたではないですか。私、この目でしっかりと見ていましたよ」
クレアは口調を早めて主張する。
「そう言われてもなぁ、俺はただの貧しい商人の端くれだから……。王女様の側近には高等魔法を使える人がいくらでもいるんでしょ。だったら、そんな人達に……」
「何度も教えを請いました。現国王である母や従者、大臣など。サン・カレッドが誇る高位の魔法使い達に。……ですが、叶いませんでした」
「そんな人達ができなかったことを俺にできると?」
「……えぇ。核心はありませんが、そう思うのです。あなたなら、何か変えてくれると、そんな気が……」
そんなに俺に期待されても困るんだが……。
「マスター、どうするんだ? 依頼受けるのか?」
未だ姿を見せないピッドの声が脳内に響く。自然と俺の表情が険しくなるのを自分でも感じた。
「……いや、無理だろう。俺にはやることがたくさんあるし。時間をかけていられない」
もちろん、サイレントでクレアには聞こえないはずだが、俺の表情変化に気付いたのか、彼女自身の表情も怪訝なものへと変わる。
「……じゃあ、なんでさっさと断らないんだ?」
「タイミングを計ってるんだ。タイミングを」
ピッドのおかげで俺の表情はより曇る。あぁ、うるさい。
「……マスターも案外まんざらでもないんじゃないか~? いっそのこと受けちゃったら?」
ピッドがそう零した瞬間、クレアも口を開く。
「店主様、お願いです。私の願いを叶いてはいただけませんか? もちろん、謝礼は弾みますし、私ができることならご助力します。私の立場上できることは多いと思いますが、……いかがでしょうか?」
「……謝礼?」
ついその言葉に引っかかってしまった。俺だけでなくピッドも引っかかったようだが。
「……マスター、これはチャンスだ。大国の王女さんの謝礼なんて言ったら、それはもう凄いものに決まってる。受けるっきゃないよ~」
予想通り、ピッドが俺をそう誘導する。そうだ、わかっているんだ。俺だって。お金が枯渇して生きるのもままならなくなっていることだって。
そんな俺の前に垂れ下がってきた紛れもない高所得者への蜘蛛の糸。俺のためだけの蜘蛛の糸。
断る理由なんてないはずだが、どうも心配が拭えないのもまた事実だ。
「……もちろん、謝礼はさせていただきます。秘密裏のことですので、どれだけ用意できるかはわかりませんが、私が動かせるお金はそれなりにお渡しするつもりです」
思い悩む俺の様子を見た王女様は追い詰めるようにそう伝える。この王女様もなかなかゲスいところがあるようだ。
「……失敗したら?」
「その時も、もちろんお支払いします。こんなくだらない願いを聞き入れてくれたのですからそれなりの金額は……。多少はお支払いの額は減ると思いますが、数か月は空腹に苦しまず暮らせることは保証いたします」
額の差はあるもののノーリスク、ハイリターン。……いや、このことがバレたらかなり不都合だけれど、基本的に俺には得しかない。いよいよ、覚悟を決めるべきか……。
「……マスター、とりあえず生活費稼ぐってことで、手を打っておこうぜ~。ひもじい思いをするよりは断然いいと思うからさぁ~」
ピッドが急かす。焦らす。どうしても、腹一杯ご飯を食べたいらしい。
……仕方ないか。
「……わかりました。俺なんかでよかったら、魔法を伝授しましょう。……たぶん、失敗すると思いますが」
「本当ですか! ありがとう存じます」
王女様は俺の手を取り、その端正なお顔を俺の薄汚れた顔に近づける。こういうことはよくわからないが、体はどうにもその艶やかな香りと妙に刺激的な動作に反応するらしく、頬が熱くなるのを感じた。
「近いです。王女様……」
「……申し訳ありません。わたくしとしたことが慎みを忘れておりました」
王女様は俺と同じくその白い肌をほのかに赤く染めて後退する。どうやら、王女様もそこまで慣れていないらしい。
「……日も昇ってきました。そろそろわたくしも戻らなければなりません」
彼女が視線を向ける先は当然都市のシンボル、サン・カレッド王城。いつも職務に追われている王女様からすれば今ここにいること自体異常極まるので、早く帰らなければいけないようだ。
「……どうか、お気をつけて。自警団にも気をつけて」
やっと、この時間も終わる。……これから、大変なことが始まるのだが。
「……はい。それでは、店主様……。あっ、忘れておりました」
「どうかしましたか?」
「店主様、あなたのお名前を」
確かに言ってなかった。
「名前ですか……。……メルク……テイルズ……です」
「メルク様ですね。覚えました。わたくしはクレア・レティア。これから、よろしくお願いします。そちらのペット様共々……」
王女様は黒ローブのフードを被り、少し急いだ様子で姿を消した。
「……ペット様? なんのことだ」
クレアが最後に残した言葉に確信はないが、なんとなくそのペットに思い当たる節があった。
「……マスター、まさかボクのことかな?」
当人は少し興味深げに声を出す。と、同時に朝日にその純白の毛並みが神々しい姿を現した。
「……さぁ、わからない。見えてはいけないものでも見てたのかもしれないからなぁ。まぁ、俺には直接関係のないことだから、どうでもいいことだけど」
「おかしいなぁ。さっきは実体を一切見せないようにしていたんだけど……。普段もマスター以外に見えないはずなんだけど……」
「そうだったっけか? なら、やっぱりどっかの野良猫でも見えてたんだろうよ」
「そうなのかな~?」
俺の肩にちょこんと乗り込んだピッドは小さく首を傾げていた。
「にしても、とんだ災難にあって忘れていたが、腹が減った。朝市でも行って、安値のものでも探し漁るとするか」
「いいねぇ、マスター。美味いもん、食べに行こう」
「……まぁ、この金じゃ碌なもんも食えないとは思うが……」
「そういうことは言わない方がいいと思うけど……」
互いに重い溜息をついて、朝焼けに照らされる街をたらたらと歩み始めた。
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