第4話 指導と基本

 ——翌日。


「昨日もほとんど売れなかったね。マスター」

「需要がないんだから仕方ないさ」


 昨日、俺達はサン・カレッドの北東辺りにある朝市に行ったものの今の所持金で食べられるものは限られており、生のリンゴ一つで一日を過ごすことになった。


ピッドの体は特殊で半年何も食べなくても生きられるらしいのだが、それでも欲しがった様子を見せていたので、仕方なくリンゴの半分をピッドに手渡した。


だから、実質俺はリンゴ半分で昨日一日を過ごしたことになって、現在俺は腹ペコで死にそうだ。


「そういえば、あの王女さんっていつ来るのかな~?」

「たぶん、そろそろ。公務が激しい日中はまず無理として、可能性があるとすれば深夜か早朝のどっちか。昨日、結局来なかったから、たぶんそろそろくるはず」


 と、日の光がまだ柔らかく差し込み始めた頃、予定通りまだ人通りの少ない通りに黒いローブを風になびかせる少女が現れた。


「……来たな」


 少女は俺達に気付いたのか、ローブの袖から白くスラリと伸びた腕を覗かせてこちらに手を振ってきた。俺は軽く振り返すとコツコツとなる靴のテンポを速めて、こちらへと駆け寄ってきた。


「お待たせいたしました。……早速ではありますが、よろしくお願いいたします」

「随分と焦っていますね。どうかしたのですか?」


 フードの隙間から見えるクレアの額にはいくつもの汗がタラリと流れている。どうやら、かなり走ってきたようである。


「あぁ、気にしないでください。時間があまりないだけですので」

「そうですか」


 それもそのはず。サン・カレッドの広さはフロンティアの中でも有数の規模を誇る。大国である四国の一つに数えられるくらいには広い。街の端から端まではおよそ40マイル。彼女が住まう王城から比較的この場所は近いけれど、それなりの距離はあったはずだ。


 それでも、日が照っていないうちからベッドから起き上がって、支度をして、ここまで急いで来ているのだから、彼女が本気であることが窺えた。


「それにしても、メルク様」

「……なんですか?」


 どことなく真剣な眼差しで彼女は答える。


「メルク様、あなたはわたくしの師になる存在です。そのあなたがわたくしに敬語を使うというのは些か変ではないかと存じます」

「いや……そうかもしれないけれど、大国の王女様にタメ口聞くなんて流石に恐れ多いというか……」


 俺が彼女に敬意を払わない口調で話しかけている様子でも誰かに見られたとしたら、叩かれ非難されるのは俺だ。そうなることは商売にも関わる。


(まぁ、今も売れていないから、あまり影響はないと思うけど)


 だから、そんなトラブルだけはどうしても避けたいのだが、今のクレアの眼差しを見ると断れなさそうだ。


「……わたくしも自身を律するためにそうしたいのです。だから……」

「わかった、わかりましたから」


 ……諦めた。まぁ、そちらの方が俺としても楽だから良しとしよう。


「で、王女さん……クレア、ここでは時機に人が増えてくるし、魔法を発動すると何かと面倒だ。とりあえず、人のいない空き地にでも行こう」

「はい、わかりました」


 俺はクレアに了承を取り、サン・カレッドに点在している空き地のような開けた空間の一つへと向かった。石畳の街の中にある自然豊かな公園のすぐ隣、近くに自然があるせいか虫が集り、誰も寄り付くことのなくなったそんな場所に。


「全方向確認完了。誰もいないな」


 まだ朝が早いため誰もいないことは明白だが、確認を忘れない。彼女の存在はそれほどに重要なのだから。


「クレア、どれくらい時間がありそうだ?」


 クレアは顎に手を当てて、少し間を開けて考えると、口を開いた。


「そうですね。ここからの距離も換算するとあと一時間弱ぐらいでしょうか……」

「かなり短いな。さて、どうしようか……」


 彼女の公務が忙しいとは知っていたつもりだが、この早朝から一時間もないとなると相当忙しいのだろう。


「……そうだな。俺が言えるのはとりあえず基本のことだけだと思うし、まずは魔法の基本からおさらいしてみようか」

「……そうですね。従います」


 彼女は次期女王候補にも関わらず、一切傲慢な態度を取らず、恭しく貧乏な俺に従ってくる。よほどいい教育を受けたのだろう。


「まぁ、クレアの方がよく魔法の知識は知っていると思うが……」

「それもそうですね」


 彼女は否定しなかった。


 ……それも当然なのだが。


 各国魔法知識の最前線を行くのは国を管理する権力者が集まるところと相場が決まっている。正直、俺なんかの知識が彼女に及ぶはずもないのだが、基本は大切だ。気にしないことにしておこう。


「じゃあ魔法の基本、『詠唱アリア』と『呪文スペル』から」

「はい、ご教授よろしくお願いします」


 彼女が頭を下げて、それは始まった。


「そうだなぁ。『詠唱アリア』は精霊を呼び起こす歌なんだが、それくらいはわかっているよな?」

「はい。幼い頃から教育を受けていましたので……」


 駄目だ、やりにくい。


「そして、締めに『呪文スペル』を唱えて、その魔法を確定させる。それで、魔法は完成する。それも大丈夫か?」

「はい。存じております」


 俺が教えなくてもいいんじゃないだろうか……。


「とりあえず、やって見るか」

「……はい。お願いします」


 俺が視線を向けたのは風か何かでポキリと折れて、ポトリと落ちた木の枝である。


「【その灯篭に灯火を。闇夜を照らす火よ、来たれ】」


 『火』の精霊が起こす超初級魔法。昨日、クレアが唱えようとしていたあの魔法を試す。

子供がしっかりと言葉を扱えるようになればすぐにでも使用できるとても有名な魔法だ。

 対象物である地面に落ちた木の枝に『詠唱アリア』を唱え始めると不可思議な紋様が浮かび上がる。


——『魔法陣』。そう呼ばれる存在だ。


 魔法が発動される時には決まってこの魔法陣が現れる。

 ……そして。


「【フーラム】」


 赤く輝きを放つ特別な文字が描かれたその一つの円から成る魔法陣から小さな火が現れ、木の枝はボォーっと燃え上がる。


 成功だ。これくらいは当然のことだが。


「まぁ、魔法そのものについてはこんな感じだ。さすがに知ってるよな?」

「はい。王宮の方でよく拝見させて頂きましたので」

「そうですよね……」


 王女様の感動はどうも薄いらしい。と言っても、誰が見てもこのくらいのリアクションをするだろうとは思うが……。


 それほど、フロンティアでは魔法が一般的なものであると実感する今日この頃である。


「じゃあ、この魔法陣についてもう少し詳しく……」

「はい」

「さっき見た魔法陣に映るあの不思議な形をした文字のこと、知っているか?」


 クレアは少し思案した後、小さくコクリと頷いた。


「はい。おそらく存じています。精霊の言葉、《オラクル》ですよね」

「ご名答。流石は王女様だ」

「ありがとうございます」


 俺もそれなりに魔法を齧っているつもりではあるが、王族の知識には敵わないようである。


「《オラクル》の詳しい説明はできるか?」

「……はい。確か、『詠唱アリア』の時に同時に翻訳される言葉でしたかね……」

「大体はあってるな。もう少し言えば、魔法の内容を説明する精霊の言葉って言った方が正しいかな。『詠唱アリア』の歌を正しく、わかりやすく説明するのが《オラクル》の正体だ」

「なるほど。記憶しておきます」


 どうやら初めて関心を抱いてくれたらしい。これは良かった。


「さらに言えば、『魔法陣』の色や形も大切だ」

「……それは詳しく存じております。《オラクル》《魔法陣の色》《魔法陣の形》。それら三つが魔法を特定する判断基準であったはずです」


 俺はしずしずと頷く。やはりこのお方はわかっていらっしゃる。


 魔法の判断基準として最もわかりやすいのは『詠唱アリア』と『呪文スペル』であるが、それがわからない場合ある程度の知識があれば魔法陣から大まかな予測が立てられるのである。


「まぁ、クレアが魔法を使えていないから直接的には関係のないことかもしれないけど、覚えておいて損はないと思う」

「……そうですね。ですが、一国の王女ともあろうものが魔法の一つも使えないなんて……」


 おやおや、これはちょっとトチってしまったか?


 少し暗い顔をするクレアの表情を見かねた俺は必死に話を切り替える。


「では、話を変えて……」

「あの、メルク様……」


 と、話を切り替える前にクレアに遮られてしまった。一体どうしたのだろう?


「先ほどの火が消えずに燃え移ろうとしているのですが……」

「えっ!?」


 目をやればまさに今、隣の公園の木に燃え移ろうとしている。幸い木は水分を十分に含んでいるのか、完全に燃え始めるには時間がかかりそうではあるが、もしもということもありえる。


「【清らなる生命の源。泉の聖女よ、我が身にその恩恵を】」


 咄嗟に魔法を唱えることを決断した。何もないところで、何かができるというところが使い勝手のいいところだ。


詠唱アリア』によって引き起こされたのは青く輝きを放つ一つの魔法陣。時折パチパチと火花を散らしながら燃え盛る炎の至近距離にそれを設置する。


「【アークア】」


 魔法陣から現れ出たのは『火』と対局する『水』。どおどおと流れるその勢いに燃えていたそれは見事に鎮火された。


「ふぅ~、危なかった。大惨事になるとことだったよ」

「そうですね。改めて、魔法というもののありがたさを実感しました。精霊様に感謝をしなければなりません」


 クレアは瞳を閉じ、祈りを捧げる。魔法を使えないからこそ、精霊に最も真摯に向き合っているのだろうと俺はそう解釈した。


「で、次なんだけど……」


 問題はとりあえず解決したから本題に立ち返る。だが、クレアの様子をチラリと見れば、どうもそうはいかないらしい。


「……日が高くなりました。おそらく、もう出なくてはなりません。申し訳ありませんが、また明日……いえ、今日の深夜よろしくお願いします」

「あっ、ああ。ちょっと、待ってくれ」

「どうしましたか?」


 支度を軽く済ませ、足早に立ち去ろうとするクレアを俺は止めた。理由はとても個人的なことだ。だが、俺の命に関わることだ。


「謝礼の件なんだが……なんですが、その先払い……してくれないでしょうか?」


 頭を下げ、ゆっくりと膝と腰を地面に近づけていく。旅の途中で聞いた『土下座』というものを実践する。懇願するように、切実に、頭に土をつけて、願う。


「ええ、それは構いませんが、……その頭をあげてください」


 俺がクレアに従って、体を持ち上げて、顔を窺えば、『土下座』というものを知らないのか、クレアは不思議そうな顔を浮かべていた。だが、どうもこの体勢を続けることはあまりよろしくないということを察してくれたのか、そう俺を言葉で誘導してくれた。


 本当に助かる。


「ですが、わたくしも今すぐ大金は用意できません。今持っているこの金貨でよろしければお納めしますが……」

「金貨! そんな大金を。ぜひお願いします。これで、一か月は凌げる」


 思わず興奮して声が上ずってしまった。俺が扱っているのは最低価値である銅貨のみ。金貨なんてものは空想上の産物だと思っていたほどの存在だ。


 それが目の前に、しかも俺の手に渡されようとしている。上ずるのも仕方がない。

 ——うん、仕方がない。


「わかりました。では、これをどうぞ」

「あっ、ありがとう」


 この天使様をグッと抱きしめたい気分だ。

 だが、我慢。ありがたく頂戴しよう。


 俺の手に一つの金貨が乗っかる。金色の輝きを放つその硬貨には玲瓏たる現女王が丁寧に彫刻されている。美しい。

 そして、今まで感じたことのない重み。実際は銅貨とそれほど差はないのだろうが、それでも何か特別なものを感じる。これが感動というものだろうか。

 ——そうに、違いない。


「では、改めて。後ほどまたよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、またよろしく。公務頑張って」


 クレアは会釈するとフードを被り、颯爽と消えていった。

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