第147話 鷹の巣の勇者

 神聖第四帝国の暫定帝都となったアリゼオ。


 芸術の都と謳われたアリゼオは、かつての賑わいが失われており、物々しい雰囲気に包まれていた。ただ、美術的価値の高いルーチェ地区の美しい街並みは、大きな市街戦に発展する以前にネオナチの支配下に置かれたため、私が初めてアリゼオを訪れた時の景色のまま変わっていなかった。


 あの時、まだ幼かった私は、母に手を引かれながら、初めて目にする都会の光景に胸を躍らせていた。目を閉じると、四十年以上昔の懐かしい思い出が、今でも鮮明に頭の中に浮かんでくる。


 祭りのように賑わう大通り。街を行き交う様々な種族の人々。露店に並ぶ美味しそうな食べ物の香り。街角で楽器や歌を演奏する旅の詩吟たち。そして、噴水の縁石に腰掛け、露店で購入した砂糖菓子を食べる私に、優しく微笑み掛けてくれる母の姿。


 少なくとも、あの頃の私は、毎日がとても幸せだった。私たち母娘がアリゼオの暮らしに慣れてきたあの日の夜に、聡明で慈愛に満ちた母が、私の前から忽然と姿を消してしまうまでは……。


 結局、数年経っても母を見つけられなかった私は、母から教わった風の精霊術を売りに、生活のために旅の傭兵稼業に身を置いた。このアリゼオの王都を、独り立ちの出発地として。


 また、私にとってアリゼオは、別れと始まりを繰り返す不思議な縁で繋がっている。私が最も長く連れ添った旅の傭兵仲間が稼業から退き、この街で代々続く武器商を継ぐことになった街でもあるからだ。


 そう、私のパートナーだった彼の名前は、ギルフォード・ロシュ。


 ギルとの出会いは、私が傭兵稼業を始めてから約三年が経過した時のこと。それまで一人で行動していた私は、アルカンド地方の砂漠で隊商の護衛を勤めた時に、同じ隊商を護衛していた三人組の傭兵団に迎え入れられた。その人物たちこそが、私の初めての仲間であり大切な友でもある、バルザ、ナターシャ、そして、ギルの三人だ。


 それから時が経ち、私とギルは、バルザとナターシャが結婚して傭兵稼業を退いた後も、二人で旅の傭兵稼業を続けた。出会った当時、まだハルくらいの年齢だったギルは、時間の経過と共に成長を遂げて逞しい青年となり、やがて特別な関係になっていた私を彼の家族に紹介したいと言ってくれた。


 しかし、その矢先に、ギルの父親が負債を巡る騒動で亡くなってしまったことで事態が一変してしまう。ギルは、彼の家族に私を紹介することなく、父親が抱えていた多額の負債から、残された彼の家族を守る道を選択した。


 その結果、私とギルは、それぞれの人生を歩むことになった。私は、そのまま傭兵稼業を続け、ギルは、亡き父親の友人である投資家の令嬢と結ばれることで負債を返済し、家業のロシュ商会を継いで傭兵から身を引くことになった。


 もちろん、本気で愛した人との別れは、とても辛いものだった。けれども、私は、あの時ギルが選択した答えが、今では正しかったと思っている。


 ギルが継いだロシュ商会は、破綻から免れたことで、ギルの家族が路頭に迷わずに済んだ。そして、ギル本人は、可愛い奥さんとの間に二人の娘を授かり、この王都で幸せな家庭を築くことができたのだから。


 それに、もしも、私がギルと結ばれていたとしても、私たちが幸せになれた可能性は低かったと思う。人間とエルフ族は、同じ人類でも生きる時間がまるで違う。夫婦の真似事をしても、異種族間で子供を授かることはないし、時の流れと共に老いて死にゆく大切な人を見守ることしかできない。


 その現実は、ギルと過ごしてきた中で、薄々気が付いていた。だから、母を始めとする人間社会で生きるエルフ族たちは、必要以上に異種族間との交流を深めず、旅を続ける流れ者が多いのだろう。


 いずれにしても、現在のアリゼオの状況では、ロシュ商会が武器の取引などできる環境ではないはず。それ以前に、この神聖第四帝国の動乱で、治安の悪化から多発する暴動で、一般市民に大勢の犠牲者が出ていると聞いている。


 ギルと彼の家族が、アリゼオから避難した多くの商人たちと共に、国外へ脱出できていればいいのだけど……。





「……リン。アスリン……」



 私は、耳元で私の名を呼び続ける彩葉の声で意識を取り戻した。


「あ……」


 不覚にも、昔に思いを馳せるうちに、椅子に座った状態でうとうとしていたらしい。私たちが案内された小部屋が薄暗いため、心配そうな表情で私を見つめる彩葉の瞳がキラリと輝いて見える。


 ここは、アーラ地区の断崖に所在する、坑道が張り巡らされた竪穴式のメザテ銅鉱。メザテ銅鉱は、王都の鷹が拠点としていることから、レジスタンスに参加する者たちから『鷹の巣』と呼ばれている場所だ。昨夜アリゼオ入りした私たちは、警備が手薄な早朝のうちに、一晩身を寄せていた郊外の廃屋から鷹の巣へ移動を済ませている。


 ここまで来れば、動ける者が王都の鷹を率いるグラハム公爵ら要人たちと合流するだけ。もう間もなく、鷹の巣に先行したティシュトリヤが、王都の鷹を率いるグラハム公爵を始めとする要人たちを連れて、私たちが待機しているこの小部屋に姿を現すはずだ。


「ねぇ、アスリン、大丈夫? 疲れているみたいだし、少し休んだほうがいいと思うけど……?」


「そうですよ、アスリンさん。彩葉さんの仰る通りです。特に、アスリンさんは、仮眠もとらずに、星の光を浴びてマナを充填していたのですから……」


 彩葉とキアラが心配してくれたように、確かに昨日の戦と強行軍の影響で、私の疲労はピークに達していた。でも、疲れているのは、私だけじゃない。


「ううん、私は大丈夫。疲れているのは、皆も同じだし、グラハム公たちと面会すれば、眠気なんてなくなるはず。二人とも心配掛けてごめんね」


 私は、私を気遣ってくれた彩葉とキアラに、私自身の体調に問題がないことを伝えた。


「アスリンが大丈夫だって言うなら、いいのだけど……。ただし、魔力を使い果たして倒れたハルみたいに、無理は絶対にしないこと!」


 彩葉は、大丈夫だと答えた私に、眉を顰めながら語尾を強めて念を押してきた。マナが枯渇してしまったハルを心配するあまり、いつも以上に神経質になっているのだと思う。


「うん、わかってるわ。とりあえず、少し安心した。もう、いつもの彩葉に戻っているわね」


 そう、私を気遣ってくれている彩葉は、シェムハザからハルの目覚めが近いことを告げられた今朝方まで、いつもの元気が全くなく、ハルに寄り添ったまま涙ぐんでいた。


 そのハルは、昨日の戦闘で負傷してしまったエーギス隊のシガンシナ少尉らと共に、鷹の巣の救護所へ向かっている。今は、ユッキーの介添えを受けて、救護所のベッドで休んでいるはず。危険察知能力が高いシェムハザも、ユッキーに同行しているのだから安心できる。


「う……。未来が見えるシェムハザが、大丈夫だって言ってくれたから、いつまでも泣いているわけにいかないし……。私も、昨日の戦いで少し疲れていたから……」


 言葉を詰まらせて俯く彩葉。


「彩葉さんってば、ティーとアスリンさんが、ハロルドさんのマナが回復すれば、意識が戻ると説明していたのに、話を全然聞いてくれませんでしたからね。それどころか、『ハルが死んじゃう!』って……。あの姿は、ちょっと可愛かったです」


 キアラは、彩葉の口調を真似て、悪戯染みた笑みを浮かべながら彩葉をからかう。


「も、もう! キアラってば……」


 彩葉は、背部の尾と眉を吊り上げて顔を赤らめた。


 プッ……。


 キアラの隣の席に座るクラッセン軍曹が、噴出した後にクスクスと笑い始めた。


「聞き耳立てて笑うだなんて、モラルに反しますよ、軍曹?!」


「あー、すみません、フロイライン・シュトラウス。さすがに、このゼロ距離じゃ、聞きたくなくても聞こえちまいましてね……。笑うつもりなどなかったのですが、フロイライン少尉も年頃のフロイラインらしい会話をするのだなぁと、感心しているうちに、つい……ね」


 不機嫌そうに問い質したキアラに対し、含み笑いを浮かべながら答えるクラッセン軍曹。


「つい……じゃありません! 私だって普通の会話くらいしますし、それに、私は軍を退役しておりますので、もう階級で呼ぶことをやめてください!」


 キアラは、クラッセン軍曹からの横槍的な揶揄に対して困惑しているらしく、言葉尻が強くなる。真面目でまっすぐな彩葉とキアラ。からかわれた時の二人の反応は、本当によく似ていて面白い。


「そういえば……、そうでしたねぇ。申し訳ありません、フロイライン・シュトラウス」


「はぁ……。軍曹のそういうところ、五小隊の頃から全然変わりませんね……」


 キアラは、右目の眼帯を隠した前髪に手を当てて、ため息交じりにクラッセン軍曹に不満を漏らした。私と彩葉は、お互いに顔を見合わせて笑ってしまう。


「ハハハ……。その辺りにしておけ、クラッセン。仮にもフロイラインは、辺境伯の爵位の持ち主。フロイラインがその気になれば、お前などコレだぞ?」


 ヘニング少佐は、笑いながら左手で自分の首を切り落とす仕草をして見せ、キアラを揶揄するクラッセン軍曹を窘めた。その様子を黙って見守る、寡黙なデニス卿の表情にも笑みが見られる。


 コンコンコン……。


 私たちは、一斉にノックされた木製のドアを見つめた。デニス卿は、主を護るように彩葉とドアの間に移動した。和やかだった小部屋内の空気が一変し、皆の表情に緊張が走る。


「皆様、お待たせしました。ティシュトリヤ猊下、並びに、王都の鷹盟主マルデルリード・グラハム公ほか三名をお連れいたしました」


 ドアの向こう側から、よく通る声の側近の男が挨拶をした後に、ゆっくりとドアが開けられた。そして、ドアを開けた側近が一礼すると、フードを被ったティシュトリヤを先頭に、グラハム公、マンシュタイン大佐、鉄仮面を被った重装の剣士、最後尾にエルフ族の成人女性が続いて小部屋の中に入ってくる。


 私たちは、一斉に席を立ち、その場でグラハム公らに敬意を表し一礼する。


 グラハム公の第一印象は、威厳と風格を備えた初老の紳士。アリゼオ王家の遠戚に当たる貴族でありながら、王家の騎士を併任していた武人であるため、王都の鷹に賛同する者たちからの信頼が厚い。グラハム公に続くマンシュタイン大佐は、ヘニング少佐と同じ国防軍の将校の制服を着用し、グラハム公に劣らぬ威厳と風格を兼ね備えている。


 鉄仮面の剣士は、要人たちの護衛を兼ねた王都の鷹の将軍だろうか。鉄仮面を被ったままなので、容姿や表情までわからない。そして、私の視線は、怪しげな鉄仮面の剣士よりも、エルフ族の女性に釘付けにされてしまう。炎のような赤い瞳と、薄っすらと桃色に染まる彼女の銀髪。恐らく、彼女は、火の精霊の加護を受けたエシの部族の者だろう。


 彼女の身形みなりだけでは、グラハム公に仕える従士なのか、それとも、流れ者のエルフ族なのか特定できない。けれども、この場にいるということは、王都の鷹にとって重要な役職に就いているはずだ。


「諸君、そう畏まらず楽にして欲しい。諸君らは、レンスターから遥々アリゼオに駆けつけてくれた友軍であると共に、シトリアの大地に築かれた前哨基地を叩いた英雄だ。本来なら、然るべき場所でもてなさねばならねところなのだが……。このような薄暗い坑道で、セレン茶の一つも提供できないことを許して欲しい」


 グラハム公は、第一声から私たちに詫びてきた。そして、軽く頭を下げた後に、ドラゴニュートの彩葉をジッと見つめた。グラハム公は、彩葉のことをティシュトリヤから事前に聞いているはず。それでも、実物のドラゴニュートを目の当たりにして警戒しているのだろう。『ドラゴニュートは、理性を失った残忍な怪物』それが、アルザルの常識なのだから。


「グラハム公、勿体なきお言葉です。私は、ヴァイマル帝国国防軍第二〇二装甲師団所属、ウッツ・ヘニング少佐であります。厄災に挑む天使猊下らを支援するために、レンスターより参りました。ですが、我らエーギス隊は、猊下らが目的を達成した後に、王都の鷹と行動を共にする所存です。この戦、元はと言えば、ネオナチの横行を抑えられなかった、我が国の失態が引き起こしたもの。同じ国民……、いえ、地球という星から負の遺産を連れて来てしまった我々を、どうかお許しください……」


 詫びを入れたグラハム公に対し、ヘニング少佐は、改めて深々と頭を下げて謝罪した。少佐に倣い、クラッセン軍曹、キアラ、そして彩葉までもが深く頭を下げた。皆は、同じテルースを故郷とする者として、ネオナチの横行を寛容できないのだろう。


「諸君、どうか頭を上げて欲しい。目の前で起きている現実は、諸君らに非などない。たしかに、我らの同胞の中には、ヴァイマル帝国自体を恨む者も多い。しかし、この戦は、アリゼオだけに留まらず、レムリア大陸の歴史を動かす、変革の時であると私は思っている。そして、その先に待つ厄災だけは、決して引き起こしてはならぬ。我ら王都の鷹も、天使猊下と諸君らを全力で支援するつもりだ。それから、ヘニング少佐。私は、貴公らをマンシュタイン大佐らと同様に、アリゼオ騎士の称号を授与して迎え入れたいと思う。それで良いかな?」


「で、ですが……。自分は、平民出身の軍人です。そのような、正規の称号を頂くわけには……」


 ヘニング少佐が困惑気味にグラハム公に断りを入れると、マンシュタイン大佐がヘニング少佐の元へ歩みながら語り始めた。


「ヘニング、我ら国防軍は、プロイセン騎士の誇りを受け継いでいる。ここは、グラハム公のご要望を尊重しようではないか。君らの働きは、騎士の称号を受けるに値するものだ。私は、東フェルダート戦役における第二〇二装甲師団の活躍を、胸を躍らせながらミトラ猊下から聞いていたのだぞ?」


「活躍など、お恥ずかしい限りです。東部戦線における本当の立役者は、ここにいるフロイラインたちなのですから……。我らの戦績よりも、こうして再会できたことが何よりの幸運です。大佐、本当にお久しぶりです」


「そうだな。まずは、こうして再会できた喜びを、に感謝しよう。また今夜にでも、積もる話と互いの武勇を杯でも交わしながら語るとしよう。君の到着は、トルーマンやニールセンも歓迎するだろう」


「おぉ……。奴らも無事でしたか!」


「あぁ、アルザルの地にて、A軍集団の再集結だな」


 互いの無事を喜びながら握手を交わすヘニング少佐とマンシュタイン大佐。二人が旧知の仲で、信頼し合う間柄であることがよく伝わってくる。ヘニング少佐の喜びようから、かつて前線で共に戦ったという歴戦のエリート集団の集まりなのだろう。


「マンシュタイン大佐、戦友との再会の喜びのところ、まことに恐縮ですが、間もなく遊撃戦へ出向いた部隊が戻る時間です。彼らが戻るまでに、この方たちに現在の我らの情勢とシュオル監獄、アストラが祀られているアリゼオ大聖堂の状況について説明しませんと……」


 エシの部族の女性が切れのある声で割り込み、互いに握手を交わして喜ぶ軍人たちの再会を制した。


「そうであったな。すまない、イーファ。グラハム公、早速軍議に移行してよろしいですか?」


「無論だ。早速始めてくれ」


 マンシュタイン大佐は、イーファと呼んだエシの部族の女性の意見を承諾し、グラハム公に同意を求めた。グラハム公も、即座にマンシュタイン大佐とイーファに頷く。


「承知しました」


 イーファは、グラハム公らに返事をしてから、私たち全員の顔を見て頷いた。


「まず、申し遅れました。私は、イーファ・エシ・スゥーム。見ての通り、そちらのお嬢さんと同じエルフ族です。あなたは……、はぐれエルフではないようね?」


 イーファは、私を見つめながらそう言った。これは、私の守護精霊と氏族を名乗るよう、遠回しに尋ねている。


「ええ、あなたのお見込みの通り。私は、はぐれエルフではないわ。これでも、かれこれ四十年余り人間社会を転々としているわ。現在は、レンスター公王陛下に認められて従士として仕えています。私の名は、アスリン・リル・アトカ。レンスター家の従士としての二つ名は、風のアトカ。どうぞ、よろしくお願いします、イーファ」


「えぇ、こちらこそよろしくお願いします、アスリン。さて、本題に入らせて頂く前に、鷹の巣の勇者を紹介いたします。彼は、シュオル監獄をよく知る人物。彼の助言が役に立つでしょう」


 イーファの言葉に合わせ、鉄仮面の剣士が一歩前に出た。そして、その仮面をゆっくりと脱いで素顔を見せた。


 私は、その素顔に衝撃を受け、頭の中が真っ白になった。顔の皴や渋みが増したけれど、見間違うはずがない。彼は、ギルフォード。武器商として成功したギルが、なぜ再び剣を持ち、レジスタンスに参加しているのだろう……。


「勇者などと呼ばれているが、元傭兵のただのオッサンさ。俺の名は、ギルフォード・ロシュ。久しぶりだな、アスリン。レンスターから来たエルフの従士と聞いて、もしやと思ったけれど、まさか本当に君だったとはね」


「どうして、ここにあなたが……」


 私は、それ以上言葉が出なかった。


 ただ、ギルが生きていた喜びと、切なくも懐かしい思い出と、そして、彼が戦う理由を知ることの不安に包まれて……。

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