第146話 浮つく心に掻き乱されて

 帝竜暦六八四年二月十一日午前五時。


 ここは、ヴァイマル帝国から分離独立した、神聖第四帝国の暫定的な帝都となったアリゼオ郊外の廃屋。


 昨日の夕刻、シトリア油田の無力化に成功したボクたちは、アリゼオへ続く街道上の集落で王都の鷹の使者と合流した。その後、ボクたちは、使者の案内を受けてアリゼオ郊外まで移動し、野営地として定めたこの廃屋に身を寄せて交代で休息を取っている。


 この時間は、クラッセン軍曹とボクが見張りを担当する時間だ。収穫期を終えた二月のアリゼオは、木々の葉や草が枯れる季節らしく、重ね着をしていても少し寒い。


 王都の鷹が持つ情報によると、あと二時間ほどで、アリゼオ市内を警らする武装親衛隊の交代の時間がやって来る。警備兵の数は、早朝から昼に掛けて、人数が最も少なくなる時間帯になるらしい。治安の悪化の影響で、昼間よりも夜間の警備に重点を置いているからだ。


 そのタイミングを狙えば、昏睡状態が続くハルをR75の側車に乗せ、王都の鷹の拠点まで移動できるとシェムハザは言っている。


 ハルが負った腹部の怪我は、アスリンの懸命な治癒の精霊術のお陰で回復傾向にある。それなのに、ハルは、未だに意識を取り戻す気配がない。その理由は、肉体的なダメージよりも次元の高い呪法を使用したことで、体内のマナが枯渇したことにあるのだとか。いずれにしても、時間を費やしてハルのマナが回復すれば、ハルは意識を取り戻すらしい。


 まったく、ハルのやつ、無理しやがって……。


 ハルに付き添い回復を祈る彩葉も、ハルが目を覚ませば、いつもの元気な彼女に戻ると思う。彩葉の涙に心を痛めるボクの身にもなってもらいたいものだ。


 それにしても、早朝のアリゼオは、カルテノス地方のような極寒ではないにしろ、寒さが身にしみる。ボクは、双眼鏡を床に置き、寒さで悴んだ両手に自分の吐息を吐き掛けた。


 はぁ……。


 ボクの吐き出した息が、フワッと白く辺りに広がった。ちょうど、初冬の安曇野の気温に近いだろうか。ボクたちがアルザルに来てから四カ月が経つ。今頃、美ヶ原や北アルプスの山々は、色鮮やかな紅葉に包まれている頃だろう。


 ボクは、故郷の風景を頭に思い浮かべながら双眼鏡を手に取り、周囲の見張りを再開した。


 ウルグの朝陽に照らされるアリゼオの街並み。


 白壁と朱色の屋根瓦の建築物が並ぶ景観は、世界史の教科書に登場するルネッサンス期のフィレンツェを連想させる美しさを持ち合わせている。ただし、街の至る所で風に揺れる、忌々しいハーケンクロイツの旗や懸垂幕が掲げられていなければ……。


 現在のアリゼオの雰囲気は、ボクたちがヴィマーナで見た映像通りの、おぞましい空気に包まれている。この直接的な原因は、この地の新たな支配者となった神聖第四帝国が、アリゼオの社会秩序とヒエラルキーを鑑みることなく、奴隷制度と既存の身分制度を撤廃した結果だ。


 アリゼオの人々は、誰もが劇的な社会の変化について行けていない。


 当初、神聖第四帝国を支持していた低層の民衆たちは、豊な生活にならない現実に直面し、与えられた自由と平等が、かりそめのものであると気付かされ、徐々に暴徒化していった。


 粛清を免れたものの、路頭に迷う元アリゼオ王国の貴族諸侯や王国軍兵士たち。頻発する強盗や強姦を恐れ、治安が悪化したアリゼオから国外へ逃れようとする平民層や行商たち。そして、自分たちの国を取り戻そうと立ち上がった、王都の鷹をはじめとするレジスタンス組織の抵抗。


 いくら使用する武器に文明的な差があっても、もはや新政府が束ねる武装親衛隊の兵士だけでは、満足に治安の維持すらできていない状況なのだろう。


 パーン!


 静けさに包まれた市街地に乾いた銃声が響き渡る。その音に驚いた鳥たちが、一斉にアリゼオの寒空に向かって飛び立った。それと同時に、ボクは小銃を構え、廃屋の窓から近くにいるかもしれない敵を探した。


 銃声音の大きさから、ここからそれほど遠くない場所で発砲されたものだろう。けれども、周囲を見渡しても、それらしい者は見当たらず、また、悲鳴や叫び声なども聞こえてこない。


 ボクは、ホッと一息吐きながら胸を撫で下ろした。この廃屋に辿り着いてから、何度か銃声を耳にしてきたけれど、今の音が間違いなく一番近かった。


「慌てることなく冷静な対応だったな、ユッキー。立派な戦士の顔つきになっているじゃないか」


 ボクは、ボクの隣で小銃を構えて警戒するクラッセン軍曹に声を掛けられた。たぶん、軍曹は、緊張しているボクを気遣ってくれているのだと思う。


「そうっス……、かね? ボクなんて、本格的な訓練を受けた兵士じゃありませんから、皆さんの足を引っ張っていないか心配してるんスよ、これでも……」


 そう、ボクは、レンスター防衛戦の直前に応急的な訓練を受けただけだ。何となく銃火器の取り扱いと車両の操縦を覚えたという状態だ。戦士の顔と言われても、しっくりこない。


「いやいや。俺は、そこいらの兵卒よりもユッキーのことを評価しているぜ? ヘニング少佐だって、君を買っているくらいだ。いくら訓練を積んだ兵士でも、実戦となれば話は別だ。実戦では自分が死ぬ可能性に対して、恐怖が先行して平常心でいられなくなる。その恐怖は、実戦を重ねることでしか克服できない。今のユッキーの表情は、その恐怖を受け入れて覚悟に変えている。それこそが、まさに戦士の顔ってヤツさ」


 たしかに、軍曹が言ったように、実戦は死ぬほど怖い。地面に突き刺さる銃弾の音を思い出すだけで、体が勝手に震えてくる。どうやらクラッセン軍曹は、ボクを一人前の兵士として見てくれているらしい。けれども、ボクが戦場でそれなりに振る舞って来れたのは、未来を知るシェムハザが、ボクたちの安全を保障してくれているからに過ぎない。


「そういう……、もんスかね?」


「そういうもんさ」


 クラッセン軍曹は、言葉を詰まらせるボクを見つめて笑顔で頷いた。ボクに兵士としての自覚なんて微塵もない。それでも、歴戦の軍人であるクラッセン軍曹が褒めてくるのだから、自信を持っていいのかもしれない。


「巨大な神の使途すら討ち果たした、歴戦の戦車乗りがそう言ってくれると、こんなボクでも自信になりますよ」


 ボクは、クラッセン軍曹に素直な気持ちを伝えた。


 昨日のシトリア油田の戦闘で、クラッセン軍曹たちエーギス隊は、パワーズの天使サンダルフォンを撃ち破る功績を挙げている。キアラとティーが巨大ロボの注意を引き付けている間に、背後からハルの呪法が施された徹甲弾を撃ち込むという見事な連携技だった。


天使殺しエンゲルテーテンのことを言われると、この先どんな神の罰が下されるか、内心ヒヤヒヤしているんだがね……」


「宗教的なことは、よくわかりませんけど、たぶん大丈夫じゃないっスかねぇ……。討った天使は、いわゆる宇宙人で、その母船が自称神様なんスから……」


 ボクは、割と真剣な表情で嘆いたクラッセン軍曹をフォローした。ドイツは、プロテスタント系のキリスト教徒が多い地方だけあって、クラッセン軍曹も首にロザリオを掛けていた。たぶん、クラッセン軍曹もキリスト教徒なのだろう。


「そう言って貰えると、いくらか救われるよ。ただ、宇宙人と言えど、使途と同じ名である以上、俺たちの信仰と無関係じゃないだろうからな……。ともあれ、俺たちエーギス隊は、ハロルドが厄災を防ぐを手に入れるまで、全力で君たちをサポートするつもりだ。この先は、戦車パンツァーから降りて君たちと共に戦うことになる。だから、色々とよろしく頼むぜ、ユッキー」


 サンダルフォンを撃破したⅢ号戦車は、駆動部の損傷状況と燃料の都合で、大掛かりな修理と補給がなければ、使い物にならない状況だった。そのため、ボクたちの帰投を待っていたハイネ大尉のギガントに載せて、救出した民間人たちと共にネオ・ベルリンへと引き上げている。


「頼もしい限りっスよ。こちらこそよろしくお願いします。でも、今は戦車が手元になくても、チャンスがあれば武装親衛隊の戦車を奪うことができるかもしれませんよ?」


 クラッセン軍曹の他にも、ヘニング少佐とシガンシナ少尉というベテラン戦車兵がいるのだから、敵の戦車を奪えば大きな戦力となるはず。


「あぁ、そんな戦術もアリかもしれないな。その前に、まず王都の鷹のアジトへ向かい、レジスタンス組織の連中や、彼らに身を寄せているマンシュタイン大佐らと合流するところからになるな」


「マンシュタイン大佐って、北伐に従軍していた国防軍の人っスよね? キアラが智将と褒めてました。凄い人なんスか?」


 クラッセン軍曹は、ボクがマンシュタイン大佐について尋ねると嬉しそうに語り始めた。


「マンシュタイン大佐は、プロイセン王朝以前から代々王族に仕える軍人の家系でね。特に大佐は、奇抜な戦術と持ち味の思い切りの良さを持ち合わせている。俺たちも属していたA軍集団の参謀を務め、バルバロッサ作戦を始めとする東部戦線で活躍したエリート中のエリートだ。そんな大佐は、クルセード作戦発動時に、主力旅団に従軍していた国防軍とネオナチに反抗するカルテノス人の部族を束ね、武装親衛隊を三個師団壊滅に追い込む奮闘を見せたらしい。結局、多勢に無勢で大佐が率いる国防軍は、散り散りになっちまったそうだが……。こうして武装親衛隊がおとなしいのは、大佐のお陰ってやつさ」


 話を聞く限り、マンシュタイン大佐は、クラッセン軍曹が尊敬する上官なのだろう。


「なるほど。そうなると、レジスタンスと共同で展開するゲリラ戦は、武装親衛隊に痛手を与えているってことっスね? つまり、戦況は思いのほか悪くない感じっスかね?」


「まぁ、大佐が存命で指揮しているのだから間違いないだろう。絶望的だったレンスター防衛戦よりも、状況はマシかもしれないな。ところで、ユッキー」


 ボクは、構えていた小銃を下ろしたクラッセン軍曹に、真面目な表情で見つめられた。何か重大な話があるのだろうか?


「フロイライン少尉……、いや、フロイラインシュトラウスのことなんだが……。ユッキー、君は彼女をどう思っている? もちろん、それは、異性としてだ」


 こんな時に、何を言い出すかと思えば……。いったい軍曹は、何を考えているんだ?


「ど、どうって……。ちょっと真面目過ぎてドジなところもあるけれど、優しくて知的で何事にも一生懸命な可愛い子だって思いますよ? まぁ、高嶺の花って奴っスかね」


 ボクは、クラッセン軍曹に肖って構えていた小銃を下ろし、戸惑いながらもキアラの印象を軍曹に伝えた。


「いや、驚いた。そこまでフロイラインを理解してくれているなら話は早い。俺にとってフロイラインは、敬愛する元上官でもあると同時に、大切な兄弟姉妹でもある。そんな妹には、幸せになってもらいたいってのが、兄としての願いだ。なぁ、ユッキー。この戦が終わったら、フロイラインと添い遂げないか? レンスター戦で戦傷を負ったフロイラインは、君の懸命な介護に対し、感謝と特別な好意を抱いている。それに君たちは年も近い。もちろん、君がその気になってくれるなら、俺たちが全力で応援するつもりだ」


 そ、添い遂げる?! キアラがボクに、好意を?!


 クラッセン軍曹の表情は、ボクをからかっているように感じられない。そんなクラッセン軍曹に『ボクが好きな女性は、アスリンです!』などと言えるはずがない。ボクは、突然な話の流れに、ただただ混乱していた。


 それにボクは、生まれてこの方、女の子に好意を持たれた経験がない。クラッセン軍曹の話を聞いただけで、心がたかぶってしまう。まぁ、直接本人から聞いたわけじゃないのだけれど……。


「ちょ、ちょっと、待ってください、軍曹! いくら何でも話が飛躍し過ぎじゃないっスかね?! 仮にもキアラは、辺境伯の地位を持つ列記とした貴族ですし。それに、ボクがキアラの介抱を続けていたのは、あの子の右足の自由を奪った当事者が、ボクだからです……。あの時、キアラをラハティの呪縛から救うためだったとしても、ボクが彼女に銃を向けて撃ったことは事実。決して赦されるものじゃありません」


 あぁ……。何なんだ、この展開は……。


 はっきり言って、思いがけないクラッセン軍曹の発言のせいで、集中力と緊張感がなくなって見張りどころじゃなくなっている。


 ボクは、別にキアラのことが嫌いなわけじゃない。むしろ、顔やスタイルは、ボクのストライクゾーンの中心だし、性格だって凄くいいと思っている。ボクの本命は、アスリンという理由から、キアラを恋愛対象として意識したことがなかっただけで……。


「急いで答えを出す必要はないさ、ユッキー。時間は十分あるし、ゆっくりでいいから前向きに考えて欲しい。フロイラインは、見ての通り美人だし、ザーラちゃんの情報によれば、俺たちが想像している以上にグラマラスらしい。将来、間違いなく良い女房になると思うがね?」


 たしかにキアラは、美人でナイスバディだ。あの窮屈そうな軍服の上からでもわかる豊満な胸は、間違いなく彩葉よりも大きい。そんなことを考えていると、寝不足で思考能力が低下していることも重なり、益々集中できなくなる。


 あぁ……。軍曹のせいで、この先キアラを見て変に意識しちまいますって!


「だぁっ! 軍曹! とりあえず、この話は今はやめましょう! 生きるか死ぬかの戦争で、この先どうなるかわからないんスから!」


 ボクは、どうしても言葉に力が入ってしまう。


「君らは、天使様の予言で、戦争を無事に切り抜けるんだろう? そんな大きな声を出さずに、一旦落ち着けって……。敵に気付かれちまう」


「す、すんません……」


 そうだった……。


 見張りが大声を出して敵に見つかったら本末転倒だ。けれど、これは、クラッセン軍曹が、変なことを言うから……。


「さぁて、言いたいことは伝えられたから、もうひと踏ん張り見張りを続けますかね」


「り、了解っス……」


 ボクは、クラッセン軍曹に返事をし、改めて双眼鏡を手に取って市街地の方を見つめた。しかし、周りが静かになると、ボクの頭の中にクラッセン軍曹の言葉が蘇ってくる。。


 ボクに対するキアラの好意。キアラの豊満な胸。何だか無性にモヤモヤする。ボクには、アスリンという人がいるというのに、浮つく心に掻き乱されて。


 確実にキアラを意識しちまっているじゃないか、今のボクは……。



 ◆



 それから約二時間後。


 ボクたちは、王都の鷹の使者に従って武装親衛隊の警備を掻いくぐり、アーラ地区の銅鉱山にある彼らの拠点に到着した。そして、拠点に到着したボクたちは、王都の鷹の幹部たちやマンシュタイン大佐率いる国防軍の生存者たちに合流することになるのだけど……。


 そこでの出会いと再会は、必然だったのか、それとも、運命の悪戯によるものなのか。


 ボクがその答えを知る日は、たぶん永遠に訪れることがないだろう。

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