第4部 神器争奪編
第1章 戦線は西へ
第132話 レンストリウムの花束を
今日は、帝竜暦六八四年二月二日。
長い雨の季節が終わりを告げ、アルザル特有の緑がかった青い空から、リギルとウルグの陽光が心地よく降り注ぐ。
早いもので、リーゼルが亡くなったドラムダーグ線の戦いから、今日で丁度二ヶ月になる。
二月の気候といえば、ヨーロッパの山岳部やカルテノス湾を隔てた大陸南部の地方は、一面が雪に覆われる極寒の季節となる。ところが、温暖な気候のレンスターの二月は、早朝でも薄手の長袖を一枚羽織っていれば寒さを感じることはない。私が実の両親と暮らしていた、地中海に浮かぶマリョルカの気候とよく似ていた。
そしてここは、レンスターから約十キロメートル東に位置する『追悼の丘』と呼ばれる小高い丘の中腹。
私は、幸村さんが運転する側車付きのモトラッドR75の後部座席に乗せてもらい、追悼の丘まで連れて来てもらっている。この追悼の丘は、レンスターが国を挙げて造成した、東フェルダート戦線の戦没者のための墓所だ。
私がここへ来た目的は、亡くなった父とリーゼル、それから共に戦った戦友たちに花を
この辺りは、まだ治安が回復していないらしく、野党化した敗走兵が
なんだか二人の方が、私よりも軍人らしい。
右目と右足に障害を負った私は、空路を用いてレンスターを訪問中のパトリック・フォン・ノイラート国防軍司令官の権限で、一月三十日付けを以て国防軍から除籍された。
私の右目は、眼窩に宿る炎天使ラハティのルーアッハを取り出す際に、眼球ごと除去せざるを得なかったらしい。けれども、私の右目は、生体に転用可能なオートマタ用の義眼が装着されたことで、失明を免れていた。実は、この義眼は、私の意思で自在に調整できる望遠と暗視機能が備えられており、人間の目の何倍も優れた性能を有している。
ただし、その見た目は、人の目の形状からかけ離れているため、子供が見たら大声で泣き出してしまうだろう。私自身、初めて鏡で自分の顔を見た時に、思わず泣きそうになったくらいだ。義眼の形状は、白目の部分が黒い樹脂と金属の混合物で形成されており、中央に赤く光る映写機のような小型のレンズがついている。
その義眼に比べれば、私の右足の障害はそれほど目立たない。もう走ることはできないけれど、天使アナーヒターの治癒の呪法のおかげで、杖などの支えになるものがあれば、長時間歩けるまでに回復していた。
私は、体に後遺障害が残ってしまったことを恨んだりしていない。むしろ、皆さんが全力で私を助けてくれたことと、こうして再び一緒にいられることを心から感謝している。私は、自らの復讐のために一度生きることを放棄して炎天使ラハティに身を捧げてしまった。この体の障害は、その報いだと自覚している。
私のような戦傷を負って除籍となった軍人は、本来であればすぐに本国へ送還される決まりだ。私がレンスター滞在を許されているのは、ヘニング大尉が私の希望を上層部に強く進言してくれたおかげだった。
私は、元々マリョルカの貧しい漁村で育った異国の戦災孤児。シュトラウス家の地位と財産は、養女の私ではなく、父の縁戚にあたるリンデンブルグ家に引き継がれるだろう。ネオ・ベルリンへ帰ったとしても、重い障害を負った私の居場所なんて、きっとすぐになくなるはずだから……。
◆
「ここからは、歩きになっちゃうけど……。キアラ、大丈夫そうかい?」
R75を停車させた幸村さんが、顔だけ後部座席の私に振り向いて声を掛けてきた。
「えぇ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、幸村さん」
私が幸村さんに礼を伝えると、彼は私に笑顔を見せて頷いた。
幸村さんは、『裁きの弾丸』で私を撃ったことに対して、強く責任を感じていることが伝わってくる。私は、幸村さんに感謝しているだけに、あまり気を遣われると心苦しい。けれども、心苦しさと裏腹に、幸村さんの真っ直ぐな優しさが嬉しかったりもする。
「キアラ、ちょっと待ってて。私が手を貸すわね」
私がモトラッドの後部座席から降りようとすると、アスリンさんが私を呼び止めた。アスリンさんは、そうに言うなり側車から飛び降りて、私の左隣から白くて可憐な右手を差し伸べてくれた。私は、素直にアスリンさんの好意を受け入れることにした。
「ありがとうございます、アスリンさん」
「どういたしまして」
私は、アスリンさんに支えられながら、モトラッドの後部座席から地面に降りた。それから、腰のベルトに添え付けた杖を右手に持ち替えて、追悼の丘の頂上から周囲を一望した。
追悼の丘は、祭壇のある大きな石塔を囲むように、五千基に及ぶ墓碑が建てられている。この中のどこかに、私の父とリーゼルの名が刻まれた、第二〇二装甲師団の集合墓碑があるはず。
さらに視線を遠くへ移すと、眼下に広がる葡萄畑の先に、レンスターの城郭がはっきりと見えた。そのレンスターの街から、北東へ向かう街道上に、一直線に伸びる黒い点。たぶんこれは、雨の季節が終わりを告げ、陸路が回復したことで活動を始めた、隊商の列なのだと思う。
「どうしたの、キアラ? 何か気になるものでも見つけたのかしら?」
アスリンさんが、不思議そうな表情で私に問い質してきた。
「あ……。別に、たいしたことじゃないのですが……。レンスターから北東へ向かう街道にいるのは、隊商の列かと思いまして」
「へぇ……。ボクには何も見えないけど、キアラは目がいいんだね」
私がアスリンさんに答えると、幸村さんが驚いた口調でそう言った。
「はい。昔から、視力だけは自信がありました。実は、視力を買われて
「るふと……ば??」
日本語を覚えたアスリンさんは、彼女と同じく日本語が話せる私に『翻訳の精霊術』を使っていない。そのため、私が使った専門的なドイツ語の単語の意味が、アスリンさんに伝わらなかったのだと思う。
「そうか、アスリンは、キアラのドイツ語に翻訳の精霊術を使っていなかったね? ルフトバッフェというのは、ヴァイマル帝国が持っている空の軍隊だよ。アスディーグが追い払ってくれた、あの空の鋼鉄竜たちのことさ……」
「なるほど……。そういうことだったのね」
幸村さんが、私に代わってわかりやすく説明してくれたことで、アスリンさんに空軍の意味が伝わったようだ。
「ところでさ、キアラ」
「はい、改まって何でしょう?」
「キアラが義眼の望遠を使えば、遠くに見える隊列の正体が、ハッキリするんじゃない?」
「そ、それは……。そうなんでしょうけど……」
私は言葉を詰まらせてしまった。親しい間柄の人でも、この義眼は見せたくなかった。怖がられたり軽蔑されたりするのが嫌だし、何よりも凄く恥ずかしい。ただ、素直な幸村さんは、悪気があって言ったわけじゃない。それはわかっている。
「ちょっと、ユッキー。そんなデリカシーのないことを言っていると、また彩葉に怒られるわよ? 純粋な乙女が、顔に負ってしまった傷を見せたくない気持ち。そういう気持ちが理解できないと、いつまでたっても好きな女の子に振り向いて貰えないわよ?」
私が戸惑っていると、アスリンさんが幸村さんに詰め寄って、やや強めの口調で指摘した。たしかに幸村さんは、時々デリカシーがない発言をすることがある。けれども、それは、場を盛り上げようとしたり、単に根が素直なだけ。本当に幸村さんは、フォルダーザイテ島基地上空で行方不明になってしまったリンケ二等兵によく似ている。
ただ、想いを寄せる女性から、その言い方で指摘を受けたら、さすがに幸村さんだって動揺しているはず。幸村さんが好意を抱いている女性は、当のアスリンさんなのだけれど……。アスリンさんは、幸村さんの気持ちに気がついていないのだろうか?
「げ……。ご、ごめん、キアラ……。そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど……」
「あ、いえ。私の方こそ、変に気遣わせてしまって申し訳ありません! 私は、お二人に嫌われてしまうことを恐れていただけで……」
私は、幸村さんをフォローした。私は、幸村さんの想いを、可能な限り応援したいと思っているから。
「何を言ってるんだよ、キアラ! ボクは、キミのことを嫌いになったりしないさ!」
「私もよ、キアラ。彩葉とハルだって、私たちと同じ。だって私たちは、特殊魔導隊の仲間じゃない。だから、安心して大丈夫よ」
「ありがとうございます。お二人がそう言ってくれると心強いです」
私は、笑顔で私に答えてくれた二人に、頭を下げて感謝した。仲間と言って貰えたことが、心の底から嬉しかった。そして、動揺していた幸村さんは、もう立ち直ったみたいだ。切り替えが早いところも、幸村さんの長所の一つ。
「さぁ、二人とも。いつまでもここで話しているわけにもいかないし、訪問騎士団の墓碑がある地区へ向かいましょ」
アスリンさんは、私と幸村さんに追悼の丘へ来た目的を促すと、墓碑に手向けるためのレンストリウムの花束を側車の足元から取り出した。レンストリウムは、レンスター地方を原産とする、楚々とした白い花を咲かすユリ科の植物で、主に献花や香料に用いられる。
その花言葉は、平和、慈愛、そして、別れ。
「そうだね。今日も陛下の警護をしているハルと彩葉に、昼までに戻ると伝えてあるし、先を急ごうか。アスリン、ボクが護身用のライフルを持つよ」
「了解よ。ユッキー、お願いするわね」
「任せておいて!」
幸村さんは、アスリンさんの返事に満足そうに頷くと、側車の側面に添えつけられたカラビナー98kを取り出して肩に担いだ。
「それじゃ、キアラ。行きましょう。こっちよ。ゆっくりでいいからね」
「はい」
私は、レンストリウムの花束を両手に持ったアスリンさんに返事をし、先頭を進み始めた彼女の後に続いて歩き始めた。
◆
「着いたわ。ここが、訪問騎士団の兵士達の墓碑よ」
モトラッドから降りて、アスリンさんの先導で歩き始めてから、十五分くらい経っただろうか。アスリンさんが歩みを止めて私に振り返り、第二○二装甲師団の戦没者たちが眠る墓碑に着いたことを知らせてくれた。
アスリンさんの右前方二十メートルくらいの場所に、上部に素朴な十字架が掲げられた、三メートルほどの高さの集合墓碑が建っているのを見つけた。
本来、プロテスタントは、個ごとに死者を弔うため、集合墓を建てる風習がない。けれども、ここは地球から遠く離れたアルザルの辺境の国。プロイセンの諺に『他の国々、他の習慣』というものがあるように、その土地の風習に倣うことは当然だと思う。墓碑を建て、丁重に死者を弔って頂けたことに、感謝の意を表さなければならない。
「アスリンさん、ありがとうございました。このような立派な墓碑……。レンスター公王陛下に感謝しなけばなりませんね」
ここが、父とリーゼルが眠る場所……。
私は、第二○二装甲師団の墓碑へ歩み寄った。墓碑の上部に、ヴァイマル帝国のシンボルである翼を広げた黒鷲が彫られており、そのシンボルの下に戦没者の名前が、階級順にフラクトゥール書体のアルファベットで刻まれていた。文字を彫ったのは、元石工職人の六小隊に所属するハルトマイヤー上等兵だろう。
墓碑の最上部に刻まれた戦没者の名前は、ジークフリート・ヨハネス・フォン・シュトラウス。紛れもなく父の名だった。そして、父の名前から四人目のところに、リーゼルの名前が刻まれていた。
こうして墓碑に刻まれた家族の名前を見ると、改めて大切な人たちの死が、現実のものとして突きつけられる。
「はい、キアラ。手向けのレンストリウムよ」
「ありがとうございます、アスリンさん」
私は、アスリンさんが準備してくれた献花用の花束を受け取り、献花台の前まで進んだ。そして、墓碑に一礼してから、白く美しいレンストリウムの花束を献花台に添え、左目を閉じ両手を合わせて祈りを捧げた。
私の祈りは、プロテスタント形式で神に対して捧げた祈りではない。幸村さんに教えてもらった、死者の魂に想いを伝えるという、日本の風習に習った祈りだ。
お父様、リーゼル。
私たちは、東フェルダート戦線を制し、その任務を果たしました。
ですから、安心してお眠りください。
いざ、目を閉じて死者に想いを伝えようとしても、あまり上手く言葉が思い浮かばない。ただ、楽しかったリーゼルとの思い出や、いつも私に笑顔で接してくれた優しい父を想うと、私の左目の奥からじわじわと熱いものが込み上げてきた。
顔を上げて目を開けると、私を見つめる幸村さんと目が合った。
「どう? お父さんやリーゼルさんに、ちゃんと伝えられたかい?」
「上手に伝えられたと言えませんが……。それでも、私の胸中の二人に、私の想いが届いた……。そんな気がします」
私は、左目の目尻に溜まった涙を拭いながら、幸村さんに答えた。
「それなら、良かった」
幸村さんは、私に笑顔で頷いてくれた。私は、幸村さんの笑顔に釣られて、彼に笑顔を返した。時々腹立たしいこともあるけれど、私は幸村さんのこの笑顔が嫌いじゃない。
もしも、私が激動の時代を生き残り、地球に留まっていたとしても、生まれた国と時代が異なることから、幸村さんと出会うことはなかっただろう。そう考えると、時を超えて、アルザルで同世代として出会えたことが、本当に不思議でならない。しかも、私の方が年下だなんて……。
「ね、ねぇ、二人とも! あ、あれって……」
アスリンさんが、突然驚いたような声を上げて南東の空を指差した。私と幸村さんは、互いに顔を見合わせ、二人同時に南東の空を見つめた。そして、いつの間にか上空にいた二機の飛行物体を見て驚かされた。
それは、大型輸送機ギガントの半分くらいの大きさで、大きな皿が三枚重なったような円盤型をしている。また、円盤の外部に、様々な色の灯火を無秩序に発光させ、均等の速度でレンスターの上空を目指して進んでいた。
三重の皿のような円盤部分は、よく見ると上部と下部が時計回りに回転しており、真ん中の部分が反時計回りに高速で回転している。大きさ的に大きな動力音がすると思う。ところが、レシプロエンジンのような駆動音すら立てず、無音で空を移動している。
私は、天使シェムハザの言葉を思い出した。たぶん、あれが天使アナーヒターのヴィマーナを母艦とする、サウバブラという戦闘艇なのだと思う。たしか、諜報活動を続けている二柱のグリゴリの戦士が、近いうちに合流すると言っていた気がする。
「あ、あれが、シェムハザが言っていたサウバブラ……、なのかな?! だとしたら、仲間ってことだよな?」
空飛ぶ二機の円盤を見つめる幸村さんが、誰に言うでもなく声を震わせながら呟いた。
「たぶん、そうだと思います。天使シェムハザは、フェルダート地方西部で諜報活動を続ける仲間たちが、そろそろ合流すると言っていましたし……」
「そうね……。確証はないけれど、あの飛行体から敵意は感じられない。二人が言ったように、残りのグリゴリの戦士たちが、あれに乗っているのだと思う。いよいよ、アストラを手に入れるための準備ができたとみるべきね。そうなると、ハルたちが西へ発つ日が近いのかもしれないわね」
アリゼオ王国のジュダ大聖堂の地下に保管されているアストラ。しかし、アリゼオは、陸路にてフェルダート地方へ進軍した主力旅団の占領下に置かれている。つまり、事実上、大天使ラファエル率いるパワーズが、アストラを手にしているということになる。
一方で、星読みの天使シェムハザ率いるグリゴリの戦士が、回収したルーアッハと雷天使ラミエルの力を強く受け継いだハロルドさんのルーアッハを含めて、六つのルーアッハを手にしている。
どちらにしても、両者が激突するのは、時間の問題だ。もし、話し合いで解決できるなら、最初から戦になっていないはず。私は、この大事な局面で、何もできないことが堪らなく辛かった。ただ、皆さんの足を引っ張るわけにいかない。もう少し、幸村さんたちとレンスターで一緒にいられると思ったけれど、それもここまでみたいだ。
「まったく天使ってのは、前触れもなく気まぐれというか……。アスリン、キアラ。今日は、忙しくなりそうだし、追悼の丘へ来たばかりだけど、レンスターへ戻ろうか」
幸村さんが、私とアスリンさんを見つめ、レンスターへ戻ることを提案した。
「わかったわ、ユッキー。キアラ、歩き通しだけど大丈夫かしら?」
「もちろんです。レンスターへ急ぎましょう」
私は、アスリンさんに力強く答えた。そして、もう一度、父とリーゼルの名が刻まれた墓碑を見つめ、故人の魂に語りかけた。
お父様、リーゼル。
戦線は、西へ拡大しようとしています。私の大切な仲間たちが、世界を厄災から守るために、再び戦地へ足を踏み入れようとしています。
お願いします。どうか、彼らを見守りください……。
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