第107話 現世と幽世

 私とハルは、アナーヒターに連れられて、稼働していないオートマタの収納庫を訪れた。ここへ来た目的は、ハルが雷属性の呪法を当ててシャストラを起動させるためだ。このオートマタの収納庫は、特殊な金属と機械の質を保護するために高濃度のマナで満たされている。そのため、彩葉とユッキーは、この収納庫に入ることができない。


 なぜなら、魔術の心得がない者が、高濃度のマナを全身に浴びてしまうと、体内でマナを制御できずに著しく体調を崩し、最悪な場合、呼吸が停止して死に至ることがあるからだ。


 そうなると、ハルと別行動を強いられることになった彩葉の機嫌は、必然的に損なわれてしまうわけで……。


 そんな彩葉の不満を解消するために、無類の音楽好きだと称するアナーヒターは、彼らと同じ嗜好である音楽の話題を提供し、ドラゴンズラプソディの演奏披露を要求した。演奏に必要な楽器類は、アナーヒターが収集したアルザルとテルースの様々な時代の楽器を自由に調律して使って良いとのことだった。


 そのような経緯があって彩葉たち四人とシェムハザは、演奏するための楽器を選ぶために、アナーヒターが音楽を愉しむためのアトリエに向かっている。今頃、楽器の音を合わせながら準備をして、私たちの合流を待っている頃だと思う。


 それにしても、ヴィマーナ内の通路は、ただひたすらに無機質な空間が続いており、気持ちが落ちつかない。開口部は一切なく、形と大きさが統一されたパネル状の天井や鏡面のような壁と床。しかも、これらの材質が金属なのか石材なのか全くわからない。


 慣れない環境に周囲を警戒しがちな私に対して、ハルは先頭を歩くアナーヒターの後ろ姿をジッと見つめたまま彼女を追って歩いている。ハルたちが生まれ育ったテルースの世界は、高度な文明が栄える世界だ。ハルが落ち着いたままでいられるのは、ここに似た場所がテルースに存在しているからなのだと思う。


 アナーヒターが少し色の違う壁の前で立ち止まると、一瞬風が吹き抜けるような音がして、壁に容易に人が出入りできる大きさの穴が開いた。その先は、薄暗い部屋になっている。どうやらここが目的の収納庫で、この壁に開いた穴が入口に違いない。


 それからアナーヒターが収納庫の入口の壁にある突起物のようなものに手を近付けると、薄暗かった収納庫の中が明るくなった。照明があるわけでもないのに、部屋全体に光が灯されるのは、天井のパネルに光のオーブのようなものが施されているのかもしれない。


 天使の魔術を融合した文明技術は、ヴァイマル帝国の鋼鉄竜以上に驚かされる。その中でも、私が一番衝撃を受けたのは、私たちをヴィマーナ内に誘導したリグや、これからハルが起動させようとしているオートマタの存在だ。


 オートマタは、まるで本物の生き物のように自我を持って動きまわる、円筒形の不思議な金属製の人形だ。クロノス魔法帝国の遺跡で遭遇する、ガーゴイルなどの魔法生物と違って、無機質なオートマタからは、微量の魔力しか感じられない。また、ジュダ聖教の経典で禁忌とされる、人や動物の亡骸を操る死霊術とも異なる。


 オートマタの原動力は、ユッキーのスマホや彩葉のオーティオプレイヤーなどと同じ、雷属性の中に含まれる『電気』というエネルギーが媒体となっているらしいのだけれど……。私には、残念ながらその仕組みがよくわからない。


「ハロルド、アンタに起動をお願いしたいシャストラは、コイツさ。胴体のガラスの脇にある丸い金属に触れて、少し強めに呪法を使って貰いたいんだけど……。起動時に、それなりの電気的な力が必要でね。そうさね、ヴァイマル帝国の戦車を吹き飛ばすくらいの威力で頼むよ」


 アナーヒターは、収納庫の中央にある台座で横たわるオートマタを指差して、ハルに指示を出した。


「わかりました。早速やってみます」


 ハルは二つ返事でアナーヒターに応じ、無機質な金属質の塊に右手を添えて雷属性の呪法をゆっくりと浴びせた。


 すると、ただの円筒形の鉄の塊だったシャストラは、青白い淡い光に包まれ、やがて小さな色鮮やかな光がいくつも灯り、『ピピッ』というユッキーのスマホに触れた時の音に似た不思議な音を発しだした。ただ、すぐに動き出す様子は見受けられない。


「こんな感じで良かったですか?」


 光が灯ったシャストラを見つめながら、ハルがアナーヒターに尋ねた。


「上出来だよ、ハロルド。後は、時間が経てばシャストラは勝手に起動する。シャストラがアタシのヴィマーナを認識するまでの時間を考慮すると……。そうだね、だいたい三、四時間で仕上がるだろう。とりあえずハロルド、協力に感謝するよ」


 ハルの隣でその様子を見守っていたアナーヒターは、ハルを見つめて満足そう微笑みながら頷いた。


 これでシャストラは、時間が経てば動くようになるらしい。


 シャストラの見た目は、ヴィマーナのエントランスで接触したリグと変わらない。異なるところを挙げるなら、白色を基にしたリグの色と異なり、シャストラは全体的にアヌンナキの目の色のように赤黒い。


 このままシャストラが動きだすまで見ていても飽きないかもしれない。


 ガラスの中で青く光っている球体の電光は、生命でいうところの魂に該当したりするのだろうか。ずっと昔、まだ私が幼い頃。母に連れられて訪れたアリゼオの王立博物館よりも興味深い。


「どうしたんだい、アスリン? アンタは、長いこと人間社会で暮らしているのに、オートマタを見るのが初めてなのかい? 随分と興味を示しているみたいだねぇ?」


 アナーヒターは、私を見つめてそう言うと、バスローブのポケットから煙管きせるを取りだし、乾燥させて煎じたカシギの葉に火を点けた。そして、大きく息を吸い込んでゆっくりと煙を吐き出す。甘い香りが特徴のカシギの葉の煙は、マナの調律と回復作用があることで有名な代物だ。


 私は、オートマタを夢中で見入っていたのかもしれない。興味を示していたことが、完全に悟られている。恥ずかしいけれど、ここで反論しても仕方がない。私がアナーヒターの目をジッと見つめると、彼女は目を細めて不敵な笑みを浮かべた。


「そうね。天使たちの道具は、実に興味深いわ。あなたが言った通り、オートマタを見るのは、今日が初見よ。ヴィマーナ自体、遠くの空を飛んでいるところを見たことがある程度。こうして会話をしたアヌンナキは、シェムハザを含めてあなたが二柱目ふたはしらめだもの。もしも、私が世界を監視するあなたたち天使と親睦を深めていたならば、手土産にリグなどを頂けたりしたのかしら?」


 天使ことアヌンナキは、エルフ以上に閉鎖的な種族だ。フェルダート地方で有名なアナーヒターでさえ、ジュダ聖教を通じなければそうそう会えるものではない。そのせいで、天使たちの存在を誰もが知っているのに、噂や伝承でしか人々の間に伝わっていない。


 ただ、明らかに言えることが一つある。それは、天使が世界の秩序を監視し、絶対的な力で恩恵や恐怖を与え、人々を見えない鎖で縛りつけているということ。


「フフッ……。そうだったのかい。好奇心旺盛なアンタだったら、ジュダ聖教の高司祭を頼って、一度くらいヴィマーナに乗ったことがあるのではと思っただけさ。それから、仮にアヌンナキと親睦を深めても、アンタらにオートマタを提供できないよ。必要以上にアタシらの技術を人間たちに提供してはならない。それが、ヤハウェの掟でね。人間やドワーフは、定命の者であるにもかかわらず、知恵が高く手先が器用で優秀だ。良くも悪くも、探求心と物欲が強く、何よりに対する執着は、竜族のよりも強い。だから、アヌンナキの力を欲しがり、そして越えようとする。その度に、神の炎とうたわれたミカエルが、人類社会のを繰り返してきた……。と、いうわけさ」


  人類とアヌンナキの関係を語るアナーヒターは、煙管を口元に移動させて気持ち良さそうに煙を吸い込んだ。


「修正ってのは……、力をつけ過ぎた人類を滅ぼすということ……、ですか?」


 ハルが怪訝そうな顔つきでアナーヒターに質問した。


「滅亡に追い込むことはないさ、ハロルド。そんなことをすれば、アタシらアヌンナキは、人類という貴重な労働力を失ってしまうからね。現生人類の祖たるアルザルのシュメルの民やテルースのアーリアの民は、アヌンナキがヤハウェの命で、人類や亜人種たちの遺伝子を掛け合わせて創造した種族。だからヤハウェは、人間たちのことが可愛いのさ。ただし、その配合の度に大勢の人類の命が失われていたことは、たしかだね……。滅びちまった種族だってある。だけど、それはもう過去の話ってヤツさ」


「ちょっと待ってください! 俺たち人間がアヌンナキに創りだされた労働力みたいな言い方をされたら、それじゃまるで飼育されている動物と同じじゃないですか……」


 アナーヒターが言った人類の起源が本当なら、ハルのいう通りなのかもしれない。


「アンタがそう思うなら、そうなんだろうねぇ。これもヤハウェの掟なのさ、ハロルド。シェミーから聞いてなかったかい? それでもアヌンナキは、アンタら人間たちに寛大な対処をしているつもりだよ? その証拠に、アンタらの自由な生活と社会を虐げたりしていないだろう? 別に人間たちを取って食うわけではない。ヤハウェの稼働に必要なだけの鉱石を掘ってもらっているだけさ。アンタら人間だって、生きる目的のために下位の定命なる生物を育て、それを殺めて糧としたり労働力として使うだろう? そして、それを当然のこととし、抵抗すら感じていない。それと同じことさ」


 ハルは、アナーヒターが言ったことを理解したのだと思う。複雑な表情のまま黙って俯いてしまった。私たちエルフ族は、アヌンナキの手が加えられていない種族だとしても、結局のところ人間やドワーフと同じように、天使たちの支配下で生かされているということになるのだろう。


 やはり、私は天使のことを好きになれそうにない。


「そんなあなたたち天使は、不用意に力をつけた人間たちだけでなく、同族の天使ですら監視し、ヤハウェの掟に従わない疑惑があるだけで堕天と見なして排除する臆病な種族だとシェムハザから聞いているわ。先程あなたが言った過去の話というのは、ラファエルたちの一党にミカエルという天使が排除されたということかしら?」


 私は、アナーヒターの言葉の中で、疑問に感じた点を彼女に直接尋ねた。ハルが驚いた様子で私を見つめた。


「アンタのいう通りさ、アスリン。あれは、三度前の厄災の頃だったかねぇ。ヤハウェに叛逆の意図があるとラファエルに容疑をかけられたミカエルは、既に現世うつしよには存在しておらず、肉体を奪われ聖霊を幽世かくりよに送られて封じられているのさ。ただ、完全に消滅したわけではないけれどね。アヌンナキは、アンタら定命の者たちと違い、肉体と精神と魂の三つが合わさることで生命を維持しているわけではない。意思と記憶の素粒子が融合した聖霊こそが本体だからね。その話くらいシェミーから聞いているだろう?」


「たしかに聖霊が本体であることは聞いています。現世と幽世……。それは、この世とあの世みたいな感じですか?」


 アナーヒターの説明を聞いたハルが、疑問点を彼女に質問した。


 アナーヒターが言った話は、精霊使いが初期に学ぶ、世界のことわりである次元の構造の話になる。現世とは、私たちが存在する物質界。幽世とは、私たち精霊使いが契約を交わす精霊が住む精霊界だったり、亡者の魂が向かう冥界と呼ばれる場所のことだ。


「アンタらの言葉で言うなら、それが近いかもしれないね。現世に住む定命の者が死すれば、肉体から解放された精神と魂の融合体であるアニマが幽世へ還る。そして、時を経るとアニマは精神と魂に分解され、やがてまた肉体と精神と魂が融合して、現世で新たな生命として誕生するわけさ。稀にアニマが分離されないまま、新たな生命として現世に誕生することがあるのだけど、それが前世の記憶ってヤツなんだろうね。アタシらグリゴリの戦士の一柱、ティシュトリアってのがその研究に夢中でね」


「なんだか、まるで死後の世界と輪廻転生じゃないか……」


 ハルがジュダの訓えにあるような言葉を、誰に言うとでもなく呟いた。アナーヒターは、ハルを見てほくそ笑みながら、私に問いかけてきた。


「それから、アスリン。精霊使いであるアンタは、幽世が定命の者にとっての死後の世界に限定されているわけではない。それはわかっているね?」


「えぇ、あなたが言う幽世とは、精霊たちが住む精霊界でもある。そういうことよね?」


 私がアナーヒターの質問に答えると、彼女は、煙管を咥えたまま満足そうに頷く。ジュダの訓えでは、私たちが生きる物質界が現世と呼ばれ、精霊や魂が生きる精霊界が幽世と呼ばれている。そのことは、私も知っていた。


「その通りだよ、アスリン。幽世は、現世と異なり時空と時間に縛られない無限に広がる次元なのさ。アタシらが竜族の生体エネルギーを媒体に使うシンクホールもこの仕組みを利用している。それに、ニビルの接近でカタストロフを超えて現れるレプティリアンも、元はこの幽世からやって来ているってわけさ。だから、厄災の度にレプティリアンを撃退しても、奴らは幽世に還るだけ。また次の厄災に現れる……。その繰り返しさ。本当にキリがない」


 アナーヒターは、溜め息を漏らしながら悔しそうに言った。いつも説明が足らないシェムハザと違い、アナーヒターの話の方が断然わかりやすい。


「何となく、色々なことがわかりましたけど……。まだ、正直実感が湧きませんね……」


 動揺を隠しきれないハルは、首を横に振りながらアナーヒターに率直な感想を述べた。


「アンタらは、まだまだアタシに聞きたいことがあるだろうけど……。今はまだ、アタシらもアンタらに全てを語るわけにはいかない」


「それも、ヤハウェの掟かしら?」


「もちろん、それもあるさ。それ以外に、アタシらアヌンナキの間で、やんごとなき取り決めがあるからね。いつかは、アタシらだって滅びの時が来るのだろうけど、こうして現世にいられるうちは、生きる者同士で約束事を守って共存しなけりゃならないからねぇ」


「共存……。そうかもしれないわね。この世界で生きるということは、互いに支え合いながら生きなければならない。皆、誰もが一人では弱いのだから……」


 私はアナーヒターの言葉に相槌を入れた。天使独特の傲慢な態度も時々見受けられるけど、豊穣の天使は、の弱さと限界を知っているように感じられた。だから彼女は、話に聞く天使たちと異なり人間味があるのだと思う。


「アナーヒター。あなた方は、滅びが来ることを懸念しながら、わざわざ現世で生きなくても、時間と次元に縛られない幽世でも生きられる。なぜ、デメリットがある現世で生きることを選ぶのです?」


 ハルがアナーヒターに鋭い質問をした。ハルが質問した答えは、私も気になるところ。アナーヒターは、しばらく黙ったままだったけど、ジッと彼女を見つめるハルにゆっくりと頷いてから口を開いた。


「それは、長い孤独の果てに、ヤハウェがアヌンナキを作りだしたからさ。アタシらの最大の使命は、現世でヤハウェを孤独にさせないためだよ。まぁ、二次的なアヌンナキとされるアタシが言うのも可笑おかしな話だけれどね……」


 自嘲気味に笑いながら答えたアナーヒターの意味深な言葉が引っ掛かる。


「二次的……、どういう意味なの?」


 私はアナーヒターに尋ねた。


「フフッ……。少し喋り過ぎちまったかねぇ。また話せることは、追々話してやるさ。それよりも、あの子たちも演奏の準備ができているだろうから、アタシのアトリエに行くとしようじゃないか」


 アナーヒターは、笑みを浮かべて私の質問をはぐらし、私たちに背を向けると収納庫の入り口に手を当てて扉を解放した。そして、私たちの方に顔だけ向けて軽く頷き、黙って通路を歩き始めた。


 アナーヒターが言った通り、私は知りたいことがたくさんある。ハルは、私以上に知りたいことがあるはずだ。属性八柱などという厄災に抗う運命を背負い、竜戦争の爪痕に巻き込まれてしまっているのだから。


 ハルは、私を見て黙って頷いた。今は、豊穣の天使の言葉に従おうという合図だ。


 それから私とハルは、アナーヒターの後に続いて彩葉たちが待っているアナーヒターのアトリエへ向かった。

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