第103話 星読みの旅
レンスターが勝利したパッチガーデン会戦から一夜明けた早朝。
私たち特殊魔導隊は、再び輸送用の大型の鋼鉄竜ブリッツに乗って、豊穣の天使アナーヒターが雨の季節に滞在するレターケニ山を目指して出発した。
今日も生憎の雨で視界は良くない。雨季なので仕方がないことだけど、こんな天候がまだ一カ月以上も続くと思うと憂鬱になる。
騎士諸侯は、キアラとリーゼルの二人をエディス城に残留させて、エディス線の防衛に就くことを望んでいた。昨日の二人の活躍を見れば当然の意見だと思う。特に、ドラゴニュートの光の魔術師リーゼルは、一個軍団に匹敵する圧倒的な戦闘能力を所持しているのだから。
しかし、私たち特殊魔導隊は、天使シェムハザを支援するという公王陛下からの特命を受けている。予定通りであれば、私たちはパッチガーデン会戦に参加せず、既にアナーヒターと接触しているはず。これ以上の遅れや予定を変更するわけにいかない。
また、彩葉とハルが昨日接触したドラッヘリッターの女士官は、シェムハザを『黒の天使』と呼んで敵視していたらしい。
リーゼル自身は、シェムハザの存在だけでなく、厄災のことも知らなかったというのに……。
同じドラッヘリッターでありながら、情報を共有せずに持ち得ている知識が違うことに違和感を感じる。そして、ヴァイマル帝国の背後にいる大天使ラファエルたち。その存在は、本当に不気味だ。
◆
「はぁ?! 敵と戦うための呪法が使えないだって?!」
昼食後の雑談の中で、攻撃的な呪法が使えないことを私たちに打ち明けたシェムハザ。その突然の告白に驚いたユッキーの声が、街道脇に停車したブリッツの中で響き渡った。ユッキーだけではない。私を含めた全員が、シェムハザの発言に衝撃を受けていた。
「アヌンナキが、必ずしも戦闘に秀でているわけではないからのぅ」
シェムハザは、当然のことのように目を丸くしたユッキーに答えた。
私は、全ての天使が戦闘員ではないことを知っていた。しかし、グリゴリの戦士を率いると言っていたシェムハザが、まさか攻撃的な呪法を使えないだなんて……。その癖に、自称戦士だとか馬鹿にするにも限度がある。
もしも、昨日のパッチガーデン会戦で、エディス城に敵が迫って来ていたら、シェムハザは、どうするつもりでいたのだろうか。
「シェムハザさん、それだと戦闘になったらボクよりも役立たずってことっスよ……?」
「そう身もふたもないことを言うでない、ユッキーよ。誰にでも得手不得手があろうに……。いざとなれば、ワシだって牙と爪があるからの」
ブツブツと皮肉を言うユッキーにシェムハザが欠伸をしながら答えた。
「牙と爪って……。それ、普通のヤマネコと同じじゃない?」
彩葉は、呆れた顔でシェムハザにそう言いつつも、彼女の足元で寝そべるヤマネコの喉元を撫でている。猫好きな彩葉の行為に身を任せ、喉をゴロゴロと鳴らすシェムハザは、もうただの大きな猫にしか見えない。これが天使かと思うと、見てる私の方が情けなくなってくる。
「まぁ、そうかもしれぬが……。だが、月並みの人間が相手ならば、そう簡単にやられたりせぬがのぅ」
苦し紛れに弁論するシェムハザ。コノートヤマネコは、人間から害獣と恐れられる大型の肉食獣だ。武器を持たない人間が相手なら、簡単に勝てるでしょうけど……。ヴァイマル帝国は、銃火器というテルースの強力な飛び道具を使ってくる。ただの人間とは訳が違う。
「ねぇ、シェムハザ? あなたは、属性八柱を含めたグリゴリの戦士たちを率いているのよね? 攻撃的な呪法が使えないあなたが、レプティリアンを相手に戦えるの? それとも、何か別の呪法を使って支援する感じかしら?」
私は、不安と疑問を直接シェムハザにぶつけた。
「ここでワシの呪法のことを伝えるのも、良い機会なのかもしれぬの……。ワシの呪法は、『星読み』と呼ばれる時間属性の呪法での。これには、三通りの使い方があっての。最も利用頻度の高い使い方は、ある事象を実行する前に、その結果を知り得ることでのぅ」
私の質問に、シェムハザが得意気に語った。
「それって……、未来が見えたり……、するのか?」
シェムハザが語った星読みについて、ハルが恐るおそる質問した。
「いかにも。しかし、ワシ自身に見える未来は、手短な事象の結末までに限られておるがの。さすがに長きに渡る事象の結末までは読めぬ……。星読みの三通りの使い方のうち、一つは、今しがた汝らに伝えた通り、行動の結果を事前に知るもの。もう一つは、星読みという名の通り、宇宙の星たちを観測し、彗星ニビルなどの動きを把握することでの。そして最後の一つは、『星読みの旅』と呼んでいる。それは、マナを所持する第三者の思考の内に、未来の世界の
私たちは、シェムハザの呪法『星読み』の衝撃的な作用を知り、思わず言葉を失ってしまった。ブリッツの荷台を覆う幌に当たる雨粒の音が、いつもより大きく聞こえてくる。
五年後に彗星ニビルが現れて厄災が起こることを、シェムハザが具体的に知っていた理由がわかった。また、戦闘力を持たないシェムハザがパッチガーデン会戦を前に悠然と構えていたのは、シェムハザが戦闘の結末を知っていたから。
戦えない主導者と侮っていたけど、時を見る力を持つのであれば、逆に主導者として相応しいのかもしれない……。
「天使シェムハザ! 星読みで未来が見えるのなら……、戦や厄災の被害をなるべく減らすことはできませんか?!」
重い沈黙を破ったのは、キアラだった。
「ワシが映し出す未来の世界は、ほんの数分。未来を見ることで、助言くらいになるやもしれぬがのぅ……」
「それを繰り返し使うことは、不可能なのですか?」
キアラの問いに対するシェムハザの回答に、リーゼルが重ねて質問した
「先程も言った通り、星読みの旅で見える未来は、対象が所持するマナの量によるからの。つまり、その対象に投影される未来は、毎回同じ結果になるであろう。汝ら属性八柱のマナの量だと、数百年後か、数千年後か……。果てしなく先の未来になるかのぅ」
「何だか便利そうだけど、扱いが難しそうだな……」
シェムハザの発言に相槌を入れたハルに、リーゼルも黙って頷いた。
「この中で、適量のマナを持ち合わせているのは、精霊術を操るアスリンだのぅ。汝は、星読みの旅に興味があるかの?」
シェムハザは、私をジッと見つめながら訊いてきた。つぶらな瞳で見つめられると、なんだかやりづらい……。彩葉じゃないけど、一瞬シェムハザのことを可愛いと思ってしまった自分が悔しい。
私に視線を向けているのは、シェムハザだけではない。ここにいる全員が私に注目していた。それもそのはず、誰だって未来のことが気になるだろうし……。
私自身だって未来に興味がないわけじゃない。ただ、知りたくないことまで知ってしまう可能性に抵抗がある。
「はい、シェムハザ先生! ボクは、ちょっと未来に興味ありますね。もしかしたら、ボクでも厄災の結末くらいわかりそうじゃない?」
ユッキーは、私に軽く頷いてからシェムハザに挙手して名乗り出た。たぶん、返事を
「ユッキーよ、マナを持たぬ汝には無理だの」
「そ、そんなぁ……」
即答で答えたシェムハザに、ユッキーは肩を落として
「私は……、未来に興味がないと言ったら嘘になる……。だけど、未来なんて、行動一つで簡単に変わってしまうものでしょう? 別に急いで知る必要なんてあるのかしら?」
私は誤魔化しながらシェムハザに答えた。どうせ、行動次第で未来なんていくらでも変わってしまうのだから……。星読みの旅で投影される未来は、数ある可能性の中の一つに過ぎないはず。
「星読みの旅が映し出す未来は、揺るぎない
私の思考は、どうやらシェムハザに読まれていたらしい……。しかし、この二日間、シェムハザを見てきたけど、このヤマネコに他者の心を読む力はないはず。
思考を読まれていたというよりも、たぶんシェムハザは、『私に星読みの旅を勧める』ことでどうなるか、自身の行動に対して星読みを使ったのだと思う。だから『結果』を既に知るシェムハザは、私の発言や星読みを躊躇うことを事前に知っていた……。
「そうね……。あなたが事前に星読みを使っているのだから、私の行動を
シェムハザが素直に知りたいと言えば、私も素直に協力したかもしれないけど、本当に天使は上から目線で腹立たしい……。
私は、シェムハザの挑発に敢えて乗ることにした。
未来を知るのが怖いだなんて、シェムハザに思われたくない。
「さすが、汝はエルフ族だの。その洞察力と勘は、人間とは一味違う。たしかにワシは、汝の言う通り、ここまでの結果を
「ほ、本当に大丈夫、アスリン?」
彩葉が心配そうな表情で私に言った。
私は、彩葉に大丈夫だと頷きながら、シェムハザに言われた通りブリッツの荷台の長椅子で仰向けになった。
「いいわ、シェムハザ。さっさと始めてもらえるかしら?」
「フム。それでは、目を閉じるがよい……」
私はシェムハザの指示通りに目を閉じた。
するとすぐに雨の音が遠ざかり、私の思考はまどろみに包まれてゆく。
◆
気が付くと、私は広い草原に立っていた。
これは、シェムハザが私に使った呪法、星読みの旅で映し出された未来の記録。
空を見上げるとリギルとウルグが輝いている。陽の高さから、たぶん昼を少し過ぎたあたり。
少し離れた正面の小高い丘の上に人影が見えた。
とりあえず私は、丘の上の人影がはっきりと見える距離まで近づくことにした。
歩くと草原の草が足に
星読みの旅……。
夢に近い状態のはずなのに、感覚までしっかりと伝わってくる。
現実味が強すぎて少し気味が悪いくらいだ。
丘に近づくと、人影の姿が徐々に見えてきた。小高い丘の上にいた人たちは、全員で六名。
簡易的なテーブルの上に、まだ手がつけられていないティーポットとカップが並べられており、テーブルを囲むように折り畳み式の椅子が置かれていた。
これから午後の茶会を始めるところなのだと思う。彼らの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
どうやら彼らは、私のことが見えないらしい。比較的近くまで来ているのに、誰もこちらに気がつく素振りを見せない。
まず、目に止まったのは、背の高いエルフ族の女性。どことなく雰囲気が私の母に似ている。優しそうな笑顔が何だかとても懐かしい……。
次に目についたのは、背後からなので顔が見えないけど、品位のある衣装に身を包んだ白髪交じりの黒髪の紳士だ。
そして、その紳士の隣で杖をつく赤髪の淑女が折り畳みの椅子に座ろうとしている。彼女は、足が悪いのだろうか……。その淑女をエスコートしているのが、茶色の髪の若い女性だ。彼女は、髪の色が違うけど横顔がキアラによく似ていた。
更に視線を移動させると、エルフ族の女性の隣に、長い黒髪の少女の姿があった。彼女は……、ドラゴニュート?!
ドラゴニュートの少女の二本の角と先が尖った尾は、見慣れた形をしていた。
彩葉……?
普段と違って明るい色の衣装だったことと、髪が長くなっていたのですぐに気づかなかった。よく見れば、可愛らしい丸顔と真紅の大きな瞳。彩葉で間違いない。
そうなると、あの紳士は……、まさかユッキー? そして、赤髪の淑女がキアラ……なのかな? キアラに似ている若い女性は、彼女の娘だったりするのだろうか?
あのエルフ族の女性は……、もしかして、私……?
もし、あの人が私なら、私が成人を迎えた後の時代ということだ。つまり、目の前に見えている世界は、少なくとも二十年以上未来の世界になる。成長した自分を見ることになるだなんて、なんだか恥ずかしい……。しかも、その姿を母に置き換えて見ていただなんて……。
それから、最後にもう一人。
ショートヘアで、やや癖のある亜麻色の髪の少女。
身長が成人を迎えた私よりも少し低いくらい。端正な顔立ちで可愛らしい子だ。彩葉と同じ年くらいに見えるこの少女は、いったい誰なのだろう……?
いずれにしても、星読みで映し出された未来を見る限り、私たちは、五年後に迫る厄災を乗り越えるのだと思う。星読みの旅で見えた未来が、残酷な戦場だったり、終わりを迎えた後の世界じゃなくて本当に良かった。
しかし、少なくとも彩葉とユッキーは、テルースへ戻らずにアルザルで暮らしていることになる。
そして、気になることがもう一つ。
この場にハルとリーゼルがいないということ……。
もう少し時間が経てば、この茶会に現れるかもしれないし、仕事や用事でここに来られないだけかもしれない。もしかしたら、テルースへ戻れたという可能性だってある……。
可能性でしか言えないけど……、私は信じている。この場にいる皆は、とても幸せそうだし……。きっと、二人は大丈夫。
私は二人を信じているのに……、急に不安に襲われて涙が溢れてくるのがわかった。
その時、未来の私がジッとこちらを見つめていることに気がついた。未来の私は、穏やかに微笑みながら、こちらに向かって何かを言っている。
集中して耳を傾けても、未来の私の声は、全く聞こえてこない。代わりに貝殻を耳に当てた時のようなノイズが鳴り始めた。
未来の私が何を言ったか聞こえなかった。けれど、最後の言葉は、口の動きで何となくわかった。
『あなたが思っているより、悪い世界じゃないから』と……。
やがて、全身が痺れるような感覚が伝わってくる。
星読みの旅が終わるのだと、直感でわかった。
まだ、知りたいことがある。もう少しだけ、この世界を見ておきたい……。
しかし、私の願いも虚しく、私の意識はすぐに現実の世界へ呼び戻された。
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