第100話 パッチガーデン迎撃戦

 帝竜暦六八三年十一月九日。霧状の雨が降り続く午後のパッチガーデン。


 この地に、もう間もなく武装親衛隊SS第八軍が現れようとしている。


 私とリーゼルは、最前線の第一エディス塹壕線と名付けられた塹壕の中で、敵が来るのをジッと待ち続けている。塹壕内の土は、雨の水を含んでいるため、足場が悪く泥濘ぬかるみになっている。


 私は今まで、塹壕戦というものを訓練でしか経験したことがない。私の軍服は泥にまみれ、ゲートルの中に雨水が滲み込み、足の指先の感覚が痛みしか感じなくなっていた。まだ、塹壕の中に入ってから十分も経っていないというのに、ストレスとプレッシャーで気持ちが悪い。


 この塹壕線は、耕作地と街道の間にジグザグ状に掘られた塹壕で、深さ百五十センチメートル、長さが約五十メートルに及ぶ規模のものだ。また、アスリンさんが精霊術で幻影を張ってくれたため、周囲から見れば街道沿いの垣根にしか見えない状態になっている。だから、最前線ではあるけど通常の塹壕よりも何倍も安全のはず。


 塹壕がジグザグや曲線で掘られる理由は、塹壕に侵入した敵の視界を奪ったり、迫撃砲や手榴弾が着弾した際、飛び散る鉄片などから兵士の被害を軽減する目的がある。大規模な塹壕とまでいかないかもしれない。しかし、雨が降り続く中、夜を徹して突貫で掘られた塹壕の割に、上々な仕上がりだと思う。


 本来ならば、私たち特殊魔導隊がこのパッチガーデン迎撃戦に参戦する予定はなかった。しかし、敵の動きが予想より早く、私たちがエディス城を訪れていた時に接近してきたために状況が一変した。恐らく目前に迫る第八軍は、レンスターへ向かったリーゼルたちが戻らないことから、夜間も止まらずに行軍し続けて来たのだと思う。


 私の行く先々で、毎度のように戦闘が待ち受けているのは、もしかしたら、私自身の運命なのかもしれない。


 第一エディス塹壕線の中で待機しているのは、私とリーゼルだけではない。


 強奪作戦に参加する、アーロン卿が率いるレンスターの特務部隊の兵士たち約三十名と、それを支援する第二○二装甲師団の兵士たちも一緒だ。私とリーゼルがここにいるのは、この強奪作戦に参加するためだった。


 そもそも強奪作戦とは、間もなく始まるパッチガーデン会戦の初動における奇襲作戦になる。その名の通り、敵の戦車を奪うという大胆な作戦だ。上手くすれば、私たちの戦車の総数が第八軍を上回る。そうなれば、敵の歩兵部隊さえ抑えてしまえば、形勢は一気に逆転できるという寸法だ。


 強奪作戦の成否が、この局地戦の勝敗に直接結びつくと言っても過言ではない。この作戦の簡単な概要は、まず街道を進んで来る先頭の四輌の戦車を通過させ、五輌目の戦車を私とリーゼルが破壊することから始まる。


 ラムダ街道を進軍する第八軍は、私たち第二〇二装甲師団が待ち伏せしていることを知らない。だから恐らく敵は、定石通りに周囲を丘に囲まれた狭小なパッチガーデンを通過する際に、斥候の偵察車両を先行させて、単縦陣形で一列に突撃砲を先頭にして戦車部隊が進軍して来るはず。


 私たちが破壊した戦車が街道を塞ぐことで、敵は足止めされて戦力が分断される。そして、敵が混乱している隙に戦車の操縦を覚えたレンスターの特務部隊が、前方に突出した四輌の敵戦車を奪い取るというものだ。


 昨日、レンスター城を奇襲したSS第八軍とエスタリアの連合軍が、逆に私たちの奇襲を受けるだなんて滑稽な話だ。


「キアラ、リーゼル!」


 雨除けの外套を羽織ったアスリンさんが、塹壕内で身を潜めて待機している私とリーゼルの元へ駆け寄り声を掛けてきた。


「アスリンさん、もう敵は近いはずです。早くエディス城へ引き揚げてください!」


 私はその場で立ち上がり、駆け寄ってきたアスリンさんにエディス城へ戻るよう促した。アスリンさんに万一のことがあれば、彼女が使っている精霊術が全て解除されてしまう。そうなれば、私たちは塹壕のカモフラージュどころか、彼女に施して貰った翻訳の精霊術が解除されて言葉まで失ってしまう。


「う、うん。わかってる。だけど、これだけは伝えたくて……。二人とも絶対に無理はしないこと。あなたたちに任せきりなのに、こんなことを言うのも可笑しな話だけど……、この先も世界の命運に関わる大切な役目があるのだから」


 アスリンさんは、塹壕の中へ降りず、私とリーゼルを交互に見つめながら人差し指を立ててそう言った。見た目こそ私より少し年下くらいに見えるのに、彼女はなんと百歳を超えているのだとか……。アヌンナキがトゥーレの民と呼ぶエルフ族は、伝説通り本当に不老長寿なのかもしれない。


「お心遣い感謝します。普段、そのようなこと言われたことないので、新鮮というか……。キアラのいった通り、敵はもう近くにいます。アスリンさん、少しでも早く避難を」


 リーゼルも立ち上がり、恥ずかしそうにアスリンさんに礼を言った。リーゼルが敵と言ったこれから戦う相手は、昨日までリーゼルの仲間だった人たちだ。彼女は、今どのような心境で遊撃旅団を迎えようとしているのだろう……。


「アスリンさん、心配してくれてありがとうございます。私とリーゼルのことなら大丈夫です。こう見えても正規の軍人なんですよ? 余程の好機でもない限りすぐに退いてエディス城へ戻ります」


 私は、塹壕の中から不安そうな表情のアスリンさんに返事をした。私の言葉に合わせてリーゼルもアスリンさんに頷いた。すると、ようやくアスリンさんも私たちに笑顔を返してくれた。


「アトカさん! 住民の避難は粗方終わりました。そろそろ戻らないと本当に敵が来ちまいます! 早く乗ってください!」


 ハイネ中尉が街道に停車したブリッツの運転席から降りて、アスリンさんを迎えに来た。


「わかったわ! ハイネ中尉、足労掛けてごめんなさい。それじゃ、キアラ、リーゼル。ご武運を! 必ず戻ってきてね」


 アスリンさんは、ハイネ中尉に返事をしてから私たちに手を振って別れを告げた。


「はい! それでは、また後ほど」


 私もアスリンさんに別れを告げた。リーゼルもお辞儀をしてアスリンさんを見送っている。アスリンさんは、私たちに軽く頷くと、ブリッツの助手席のドアを開けてハイネ中尉に支えられながら乗車した。そして、ハイネ中尉が運転席に乗ると、ブリッツは、幸村さんとシェムハザが待機するエディス城を目指して走り始めた。





 腹部に重く響くマイバッハ社のエンジン音。金属同士が擦れる無限軌道の音が、地面を揺らす振動と共に塹壕線脇の街道を通過して行く。


 これで、三輌目。私の出番が近づくに連れて、足がカクカクと震え出す。情けないことに、プレッシャーに押しつぶされそうになっている。


「どうしたの、キアラ? 寒い?」


 リーゼルが震えていた私に気がついたようで、小声で話しかけてきた。


「い、いえ……。緊張しているだけです……」


 ヘルメットの縁に滴る雨水を指先で拭いながら、私は小さな声で正直な気持ちをリーゼルに伝えた。周りには、私たち以外の兵士もいる。私のような未熟者でも、士官の弱気な発言が聞こえたりすれば士気に影響が出てしまう。


「落ちついてやれば平気。危険なのは、敵が反撃してくる最初だけ。もっとも、アスリンさんの幻影があるから大丈夫だと思うけど……。それでも念のため、しばらくそれは被ったままでいてね」


 リーゼルは、自分の頭を軽く指で触りながら笑顔を作り、私の緊張を解そうとしてくれている。とは、ヘルメットのことだ。あまり被り慣れていないこともあって、今日はM35スチールヘルメットが特別に重たく感じる。


「はい、鉄兜は苦手なのですが、これは実戦ですからね……。リーゼルも、竜の力があるとはいえ、彩葉さんのような防御力ではないのでしょう?」


「そうね、イロハさんの黒鋼竜の力。あの鱗の硬度は、タングステン並みに硬そうね。私の竜の力は、銃弾を防げるけれど、硬度が土壁程度といったところかしら」


「リーゼル、本当に無理しないでくださいね……」


 私を見つめて頷くリーゼルは、ドラゴニュートの特徴である角が額に一本あるためヘルメットを被れない。昨日の城内戦で、私たちに向けて放たれた擲弾を竜の力で防いだ時、リーゼルは流血を伴う大怪我を負ってしまった。頭部を狙われたりしたら、命に係わってしまう。


 リーゼルと小声で話をしていると、四輌目の戦車のエンジン音が近づいてきた。いよいよ、次の戦車が私たちの出番だ。


「あれ……?」


 リーゼルが私に答えながら、何か異変に気がついたようだ。ドラゴニュートは、人間よりも優れた五感を持っている。彩葉さんの話では、危険を事前に感知する第六感まで備わっているのだとか。


「どうしました、リーゼル?」


「音が違う……。四輌目は、Ⅲ号突撃砲じゃない……」


 そう言われると、先程通過した三輌目の戦車と四輌目の戦車のエンジン音が違っているように感じる。予定では三号突撃砲が四輌続くはず。隊列が変わっているのだろうか。リーゼルは、立ち上がり外の様子を見ると外の様子を私に伝えた。


「視界は霧で良くないけど、第八軍の戦車部隊の隊列が予定と違っている……。Ⅲ号突撃砲が三輌と、Ⅳ号戦車が三輌の合わせて六輌。本来の数より三輌少ないわね……」


 塹壕内で立ち上がっても、アスリンさんが作り出した垣根の幻影の中なので、敵はこちらに気がつかないはず。私もリーゼルに続いて立ち上がると、彼女が言ったように、目の前を通過した戦車はⅣ号戦車だった。


「リーゼル、もしかしたら別動隊がいるのでは? 昨日リーゼルたちがレンスターへ来た際に使った、東周りの街道を進んでレンスターを目指しているとか……」


 一瞬、私の胸中に不安が過ぎった。


「それはないわ、キアラ。多分、故障による一時的な戦線離脱ね……。残りの三輌は、少し間を空けて現れるか、占領したバクスターへ戻ったはず。第八軍の最優先目標は、戦闘用のオーブを多量に生産する、錬金術都市アルスターの制圧。仮にレンスターの内部制圧が失敗しても、攻略目標を変更する予定はなかった。第八軍を統制するギレス中将は、上の指示に忠実な将軍。そして、戦車大隊を指揮するオスヴァルト大佐は小心者。そんな二人が彼らの意思で、上層部からの命令を変更するはずがないわ。ましてや、レンスターへ向かったのは、エスタリアの代表者と親衛隊竜騎士団ドラッヘリッター。第八軍にとって直接関係しているわけじゃないのだから……」


 リーゼルの言う通り、SSは狂信的なナチ党の思想を掲げる連中。同胞の救援より、機械的に任務を優先するのが常識だ。リーゼルが言うように、本当に故障の可能性が高いように思えてきた。ドイツ軍の戦車は、最強を誇る反面、故障の多さが欠点だった。そのため地球にいた頃の長距離移動は、自走ではなく鉄道輸送が一般的だった。


「とりあえず、強奪作戦で私たちがすべきことは変わりません。むしろ、敵の戦車が少ない今が好機です! リーゼル、五輌目だけじゃなく六輌目も撃破しますか?」


 私の提案にリーゼルは頷いた。五輌目だけでなく、六輌目のⅣ号戦車を破壊してしまえば、強襲班が後方の戦車に悩まされることはない。


「そうね。その場合、キアラ一人で戦車を一輌破壊して貰わないといけないのだけど……。あなたがずっと悩み続けていた呪法の命中制度は……、その……向上したの?」


 リーゼルが申し訳なさそうに私に尋ねた。


「恥ずかしいことに、それは相変わらずです……。ですが、対象の直近で火炎を作り出し、一気に炎で包み込むという別の方法を編み出しましたので大丈夫です。鉄の塊の戦車なら、熱で変形させて破壊できるはず!」


「それなら、大丈夫ね。私が六輌目を破壊して、そのまま竜の力を使って地中から後方の輸送車両にも攻撃を仕掛ける。燃料と弾薬を奪取することも大事だからね。キアラは、その間に後方へ下がって」


「だ、駄目です、それではリーゼルが危険に……」


「危険は承知の上。私一人なら、いつでも竜の力で地中へ潜れるから安心してね。キアラが好機と判断した以上、どの道アスリンさんとの約束は守れそうにないのだし……。それに、まだ、私を疑うレンスター軍や第二〇二装甲師団の兵士が大勢いる。ここは、手土産くらいの働きはしておかないと」


「し、しかし……」


 リーゼルにそう言われてしまうと何も言えない。そうこうしているうちに、五輌目の戦車が近づいてくる音が聞こえてくる。これもⅣ号戦車だ。


「敵には、マイラもいる。彼女は、天空竜族のドラゴニュート。私たちの呪法に気がつけば、必ず私たちを上空から探しにくるはず。あなたがマイラに対して私怨を抱いていることはわかる。けれど、今は戦っては駄目。もし、マイラを見つけたら、目立つ行動は避けて塹壕の中に隠れるのよ?」


 今の私たちの任務が天使シェムハザの警護。そのシェムハザの目的が、属性八柱を保護することである以上、遠くない将来マイラ先輩に接触することは予測できていた。


 たぶん、今の私では一人でマイラ先輩に勝てないと思う。今はリーゼルが言う通り、私怨なんかに囚われている場合じゃないのだと思う。ただ、頭ではわかっていても、私はマイラ先輩を赦せる自信がない。父の仇を討ちたいと、心の底から思っているから。


「了解です……、リーゼル……。お願いですから……。本当に、無事に戻ってきてくださいね」


「もちろんよ、キアラ。それじゃ、私は行くわね。あなたの攻撃に合わせて私も攻撃するから。キアラもどうか無事で……」


 そう言うとリーゼルは、塹壕の中から地中に溶け込むように消えてしまった。もう間もなく五輌目が来る。私のすぐ近くに、第一エディス塹壕線に設置された重機関銃を担当する、三小隊の無線担当の通信士ケスラー上等兵の姿が目に入った。


「ケスラー上等兵! 司令部と各隊に伝えてください! 戦車の台数は六輌。私とアイシュバッハ大尉が後方の二輌を潰します! 強奪作戦は、予定通り実行。強襲班は、突撃準備を! アイシュバッハ大尉は、戦車破壊後に可能な限り敵を撃退します。各隊は、敵歩兵部隊との戦闘に備えるよう打電をお願いします!」


 私は三小隊の通信手を担当するケスラー上等兵に伝えた。


「了解です、少尉!」


 ケスラー上等兵は、私に敬礼しながら返事をし、すぐに無線で各隊へ周知を開始した。


 私は、五輌目の戦車をジッと見つめた。もう、二十メートル先までⅣ号戦車が迫って来ている。やるなら今しかない……。


 私は意識を集中させ、目の前のⅣ号戦車の真下に炎の塊を作り出すイメージを念じた。


 雨のせいで、炎の力が予想より弱かったけど、それを拡大させながら一気に戦車を包み込むように続けて念じた。私が操る炎の塊は、雨の中でも勢いよく燃え盛り、Ⅳ号戦車の車体をあっという間に包み込んだ。火炎の熱で戦車の無限軌道が外れて停車した。そして、砲塔が溶融して垂れ下がる。


 炎に包まれた戦車のハッチが開けられ、悲痛な叫び声を上げながら衣装に火がついた戦車兵たちが飛び出してくる。そこへ、第一エディス塹壕線に設置された銃座から一斉に機銃が掃射され、敵兵は次々と倒れてゆく。目を覆いたくなる光景だけど、私には最後まで見届ける義務がある。この光景を作り出しているのは私自身なのだから。


 そして、次の瞬間、私の呪法で炎上するⅣ号戦車の先で、輝かしい光と共に大きな爆発音が周囲に響き渡った。この音は、リーゼルの光属性の呪法が最後尾のⅣ号戦車を破壊した音だ。


 その爆発音に合わせたかのように、強襲班が一気に敵の戦車に向かって走り始め、レンスター軍のときの声がパッチガーデンを包み込んだ。

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