第101話 シュヴァルツエンゲル(上)
雨の空に響き渡る銃声音と爆発音。
俺と彩葉が水車小屋へ辿り着く直前に、パッチガーデンの戦いが始まってしまった。俺たちが水車小屋に着くなり木製の扉を開けると、幼い二人の子供が小屋の中で寄り添って泣いていた。子供たちは、雷のような激しい銃声音と火薬による爆発の振動に怯えきっていた。
そもそも、俺たちがこの前線に近い水車小屋に来た理由は、レンスター家の従士である彩葉に助けを求めた農奴の女性の嘆願を受け入れたからだ。涙を流しながら語った農奴の女性の依頼は、郊外の水車小屋で粉挽きをして働く、彼女の幼い二人の子供たちを救出することだった。
農奴の子は、幼くても労働力として主人のために尽くさなければならない。これは、奴隷制度が存在するレンスターの社会のルールだ。農奴は、他の奴隷より待遇が良いとはいえ、自由や権利に制限がある。自らの子を助けに行くことですら、主人の許可が必要な程に……。
農奴の母親の主人が、子供たちを助けに向かう許可を彼女に出さなかったのは、主人の性格が歪んでいたり阿漕な理由ではない。主人からすれば、農奴は貴重な労働力であり財産でもある。単純に母親まで失うリスクを冒したくなかったのだろう。
俺と彩葉が母親の依頼を承諾すると、農民たちは口を揃えて、私的な農奴の嘆願を陛下の従士が請けるべきではないと言った。しかし、俺は奴隷制度を肯定したくないし、人の命の重さに違いなどないと思っている。それは、彩葉も同じだった。
それにパッチガーデンの住民に避難を呼びかけていたのは俺と彩葉だ。子供たちが避難していないのは、前線に近い水車小屋を確認しなかった俺たちの責任でもある。子供たちの救出に向かわなかったことを後悔したくなかっただけでなく、我が子の帰りを待つ母親を安心させたいという思いが一番強かった。
突然家族と離れてしまったこの状況が、どこか俺たちの境遇と似ている部分があったから……。
◆
“Iroha, This's too close to the front line. If we move, do we seem able to go through the back of that fence?!”
(彩葉、ここは前線に近過ぎる。あの垣根の裏側を通って移動できるかな?!)
俺は、水車小屋の軒下で周囲を警戒する彩葉に英語で尋ねた。水車小屋が前線に近いことは知っていたけど、思っていたよりも前線に近い場所で危険な状況だった。
“Yeah, it's okay because the bullet has not flown here”
(うん、こっちは流れ弾が飛んできいないから大丈夫ね)
彩葉も俺に英語で答えた。俺と彩葉が、敢えて英語でコミュニケーションをとっているのは、アスリンの精霊術によって、日本語がシュメル語に翻訳されているためだ。日本語で話せば、子供たちに意味が通じてしまう。今が安全な状況ではないだけに、幼い子供たちを必要以上に不安にさせたくなかったからだ。
子供たちは、ドラゴニュートの彩葉を見ても怯えることはなった。レンスターの領土に住む者で、公王陛下の従士になったドラゴニュートの凄腕の女剣士の話を知らない者はいない。彩葉はそれ程に有名だった。だから、農奴の子供たちでも、彩葉が自分たちを助けに来てくれたとすぐにわかったのだと思う。
“Those guys kill even nonresistance kids. Go so as not to be found!”
(あの連中は、無抵抗な子供を平気で殺す。見つからないように行くぞ!)
“Alright. Because I go first, please follow me.
(わかったわ。私が先に行くからついて来てね)
“I get it! But stay alert, Iroha?”
(了解! けど、油断は禁物だぜ、彩葉?)
“Okey-dokey!”
(もちのろん!)
「カミラ、ハイネル立てるかな? ママのところまで一緒に頑張って走ろう!」
彩葉は、俺に答えた後に、まだ銃声に怯えている幼い姉弟の頭を撫でながら優しく声を掛けた。カミラとハイネルというのが、俺たちが助けに来た農奴の姉弟の名前だ。年の頃は、姉のカミラが西風亭で働くフロルより少し幼いくらいに見える。たしかあいつが九歳だから、七歳くらいだろうか。
車両さえあれば、すぐにでもエディス城まで戻れる距離なのだけど……。
生憎、俺たちがレンスターから乗ってきたブリッツを含め、全ての車両がパッチガーデン会戦に投入されている。つまり俺たちは、エディス城から水車小屋まで走って来た道のりを、また走って戻らなければならなかった。
距離にすれば一キロメートル程しかないけど、幼い子供たちを連れてとなると、それなりのリスクを伴う。しかし、時々流れ弾が飛んでくるここにいるより何倍もマシなはずだ。
「竜の従士様、ボク怖いよ……」
半べそを掻きながら、ハイネル少年が彩葉に答えた。
「大丈夫、お姉ちゃんとあそこにいる怖そうなお兄ちゃんが、必ず二人をママのところへ連れて行ってあげるから」
今の彩葉の発言は腑に落ちない。
「お、おい、ちょっと待て。何で俺が怖いお兄ちゃんなんだよ……」
「だって、ずっと眉を
彩葉が無邪気に笑みを浮かべて俺に答えた。俺を見つめながら笑う彼女の口元から、長くなった彼女の犬歯が垣間見える。
「それは、緊張しているだけだって! 前線じゃ戦闘が……。はいはい、どうせ俺は怖い顔してますよ……」
子供たちの視線に気がついた俺は、それ以上言うのを止めて彩葉の話に合わせた。それ以上言ってしまったら、今まで英語で話していた意味がなくなってしまう。
俺と彩葉の他愛のない会話を聞いていたカミラとハイネルは、目元に涙を浮かべたまま口元に笑みを浮かべていた。この茶番は、子供たちを元気づけるために、彩葉なりに考えた会話の流れだったのかもしれない。
「ねぇハル、さっきより銃の音が減っているから、今がチャンスかも?!」
彩葉が言うように、銃声音や爆発音が先程より明らかに減っている。ただ、視界が悪いので前線がどうなっているかわからない。レンスターの奇襲が成功していれば、敵が押し返してくることはないはず。
「よし、行こう!」
「はい! カミラ、ハイネル。ついて来て!」
彩葉は俺の合図に返事をすると、二人の子供に笑顔で出発を伝えた。カミラとハイネルは、涙を拭いながら立ち上がり、彩葉に力強く頷いた。彩葉は、子供たちの返事を確認すると、身を低くして集落へ続く
水車小屋を出てエディス城へ向かって走り始めてから二分くらい経過した時、後方から一台の車両が近づいてくるのがわかった。雨で視界が遮られているため、敵か味方か識別できない。ヘッドライトの形からキューベルワーゲンだ。
「ハル! 後ろから来る車は、レンスター側のキューベル三号かな?」
先頭を走る彩葉が、足を止めずにフードを抑えながら俺に訊いてきた。五感が鋭い彩葉にわからないことが、俺にわかるはずがない。
「ごめん、わからない! 仮に敵だとしたら、どこへ向かおうとしているのか見当もつかないし……。念のため、あの正面に見える民家の軒下に隠れてやり過ごそう!」
「了解! カミラ、ハイネル。こっちへ!」
俺の意見に彩葉が承諾し、二人の子供を少し大きな民家の離れの軒下へと誘導した。集落の人は、エディス城へ避難しているから誰もいないはずだ。もし、後ろから近づくキューベルが、敵の斥候なら、機関銃やライフルくらい所持していると思う。
俺たちが避難した離れは、使われていない
空から落ちる雨粒が、地面の至る所にできている水溜りに、無数の波紋を作り出している。周囲から聞こえてくる音は、壊れた
しばらくすると、キューベルワーゲンが姿を現した。残念なことに、俺の知っているキューベル三号ではない。カーキ色ではなく黒色で、ドアの部分に
「とりあえず隠れておいて良かった……」
「どうする? このままやり過ごす?」
彩葉が不安そうに俺に尋ねた。彩葉は、隠れてやり過ごすか、仕掛けて先手を取るかを俺に訊いたのだろう。この先のエディス城には、避難民ばかりで正規の兵はほとんどいない。アスリンと幸村、それにシェムハザもそこにいる。いざとなれば、きっとシェムハザが動くだろうけど……。どの選択がベストなのか、俺にはわからない。
いずれにしても、『先に仕掛ける』という選択肢が自然に出てくるくらい、俺たちは戦いに慣れてきてしまっている。
ただ、不意打ちを仕掛けるにしても俺の呪法は使えない。連日の雨のせいで地面は水分を多量に含んでいるため、雷撃の呪法を使うことで、彩葉や子供たちが感電してしまう可能性があるからだ。特に彩葉は、金属質な体質のため電撃に弱いらしい……。
つまり、俺にできることは限られている。援護できても拳銃による威嚇射撃くらいしかできない。しかも、予備の弾装を一つしか持って来ていないため、弾数がたったの十七発だけ。
「どうするもなにも……。って、こいつら! この家の敷地に入って来てるじゃないか!」
驚いたことに、畦道を進んでいたキューベルワーゲンは、突然進路を変えて俺たちが隠れている民家の母屋の前で停まった。そしてすぐに、運転席と助手席から黒服の兵士が二人降車し、キューベルワーゲンを運転していた兵士が母屋の窓から中の様子を見ると、入口のドアを蹴破って何かドイツ語で叫び始めた。
「怖いよ……」
異国の兵士の罵声に、まだ小さなハイネルが震えだした。子供たちの声が漏れたりしたらまずい。俺は今にも泣き出しそうに震えているハイネルをそっと左腕で抱き寄せた。
「大丈夫、ジッと静かにしていよう。ごめん、彩葉。俺が呪法を使うと、たぶんみんな感電しちまう……。いざとなったら頼む……」
本当は、俺が彩葉を守るべきなのに……。それができない不甲斐なさに、俺は心の中で葛藤した。
「任せておいて。……ハル、見て。後ろの席から降りてきた偉そうな奴。あの時のアイツと同じ制服よ」
彩葉が言った『あの時のアイツ』とは、運命のあの日、いつもの帰り道の神社で俺たちを襲ってきた将校のことだ。たしかに、アイツと同じ制服だった。助手席から降りた兵士の介添えを受けながら、後部座席から降車したこの男も、きっと階級が高い将校なのだろう。
辺りに響く火器の音は、もうあまり聞こえてこない。つまり、戦闘はだいたい収束しているのだと思う。それなのに、人目を気にしながら敵の将校が民家に忍び込もうとしている。この状況から推測できることは、レンスターの奇襲が成功し、こいつらは敗走しているに違いない。
「彩葉、多分こいつらは逃げ場を失って敗走する敵の幹部だ。奴が敵の総大将じゃないかな。そうでもなけりゃ、こんなところへ隠れようとしないって……」
「こ、鋼鉄竜っ!」
俺と彩葉を真似て、敵の様子を覗こうとしたカミラが、麦藁の隙間から見えたキューベルワーゲンを見て驚きの声を上げてしまった。
“Jemand ist?! Leutnant General Gilles in!”
将校を介添えしていた兵士が、カミラの声に気がついて叫んだ。『将軍は中へ』という、語尾の意味はわかったけど、ドイツ語なので全て理解できない。俺は急いで敵を覗いていたカミラを引っ張って抱き寄せた。二人の兵士は、肩に担いでいた短機関銃を構え適当な範囲で威嚇射撃してきた。
さすがに、これには子供たちが大声で泣き出してしまう。本当にナチの親衛隊は容赦がない。子供たちの泣き声で、こちらの居場所が完全にばれてしまった。
“Kinder?! Tötet ihn!”
将校は、部下たちにそう言うと、母屋へ向かって小走りで移動し始めた。二人の兵士の他に、リーゼルさんと同じフードを被った軍服の士官らしい人物もキューベルワーゲンの後部座席から降りてきた。将校と士官は拳銃を構え、二人の兵士は短機関銃をこちらに向けて、警戒しながら少しずつ近づいて来ている。
よく見るとフードを被った士官は、昨日レンスター城を襲った有翼のドラゴニュートと同じように肩が異様に隆起していた。リーゼルさんが言っていた、空を飛ぶドラッヘリッターで土属性の呪法の使い手かもしれない。こんなに早く接触することになるなら、もっとこのドラゴニュートのことを詳しく聞いておけば良かった。
よりによって、このタイミングで現れるだなんて……。
「ハル……。あの将校は子供たちを殺せと言ってる……。許せない……」
竜の念話で相手の言葉を理解した彩葉は、歯を食いしばって聖剣を抜刀した。俺も、いつでも彩葉を支援できるよう、拳銃を準備して覚悟を決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます