第90話 爆ぜる光輝(下)

 コーエン伍長が放った擲弾てきだんから、竜の力を使って私たちを守ってくれたリーゼル。その際、左腕に重傷を負ってしまったリーゼルを介抱するため、私はアスリンさんからの指示を受けて上層の回廊に残留している。


 安全が確保された玉座の間では、アスリンさんを含めた五名の治癒士によって負傷者の治療が始められている。その一方で、彩葉さんとハロルドさんは、玉座の間を制圧するとすぐに、逃走したドラゴニュートのダルニエス少佐とマグアート伯爵の追撃戦に移行していた。


 強力な雷属性の呪法を使ったハロルドさんと、ドラゴニュートの彩葉さんの戦いに興味を示したリーゼル。私が彼らの素性をリーゼルに伝えると、彼女は納得した様子で顔色ひとつ変えずに認容した。


 普通なら、ハロルドさんたちがアルザルに来た経緯を知れば誰でも驚くはず。


 たぶん、これはリヒトホーフェン上級大将が率いる武装親衛隊SSの特殊部隊、親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターが、ハロルドさんたちのことについて知っていたのだと思う。


「彼の呪法を見る限り、リヒトホーフェン上級大将が探していた属性八柱ぞくせいはちはしら『裁きの雷』で間違いないわね……」


 リーゼルは、独り言のように呟いた。彼女が言った『裁きの雷』とは、もちろんハロルドさんのことだ。


「リーゼル、あなたたちドラッヘリッターは、リヒトホーフェン上級大将が地球へ向うことを知っていたのですか?」


 私はリーゼルに、疑問をそのまま投げかけた。


「えぇ。キルシュティ基地を出発する際に、リヒトホーフェン上級大将は、黒鋼竜ヴリトラが守護するシンクホールを使い、最後の属性八柱である『裁きの雷』を迎えるために地球へ向かうと言っていたわ。上級大将は、随行した戦車部隊ごと消息を絶ってしまったけれどね……」


 リーゼルたちドラッヘリッターは、シンクホールだけではなく黒鋼竜ヴリトラの存在も知っていた。消息を絶った戦車部隊は、ハロルドさんたちが全滅させたと言ったⅣ号戦車と歩兵小隊で間違いない。


「ヴリトラを討って竜の血を手に入れようとしたのは、拉致したハロルドさんをドラゴニュート化する目的だったのですか?」


「それは……、私にはわからない。『裁きの雷』を迎えることは聞いていたけれど、太古の竜まで討伐する予定は聞いていなかった。傲慢で欲深い上級大将のことだから、自身もドラゴニュートになろうとしていたのかもしれないわ。ご子息のリヒトホーフェン少将がドラゴニュート化したことを羨ましがっていたし……」


 リーゼルの言う通りかもしれない。仮にハロルドさんをドラゴニュート化させれば、リヒトホーフェン上級大将は、自らハロルドさんに討たれるリスクを追うことになる。結局、彼はハロルドさんに討たれてしまったのだけど……。


「リーゼルが言う可能性の方が高そうですね……。『裁きの雷』が最後の……と、いうことは……、水属性の方は見つかったのですか?」


 マーギスユーゲントには、六名の属性八柱が在籍していた。炎属性の私と光属性のリーゼル。ユーモア溢れる風属性のエーベルヴァイン侯爵。沈着冷静な闇属性のシーラッハ先輩。表情を表に出さないクールな氷属性のロートシルトさん。そして、いつも笑顔で土属性のマイラ先輩。


 マイラ先輩のことを考えると、抑えていた悲しみと憎しみと怒りが心の底から湧いてくる。フォルダーザイテ島基地攻略時に、敬愛する父が搭乗した七番機を撃墜した土属性の呪法は、彼女のものだから……。


「えぇ、その通りよ、キアラ。輪廻りんねの雫とうたわれる水属性の呪法の使い手、サラ・アーレント。彼女が生活していた時代も、二十一世紀の地球と言っていた。正確に言えば、拉致された……。上級大将らによってね……。上級大将に直接指示を出していたのは、死天使アズラエルと監視者ラグエルよ。彼らアヌンナキが属性八柱を集めることに執着していた理由や、サラとハロルドさんだけ別の時代にいた理由はわからないけど……」


 やはり属性八柱を集めていたのは天使たちだった。


 光、闇、炎、水、風、土、雷、氷。これで八柱とされる全ての属性の使い手が、地球から遠く離れたこのアルザルの地に集まった。リーゼルが言うように、真相はわからない。けれど、何か重要なことがある。それは直感的にわかった。


「本当に酷いことを……。その水属性の呪法を操るサラさんは、今どこにいるのですか?」


 私は、SSに拉致されてしまったサラさんが、アルザルでどのように過ごしているのか気になった。


「彼女は、しばらく塞ぎ込んでいたけど、順応すると特に抵抗もせずにリヒトホーフェン上級大将に従っていた。その後、ドラッヘリッターの一員として現在SS第七軍の後方支援隊として従軍しているわ。彼女の水属性の呪法は、戦闘的なものではなく、負傷者や病人を癒すことができる治癒系統の性質なの。治癒力に優れた彼女の呪法は、前線で軍医や衛生兵より重宝されている感じね……」


 異界の星へ拉致され、ネオナチの命令に逆らえずに従軍するサラさんの心情を察すると気の毒でならない。


「異界の星へ拉致された挙句、従軍だなんて……」


「キアラの言う通り、酷い話よね……。そう感じていながら、自分でも嫌っているSSの上層部に意見できなかった私も同罪ね……」


 リーゼルは、溜め息をつきながらそう言った。かくいうリーゼルだって、上層部の意向に楯突けば、酷い仕打ちを受けてしまう。ナチのやり方は、恐怖という目に見えない鎖で民衆を支配し、自分たちの都合を優先させて他者の自由と尊厳を奪ってゆく……。やはり、ナチが主権を持つ世界があってはならない。


 私たちの戦いは、秩序と平和を得るための暴挙だと矛盾を揶揄されることもある。たしかにその通りかもしれない。それでも、父が命を賭けたクルセード作戦こそ、私は正義だと信じている。


「リーゼルが一人で抗っても、結束主義者たちには勝てません……。そんなに自分を責めないでください。偉そうに言ってますけど、私の場合、最初は単に父に従っていただけです。でも、このアルザルをナチが支配する世界にしたくない。地球で犯した過ちを繰り返してはいけないと思い、クルセード作戦に参加しました」


「キアラ……。本当に強くなったわね。……うっ!」


 リーゼルは私に答えながら、左腕に巻かれた赤く染まる止血帯を抑えて顔をしかめた。ドラゴニュートは、再生力が強いから大丈夫だと言っていたけど、さすがに心配になってくる。


「リーゼル、腕が痛みますか? やはり無理はだめです! 私が肩を貸しますから、下層のアスリンさんたちのところへ行きましょう」


「ごめんなさい、キアラ。結局、迷惑を掛けてしまって……」


「いえ、リーゼルは、私たちを助けてくれました。お礼を言わなければならないのは私の方です。さぁ、どうぞ。立てますか?」


 私は一度立ち上がり、リーゼルの前に歩み出てから身を屈めて肩を差し出した。リーゼルは、私を見て一度頷くと、右手で私の肩を掴んでゆっくりと立ち上がった。元々リーゼルは、私よりも小柄な体型だ。しかし、今の彼女の体重が言葉を覚えたばかりの子供くらいしかないことがわかった。彩葉さんから聞いたドラゴニュートの特徴だ。


「ありがとう、キアラ」


「どういたしまして、リーゼル。まだハロルドさんや彩葉さんが生死を賭けて戦っていると言うのに不謹慎ですが……。私はこうしてあなたと会えて嬉しいです」


 私はリーゼルを支えながら、ゆっくりと上層の回廊を進んだ。そして、率直な感想を彼女に伝えた。


「それは私だって同じ。もう二度と会えないと思っていたから……。私がドラッヘリッターに配属されてすぐに、ネオ・バイエルン基地のキアラに宛てて何度も手紙を書いたの。だけど、検閲は通過するのに、その都度手紙が戻ってきてしまう。変だと思って親衛隊本部に確認したら……。ジークリンデ・キアラ・フォン・シュトラウス少尉は、妖魔族との交戦中に不慮の事故で七月十日付で除籍。死因については非公開とする。……そう、告げられたわ」


「そんなことが……。どんな事情で私が死んだことにされていたのか知りませんけど……。私もネオ・バイエルン基地に赴任してから、リーゼル宛に何通か手紙を書きました。その様子だと、どうやら私の手紙は届いていなかったみたいですね……」


「ごめんなさい、キアラ。私は、上層部からの情報を鵜呑みにしすぎていた。休暇を申請してでも、ネオ・バイエルンを訪れ、あなたの安否を自分の目で確認すべきだった」


「リーゼル? 親衛隊本部付の特殊機関にいたあなたが、休暇を申請することなんてできたのですか?」


 先程から謝ってばかりいるリーゼルに、私は少し彼女をからかうように言ってみた。たぶん、SSの特務機関に休暇なんて与えられない。辺境警備のネオ・バイエルン基地ですら、妖魔族との戦闘があった時の慰労休暇くらいしか取得できない状況なのだから。


「フフッ。さて、どうだったかしら?」


 リーゼルは、笑いながら私に答えた。懐かしい笑顔だった。微笑むリーゼルの口元から、少し長くなった犬歯が見える。これも彩葉さんと同じだ。


「ねぇ、キアラ。私がドラゴニュート化したこと……。驚いたでしょう?」


 リーゼルは、私が時々彼女のドラゴニュートの特徴を見つめていた視線に気がついたのだと思う。


「それは、否定しません……。リーゼルはナチやドラゴニュートを嫌っていましたし、家族を養うためにドラッヘリッターへ所属したものと……、思っていましたから……」


 私は、リーゼルに誤魔化すことなく正直な感想を伝えた。


「最初はそのつもりだった。キアラ、私のこと軽蔑した?」


 リーゼルは、自嘲的な笑みを浮かべながら私に言う。もちろん驚きはしたけど軽蔑なんてしていない。それよりも、私は彼女が言った『最初は』という言葉の意味が心に引っかかった。


「いえ、軽蔑だなんて……、それはありません。ただ、驚いただけです……。それより、レンスターに保護を求めたことが帝国に知られたら、リーゼルの家族が危険に晒されませんか?! 私は今それが一番心配です!」


 逆族は家族もろとも粛清する。極端な飴と鞭の政策がナチのやり方だ。リーゼルには病弱な母親と、まだ十歳に満たないハンナという名前の妹がいたはず。


「その心配はもう必要ないのよ、キアラ……。あなたが存命していたなら、シュヴァルツシュタット事件は知っているわよね?」


「はい、三ヶ月前の八月に騒がれていた事件ですから良く覚えています。太古の竜が地底から出現して、シュヴァルツシュタットの集落を壊滅させ、三百人近い犠牲者が……。まさか?!」


 話の流れから、私は察しがついた。


「そう。母さんとハンナは、アーネンエルベからシュヴァルツシュタットに家を与えられて暮らしていたの。集落を壊滅させた地竜アジュダヤは、私たちドラッヘリッターが討伐したわ。丁度、あなたが不慮の事故で亡くなったと知らせを受けていた時期と重なっていたこともあって……。それまで、ずっと拒み続けていたドラゴニュート化について、何も失うものがなくなった私は、地竜アジュダヤの魂を取り入れる決意をしたの。強力な竜の力を持てば、何かの役に立てるかもしれないと……、思ってね……」


 私がリーゼルを見つめると、リーゼルは私を見ることなく、遠くを見つめたまま淡々と語った。私はリーゼルに声を掛けようと言葉を探した。だけど、彼女になんて声を掛ければよいのかわからなかった。


 石造りの上層の回廊に、下層から聞こえてくる忙しそうな治癒士たちのざわめき声に混ざり、私たちがゆっくりと歩く足音が石の壁に響いていた。


「そんなことが……。あったのですね……。リーゼルが辛い時に、支えることができなかったことが悔しいです……」


 やっとの思いで、私はリーゼルにそう答えた。家族を失った辛さは、今の私には痛い程よくわかる。大切な人が突然目の前からいなくなる喪失感は、本当に辛い。そして闇の中に放り込まれたような孤独な気持ちになる……。


「正直に言うと、私はこの三ヶ月間とても苦しかった。何かの役に立とうと思ってドラゴニュートになる道を選んだのに、私はずっと惰性で生きてきてしまった……。けれど、今日このレンスターで、やっと光が見えた気がする。私にとって、今あなたが生きてここにいることが何よりも救いだから……。だから、私はもうドラッヘリッターへ帰るつもりはない」


「リーゼル……」


 リーゼルの心の痛みや身の回りに起きた不幸を思うと涙が込み上げ、溢れ出た涙が頬を伝わった。


「ごめんなさい、キアラ。せっかくの再会なのに、もの悲しい話をしてしまって」


「いいえ、そんなことはありません。実は……、私も家族を失いました。敬愛する父は、フォルダーザイテ島基地の滑走路に墜落したギガントに搭乗していました……。リーゼル、あなたはあの時、フォルダーザイテ島基地にいましたね? 私は、上空からあなたの呪法を見ました。私たちが搭乗していたギガントは、トーチ少佐の強襲を受けたことで撤退を余儀なくされ、すぐに戦場から離脱しました。私たち第二○二装甲師団による、クルセード作戦は……、フォルダーザイテ島基地占領戦は、成功しましたか?!」


 私は、勇気を振り絞ってリーゼルに質問した。私がリーゼルから一番訊きたかったことは、この作戦の成否だ。


 リーゼルは、私からの質問に驚いた様子だった。そして、彼女の目尻からも一筋の涙が流れ落ちた。


「キアラの言う通り、たしかに私はあの島にいた……。ただ、トーチ少佐が指揮する私たちドラッヘリッター第三軍が、フォルダーザイテ島基地に滞在していたのは、皮肉にもあなたたち第二○二装甲師団を迎えるためだったの。そして、奇襲攻撃を受けたフォルダーザイテ島基地は、地上戦に突入すると僅か三十分で陥落したわ。元々フォルダーザイテ島基地は、師団単位の守備隊が置かれていなかったのだから当然の結果ね……」


 回廊を進みながら、淡々と語り始めたリーゼル。


 彼女の言葉通りならば、フォルダーザイテ島基地が陥落したということは、つまり、私たち第二○二装甲師団が占領したということだ。そしてこの結果は、遊撃旅団が展開する東フェルダート地方とヴァイマル帝国本土の補給線が完全に遮断され、キルシュティ基地を孤立させる戦略的勝利を収めたということになる。


 よかった……。戦死した父や仲間たちの命が無駄にならずに済んだ。ヘニング大尉たちも、この結果を聞けば大いに喜ぶと思う。私は、目の奥から熱いものが込み上げてくるのが自分でもわかった。でも、今はリーゼルを両手で支えているため、それを拭うことができない。


「基地が壊滅し、トーチ少佐が戦死したことで、私とマイラ先輩は撤退せざるを得なかった。でも……、あの墜落したギガントに、シュトラウス伯が搭乗していただなんて……。キアラ、本当に何と詫びたらいいか……」


 言葉を続けるリーゼルの表情は、引き攣るように笑っていた。彩葉さんと同じように怖いと感じているのだと思う。


「私の個人的な感情としては、父が搭乗していたギガントを撃墜した、土属性の呪法を操るマイラ先輩に対する憎しみが消えないでしょう……。でもリーゼル、あれは私たちから仕掛けた戦争です。リーゼルが謝らないでください。作戦の戦略的勝利は、戦死した父や仲間たちも喜ぶと思います」


「キアラ……」


 リーゼルは一度歩みを止め、負傷していない右腕の袖で自身の涙を拭った。


「まだ完全に乗り越えられていませんけど、私は大丈夫です。ところで、リーゼルは、あの島からどうやって脱出したのですか?」


 私も涙を拭いながら、リーゼルに島からの脱出方法を質問した。


「マイラ先輩のドラゴニュートの特性は、トーチ少佐や、ハロルドさんが討ったコーエン伍長と同じ、天空竜サファトの眷族の天空竜族のドラゴニュートで飛行が可能なの。私はマイラ先輩に抱えられたまま、あの島を脱出した……、うっ……」


「リーゼル、大丈夫ですか?! 先程より顔色が悪いです……。リーゼル、あなたの右手で私の左肩を大きく掴むように手を回してください。私がこのままあなたを抱えて行きます。もう少しの辛抱ですから頑張ってください」


「ありがとう、キアラ……。でも、私があなたたちの仲間に受け入れられるとは限らない。その時は……、相応の裁きを受けるつもりよ……」


「何を言ってるんですか。そんなことはさせません。リーゼルは、私の家族なのですから!」


 絶望に打ちひしがれる中、それでも前向きにドラゴニュート化を決意したリーゼル。けれども、その力が利用される道は、兵器としてのみだった。そして、リーゼルは軍の命令に従っていただけ。


 きっと、ヘニング大尉やレンスターの重鎮たちも彼女のことを理解してくれると思う。けれど、もし彼女が裁きを受けなければならないというのなら、私は身を挺してでも彼女を弁護するつもりでいる。彼女は、私の大切な最後の家族なのだから。

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