第91話 ドラゴニュート対ドラゴニュート

 タンタンタンタン……。


 レンスター城内の通路に、私の走る足音が反響する。


 私は、通路の奥から聞こえてくる悲鳴や騒ぎ声を頼りに、玉座の間から逃走したマグアート伯爵とドラゴニュートの将校を追っている。この通路の先は、王家の居住区がある王室だ。恐らく敵が目指している場所は王室だ。


 私は、トマス・マグアート伯爵という人物をよく知らない。けれど、アスリンの命を狙った一連の事件から、目的のためなら手段を選ばない卑劣な男だということを重々承知している。


 王室の警護は、腕の立つ衛兵と騎士たちが集まっているのでそれなりに厳重のばす。ただ、自分で言うのもおかしな話だけど、身体能力が高く竜の力を持つドラゴニュートが相手となると何が起こるかわからない。


 フローラ王妃やメアリー公女殿下が人質に取られでもしたら……。


 焦燥感に駆られた私は、王室を目指して更に走り続けた。そして、中庭の練兵場を囲んだ通路の角を曲がったところで、私の視界に凄惨な光景が飛び込む。


 そこには、レンスターの衛兵たちや非戦闘員の侍女たちまでが、血まみれの状態で通路に倒れていた。倒れている人たちは、合計で十名を超えていた。私はすぐに近くに倒れている侍女に駆け寄り、膝をついて声を掛けた。


「大丈夫ですか?! しっかりしてくだ……」


 そう言い掛けたところで、私は言葉を止めた。既に侍女の息はなかった。彼女の首は、鋭い刃で貫かれた痕があり、床一面が血に染まっている。


 周りを見ると皆同様に、首に深い傷痕があり絶命していた。敵の武器は、鋭い槍か、それとも刺突用の剣か……。


 犠牲になった衛兵たちの中にグランさんとアゼルがいた。二人は、私の剣道に興味を持ち、熱心に基礎を学んでくれていた衛兵たちだった。


 命を賭けて戦うことが兵士の務め。


 わかっていても、知人たちの変わり果てた姿に、悔しさと悲しさで胸が締め付けられ、涙が込み上げてくる。私は目元に溜まった涙を右手の袖で拭いながら立ち上がり、王室がある三階の階段を目指して再び走り始めた。


 やがて、三階へ通じる階段が見えてくると、階段の中腹で重装の鎧を着装した二名のレンスター騎士と対峙する、逃走者の姿が視界に入った。





 敵は、予想通り王室を目指していた。ドラゴニュートの将校が先頭に立ち、マグアート伯爵を庇いながら銃装騎士二人を相手に剣を構えている。抜刀したドラゴニュートの将校の構え方。あれは、フェンシングだ。


 私は、階段に向かって走りながら、帯刀した聖剣ティルフィングを鞘から抜いた。


 パンッ! パンッ! パンッ!


 乾いた銃声が三発。


 銃で撃たれたのは、二名のレンスターの重装騎士だった。二人は、崩れるように膝をついてから倒れ、そのまま階段を転がり落ちる。剣を交えていたドラゴニュートの将校とマグアート伯爵は銃を所持している様子はない。いったい誰が……。


 ドラゴニュートの将校とマグアート伯爵は、階段の上り口まで駆けつけた私に気がつくと、私を睨みつけてきた。私も二人の敵を睨み返す。すると、その二人の先の階段の頂上で、黒い衣装に身を包んだ小柄な男が、拳銃を構えて立っているのが見えた。


 敵はもう一人いた。重装騎士たちに拳銃を撃ったのは、この男で間違いない。


「伯爵、早く上へ! その者が例の『黒鋼のカトリ』です!」


 黒い衣装の男は、大声でそう言いながら、構えたままの拳銃を私に向けて五、六発連続で発砲した。


 そのうちの二発が私の左肩と頭に当たった。しかし、私は咄嗟に竜の力である硬化を使い、甲高い金属音と共に銃弾を弾き返した。階段の頂上から私の位置まで、三十メートル以上離れている。それなのに拳銃を当ててくるなんて、この黒衣装の男は拳銃の扱いに慣れている。


 私は、階段を一段ずつゆっくりと上りながら、ティルフィングの剣先けんさきを三人の敵に向けて中段の構えを取り、一旦竜の力である硬化を解いた。私の竜の力の維持は、水中で息を止めている感覚に近い。だから、必要な時に備えるために一旦解除する必要がある。


 それより、三人目の登場が想定外だった。黒衣装の男は、玉座の間にいなかったはず。どこに潜んでいたのだろうか。しかも、初対面だと言うのに、私のことを知っているだなんて……。


「ちっ……、やはり銃が効かないか……。ダルニエス少佐、その小娘の相手は任せた! 私は漆黒のクロウと共に退路を確保する!」


 マグアート伯爵は、叫ぶように指示を出すと、私に向けて発砲した黒衣装の男がいる階段の頂上へと駆け上がって行った。このままじゃいけない……。


 漆黒のクロウ……。アスリンの命を狙っていた、陰の実行犯……。あいつが、アスリンやファルランさんたちを……。


 エリック・マグアート子爵がエディス城で自ら命を絶ってから、姿をくらませていた漆黒のクロウ。たぶんこの男は、国境を越えて、エスタリアに滞在する子爵の長男のトマス・マグアート伯爵を頼ったのだと思う。


 ドラゴニュートの将校は、マグアート伯爵の言葉に従ったのか、私の方へ向きを変えてゆっくりと階段を降りてきた。側頭部に左右対称に角があり、赤黒い鱗に覆われた将校は、一メートル程の長さの黒く細長い片手剣をチラつかせながら、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。


 マグアート伯爵と漆黒のクロウを追う前に、目の前のドラゴニュートの将校を何とかしなくちゃ……。


 城内の通路で首を突かれて命を落としたレンスターの衛兵たちは、ダルニエス少佐の黒い剣にやられたに違いない。フェンシングの攻撃は、テレビでしか見たことがないのでよくわからない。恐らく、急所を狙う強烈な突きが、遠くの間合いから襲って来るのだと思う。


『貴様が鋼鉄の鱗を持つドラゴニュートの剣士、黒鋼のカトリ……か。我が名は、ヴァイマル帝国武装親衛隊少佐エドラー・ダルニエス。ヒトラー総統から推薦を受け、オリンピックに出場させていただいた経験がある。それゆえ、剣は少々自信があってね。この竜殺しの剣、カラドボルグが相手をしてやる!』


 ドラゴニュートの将校は、念話で自らの名を名乗ると、自信に満ちた表情で右手の片手剣を私に向けた。そして、ゆっくりと腰を落とし、バランスを取るように左手の肘を上方に向けて身構えた。


 竜殺しの剣カラドボルグ。不気味な程に黒い剣身のこの剣は、斬ることより突くことを目的に作成されている。ヴリトラがティルフィングを竜殺しの剣と呼んだように、カラドボルグもアヌンナキが作った対竜族用の武器なのだろう。


 それに、ダルニエス少佐は、オリンピックの選手だと言った。そんな相手に、私は勝てるだろうか……。恐怖という感情がなくなった私の心に、不安と共にワクワクするような感情が湧いてくる。これは模擬戦ではない。ルールや勝負を決める審判もいない実戦だ。負けた方が死ぬだけ……。


 敵の間合いに入ったら、ダルニエス少佐の強烈な突きを警戒しなければならない。そのために、彼が簡単に私の懐に入れない構えを取る必要がある。


 私は、中段の構えのまま、剣線けんせんを少し下げ、剣先をダルニエス少佐の喉元から胸元に向けた。これだけで、威嚇に効果があるはず。仮に、彼が不用意に近づこうとすれば、私のティルフィングが彼の喉や胸をいつでも貫ける体勢になるから。


 それでも、私の立ち位置は階段の下方。私の攻撃は、ダルニエス少佐が接近して来ない限り届かない。かといって、私から間合いを詰めれば自身の上半身にカウンターを受けるリスクが高まる。つまり、状況は変わらず極めて不利だということ……。


 緊張のあまり、喉が渇く。どうせなら、ドラゴニュートから恐怖という感情だけでなく、この緊張する感覚もなくなって欲しいものだ。


 私とダルニエス少佐は、互いの目をジッと見つめたまま動かない。しばらく沈黙が続いた。彼はなかなか私に近づこうとしない。私の考えは彼に読まれている。


『アーリア人でもない田舎伯爵の指示というのがしゃくに障るが……。隙のないその構え。ドラゴニュート対ドラゴニュート。どうやら本気で楽しめそうだ。フロイライン、その見たことがない構えは、この地方特有の剣技か?』


 ダルニエス少佐は、私に念話を送って来た。話しぶりからマグアート伯爵のことをさげすんでいるように取れる。これがキアラの言っていた、生粋のナチス党員がするという人種差別かもしれない。


 本来なら、こんな場所で悠長に会話などしている場合じゃない。少しでも早くダルニエス少佐を討ち、三階の王室の方へ向かったマグアート伯爵と漆黒のクロウを追わないと……。


 オリンピックに出場した経験があるなら、きっとダルニエス少佐は英語が話せる。私が地球から来たことを英語で伝えれば、動揺して彼に隙ができるかもしれない。私は竜の念話を使わずに、敢えて英語で彼の質問に答えることにした。


“My swordplay is the one learned in Japan. In other words ... I have come from the far-off earth like you, too !”

(私の剣術は、日本で学んだ。つまり……、私もあなたと同じ、遥か遠い地球から来たってわけ!)


 ダルニエス少佐は、寝起きの顔に水を掛けられたような表情をして驚いた。


 私が予想した通り、彼が英語を直接理解して、私が地球から来たことを知った証拠だ。驚くダルニエス少佐の背筋は少し後ろに反り、剣の構えに隙が生じていた。これは私が待っていた打突の好機だ。


 動くなら今しかない!


 私は、ダルニエス少佐が見せた一瞬の隙を逃さず、全身を黒鋼の鱗で覆い、一気に間合いを詰めた。





 私は、ダルニエス少佐が持つカラドボルグの剣先を、聖剣ティルフィングで右から左へと払い、そのまま右足を踏み込み、彼の顔面を目掛けて聖剣を突くように叩きつけた。


 しかし、相手も身体能力が高いドラゴニュート。私の攻撃は、惜しくも寸前のところで避けられてしまう。ダルニエス少佐の懐近くまで飛び込んだ私は、不利な間合いから無理に脱出を計らず、鍔迫つばぜり合いに持ち込もうした。しかし、私はダルニエス少佐に右足で腹部を蹴られて吹き飛ばされてしまう。


 吹き飛ばされた私は、そのまま空中で一回転して階段に着地した。すると今度は、私のその着地に合わせてダルニエス少佐が反撃してきた。右半身を私に向けて、遠くから猛スピードで踏み込んできた。そして、そのまま一突き、二突き、三突き、四突きと連続の突き技を入れてくる。


 ダルニエス少佐の突きは、目に見えないくらい早い。


 私は、どうにか最初の突きと二段目の突きをティルフィングで受け流し、勢いに押され後退しながら三段目の突きをギリギリのところでかわした。しかし、四段目の突きは、もう後方に下がるだけでは避けられそうにない。私は、思い切り体を右半身に傾け、ダルニエス少佐の足元を目掛けて前転しながら攻撃をかわした。


 どうにかダルニエス少佐の猛攻を避けた私は、すぐに起き上がり中段の構えを取った。立ち上がり際に、私の左の横髪が少しだけハラハラと階段の踏面に落ちてゆく。四段目の突きが横髪に当たってしまったらしい。


 私とダルニエス少佐は、再び互いの目を凝視し、しばらく沈黙が続いた。


“Wow, I'm impressed, Fräulein !”

(なかなかやるじゃないか、お嬢さん!)


“It is such an honor to be able to have you say such a thing”

(あなたにそう言われるのは光栄です)


 私がダルニエス少佐の脇をすり抜けたことで、先程と立ち位置が逆になり、今度は私が階段の上側だ。立ち位置的に有利な状況のはずだけど、敵に全く隙がない。


 私の胸の高鳴りは、最高潮に達したライブの時と同じくらいワクワクしている。私がドラゴニュートでなければ、きっと立っていられない程の恐怖に襲われているのだと思う。その証拠に、私の足はガクガクと震えていた。


 私は、ダルニエス少佐の目をジッと見つめたまま、ティルフィングの剣先だけを何度か僅かに左に動かした。その度に、私に向けられた黒く鋭いカラドボルグの剣先が、ティルフィングの動きに合わせてついてくる。


 ダルニエス少佐は、確実に私の動きに合わせた反撃を狙っている。私は、敢えて彼の反撃を誘い出すことに決めた。誘って打たせ、そしてそれに打ち勝つ。わかりやすく言えば、カウンターのカウンターだ。


 私はなるべく大きな音を立てて右足を踏み込む。それに反応してグッと姿勢を低くするダルニエス少佐。私は、低く構えた敵に対して、敵を誘うために剣先を少しだけ上げた。ティルフィングの剣線を上げることで、私はに対する反撃ができなくなる。その結果、ダルニエス少佐は、私の懐を狙いやすくなる。


 これは、敢えて自ら隙を作り出す苦肉の作戦だ。


 長い沈黙が続いたため、焦らされたのだろうか。ダルニエス少佐は、私の誘いに乗ってくれた。彼はカラドボルグでティルフィングを払ってから、そのまま右手を伸ばして、勢いよく私の喉元を目掛けて突いてきた。


 私は、ダルニエス少佐の鋭い突きを左に重心を掛けて避けながら、からの反撃を試みた。彼に振り払われたティルフィングの反動をそのまま利用して、彼の突きよりも早く彼の右腕を狙って打ち込んだ。


 自分でも十分な手応えが感じられる見事なが入った。聖剣ティルフィングは、そのままダルニエス少佐の右腕を切断した。


 一方、私はダルニエス少佐の突きを、完全に避けきれなかった。双方の攻撃に勢いがあったため、彼が突いてきたカラドボルグは、私が切断した彼の右手が握った状態で私の右肩に当たってしまう。


 銃弾ですら弾く黒鋼の鱗は、もちろん剣など受け付けない。


 ……はずだった……。


 しかし、カラドボルグは、あらゆる攻撃を弾くとヴリトラが言った、竜の力である硬化を打ち破り、私の右の鎖骨の下に突き刺さった。私の右肩は、凄まじい激痛に襲われた。まだ硬化の力は使ったままだというのに……。


「グワァァァァーーーーーッ!」

「うっ……!」


 階段に響くダルニエス少佐の悲鳴。少し遅れて、私も右肩の激痛で声を漏らしてしまう。


 ダルニエス少佐は、真っ青な顔色で両膝を階段について、失った右手首を抱きかかえるように抑えながら、悲痛な声を漏らして私を睨んでる。止めを刺すなら彼が動けていない今しかない。ティルフィングも竜殺しの剣というだけあって、私が彼に与えたダメージも想像以上に大きいのかもしれない。


 私の右肩のダメージも想像を超えていた。私の黒鋼の鱗が破られたのは初めてだった。黒鋼の鱗に完全に頼り、少し慢心していたことは否めない。私は横目で痛む右肩を見ると、カラドボルグが私の鎖骨の下を貫通して背中側に突きでていた。右腕が動かないほど痛む理由はこれだ……。


 竜殺しの剣は、ドラゴニュートにも適用されるらしい……。


 気持ちが悪いことに、ダルニエス少佐の右手は、まだカラドボルグの柄を握ったま間の状態で私の顔の横でぶら下がっている。私はティルフィングを左手で持ち、カラドボルグを握ったままのダルニエス少佐の右腕を振り払って落とした。その振動でカラドボルグが揺れ、私の右肩に激痛が走った。


“Shit! Who the hell do you think you are ?!”

(くそっ! 調子に乗ってるんじゃねぇぞ?!)


 ダルニエス少佐は、息を切らせながら悔しそうに私に言った。


 憎い敵とはいえ、できれば命を奪いたくない。


 しかし、ダルニエス少佐は、躊躇ちゅうちょなく非戦闘員の侍女の命まで奪う

非道な男だ。もし、このまま逃走されたらまた繰り返される。それにこの男は、生粋なナチスの思想を持つドラゴニュートだ。ここで止めを刺さないと絶対に後悔する。


 私の直感が、そう告げていた。


“You were a true soldier. But that also ends here ... . Tyrfing eats your soul”

(あなたは本物の戦士だった。でも、それもここで終わり……。ティルフィングがあなたの魂を奪うから)


“Tyrfing ?! I see, I got it. You killed Generaloberst der Waffen-SS Richthofen ...”

(ティルフィング?! なるほど、そういうことか。貴様らがリヒトホーフェン上級大将を……)


 ダルニエス少佐は、そうに言うと気がおかしくなったように、目を血走らせながら大きな声で笑い始めた。


 何に対して笑っているのだろう……?


 たしかに、私たちはアルザルへ来た時、多くのヴァイマル帝国の兵士たちの命を奪った。けれど、あの時そうしていなければ、私たちは今ここにいない……。きっと、あの場で殺されていたはず。特に私は……。


 やらなければやられる……。これを私たちに教えたのは、ヴァイマル帝国だ。笑えることなど、ひとつもない。


 この男は、何がそんなにおかしいのだろう……。


 いつまでも大声で笑い続ける彼を見ていると、激しい嫌悪感が湧いてくると同時に哀れに思えてきた。はっきり言って不快だ。


“Bye ... forever !”

(さよなら……)


 激しい肩の痛みに耐えながら、私はダルニエス少佐に別れの言葉を送った。


 そして、私は左手に持ったティルフィングを、ダルニエス少佐の首を目掛けて横一文字に薙ぎ払った。

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