第45話 竜帝シグルドの再来(下)

 模擬戦の開始と同時に動いたのは彩葉だった。


 彩葉は、もの凄いスピードで大盾を持つアーロン卿を目掛けて走り出した。人間離れした彩葉の足の速さに、観覧者たちからどよめきに似た歓声が沸き起こる。バッセル卿とハイマン卿も、彩葉の余りの早さに驚いて立ちすくんだ。


 一番驚いているのは盾に空いた覗き穴から彩葉の接近を見つめて身構えているアーロン卿だろう。


「アーロン、気をつけろっ!」


 バッセル卿がアーロン卿に忠告した時、既に彩葉はアーロン卿が構えている大盾の目前まで迫っていた。アーロン卿はこれをチャンスと見たのか、左手に持つ大盾を僅かにずらし、右手に持った片手剣を思い切り彩葉に突き出した。


 アーロン卿の攻撃を読んでいた彩葉は、アーロン卿の右側面に飛び込むようにジャンプして、左手を地面に着いて片手で側転をするように、アーロン卿が突き出した片手剣を避ける。


 曲芸的な動きで自らの右側面へ移動した彩葉に驚くアーロン卿は、正面に突き出した片手剣を、彼の右側面に立つ彩葉に向かってそのまま薙ぎ払う。しかし、薙ぎ払った片手剣は彩葉に届くことはなかった。彩葉の反撃を恐れたアーロン卿は、何とか体勢を整えようと後退して、彩葉に正対しようとする。


 しかし、後退しようとしたアーロン卿に対し、彩葉は一瞬の好機を逃さず、そのまま木剣を両手に持ってアーロン卿の首筋目掛けて突き立てた。重厚な甲冑に身を包んでいたアーロン卿だったけど、至近距離から喉元の僅かな鎧の隙間を突かれたことで、よろけながら後退し、そのまま仰向けに倒れた。


 模擬戦が開始されて僅か十秒足らずのできごとだったため、妙な沈黙がしばらく続いた。幸村も彩葉の想像を超えた動きに空いた口が塞がらない状態だ。


「イロハ凄いっ!」


 真っ先に中庭の沈黙を破ったのはアスリンの歓声だった。彼女の歓声を機に、観覧者たちから一斉に歓声が沸き起こる。


「さっすが、彩葉だぜっ!」


「あぁ!」


 興奮しながら言う幸村に俺も同意する。模擬戦が始まる前は、同僚である騎士団を応援していた周りの武官たちも彩葉の動きを称賛している。


「でも、彩葉のあの動き、本当に人間離れしていてヤバいな……。しかも、パンツは白だ」


 真顔で幸村が呟く。前半の発言には同意だが、本当にコイツはバカだ。


「何を見てるんだ、お前はっ!」


「いや、見ようとしたわけじゃなく見えちゃっただけじゃないか」


「変態っ!」


 言い訳をする幸村に、アスリンが間髪いれずに軽蔑した目つきで言った。この際だからもっと言ってやって欲しい。


 彩葉は拍手と歓声が鳴り止まない中庭の空気をすでに味方につけている。アーロン卿が動かないことを確認すると、長槍を構えるハイマン卿を目指して下段の構えのまま一気に走って近づく。もう同じような強襲は通用しないだろうから油断せず頑張って欲しい。剣道の試合を応援する時もそうだったけど、祈ることしかできない自分が歯痒い。


 彩葉の接近で我に返ったハイマン卿は、近くにある練兵場の納屋を背にして槍先を彩葉に向けて腰を落として構えた。彩葉が背面に廻り込めないようにする作戦だろう。そしてそのままハイマン卿に近づいた彩葉と、正面から向かい合う形になる。


 ハイマン卿の槍の長さは二メートル半くらいあるので、リーチの上ではハイマン卿が有利だ。ハイマン卿は、槍先を動かして近づこうとする彩葉を威嚇している。しかし、彩葉は中段の構えのままジリジリと摺り足でハイマン卿に近づいた。


 ハイマン卿にとって丁度良い間合いに彩葉が入ったのだろう。彩葉を目掛けて強烈な突きを入れるが、彩葉はそれを木剣で受け流し、そのままカウンターで一気にハイマン卿の懐へ飛び込もうと姿勢を低くした。危険を感じたハイマン卿は、突いた槍をそのまま右から左へと彩葉の足元を狙って薙ぎ払った。


 彩葉は、ハイマン卿が薙ぎ払う長槍を垂直方向に大きくジャンプしてかわし、ハイマン卿の背後にある納屋の屋根の上に着地すると身を屈めてハイマン卿の死角に入った。


「おぉぉーっ!」


 彩葉の異常な跳躍力に観覧席から驚愕の声が上がった。当のハイマン卿はジャンプした彩葉がどこに行ったのか見失ったようで左右を確認している。


「納屋の上だ、ハイマン!」


 観覧席の武官の誰かがハイマン卿に彩葉の居場所を伝えると、ハイマン卿は背にしていた納屋の方に向きを変え、そのまま納屋の上を見つめた。しかし、もう彩葉は納屋の上におらず、アクロバットな跳躍で空中で身を捻りながら、納屋の屋根を見つめるハイマン卿の背後にスッと着地した。


 ハイマン卿が自分の背後に着地した彩葉の存在に気付いた時は既に遅かった。彩葉は、ハイマン卿の背面から両足の後膝部こうしつぶを目掛けて細身の木剣を叩き込んだ。


 背後から膝裏を強打されたハイマン卿は、そのまま尻もちをつく形で倒された。彩葉は、すかさず倒れたハイマン卿の頭部に立ち、木剣の先をハイマン卿の頬にそっと当てた。ハイマン卿は天を仰ぎ、自らの武器である長槍を手放して両手を上げて投降した。


 練兵場は再び大きな歓声に包まれた。公王陛下や堅牢のロレンスも彩葉に拍手を送っている。


「よっしゃ、二人目! 後はバッセル卿だけだぜ、ハル?!」


「あぁ、行けるな!」


 まだ勝負はついていないけど、俺と幸村は嬉しさのあまりいつものようにハイタッチを交わす。


「ね、言った通りでしょう? この勝負、イロハが勝つわよ!」


「あぁ、本当にアスリンの言った通りだ」


「竜の剣士さん、頑張れ―っ!」


 上階のバルコニーから見ている貴族の貴婦人も彩葉に声援を送っているようだ。


「おいおい、嘘だろう? あのドラゴニュートの女、防具も付けていないのにバッセル騎士長倒しちまうんじゃないか?」


「このままじゃまずい! 騎士長殿ーっ! 頑張ってくださーいっ!」


 俺たちの周りにいる若い衛兵たちがバッセル卿に声援を送り始めた。今の俺にできることは応援くらいだ。それなのに応援が負けているなんて彩葉に顔向けできない。


「彩葉ー、気を抜かずに全力で行くぞーっ!」


 大きな声で叫んだ俺の声に気がついた彩葉は、俺を見つめて笑顔で頷いた。俺も右手の拳を突き上げて彩葉に応える。


「珍しく熱くなってるじゃん?」


 幸村が笑みを浮かべながら肘で俺の脇腹をつついてくる。


「当たり前だ! 周りの声援なんかに負けていられるかって!」


「ボクも負けてられないな! 彩葉ーっ、ファイトーッ!!」


「イロハ―ッ! ふぁいとおーっ!」


 アスリンも幸村を真似て彩葉に声援を送る。アクセントが微妙に違うところが何だか可愛らしい。俺たちが周りに負けない声援を送っている間に、彩葉とバッセル卿は互いの距離を詰めて剣を構えたまま視線を合わせている。


 木剣を両手で持ち、中段の構えのままジリジリと彩葉が詰め寄る。バッセル卿は右後方に剣先を向けており、下段の構えに近い状態だ。迂闊に近づけば胴を狙った強烈な一撃を当てて来るはずだ。


 声援が飛び交っていた中庭は再び静かになり、緊張した空気が辺りを包みこんでいる。ワンピースのスリットの隙間から見える彩葉の尻尾は、闘志が表に出ているためか反り立つようにピンと上を向いている。


「やあぁぁぁっ!」


 気合の入った掛け声とともに、先手を取ったのは間合いを詰めた彩葉だ。


 バッセル卿の腕を狙って小手を打ち込みながら、そのまま振り上げることなく突くようなイメージで頭部を目掛けて打ち込む。剣道でいう小手面の連続技だ。彩葉の木剣は、バッセル卿の籠手に命中したけれど、騎士長の手首を守る甲冑が頑丈なため、ダメージがなさそうだ。


 また、二段目に打ち込んだ頭部を狙った攻撃は、熟練の騎士であるバッセル卿に見切られており受け流されてしまう。


 彩葉はそのままバッセル卿の右側をすり抜けて間合いを取り、すぐに振り向いて中段の構えに戻る。バッセル卿もすぐに向きを変えて、すり抜けた彩葉を追いかけるように間合いを詰めた。


 数秒の膠着状態が続いた後、彩葉は中段の構えから上段の構えに変えて半歩近づく。敢えて胴をがら空きにしてバッセル卿を誘っているのだろう。隙が有りそうで全く隙を見せない、そんな彩葉の構えに手をわずらわせているバッセル卿は、誘いであることを承知の上で大剣を打ち込んだ。


「うおおおぉぉぉぉぉっ!」


 バッセル卿の大剣の振りはもの凄い早さだ。息を飲んで見守る中、彩葉はそれを避けることも受け流すこともしなかった。バッセル卿の攻撃は彼女の左側胸部を直撃した。


 次の瞬間、ゴォーンというような寺の鐘に似たような音と共に、バッセル卿が両手に持つ木製の大剣は柄の部分を残して粉砕した。一瞬ヒヤッとしたけど、露出していた彩葉の地肌は黒い鋼のような鱗に変わっており、竜の力である硬化を使ってバッセル卿の攻撃を受け止めていた。


 そして、少しよろけながらも、直立した状態の彩葉からバッセル卿の喉元に細身の木剣が突き付けられている。武器を失い剣を突き付けられたバッセル卿は、両手を上げて投降した。


「勝負あり!」


「おぉぉぉぉーっ!」


 静まり返っていた中庭は、堅牢のロレンスの号令で、今までで一番大きな歓声に包まれる。公王陛下も立ち上がって拍手を送っている。模擬戦の時間は僅か三分にも満たないくらいの時間だったけど、誰もが満足そうな顔つきで拍手を送っている。


 硬化の力を使っていた彩葉は、竜の力を解いて大きく一礼し、そしてすぐに最初に彼女が倒したアーロン卿のところへ駆けつけた。結構いい勢いで突きを入れたため、彼女自身も心配しているのだろう。アーロン卿はしばらく倒れていたけど、今は座った状態で兜を脱ぎ、喉を抑えながらも駆けつけた彩葉と握手を交わしている。


「私はアーロン卿の治療を手伝って来るね」


「ありがとう、アスリン。お願いするよ」


「うん!」


 アスリンは満面の笑みで彩葉のもとへと向かっていく。今のところ、アスリンが心配していたようなひがみや妬みを持って悪態をつくような人は見受けられない。


「さっすが彩葉だぜ! さっきそこにいた衛兵たちが彩葉のことを竜帝シグルドの再来だなんて言ってたよ。まさに神話級ってことだろうし、ボクまで鼻が高いぜ!」


「あぁ、本当に彩葉は凄いよ。でも、最後のは俺もちょっと焦ったぜ? あの鱗はマジで頑丈なんだなぁ……」


「あれって、銃弾だって弾くんだろう? ハルの魔法と合わせれば二人はマジで最強だね。それより夜の宴会で、きっとワインをたくさん注がれて飲まされちゃうんだろうなぁ」


 幸村の発言で俺の頭に不安が過ぎった。レンスターに到着した日もそうだったけど、昨夜もワインを飲んだ途端に彩葉は眠ってしまった。


「それはまずい……。彩葉は竜の体質なのか知らないけど、ワイン飲むと即効で寝ちまうぜ?」


「それは本人が注意するしかないかもな……。ただ、不眠になったわけじゃなくて良かったと思うよ、ボクは」


「寝酒とかオッサンみたいで笑っちゃうな。でも、これは本人に言ったらマジギレされそうだから内緒だぜ?」


 俺は思わず幸村に本音を言いながら笑ってしまった。


「そりゃ、間違いなく怒ると思うぜ! あ、ハル。黙っている代わりに貸し一つなっ!」


 そう答えた幸村も俺につられて笑い始めた。ドラゴニュートである彩葉が普通の人間と変わらないということは、この場にいる誰もが模擬戦を通じて認めてくれたと思う。模擬戦を観戦していた周囲の人々は、代わるがわる彩葉に祝福を送りながら握手を求めている。彼女は槍使いのハイマン卿とも笑顔で握手を交わしていた。


 こんなに清々しく楽しい気持ちになれたのは、彩葉が剣道の地区予選で優勝した以来だ。彩葉はずっと一緒に過ごしてきた家族のような幼馴染であり、俺にとって特別な存在だ。自分のこと以上に誇らしい。今夜の宴は俺たちのライブも余興として用意されているし、何だかとても盛り上がりそうな予感がする。

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