第44話 竜帝シグルドの再来(上)

 レンスター城の中庭を活用した練兵場は、土を踏み固められた地盤で、樹木どころか雑草すら生えていない。三階部分にバルコニーの回廊があるものの、周囲の城壁に開口部が少ないため、王城の中庭だというのに殺風景な感じがする。


 これからこの練兵場で行われる彩葉の模擬戦は、公王陛下の許しが出たために誰でも自由に観覧できることになった。さすがに一般市民が観覧に来るようなことはなかったけど、異国の女剣士がレンスターの騎士団に挑むという模擬戦を一目見たいと思う者は多いようだった。


 しかも、その女剣士は意思を持つドラゴニュート。衛兵や騎士などの武官だけに留まらず、文官や貴族たちまでが、中庭が臨める城の窓辺やバルコニーに姿を現し、模擬戦が始まるのを首を長くして待ち望んでいる様子だ。


 充実した娯楽があるわけではない中世の文明レベルでは、このような模擬戦は演劇と同等な娯楽なのだと思う。即席の模擬戦だというのに、一見したところ観覧者は軽く百名を超えている状況だ。


「なぁ、ハル。彩葉は本当に大丈夫かな? 模擬戦の準備している若い騎士たちも強そうだけど、特にあの騎士長のバッセル卿は絶対にヤバいって……」


「間違いなくバッセル卿は強いだろうさ……。でも……、彩葉ならきっとカッコいい勝負、すると思うぜ?」


 心配そうな表情で落ち着かない様子の幸村にそう答えた。かくいう俺だって緊張で汗が止まらないほど彩葉のことが心配でたまらない。


 剣道の試合と違って同世代の女子が相手ではなく、実戦経験を持つ大人の男たちだ。武器こそ木製だけど、防具などは実戦さながらだ。しかも、アスリンから聞いた話によれば、バッセル卿は八年前にアリゼオで開催された武闘大会で三位の実力者だという。


「なんだよ、サラっと言ったくせに、ハルだって額に汗浮かべて緊張してるじゃないか。素直に彩葉が心配だって言えばいいのにさ」


 俺を覗き込みながらわざとらしくニヤッと笑う幸村の顔が腹立たしい。


「わ、悪ったな! この状況を見りゃ心配するなっていう方が無理だろうが……」


 模擬戦が終われば治癒魔法で手当てを受けられるそうだけど、たとえ木製の武器であれ、まともに攻撃を受けてしまえば相当な痛みを伴うだろう。


「相変わらずハルは素直じゃないのねー。でも大丈夫よ。この模擬戦、イロハが勝つわ。あのトロルをあっという間に倒してしまう実力者だもの。しかも二頭まとめて! バッセル卿ですら一人で一頭のトロルを相手にできるかどうかって感じよ。アーロン卿とハイマン卿も強い方だけど、イロハが倒したトロルを一人で倒すことなんてできないと思う」


 幸村とのやり取りを俺の隣で聞いていたアスリンが、俺を見つめながら自信満々に彩葉の勝利を宣言する。


「トロルってそんなに厄介な怪物だったのか?」


「うん……、トロルはとても恐ろしい妖魔族の怪物よ。それよりこの模擬戦を見れば、誰もがイロハの強さに驚くと思うわ。そして、ドラゴニュートの恐ろしさを改めて実感してしまうかも……。どちらかというと、私はそっちの方が心配かな」


「アスリンがそう言うと……、説得力あるな」


「たしかに……。アスリンが心配していることの方が怖いな。一昨日、俺が謁見の時に余分なことを言わなければ良かったかな……」


 アスリンの言葉には重みがあった。彩葉の戦い方を見て彼女を妬んだりひがむ者が出てしまうかもしれない。


「でも、これからのことを考えればいい機会だと思うわよ? 従士になれば旅先だって便利だしね。たぶん、陛下はそのことも承知で提案なさったのだと思うわ」


「そうか。そうだな、前向きに考えよう」


「うん!」


 アスリンが笑顔でうなずいた。少し心がモヤっとする時に彼女の笑顔を見ると一気に気持ちが晴れる。このエルフの少女の笑顔に助けられたのは何度目だろうか。


 俺はまだアルザルの従士制度のことをよく理解できていない。しかし、人々から恐れられるドラゴニュートである彩葉にとって、それなりの社会的地位が約束される方がメリットがあるように感じた。


 一方、模擬戦に参加する当の彩葉の様子は、細身の木剣を手に取ると何度か素振りをした後に衛兵にお辞儀をしている。様々な種類の武器が入れられた木箱の前でしばらく武器を選んでいたけど、自分のスタイルに合う武器が見つかったようだ。


 また、彼女は練兵場に移動する際に、対戦する騎士たちの配慮によりレンスター城の侍女たちが着るワインレッドのロングスリーブのワンピースに着替えていた。気に入って仕立てた黒のドレスより動き辛そうだけど、せっかくの衣装が汚れてしまうよりマシだと彩葉は言っていた。


 模擬戦用に彩葉に貸し与えられたワインレッドのワンピースは、ボタンで長さを調節するスリットが背面にある形状のため、彩葉の黒鋼の鱗に覆われた尻尾がスリットの隙間からワンピースの外に現れている。


「彩葉、準備できたみたいだな。それにしても、彩葉の尻尾の付け根ってどうなってるんだろうな?」


「変な目で見てると後で怒られるぜ?」


 俺はニヤニヤしながらそう言った幸村を指摘した。


「冗談だって。ボクたちは応援しかできないけど、精いっぱい応援しようぜ、ハル!」


「あぁ、そうだな!」


「あれ? でもこれって相手は三人いるけど、三対一でやったりしないよな?」


 幸村が驚いた顔つきでアスリンに質問した。


「ま、まさか……? それは無いんじゃないか?」


 俺も不安になってアスリンを見る。


「レンスターでは三対三の模擬戦が基本よ。でも多分人数差があるから騎士長のバッセル卿は、彩葉から向かわない限り動かないはず。だから事実上、しばらくは二対一ね。ユッキーたちも参加すれば良かったのに」


「剣技なんて戦力外で無理っす!」


 幸村は右手を上げて即答する。


「魔法はダメって言われたし、俺も右に同じ」


 俺や幸村が参加しても、囮くらいの役には立つかもしれないけど、無駄に怪我をして彩葉の足を引っ張るだけだ。


「あー、ボクまで腹が痛くなって来るな……」


 数の上で不利だ。幸村だけじゃない、俺だって腹が痛くなりそうだ。いくら何でも同時に三人相手は厳しすぎるだろう……。


 しばらくすると、堅牢のロレンスと共に公王陛下が控室から姿を現した。公王陛下はロレンスさんの誘導に従って、階段状の観覧席の椅子に着座した。


「それでは双方、準備が整ったようであれば前へ」


 公王陛下の側らで、堅牢のロレンスが練兵場の中央で準備をしていた彩葉と三人の騎士に声を掛ける。彩葉と騎士たちは公王陛下の御前に移動した。


「この模擬戦は刃物の使用を禁じ、公王陛下の御前にて厳粛に行う。戦闘不能、或いは、降参した時点でその者の模擬戦の参加権はなくなる。また、ドラゴニュートの剣士カトリ・イロハは、身を守るための竜の力を存分に発揮して模擬戦に挑むがよい。以上!」


 堅牢のロレンスの説明を聞いた彩葉は、少し不安そうな顔つきで俺を見つめてきた。もうなるようにしかならないだろう。俺はいつも彼女の剣道の試合を応援する時のように、拳を突き出して親指を立てて彩葉にエールを送った。


 彩葉ならやれるさ! 思い切り行ってこい! そしてすげぇ強いところ、見せつけてやろうぜ!


 彩葉は俺を見て大きく笑顔で頷いた。そして彼女はその場で軽く二度ジャンプをし、両手に持った細身の木剣を突き上げて振り下ろす。これはいつも彼女が剣道の試合前に行うルーティーンだ。


 バッセル卿を始め、二人の騎士たちは、それぞれの武器を持って中庭の中央へと向かって行く。どの騎士も互いに二十メートルくらいの距離を取り、模擬戦に参加する四人を直線で結ぶとほぼ正方形の布陣になった。


 公王陛下が席から立ち上がり右手を上げた。三人の騎士と彩葉だけでなく、中庭の練兵場にいる誰もが公王陛下に注目する。


「騎士長バッセル卿、重騎士アーロン卿、槍騎士ハイマン卿、それからドラゴニュートの剣士カトリ・イロハ。準備は良いか?」


『はっ!』

「よろしくお願いします!」


 四方を城壁で囲まれた中庭の練兵場に、三人の騎士と彩葉の透き通る声が反響した。


 バッセル卿とアーロン卿は大きな肩当てが付いた重そうな鎧の上からマントを羽織り、いかにも騎士らしい雰囲気を出している。重厚な鎧を装備した屈強な騎士たちに比べ、ほとんど丸腰の彩葉だけど、彼女には機関銃の弾丸ですら弾き返す黒鋼の鱗がある。怪我のことはきっと大丈夫だろう。


 バッセル卿は俺の身長くらいありそうな大きな木製の大剣の剣先を地面につけてどっしりと構える。また、アーロン卿は右手に片手用の木剣と左手に鉄製の大盾を持って身構えた。そして、胸部にプレートを当てただけの比較的軽装備なハイマン卿は、長槍の先端を彩葉に向けて腰を落として構えた。


「よろしい! それでは始めっ!!」


 公王陛下の宣告の下に、レンスター騎士団と彩葉の模擬戦が始まった。


 城内の中庭が割れんばかりの大きな歓声で包まれた。

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