第38話 ヴァイマル帝国の調査報告(下)
「ただいま戻りました、陛下」
「風のアトカ、まずはそなたの無事の帰還を祝おう。連絡が途絶えていたので無理を押しつけたてしまったのではないかと心配したぞ」
リチャード・レンスター公王陛下は、真剣な顔つきでアスリンを心配した。陛下の年齢は四十代前半くらいに見える。王様に対しては、膝をついて敬意を持って挨拶するものだと思っていたけれど、立位のままのアスリンを見る限りそれほど堅苦しい挨拶は必要とされないのかもしれない。
「申し訳ありません、陛下。キルシュティ山の東側に棲息していたトロルの影響と天候が曇り続きで、マナが枯渇しており精霊術が使えませんでした」
打ち合わせた通りアスリンはトロルと天候の影響でマナが無く精霊術が使えなかったことを告げた。アスリンの答えを聞いて安心したのか、厳しそうな表情が消えて笑顔になった公王陛下が着座する。陛下が着座すると、二人の側近とアスリンも席に着いた。俺もアスリンの動きに合わせて先程まで座っていた席に着座した。
「なるほど、状況は理解した。それで、その連れの者は?」
公王陛下は俺を見つめてアスリンに尋ねた。
「彼はイブキ・ハロルドと言います。彼は、アシハラ出身の合奏団を兼ねた旅の傭兵です。アシハラからアリゼオに向かう船旅の途中で嵐に遭遇し、その際に船が難破して辛くもキルシュティ半島に上陸しました。その時、トロルの群れに襲われていた私を救ってくれた命の恩人でもあります。彼には他に二人の仲間がいるのですが、今は長旅の疲れで城下の宿で休んでおります」
「そうか、ハロルド。アトカの窮地を救ってくれたことに礼を言わせて貰おう」
アスリンの言葉を信用し、見ず知らずの俺に礼を言う公王陛下。公王陛下がアスリンを絶対的に信頼していることがすぐにわかった。
「いえ、勿体ないお言葉です、陛下。自分たちの方こそ彼女に助けられ謝しています」
俺の言葉に陛下は笑顔で頷いた。
「ハロルド君、私はレンスター家の近衛騎士長、デビット・バッセルと申す。君たちが乗っていたアシハラからの船が遭難したということだが、君たち以外に生存者はいたかね?」
陛下の代わって傍らに立つ騎士が語りかけてきた。
「は、はい! 自分たち三人は瓦礫に掴まり、どうにか泳いで海岸までたどり着きましたが、必死だったので他の人はどうなったかわかりません。ただ、上陸した時に黒鋼竜ヴリトラと交戦している軍隊を目撃しました」
俺は想定外だった近衛騎士のバッセル卿の発言に一瞬戸惑ったけれど、アドリブを利かせてアスリンが用意してくれていた設定に合わせて答えた。俺の言葉に公王陛下と付き人たちは、黒鋼竜ヴリトラの交戦に驚き顔を見合わせていた。
「何と! それでその先はどうなったのだ?!」
「まぁ、バッセル卿。急かさずにハロルド君の話を聞こう」
「承知した、堅牢のロレンス。取り乱してすまない、ハロルド君」
バッセル卿は俺の話に声を荒げて反応したが、堅牢のロレンスと呼ばれたもう一人の男性に制された。本当に申し訳ないのは、俺たちの身の安全のためとはいえ、虚偽の報告をして驚かせてしまっている俺の方だ。
「挨拶が遅くなって済まない。僕は堅牢のロレンスという二つ名で呼ばれる陛下の従士。そちらにいる風のアトカは僕の姉弟子にあたります。どうぞよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。堅牢のロレンス」
「彼は陛下の護衛と政治的補佐を務める従士なの。従士と呼ぶより執政と呼んだ方が正しいかもしれないわね」
アスリンが俺の耳元でそっと捕捉してくれた。俺が頷くと彼女はにっこりと微笑む。堅牢のロレンスはアスリンのことを姉弟子と呼んでいたけれど、このエルフの少女はいったい何歳なのだろう。
「それでは、ハロルド。改めて伝えてもらいたいのだが、キルシュティ半島を縄張りとする伝説の黒鋼の竜ヴリトラと、彼の竜と交戦した軍隊がどのようになったのか教えてもらえるかね?」
陛下が俺にヴリトラとヴァイマル帝国の交戦の結果を尋ねてきた。本当はヴァイマル帝国の小隊を全滅させたのは俺たちだ。嘘は胸が痛む。
「はい、そのことなのですが、自分たちが上陸した時に幼馴染の一人が波に呑まれ生死を彷徨っており、どうにか彼女を助けたいと必死でしたので……。注意して彼らの戦いの行く末を見届けられませんでした」
アスリンは俺に『その調子!』と言わんばかりに目でエールを送ってくれている。しかし、彼女の仕草があまりにもワザとらしく、誰かに気付かれてしまわないか心配になる。
頼む、アスリン。今は静かにしていてくれ……。
「なるほど、気の毒に……」
レンスターから歩いて一週間程度の場所に、伝説の古竜が実際に存在していた。それなのに公王陛下たちは、伝説の竜の存在に驚いた様子はなかった。アルザルの人々にとって古竜は、天使と同様に畏怖の念を抱いく対象だとアスリンは言っていた。
「ただ、その軍隊が強力な錬金術のような魔法火器を使っておりました。そして戦いは、ヴリトラと相討つ形で終わっておりました。戦場に残されていたのは瀕死の重傷を負っていたヴリトラのみで、竜は駆けつけた我々に敵意がないとわかると念話を使って交渉を持ちかけてきました」
「古の竜を討つことができるなどありえん……。その軍隊とはエスタリアかね? それに瀕死の竜が交渉を持ちかけた……と?」
バッセル卿が
「はい。その軍隊こそがアスリンが追っていたヴァイマル帝国だと言うことでした。竜が持ちかけてきた交渉というのは、生死を彷徨っていた幼馴染の蘇生させる代わりに、彼女の体内にヴリトラの魂を宿らせるというものです」
俺の発言に陛下と二人の側近だけでなく、重装備の警護の衛兵たちも驚きが隠せない様子だ。
「アトカが調査していた
堅牢のロレンスが俺とアスリンを見ながら質問した。
「えぇ、ロレンスの言葉通りの顛末よ。でも話には続きがあるの。最後まで彼の話を聞いてもらってもいいかしら?」
「よかろう。ドラゴニュートになった幼馴染の女性がいかようになったのか続けたまえ、ハロルド」
アスリンの言葉に陛下が答えた。
「はい。たしかに彼女はドラゴニュートになりました。ですが安心してください。あの子が人々に危害を加えたりすることは決してありません。意思もしっかりと持ち続けておりますし、感情だってドラゴニュートになる以前と変わらない喜怒哀楽が激しい彼女のままなんです! 元々彼女は剣術に長けていましたので竜の力を使って戦えばとても頼もしい傭兵として活躍できるはずです」
バッセル卿や堅牢のロレンスの強い視線に少し動揺したせいで、俺は余分なことまで言ってしまったかもしれない。
「ほう、意思のあるドラゴニュート。是非とも一度会ってみたいものだ。それからアトカ、ロレンスが言うように、ヴァイマル帝国は鋼鉄竜を引き連れてヴリトラ討伐を目的としてキルシュティ半島に現れたということで間違いないのか?」
陛下は意思のあるドラゴニュートに興味を示しつつ、俺の発言から得た情報を整理してアスリンにヴァイマル帝国の目的を確認した。
「正直なところ、全滅したヴァイマル帝国の真相は不明のままですが、結果はハロルドの説明の通りです。ヴァイマル帝国の一団は相打つ形でヴリトラの前に全滅しました。鋼鉄竜は私たちが想像していた竜の一種ではなく、帝国が造り上げた戦闘用の車両です。その破壊力は、古の竜ですら深手を負ってしまうほど強力な攻撃力を持っているということです。虚偽を見破る風の精霊術を使った結果、ハロルドの言葉に偽りはありません」
アスリンの使える精霊術に虚偽を見破る術があることを知っている陛下は、彼女の言うことをそのまま受け入れて頷いている。陛下が抱いている彼女に対する信頼は相当なものだとわかる。しかし、虚偽を見破る精霊術を使ったというのは、彼女の嘘だ。
「なるほど……。そうなるとヴァイマル帝国の軍事力は脅威そのものだな。そして、ドラゴニュートになった者は、我々の常識では獰猛な野獣に過ぎない。しかし、仮に古の竜の魂を体内に宿した者が、意思を持ち続けて感情を抑制できるドラゴニュートになれるとしよう。それを帝国が知っていたとすれば、帝国がヴリトラ討伐に赴く十分な理由になり得る。ロレンス、どう思うかね?」
「陛下のご明察通り、それが事実であればその可能性は考えられます。古き伝承に登場する竜帝シグルドも古の金剛竜ファフニールを討伐し、彼はその太古の竜の生血を飲んでドラゴニュートとなったと伝えられています」
堅牢のロレンスが公王陛下の質問に答えた。アスリンもたしか彼と同じようなことを言っていた気がする。
その時、アスリンが周囲に気付かれないように、小言で精霊術の呪文を詠唱した。伝達の精霊術で彼女が知り得ている本当の調査報告を陛下に伝えたのだろう。陛下は目を見開いてアスリンと俺を代わる代わる見つめ、そして大きく頷いた。
「私はハロルドの連れであるそのドラゴニュートの女性に本気で会いたくなった。ハロルドよ。私はアトカの命の恩人でもあるそなたらのために、小規模ではあるが宴を開きたいと思う。明後日の晩などどうだろう? アトカもそれで良いか?」
アスリンがどのような内容を陛下に伝えたかわからないけれど、陛下は俺たちにかなり興味を示したようで、いきなり宴を開いてくれるという内容に話が発展している。もし、これで陛下に認めてもらえれば彩葉はこの街で隠れることなく堂々と歩ける。
「もちろんです、陛下。ハルもいいわね?」
「あ……、はい。ただの旅人である自分たちに勿体ない待遇です」
いきなりの展開で一瞬
「陛下。彼らを疑うわけではありませんが、念のため私ども騎士や腕の立つ衛兵を数名同席させてください」
俺たちに対する謝礼の宴の話が進む中、バッセル卿が陛下に同席を伺った。
「貴殿は相変わらず用心深いな。いいだろう。ハロルド、彼らの同席は構わんかね?」
「はい、もちろんです」
俺は席を立ち、陛下に深く頭を下げて礼を述べた。
「陛下、彼らは先程も述べたとおり傭兵も兼ねた合奏団です。せっかくですので演奏をお願いしてみてはいかがでしょう? 私が知る限り、アリゼオの王立合奏団より秀でております」
「ちょっとアスリン、それは言い過ぎだろう?」
「いいえ、ハル。私は嘘はつかないわ」
表向きの虚偽報告をしたばかりじゃないか……。
「それは楽しみだな、アトカ。ハロルド、その話も共に頼めるかね?」
「はい、ご期待に添えるよう努力します、陛下」
成り行き任せだったけれど、俺は陛下と約束を交わした。
「では、決まりだな。いずれにしても楽しみにしているぞ。また会おう、アトカ。そしてハロルドよ」
陛下は笑顔でそう言ってバッセル卿と堅牢のロレンスに頷いた。二人も納得のようだ。
「私も楽しみにしていますよ、ハロルド君。できればドラゴニュートの剣士と模擬戦をお願いしたいのですが、彼女にそれとなく伝えてもらってもよろしいかな?」
「あ……、はい。一応伝えておきます。まだ本人の体調が余り優れていないので、当日次第でもよろしいでしょうか、バッセル卿?」
「もちろんです、ハロルド君」
曖昧な回答だったけど、バッセル卿は満足そうに頷いてくれた。俺が勝手に約束をしたとわかれば、後で彩葉に何と言われるかわかったもんじゃない。
「では、風のアトカ、調査任務大義であった。改めて使いをアトカの元へ送るとしよう」
「はい、ありがとうございます、陛下」
アスリンが陛下の言葉に席を立って深く頭を下げた。俺も彼女に合わせるように、もう一度深く頭を下げた。その後、陛下と二人の側近は、席を立って警護の衛兵と共に会議室から退室していった。
調査の報告を終わらせたアスリンと俺も、衛兵の案内で会議室を後にして帰路へと向かう。彼女の調査報告に同行して公王陛下に謁見できたことは、予想外な展開もあったけれど、俺たちがこの世界で生きるための足がかりを得られた気がする。
俺は少しでも早く彩葉と幸村にこのことを伝えたい。きっと二人も喜ぶだろう。俺は二人が喜ぶ顔を想像するだけで心が躍った。
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