第37話 ヴァイマル帝国の調査報告(上)

 レンスター到着の翌日の昼下がり、俺はアスリンの付き人としてレンスター家の居城を訪れた。アスリンは公王直属の従士と言うだけあって、素性の知れない俺を同伴しているのにもかかわらず、衛兵に片手を上げて挨拶するだけで簡単に入城できた。


 中世の古城のようなこの城は、母さんの故郷である北アイルランドへ訪れた時に見た城に構造が似ている。豪華絢爛な装飾や調度品は設けられておらず、せいぜいアスリンのケープと同じ紋章の旗が壁に掲げられている程度だ。単調な石造りのこの城は、王の居城と言うより重苦しい軍事的な要塞の雰囲気を感じる。


 アスリンの話によれば、レンスターは都市国家として独立しているため、城は行政府としての機能も兼ね備えているそうだ。要塞のような造りの城の割に、レンスター旧市街の路上よりも人が多い感じがする。住み込みの使用人以外に、政治を執り行う文官や騎士をなどの武官が交代制で駐屯しているためかもしれない。


 そもそも、俺がアスリンと一緒にレンスター城へ訪れているのは、アスリンが公王陛下にヴァイマル帝国の調査報告を行う補佐をするためだ。その他にも理由がある。それは、憲兵隊がドラゴニュートである彩葉の身柄を拘束したりしないように嘆願するためだった。


 公王陛下の周りには、護衛や重臣が必ず数名いる。真実をそのまま報告した場合、護衛や重臣にジュダ教徒がいれば俺たちの身が危険になる。そのためアスリンが提案してくれた、表向きの俺たちの素性の設定と調査報告が準備してあった。


 対象が目視できる状態であれば、風の精霊術による伝達は、ターゲットを絞って伝えられるとアスリンは言っていた。アスリンは従士として公王陛下を含めた数名の重臣には、真実を伝えておきたいと言っていた。それに関して言えば、俺が止める権利はない。彼女が信じられるという人物は、俺も信じるだけだ。


 今回、アスリンと俺だけで登城している理由は、午後になっても彩葉と幸村がまだ西風亭で眠っているからだ。一週間振りに眠りに就いた彩葉は、昼になっても目覚めることなく、穏やかな表情で気持ち良さそうに眠り続けていた。


 久しぶりに眠れた彼女を起こすことがあまりにも可哀そうに思えて、急遽ナターシャさんに様子を時々見てもらうように頼み、そのままアスリンの部屋で休ませておくことにした。一方、幸村が起きて来ない理由は、昨晩調子に乗り過ぎたことによる、ただの二日酔いだ。本当に呆れてしまう。


「ごめんね、ハル。あなただけ付き合わせてしまって」


 隣を歩くアスリンが俺に言う。


「いや、むしろ俺たちの方こそごめん。大事な時に俺しか立ち会えないなんてさ」


「ううん、イロハは疲れもあると思うし仕方ないよ。ユッキーは、まぁなんて言うか……。私も調子に乗ったユッキーを抑えられなくて本当にごめん」


「それはアスリンが謝ることないさ。悪いのは完全にあいつだ。幸村は緊張感がなさ過ぎるんだよ」


 アスリンも俺の言葉に苦笑いしている。城内の通路を奥に進むと広間になっており、アスリンに気が付いた衛兵の一人がこちらへやって来てアスリンに声を掛けてきた。


「任務お疲れさまでした、風のアトカ。陛下がお待ちですので陛下の元へ案内致します。こちらは……?」


 衛兵は俺を見ながらアスリンに尋ねる。


「彼は旅人のハロルド。諸事情あって任務の途中からヴァイマル帝国の調査に協力してくれているの。彼が見たことも陛下に伝えたいので、随行させてもらうわ」


「はい、それでしたら問題ないかと。旅の方もどうぞご一緒に」


 衛兵の誘導に従って城の二階へ続く階段を上る。公王陛下に謁見という状況なのに相変わらず顔パスだった。


 そして、そのまま広い通路の突き当たりの扉の前まで案内された。案内をする衛兵が、突き当たりの部屋の重たそうな鉄の扉を五回ノックし、それから数秒置いてから再び五回ノックする。これは衛兵同士の合図か何かなのだと思う。


 するとドアは内側から開けられて、そこには重そうな鎧を身につけている二人の衛兵が立っていた。中は少し広めの会議室のような作りで、中央に長いテーブルと複数の椅子が並べられている。部屋の内部はゆらゆらと揺れる電光のオーブがガラスに入れられているため明るかった。


「リチャード・レンスター公王陛下はこの都市国家の元首。言ってみれば王様よ。だから警備はそれなりに厳重なの」


 俺はアスリンの言葉に納得して頷いた。


「さぁ、こちらへどうぞ」


 中にいた衛兵がそう言と、俺たちを長いテーブルの窓側の席へと案内してくれた。窓から地面までバルコニーのようなものはなく、垂直な造りで高さが十メートル以上ある。また、直下の中庭は兵士たちの訓練場になっているため、外からの侵入や脱出を敢えて困難にしているように感じた。


「それではしばらく椅子に掛けてお待ちください」


 衛兵はそう言って椅子に手を差し伸べ、公王陛下の到着を掛けて待つように指示をしてきた。俺とアスリンは衛兵の指示に従って椅子に腰掛けた。俺たちが椅子に座るのを確認すると、衛兵は再びドアの前に立ち、規律のある姿勢を維持したまま俺を監視するかのように注視した。


 アスリンは公王陛下の従士なのだから衛兵が警戒する必要はない。一方、俺は得体の知れないなのだから、衛兵に監視されることは当然だろう。


「ねぇ、ハル。私が伝達の精霊術を使っていない理由だけど、キルシュティ半島が曇り続きでセレンの光を浴びられずにいたので、マナが足らずに精霊術を使えなかったことにする。何か言われたら辻褄つじつまを合わせてね」


「了解だ」


 ただ、そう言う大事なことは直前ではなくてもっと前に言ってくれ……。


 アスリンは満足そうに俺に微笑んだ。彼女の笑顔があまりに可愛くて、ドキっとさせられる。これはある意味究極の武器だろう。俺は目を逸らすかのように、会議室内を見渡した。装飾や絵画すらない城内だったけれど、さすがに陛下が利用するこの部屋は、周囲の地図らしいパネルが飾られていた。


 もちろん、地図に記載されている文字は全く読めない。しかし、この文字はどことなく世界史の教科書に載っていた楔形文字が変化したような形に感じられる。丁度とかと呼ばれている記号が重なっているようなイメージだ。


 アスリンは大陸北部の共通語がシュメル語と言っていた。シュメルという言葉の響きは、古代メソポタミア文明を築き上げた楔形文字を使うシュメール人と何か関係しているのかもしれない。


 そんなことを考えながら地図を見ていると、会議室のドアが開けられて、品と威厳いげんを兼ね備えた、いかにも公王らしい男性が二人の付き人と一緒に部屋へ入って来た。付き人の一人は騎士のような鎧とマントをまとった壮年の男性で、もう一人はアスリンと同じケープを羽織った二十代後半くらいに見える長髪の男性だ。


 アスリンが席を立ったので、俺も彼女に合わせて席を立ち深く一礼した。彼女はケープを羽織っている男性に小さく手を振ると、彼もアスリンに応えて手を振り返す。公王陛下に仕える従士がもう一人いると言っていたし、たぶん彼女の従士仲間なのだろう。


 俺は初めて王様という地位の人の前に立っている。俺にとって何よりも大切な彩葉が、これからしばらくこの街で身元が保証されるように、しっかりと陛下にドラゴニュートのことを伝えなければならない。さすがに緊張して喉が渇いてきた。

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