第39話 いつまでもずっと親友で
「……ハ……。……ロハ……。イロハ!」
「うーん……」
耳元で私の名前を呼ぶ声に気がついて目を開けると、そこには凄く心配そうな表情で私を覗き込むアスリンがいた。部屋のレイアウトから、ここが私が間借りすることになったアスリンの部屋だとすぐにわかった。
「よかった……。気が付いたのね」
アスリンは薄っすらと涙を浮かべ、溜め息をつきながら私に言った。
なんだろう……?
「おはよう、アスリン。どうか……したの……?」
何が起こったのか気になって、私は恐るおそるアスリンに尋ねた。
「おはよう、イロハ……。もう、イロハが目を覚まさないんじゃないかって心配しちゃった……。ハルー! ユッキー! イロハが目を覚ましたよっ!」
何だか大げさだな……。
「本当か、アスリン?!」
「はぁ……、どうなるかと思ったよ、本当に」
アスリンに呼ばれてハルとユッキーが部屋に入ってきた。彼女が二人を部屋に招いたところを見ると、この部屋は男子禁制と言うわけではないらしい。とりあえず状況を把握していない私は、ベッドの上で半身を起こす。
私の服装は、ライブコンサートの時にアスリンから借りた礼服のままだった。借りた衣装のまま眠ってしまっただなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。窓から見えるリギルとウルグの高さから、もう昼近くになっていることもわかった。
それよりも、アスリンと同じように心配そうな顔つきで私を見つめるハルとユッキーの様子から、私自身に何が起こったのか心配になってくる。例えば、竜化が進んでいないかとか、夢遊病者のように徘徊していないかとか……。
「ハル、ユッキー。おはよう。もうすっかりお昼だね……。寝坊してごめん。アスリンも服を借りたまま眠ってしまったみたいでごめんね」
みんなに心配を掛けていたことは事実のようだし、とりあえず私は挨拶をしながら謝った。
「ううん、服のことなんてどうでもいいの。それより、寝坊と言うか……。イロハ、昨日は丸一日目を覚めまさなかったんだよ? 今日も昼になっても起きないから……。しばらく揺すっていたら、やっと目を覚ましてくれて……」
「え……?」
アスリンに言われて私はビックリした。たしかに空腹感はあるけれど、そこまで長時間眠っていた割に体の痛みはないし、目覚めもスッキリしている。丸一日寝ていたと言われ、眠っている間に粗相がなかったか不安になり、私は慌てて服やベッドを確認した。
とりあえず、それについては大丈夫だったようで安心した。自分のことだというのに、ドラゴニュートについてわからないことだらけで本当にストレスだ。
「彩葉、随分と長い時間寝ていたから漏らしたりしてな……」
「してないっ!」
ユッキーと目が合った途端、彼はニヤニヤしながらデリカシーのないことを言ってくる。私は恥ずかしくなって彼が言い終わらないうちに大声で否定した。
人の寝起きに何てことを言って来るんだ、この男は!
「彩葉はこの一週間寝ていなかったし、疲れも溜まっていたのかなって思ってたけど、さすがに今朝も目が覚めないから少し心配したぞ。今の幸村とのやり取りを見たら、いつもの彩葉だってわかって安心したよ」
ハルは笑顔で私にそう言った。
「そりゃどうも……。でも、ごめんね、心配掛けて」
「少し? んんー? 心配してたのは本当に
「う、うるせぇな! 幸村っ!」
ユッキーがハルを茶化し、ハルがユッキーに文句を言っている。
「今朝だけじゃないよ。ハルはね、昨日からずーっと彩葉の心配ばかりしていたんだよ」
小声でアスリンが私の耳元で言った。
『凄く心配したぞっ!』と叱るくらいに言ってくれてもいいのに、こういう場面で『少し』なんて言うところが本当にハルらしい。そして、いつものハルとユッキーのやり取りを見ているとつい笑みがこぼれてしまう。
眠る前の記憶を辿ると、フロルと一緒に素振りをした後にハルが来て、ミハエルさんからいただいたワインを飲んだところまでは覚えている。けれど、その後どのようにアスリンの居室まで移動したのか全く覚えていない。
ぐっすりと眠り過ぎてしまったせいか、どんな夢を見たのか思い出せない。どうやら眠る度に毎回ヴリトラに会えるとは限らないらしい。私が覚えていないだけで、夢の中でヴリトラに会っていたのかもしれないけれど……。
「そうだ、彩葉。明日、レンスター公王陛下の居城で宴を催してくれることになったんだ」
「え? 何それ?!」
私は自分の知らない急な展開に少し動揺した。
「本当よ、イロハ。昨日ね、私とハルでヴァイマル帝国の報告をしてきたの。打ち合わせ通りに話を進めて、イロハのドラゴニュートについてもしっかりと語ったわ。その上でイロハを含めた、みんなを招いての宴席を設けたいと陛下自ら仰ってくださったの」
「俺たちのバンドのことも伝えてあるし、腕の見せ所だぜ? 近衛騎士長のバッセル卿は、ドラゴニュートについて半信半疑だったようだけど……。そういえば、バッセル卿が宴の前に彩葉と剣術の手合わせしたいって言ってたんだけどさ」
「ちょっと、何でそんな話まで進めてるのよ?」
「ごめん、成り行きというか、彩葉の話になった時につい言っちまったんだよ……。あ、でも彩葉の当日の体調次第でって伝えてあるから彩葉に任せるぞ」
「まったく勝手に……。ところでユッキーは一緒に行かなかったの?」
「こいつは飲みすぎて二日酔いで寝込んでたんだ」
「プッ……」
ユッキーを見て私はつい吹き出してしまった。
「お、おい。ハルッ! 内緒って言ったじゃないか」
「さっきのお返しだ」
「ユッキーはすぐ調子に乗っちゃうからねー。私も止めようとしたけど手遅れだったの」
「はぁ……。ボクはアスリンにまでそう思われてるのかぁ」
アスリンに『すぐ調子に乗る』と言われたユッキーは、彼なりに少し反省しているように感じた。先程のデリカシーのない発言といい、もっとアスリンにキツく注意してもらいたいくらいだ。
「ところでアスリン、そこの壁に掛けられている横笛はアスリンの笛なの?」
ユッキーが窓際の壁に掛けられた少し長めの横笛に気が付いたらしくアスリンに質問する。
「え、えぇ。フォルクと呼ばれる横笛なのだけど、今となっては数少ない私の母の形見なの」
「もしかして、アスリンもその笛を吹けたりするのか? もしできるなら少しずつ練習して、一緒に俺たちと演奏してみないか?」
ハルが嬉しそうにアスリンを勧誘し始めた。たしかに、彼女さえ承諾してくれれば素敵なアイデアかもしれない。
「うーん、でも私はしばらくフォルクなんて吹いていないし、月並み以下って感じだよ? みんなの足を引っ張るだけだと思うけど……」
「大丈夫よ、アスリン。私もね、ベースギターって言うリズムが主体の楽器を演奏しながら歌っていたの。最初は全然ダメダメだったもの。何事も練習とチャレンジが大事!」
興味はありそうだけど引け目を感じているアスリンを後押ししてみる。ハルは私に親指を立てて『ナイス』と合図を送って来た。私も片目で目配せをして彼に答える。
「彩葉も頑張ったよなぁ。最初は歌うとベースが止まったり、ベースを意識すると歌の音が外れたりってさ」
私がベースを始めた中学一年生の頃を思い出しているのか、ユッキーが懐かしそうに語りだした。少し恥ずかしい話だけれど、私は練習を繰り返してもしばらくの間、歌とベースのどちらか意識した方しかうまくできなかった。学園祭のライブに間に合わないかもしれないと悔しくて泣いてしまった思い出がある。
「最初は苦労したなぁ……。自分のルート音を意識しすぎるとつられて歌の音程外すし、本気で難しかったもの。私が演奏しながら歌えるようになったのは、ユッキーとハルのリードのおかげよ」
難しい私のパートをハルがカバーしてくれたり、私が音を外さないようユッキーがバイオリンでリードしてくれたり、二人のサポートがあってこそだった。なんだか本当に懐かしい。
「イロハは歌だけじゃなくて楽器も演奏しながらやってたんだ? 何だか凄いなぁ……。私も頑張って練習してみようかな」
「ボクはいくらでも練習に付き合うよ、アスリン。音楽は楽しく、だぜ。急がず徐々にやって行こうよ」
ユッキーもアスリンをサポートする気満々だ。
「うん、時間がある時にやれるだけやってみようかな。ユッキー、色々と教えてね」
「任せとけって!」
「決まりだな」
アスリンの言葉にユッキーが答え、ハルが嬉しそうにみんなに言う。
「「うん!」」
ハルに返事をした私とアスリンの声が同調した。そして、私とアスリンは互いに目を合わせて微笑んだ。
「あ、それより幸村。彩葉も無事だったことだし、そろそろお昼になるからレストランの方へ行ってようぜ。女の子の部屋に長居したら失礼だろう?」
「えー……」
「えー、じゃねぇよ……、全く。ほら、行くぞ。それじゃ彩葉、また後で」
「うん。私もすぐにいくね」
ハルはユッキーを引っ張るような感じでアスリンの部屋から出て行こうとする。そんな二人のやり取りを見てアスリンは苦笑している。彼女が二人を招いたからと言え、いつまでも二人がアスリンの部屋にいるのはどうかと思っていたので、私はハルの気遣いをありがたく感じた。私はハルに手を振って見送ると彼も右手を上げて私に応える。
「ねぇ、アスリン。城に行くならこの服、このまま貸してもらってもいいかな?」
「もちろんいいけど……。でもその服は洗濯した方がいいと思うし、まだ時間あるから食事済ませたらイロハに似合う服を買いに行こうよ?」
「そ、そうだね。でも私、お金を持ってないから……」
時間がまだあるなら、アスリンが言うように自分の服を新調するのが最良な選択肢かもしれない。でも、私たちはこの世界のお金を持っていない。彼女の着こなしは本当にオシャレなので、彼女がどのような場所で洋服やアクセサリーを買い揃えているのか興味はあるけど、お金を借りるのはどうしても気を遣ってしまう。
「あ、そっか。イロハはまだ知らなかったんだ。一昨日のイロハたちのライブで西風亭の集客が凄かったの知ってるよね?」
「うん、レストランの外までお客さんがいたのはわかったけど……」
「それでね。ミハエルが三人に詩吟代を支払ったの」
「えー?! それは申し訳ないよ!」
「イロハもハルやユッキーと同じこと言うのね。テルースの礼儀なのかな?」
遠慮がちな日本人特有の性格かもしれないけど、それでもあの日の四曲だけでお金を貰うなんてとんでもない。
「そういうわけじゃないけど……」
「イロハたちのライブの時だけで、いつもの集客の数倍だもの。昨日だってユッキーとハルの演奏で随分お客さんが来てくれたのよ。ミハエルだって感謝してるの。だからちゃんと受け取ってあげて」
そこまで言われると断われなくなる。
「わ、わかった……。それなら、これからも……、しっかり頑張らないとだね」
「うん。私もイロハたちの歌を聴きたいもの。あ、そうだイロハ。買い物が終わってからだけど、公衆浴場へ一緒にいかない? 公衆浴場が営業を始める夕方までなら利用してもいいって店主の許可を貰ったの」
「行く! 絶対に行きたいっ!」
アルザルへ来てから水浴びは何度かできたけれど、もう何日も本格的な入浴ができていなかったので、アスリンの誘いは凄く嬉しかった。
「じゃあ決まりね。とりあえず昼食に行きましょ」
「うん」
私はアスリンに頷いた。それからベッドに腰掛けて足を下ろし、床に並べられたゲートルを履いて紐を結ぶ。ベッドから立ち上がろうとした時、ドレッサーの椅子の上に洗濯されて丁寧にたたまれた私の胴着と袴があることに気が付いた。これも彼女がしてくれたのだろうか。
「これ、アスリンが洗濯してくれたの?」
「あ、うん。私の洗濯物と一緒にだけどね。あ、もしかして洗ったらダメな素材だったかな?」
「ううん、洗うことはできるけれど、その服は藍染だから色落ちしたりしなかったかな? 一緒に洗った物が青く染まったりしていないか心配で……」
「一緒にと言っても、ひとつずつ手洗いだから大丈夫よ。水の精霊使いは、羨ましいことに精霊術の応用で一度に洗濯できたりするみたいだけど」
「本当に何から何まで……」
「気にすることないわ、イロハ」
私はアスリンの心温まる気配りと優しさに、自然に涙が溢れてきた。小学生の頃から、同性の同級生からの私に対する反応はあまり良くなかった。話しかけても避けられることが多く、学校の帰り道もハルや彼の周りにる男子と帰る日が多かった。
その傾向は、中学高校と進学しても余り変化がなく、授業の休み時間におしゃべりする友達が僅かにいる程度だった。別に、誰とでも仲良くしたかったわけじゃないけど、信頼できる同性の親友がいる人をずっと羨ましいと感じていた。
だから、アルザルに来て心から信頼できるアスリンに出会えたことが本当に嬉しい。
「ありがとう、アスリン」
私はベッドから立ち上がりながら、ベッドの脇で私を見つめるアスリンに抱きついた。突然だったから彼女を少しびっくりさせてしまったかもしれない。ハルと違って彼女の体はとても細くたおやかだ。
「イロハ……。どうして泣いているの?」
「ううん、何でもないの。ちょっと嬉しくて……。もうしばらくこのままでいさせて」
アスリンも私の背中に腕を回して優しく抱きしめてくれた。香水のオーブを使っているのか、彼女の髪はフローラルで心が安らぐ優しい香りがする。
「うん、いいよ。でもイロハ、ハルに見られたらきっと妬かれちゃうよ?」
アスリンは悪戯っぽく笑いながら私に言った。私も彼女につられて笑ってしまう。彼女から少し離れ、彼女と再び目が合うと、また可笑しくなって笑ってしまった。彼女もそんな私を見てつられて笑いだす。もう何がきっかけで可笑しくなったのかわからなくなったけれど、私たちはそのままベッドに二人で倒れ込み、お腹を抱えて大きな声で笑い続けた。
私はアスリンとなら、いつまでもずっと親友でいられると心の底から思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます