第40話 レンスターのファッションリーダー

 ヴァイマル帝国の調査任務遂行中のアスリンを助けた謝礼ということで、公王陛下自らが催す宴席にボクたちは招待されることになった。この地方では、ほとんどの人が見たことがない、意思を持ったドラゴニュートに公王陛下が興味を持ったのだろう。それでも彩葉のことを公王陛下に認めてもらえれば、彼女の身の安全が保証されるはずだ。


 しかし、今ボクたちが着る衣装では、宴の席に出席することなど到底かなわない。それなりの衣装が必要となったボクたちは、アスリンの案内で新市街の西区に並ぶ露店を巡っている。


 西区の繁華街に建ち並ぶ露店の買い物は、コンビニやショッピングモールで買い物をする仕組みと全く異なっていた。どの露店も背後にある建物が、住み込みで働く職人たちの住まいを兼ねた工房となっている。また、その職人たちは交代で売り子として露店に立ち、自らが生産した製品を露店で販売する感じだ。


 言ってしまえば、ボクが愛用するバイオリンのように、全ての売り物が専門の職人によって一つひとつハンドメイドで作製しているオリジナルだ。そのため、肌着なら肌着職人、ズボンならズボン職人を探して購入しなければならず、サイズもその都度調整しなければならない。衣装を一式揃えるとなると様々な店を巡る必要があった。


 昨日まで一文無しだったボクたちは、西風亭で演奏した詩吟の報酬としてミハエルさんから銀貨十枚を頂いた。銀貨一枚あれば、贅沢をしなければ五人家族が十日間ほど生活できる金額だという。仮の住まいと食事を提供してくれるだけで十分ありがたいのに、ミハエルさんとナターシャさんには本当に頭が上がらない。


 この頂いたお金で何とか間に合わせたいところだったけれど、さすがに三人分の衣装や装飾を一式揃えるとなると現実は厳しかった。すでに彩葉が注文したドレスと下着類、それからボクとハルが購入したズボンとシャツだけで予算オーバーが明確になった。


 結局、いただいた銀貨は温存して、アスリンが立て替えてくれることになった。彼女に出会えた奇跡に対して、一生分の感謝をしてもきっと足らないだろう。


「ハルとユッキー、二人ともそのコート似合ってるじゃない。うんうん、何だかアリゼオの騎士みたいでカッコいいよ!」


 ボクたちが試着する薄手の皮革素材で作られたトレンチコートを見て、アスリンは頷きながら喜んでいる。


「本当?! なぁ、ハル。ボクたちの上着はこれにしないか?」


「そうだな。サイズも丁度良さそうだし。幸村のとデザインが少し違うけれど、お揃いっぽくていいかもな」


 オシャレなアスリンが褒めてくれると素直に嬉しい。


「二着も買っていただけるなんて光栄ですよ! 少しお安くいたします。銀貨七枚でいかがでしょう?」


 真面目そうな若手の職人がアスリンと交渉を始める。少し前に立ち寄った店で試着したコートよりオシャレで高価そうに見えるけど、その値段は半額くらいだった。商品の値段の仕組みは、名のある職人が作る物ほど値が高くなり、逆に駆け出しの若い職人が作る物は安価なのだという。全てがブランド品みたいな状態なのだから当然のことなのだろう。


 ただ、安価な物の中にも、色やデザインの良い掘り出し物がたくさんあるそうだ。アスリンは主に、そういった安価な若手の職人たちが作る良質なデザインの衣類や装飾を購入しているのだという。


「うーん、マクスモルト君。もうちょっと頑張ってみて! そうね……、丁度銀貨六枚で……なんで、どうかしら?」


「うー……。会長に叱られないかなぁ……。でも、アトカさんの頼みなら努力いたしますね。アトカさん、また僕らが仕立てた革製品を広めていただけます?」


「任せておいて。今だってほら、この通り。マクスモルト君が作ってくれたベルトを愛用しているわ」


「本当にいつも感謝してますよ、アトカさん」


 マクスモルトと呼ばれた若い職人は革細工が担当なのだろう。彼が作製したベルトをアスリンが見せると、彼は嬉しそうに頷いている。どうやら交渉は成立したようだ。単に可愛いだけじゃなく、意識せず相手との信頼関係を築きあげる彼女の交渉術は本当に一流だ。


「ねぇ、アスリン。このブーツどうかなぁ?」


 今度は隣の靴職人の店でブーツを試着していた彩葉がアスリンを呼んだ。


「はーい、どれどれ? あー、いいじゃない、イロハ!」


 アスリンは彩葉の元へ駆け寄って、彩葉が試着しているブーツを見るなり喜んでいる。この辺りは西風亭へ通う常連もいるようで、彩葉がドラゴニュートであることを知っている人もいる。しかし、まだ彩葉のことを知らない人の方が多い。


 ドラゴニュートである事実を伏せるため、彩葉はケープのフードを被り、ストールや包帯を首や腕に巻いて、頭の角や黒鋼の鱗を隠さなければならなかった。フードを深く被っているので口元しか見えないけれど、アスリンに褒められた彩葉はとても嬉しそうに微笑んでいる。楽しそうに話ながら買い物をする二人は、レンスター入りする以前よりも仲が良くなっているように感じられた。


「なぁ、幸村。俺たち、本当にあの子に出会えたことは感謝してもしきれないな」


「全くだよ。ボクもそう思っていたところさ。地獄で仏に会うとはこういうことを言うのだと思ったよ」


 ボクはハルの言葉に素直に頷いた。アルザルに来ることがなければ彼女と出会うことも当然なかっただろう。


「あなた方はアトカさんの連れの人ですね? 私はこのジェームズ商会の会長のジェームズ・レンダーと申します。我々はアトカさんにいつも感謝しているんですよ。まだ幼い雰囲気もありますが、エルフ族の彼女は見た目もスタイルもいい。アトカさんを見た婦人方が彼女の着こなしを真似ようと、彼女が着る衣装が割と流行るんです」


 店頭の若い職人の様子を見に来たのか、工房の奥から壮年の男性が出てきてボクたちに声を掛けてきた。


「たしかに何でも着こなしますよね、アスリンは」


 ボクも率直な感想をジェームズ会長に言った。


「えぇ、本当にその通りです。従士の地位を得てからも、アトカさんはこの辺りの若い職人が作る物を買ってくれましてね。彼女が若手の製品を流行らせてくれるおかげで、若手がどんどん成長して行くんです」


「そうなると、アスリンはレンスターのファッションリーダー的な存在なのですね?」


 アスリンを見ながら嬉しそうに語る会長にハルが質問する。


「ファッション……リーダー……。難しい表現ですが、語呂を入れ替えると、まさにそんな感じです。私も若い頃は彼女にしばしばお世話になったもんですよ。アトカさんは背が少し伸びたくらいで、ずっと昔から少女のままですからね」


「そうですか……。本当に彼女は、ずっとあんな感じなのですね」


 会長は昔からアスリンを知っているようだ。そう言えばアスリンは、老化しない種族はエルフだけではなく、ドラゴニュートも同じだと言っていた。彩葉もアスリンのように老化することがないのだろうか。いつまでも元気で可愛らしい彩葉のままだと言うのなら、それはそれで悪くない気がしてくる。寿命を持たないことを深く考えると、何だか本当に羨ましく思える。


「我々人間の人生の短さに比べれば、エルフ族は本当に羨ましい限りの存在です。あぁ、引き止めてしまって申し訳ない。私の悪い癖だ」


 ジェームズ会長はエルフを羨ましいと言うけど、そう感じるのはボクだって同じだ。いつまでも若さを維持するエルフ族を目の当たりにしていれば誰だってそう思うだろう。永遠の若さに惹かれた人間やドワーフが、老化することがないドラゴニュートになろうとする理由がわかる気がする。


「気にしないでください、会長さん。ボクたちが服を買う時は、また寄らせて貰います。その時は、またサービスよろしくお願いしますよ」


「こちらこそ。マクスモルトを始め、当商会には腕の良い若い職人が大勢います。本日はありがとうございました。また良い取引を」


 ボクとハルはジェームズ会長に一礼してから彩葉とアスリンがいる隣の靴屋へと向かった。店頭のベンチに腰掛けている彩葉は、上機嫌でボクたちに手を振っている。


「いいブーツが見つかったみたいで良かったね、彩葉」


「うん、ありがとうユッキー。これなら靴ズレとか大丈夫そう! 動きやすいし、色も気に入ったんだ」


 ボクが彩葉に声を掛けると、彼女は試着している革製のミドルブーツが、本当に気に入ったようでとても嬉しそうだ。ヒールの浅いダークブラウンに染められたそのブーツは、柔らかそうな素材で作られており、彩葉が言うように動きやすそうに見える。


「彩葉がさっきの店で注文したドレスと合いそうだな。あのドレスは明日までに仕立て間に合いそうな感じなのか?」


「うん、明日の朝までに仕立ててくれることになっているから大丈夫だと思うよ」


「それなら良かった。あの黒いドレスも彩葉に似合ってたぜ」


「ありがとう、ハル。ああいう服……、あまり着たことがないからちょっと不安だったんだ」


 たしかに彩葉が購入したゴシック風な黒いドレスは、黒髪の彩葉によく似合っていた。ハルがドレスのことを褒めると、彩葉は頬を赤らめながら嬉しそうに微笑んでハルを見つめている。


 くそう……、これがリア充を見せつけられた負け組の気持ちかぁ……。


 二人を見ていると、微笑ましいようで悔しいような複雑な気持ちになる。


「全く羨ましいぜ……」


 そう言ったのはボクではない。いつの間にかボクの隣に移動していたアスリンが、ボクの耳元で小声でそう呟いた。


「な……!」


 ボクは驚いてアスリンを見ると、彼女は悪戯じみた笑みを浮かべながらボクを見つめる。恥ずかしさで変な汗が出てくる。でもこれはどちらかと言うと、彼女に心を見透かされたことより、目の前にいる可愛らしい彼女の可愛らしい笑顔に対してだ。そして彼女はそっと目を閉じて短い精霊術の言葉を詠唱した。


『ユッキーのヤキモチはわかるけど、ここは二人を応援してあげよう? ユッキーが仲間はずれになっちゃった時は、私が文字の勉強や買い物に付き合ってあげるから』


 アスリンは喋っていないのに、彼女の言葉が直接耳の中に流れてくる。今のが伝達の風の精霊術ってやつなのだろうか。初めて彼女が使ってくれた伝達の魔法に感動していると、彼女は何も言わずにコクリとボクに頷いた。


 ボクにはアヌンナキより、断然キミの方が天使に思えるよ、アスリン。


「なぁ、アトカさん。話は聞いていますが、私には彼女が普通の年頃な娘さんにしか見えんが……。本当に彼女はドラゴニュートなのかね?」


 ハルの隣で喜ぶ彩葉を横目に、靴職人の老人がアスリンに話し掛けた。


「でしょう? 彼女は本当に普通なの。だから大丈夫! 私も最初出会った時は驚いたもの。まさか普通の人と変わらないドラゴニュートに会えるなんて思いもしなかった。あ、おじいさん。彼女のブーツのお勘定はこれでいいかしら?」


 そう言ってアスリンは職人に何枚かの貨幣を渡す。しばらく老職人はアスリンが渡した貨幣を見つめながら考えていたようだったけれど、頷いてアスリンに答える。


「もう少し高値で売れるかと思っていたのですけど、アトカさんの知り合いなら仕方がない。いいでしょう。その代わり、また贔屓ひいきにしてくださいよ」


「もちろん! 私の方こそ頼りにしているわ」


 老職人とアスリンの交渉は成立した。


「衣装代を立て替えてくれて本当にありがとう、アスリン」


 彩葉がアスリンに礼を述べる。


「どういたしまして。命の恩人にこれくらいのことは当たり前! 本当は支払わせて貰いたいくらいよ?」


「そこはちゃんとボクたちで稼いで返させてもらうよ、アスリン」


 アスリンは長年貯めた資産があるらしく、いつもの調子でお金は要らないと言っていたけれど、やはりそう言うわけにはいかない。


「うん、でも利息などは絶対になしだからね。それに返してもらうのはいつでもいいから。もし、みんなの国へ行くことができれば、私の私財なんて逆に使えなくなるのだし」


 アスリンはボクたちに気を遣って言ってくれたのか本気で言ったのかわからない。でも、もし本当にその時が来るのなら、ボクたちが全力で彼女をサポートするまでだ。


「そのためにもまず、今夜もしっかり西風亭でライブを頑張らないとだね」


 彩葉は昨日参加できなかった分、今日はやる気満々らしい。


「そうだな。せっかくだし、楽しみながら張り切って行こうぜ」


「いいね! 今日の選曲はボクに任せてよ」


 ハルも乗り気だ。もちろんボクだって夜が待ち遠しい。こうして好きな時に気の合う仲間と好きな音楽ができるのは本当に楽しい。バイオリンを演奏することが嫌いなわけじゃないけど、他者からいただく評価のために、音楽の楽しさすら味わえずにひたすら弾いていたことが馬鹿らしく思えてくる。


 この世界に来てたった一週間しか経っていないのに、ボクには地球の生活が遠い過去のように感じていた。


「そうだ、買い物も終わったことだし、『陽の見湯』へ行かない? 来る前にイロハには伝えたのだけど、公衆浴場の営業前なら入浴させてもらえるように女将に話をつけてあるの」


「アスリン、まさか混浴とか……、じゃないわよね?」


 彩葉が冷たい視線でボクを見つめながらアスリンに質問する。完全に信用されていないことが良くわかった。


「うん、さすがにそれは大丈夫。温泉と違うから浴槽はないのだけれど、絶え間なくお湯が流れているから湯浴みはしっかりできるわ」


「行きたい!」


「あぁ、久しぶりにサッパリしたいな!」


「ボクも、大賛成だぜ」


 即答した彩葉だけじゃなく、久しぶりの風呂はボクもハルも大賛成だ。サバイバル続きで体を洗えなかったので、しっかりとお湯で体を洗えるのは嬉しい。


「二人は前科があるんだから、ぜっっっっったいに覗くような真似はしないこと!」


 彩葉がボクとハルを見ながら強い口調で言った。


「前にもそんなこと言ってたけど、二人はそういうことするの?!」


 アスリンも彩葉につられて軽蔑するようにボクたちを見つめる。


 この子もこんな顔するんだな……。けど、それはそれで可愛いからグッドだ!


「彩葉、前から言ってるけど、俺のは誤解だって! アスリン、俺は冤罪なんだ。ほら、たしかウソを見破る精霊術があるって言ってただろう?」


 ハルは彩葉に慌ててそう告げたあと、アスリンに対して自身を弁護するように言い始めた。ハルの発言が真実と判明すれば、それはそれでマズイ。


「おいおい、ハル! 自分だけ助かろうなんてずるいぜ?!」


 ボクはわざとらしくハルに言う。まぁ、あの時ハルに故意がなかったとしても、見てしまったのだから同罪だ。それにしても、彩葉は着やせするタイプなのか見た目より胸が大きかった。本当にハルはずるい奴だ。


「ちょっと待て、幸村。この際だからはっきり言わせてもらうけどな。もう俺を巻き込もうとするな!」


 ハルが文句を言う隣で、アスリンは何やら風の精霊術の詠唱をしていた。


「ウソつきはユッキーね。ハルは本当に冤罪みたいよ、イロハ? 今使った精霊術は、ハルが言ったウソを見破るもの。と、言うことでユッキー、残念でしたー」


「?!」


 ボクが驚いてアスリンを見つめると、彼女はボクに向かって小さく舌を出した。


「え? そ、そうなの?? ご……めん……。私、ハルに結構酷いこと言ってたかも……」


 ビックリした顔で彩葉がハルを見つめて謝っている。


「あぁ、気にするなよ。あの状況じゃ弁解の余地はなかっただろうし……。俺は冤罪が晴れただけで満足だぜ。アスリン、ウソ発見の術ありがとうな」


 ハルは自分の冤罪を晴らしてくれたアスリンに礼を言う。


「どういたしまして。それより、ユッキーは本当に変態さんだったんだね……」


「え……。えーと、ボ、ボクだけ悪者……?」


 ボクはバツが悪くなって小声でおどけてみせた。


「「当然ですっ!」」


 彩葉とアスリンが声を揃えてボクに言った。そして、ボクを置き去りにして二人はすたすたと歩き始めた。


「変態ユッキー、汚名返上は大変そうだな」


 ハルはボクの肩をポンと叩き、ニヤッと笑ってから彼女たちに続いて歩き始めた。


「う、裏切り者ー!」


 数秒の間が空いた後、ボクはハルに向かって叫びながら、みんなの背中を追いかけた。


 突然奪われたボクたちの日常は、どん底から前へ向かって徐々に進み始めていた。これからどんな未来が待っているかわからないけど、少なくともボクにとって地球で過ごしていた日々よりも毎日が充実していた。

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