第33話 テルースの彼方から(下)

 アスリンが信頼しているモロトフ一家は本当にいい人たちだ。ボクたちはこの出会いにも感謝をしなくてはいけない。


「なぁ、彩葉。最初は大変だと思うけどさ。前にも言った竜の歌姫なんていうポテンシャルが評価されれば、悪評を逆手にとって宣伝効果に繋がったりしないかな?」


「うん、たしかにそうね。私たちの音楽が評価されることがまず前提だけど、やりがいあるわね!」


 ハルの言葉に拳を握りしめて頷く彩葉。本当に彩葉は強い。こんな状況でも笑顔で答えられるなんてボクには真似できそうにない。


「風評被害や悲劇を逆手に取るビジネスは実際いくらだってあるし、ボクもきっとうまく行くと思うよ。それに、荒野でアスリンだって喜んでくれたんだ。ボクたちの音楽はきっと通用するさ」


 ボクと彩葉はハルの意見に賛成する。ビジネスとしてライブを成功させるのにいい機会かもしれない。最悪、ボクのバイオリンでアルザルの人たちを地球の音楽の虜にしてやるつもりだ。


 その時、リビングのドアがトントンと軽くノックされた。


「失礼します、旦那様。食事の準備が整いましたが、こちらへお運びすればよろしいですか?」


「そうしてくれ、アーリャ。粗相のないように頼むぞ。みんな、演奏の前にまずは西風亭の料理を堪能してくれ。演奏はその後だ」


 ミハエルさんはドアの向こうに立つ女性の声に返事をしながら、ボクたちに食事を勧めた。缶詰とジャガイモ以外の食事は一週間ぶりなので本気で嬉しい。


 入口のドアが開くと、アーリャと呼ばれた女性が一礼してリビングへと足を踏み入れる。ミハエルさんはそっと席を立ちアーリャさんの脇に移動して彼女に耳打ちをした。彼女は彩葉を見ると少し強張った表情でミハエルさんに頷いた。きっと、ドラゴニュートの彩葉のことを伝えているのだと思う。


 アーリャさんはボクたちより少し年下くらいだろうか。彩葉と同じくらいの身長で髪は後ろで一つに束ねている。顔つきはまだ幼いところがあるけど、大人になったらきっと奇麗な人になるだろうと想像できる風貌だ。使い古した賄いのエプロンから熟練の料理人の雰囲気が感じられる。


 アーリャさんによってキャスター付きのトレイから料理が取り出され、丁寧にテーブルに配膳されてゆく。彫の深い木皿には、よく煮込まれた肉が入ったシチューのようなスープが装われており、また、彫の浅い木皿の方には、ベーコンの燻製と卵焼き、それに野菜のソテーが盛り付けられている。


 そしてテーブルの中央にバスケットに入れられたパンが用意された。


「わぁー。美味しそうー!」


 彩葉は両手を合わせて目を輝かせて喜んでいる。アーリャさんは最初、彩葉の前を通る度にビクビクしながら食事をテーブルに配膳していたけど、食事を見て感動しているドラゴニュートを横目で見ながら笑みを浮かべていた。彼女も彩葉が普通の女の子であると理解してくれたようだ。


「本当に久々の食事だよな……」


「不味くはなかったけれど、缶詰地獄だったもんな。それにしてもマジで旨そうだな、ハル!」


 見た目も香りも凄く美味しそうで、口の中に溜まった唾液が溢れそうになったボクは生唾をゴクンと飲み込んだ。


「やだ、ユッキー。子供みたい」


「し、仕方ないだろ……。旨そうなんだしさ」


 彩葉に茶化されてボクは咄嗟に言い返した。


「今日は私の炊事ですので、お口に合うかわかりませんけど……。メニューは西風亭特製シチューとアルスター産ヒトコブイノシシのベーコンの燻製。それから地鶏の玉子焼きと夏野菜のソテーです。私は西風亭で奉公をするアーリャと申します。どうぞ、よろしくお願いします。さぁ、フロルも入って挨拶なさい」


 食事を配膳し終えたアーリャさんは、料理の説明をしながら自己紹介した。また、アーリャさんに呼ばれてドアの奥から十歳に満たないくらいの、いかにもやんちゃそうな少年が入ってきた。ミハエルさんが挨拶するように合図をすると、フロルと呼ばれた少年は自己紹介を始めた。


「オレは西風亭でお世話になっているフロルといいます。どうぞよろしくお願いします。……って、スッゲー! 本当にお姉ちゃんドラゴニュートなんだ?」


 フロル少年は、ミハエルさんたちと人種が異なるようで、どちらかと言うとアジア系の顔付きだ。そしてフロル少年は、近くで彩葉を見るなり、ドラゴニュートの存在に感動しているように見えた。


「こら、フロル! イロハさんに失礼だろう! ごめんな、イロハさん。後でキツく叱っておくので」


「あ、いえ。気にしないでください。むしろ普通に話しかけてくれたことの方が凄く嬉しかったです。よろしくね、フロル君。アーリャさんもよろしくお願いします。私の名前は彩葉よ」


 たしかにフロルは好奇心からなのか、彩葉のことを怖がらずに話しかけていた。


「俺はハル。で、こいつはユッキーだ。よろしくな、アーリャさんとフロル君」


 ハルがボクのこともまとめて自己紹介をする。


「あぁ、ボクの本当の名前は、もうハルしか呼んでくれそうにないな……。ボクは、ユッキー。二人ともよろしくね」


 これまで彩葉以外がボクのことを『ユッキー』と呼ぶのは癪に障っていたけれど、何だかもう別に悪い気がしなくなっていた。彩葉やボクの名前は、日本独特のアクセントなのでアルザルの人にとって発音が難しいのだと思う。


「丁寧にありがとうございます。私やフロルに対しては敬称は省くようお願いします。そのまま名前だけでお呼びください」


「わかったよ、アーリャ。その代わり俺たちのことも敬称はなしで頼むぜ」


「そういう訳には参りません。アスリンさんのお客様は旦那様たちのお客様と同然。呼び捨てになんてできません」


 ボクもあまり上下関係の壁みたいなのは作りたくないのだけれど、アーリャさんはハルの言葉を拒んだ。アルザルでは主従関係は結構大切なものなのかもしれない。ナターシャさんも首を横に振っているので、ボクたちはこれ以上アーリャたちに無理を押しつけないようにした。


 アルザルではフロルのような小さな子供まで普通に働いているのだと感心させられる。もしかしたら、生きるために働かなければならない状況が現実で、実働が優先されて勉学や教育はあまり盛んではないのかもしれない。


「食事の用意が整いました。ごゆっくりと召し上がりください」


 アーリャとフロルは丁寧にお辞儀をしてリビングから出て仕事場に戻って行った。リビングのドアが開いた時、店の方からガヤガヤと先程より賑わっている声が聞こえてきた。西風亭に食事を食べに来た客が増えてきた証拠だ。


「母さん、俺もそろそろ店が混み始めるからカウンターに行くよ。あ、食事が食べ終わったらみんなの演奏聞かせてくれよ。演奏の後に特上のワインを俺からサービスさせてもらうぜ」


 そう言ってミハエルさんもアーリャとフロルに続いて店の方へと向かった。


「さぁ、冷めないうちに頂きましょう。あー! 本当に久しぶりの食事だなぁ。早くワインも飲みたいなぁ」


「そうね。頂きましょう。皆さんもどうぞ」


 アスリンとナターシャさんがそう言うと、ボクたちは顔を見合わせて揃って食前の挨拶ををした。


「「いただきます!」」


 久々の食事と言うこともあったのかもしれないけれど、どの料理も味付けは最高に美味しかった。アーリャの料理の腕は完璧だ。


 この先、生きていくために必要な生活費を稼いだり、この辺りの共通語であるシュメル語の文字や世界の仕組みを学んでいかなければならないと思う。それと同時にヴリトラが言っていたヴァルハラについての情報も探す必要があるし本当にやることはたくさんだ。


 こうしてボクたちの六日間に及ぶサバイバル生活は一旦幕を閉じた。

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