第34話 ぐっじょぶ

 バルザとナターシャが傭兵仲間同士で夫婦となり、ミハエルが産まれることをきっかけに傭兵稼業を引退して始めた宿が西風亭だ。宿の名前の由来は、フェルダート地方特有の秋の収穫期に吹く西風から名付けたとバルザから聞いたことがある。早いもので、あれからもう二十年以上経つ。


 若い頃のバルザとナターシャは、丁度ハルとイロハを見ているような感じで、近くで見ていると微笑ましかった。だから私はイロハたちを見ているとデジャブからか、より親近感が湧くのかもしれない。


 西風亭は元々染物店だった中古の物件を改装して営まれている宿なので、レストランの中はそれほど広いわけではない。満席になってもお客さんはせいぜい二十人強という感じだ。


 西風亭の料理の売りは量ではなく味だ。そのため、他の飲食店と比べて労働者よりも舌が肥えた富裕層や女性客が多い。アーリャの料理の腕は一流だ。その師はミハエルであり、ミハエルの師はバルザだ。


 屈強な歴戦の戦士だったバルザは、顔に似合わず料理がとても得意だった。だから傭兵家業時代の私は、いつも彼の元でおいしい食事にありつくことができた。そんなバルザも三年前に流行した風土病で他界してしまった。しかし、彼の味付けは途絶えることなくミハエルやアーリャに伝わって生き続けている。


 現在レストランは夕食のピークタイムで、客の出入りがある中で満席の状態が続いている。厨房はアーリャだけでは間に合わず、ミハエルとナターシャも手伝っている状況だ。そのため私がミハエルに代わり、カウンターに立って給仕の仕事をしている。


 フロルも食材や皿を洗ったり、ハウスワイナリーから足りなくなったワインを補充しに行ったりと大忙しだ。


「はい、アスリン。このグラスとムニエルを二番テーブルのオレンジの服のお客さんにお願いね」


「了解よ、ナターシャ」


 私は厨房から差し出された料理とワインをお客さんのところまで運ぶ。


「お待たせしました。レンスターサーモンのムニエルにグラスワイン。以上でご注文はお揃いでしょうか?」


 私は料理とワイングラスをテーブルに配膳しながらお客さんに注文を確認する。


「あぁ、間違いない。早速いただくとするよ」


「ごゆっくりどうぞ。追加の品があれば、いつでもお声掛け下さい」


 私はお客さんに笑顔でそう告げてまたカウンターへと戻る。


「やぁ、アトカ。今日は仕事じゃなかったのかい?」


 カウンターへ戻る途中、相席用の円卓で西風亭の常連さんに声を掛けられる。


「ええ、今日のお昼過ぎに戻ったばかりだけど、西風亭が賑わっているので今はお手伝いよ」


「精が出るな。頑張っとくれよ。ついでに追加のグラスワインを一つ頼むよ」


「毎度! 注文ありがとうございます。ミハエルー! グラスを一つ追加ね!」


「はいよっ!」


 今日はいつもよりお客さんが多い感じで休む間もない。昼間歩いた疲れも残っているけれど、忙しいことは西風亭にとって悪いことではないので個人的に嬉しい気持ちの方が強い。


 イロハたちは、先程私たちが食事を済ませた奥のリビングで演奏会の準備をしている。彼らの言葉では『ライブ』と呼んでいると教えてもらった。楽器の音を調整しているのか、時々ユッキーのバイオリンのうっとりする音色が聞こえてくる。


「なぁ、アトカ。奥の方から何だか聞き慣れない音が聞こえてくるが、旅の一座でもきてるのかね?」


 今日は小さな孫娘とカウンターに座って食事をしている常連の一人、初老のトーマス司祭が私に話しかけてくる。


「旅の一座……。うーん、そんなところかしら。彼らはアシハラから来た私の友人なの」


 少し考えたけれど、やっぱりイロハたちは旅の一座と言うのが妥当だと思う。


「ほぉ、そりゃあ楽しみだな。マチルダ、今日は一座が来ているらしい。詩吟が聴けるだなんて幸運だな」


「うん! じいじ、楽しみだね」


 トーマス司祭に言われた孫娘も喜んでいる。


「彼らの歌を聴いたら本当に感動しちゃうわよ?!」


「ほら、アスリン。グラス準備できたぞ。しかし、本当に凄く綺麗な音だな。特にあのユッキーが演奏していると思うと……。人は見かけによらないなぁ」


 ミハエルは私にグラスワインを渡しながらそう言った。


「そうなのよ。彼はテルースでも超一流だったらしいわよ?」


「そりゃあすげぇ。そういえば、俺が貸した服はサイズ大丈夫そうだったかな?」


「うん、ハルはミハエルと体型が似ているからいいとして、ユッキーも羽織るタイプの服を選んでいたから問題ないと思うわ。イロハは私の礼服を着れたから大丈夫よ」


「それなら安心だ。さすがにあのままの服装じゃアレだったし……。サイズが合って良かったよ。おっと、アスリン。注文のお客さんが首を長くしてグラスを待ってるみたいだぞ」


「はーい」


 私はミハエルに返事をしてから先程注文した常連さんにグラスワインを届けた。


「お待たせしました」


「アトカの無事の帰還に乾杯だ」


 常連さんはグラスを私に向けて手を伸ばし杯を交わす仕草をしてきた。私は差し出されたグラスに拳だけそっと当てる。


「ありがとう、そして乾杯! ごゆっくりどうぞ」


「相変わらずノリが良くてうれしいよ、アトカ。今日は奥に一座でもいるのかい?」


「えぇ、私の友人よ。もうそろそろ準備ができると思うけど、色々と驚かないでね」


「ハハハ、楽しみにしているよ」


 その時、丁度奥のリビングのドアが開いてユッキーを先頭にハルとイロハが続いて出てくる。イロハは私が貸した袖と丈の長い礼服を着て、昼間と同じようにケープに添えつけられたフードを深く被っている。


 また、首にはストールを巻いて黒い鋼の鱗を隠していた。ハルはイロハの手をとって、不安そうな彼女をしっかりとエスコートしている。私は彼のそういう紳士的なところが好きだ。


「いよっ! 一座の登場かい? 感動するヤツを一曲頼むよ!」


 一番卓の三人組の旅人風の男が、イロハたちの登場を待ち侘びていたのか声をかけている。それに続くように、他のお客さんからも声が掛けられ始める。


「後ろの背が低いのは女か?女の詩吟とは珍しいなぁ。それに兄ちゃんたちが持ってる変わった楽器は初めて見るぞ」


「先頭の兄ちゃん、真っ黒な髪だけど、どこから来たんだい?」


 ガヤガヤと無秩序に賑わっていた店内が、風変わりな一座の登場で誰もが彼らに注目していた。カウンター席に座る小さなマチルダもイロハに手を振って喜んでいる。手を振られたイロハもマチルダに手を振り返した。私がイロハを目で追っていると、フードの隙間から私を見る彼女と視線が合う。


 私が応援を込めてイロハに頷くと、彼女も私に応えるように頷き返した。私が演奏するわけじゃないのに、何だか凄く緊張して来てカウンターから動けなくなる。


「皆さん、こんばんは! 俺たちはドラゴンズラプソディという名前で活動している楽団です。この場をお借りして演奏いたしますので、どうか俺たちの歌を聴いてください!」


 ハルが挨拶をすると、店内のお客さんは拍手と歓声で彼らを迎えた。


 早速、ハルの軽快な指捌きから生まれるギターのリズムに、ユッキーの優しいバイオリンの音色が合わさり演奏が始められた。二人の演奏で流れ始めた曲は、私が彼らと出会った日の夜に演奏してもらった曲だ。たしか曲名は『春よ、来い』。私がとても気に入った曲だったので題名をよく覚えている。


 まだ前奏の段階だけれど、初めて聴く楽器の音とその調べに、店内にいる誰もが食事や会話をするのを忘れて驚きを隠せない顔つきになる。そして、イロハの澄んだ綺麗な歌声が店内に響き渡った。


「おいおい、何だよ?! こんなすげー歌の一座は初めてだぞっ?!」


「お姉ちゃんたち……凄いっ!」


 大人も子供もみんな真剣に聴いている。


「おい、アスリン! 何だよ、本気で凄いじゃないか!」


 ミハエルが厨房から飛び出して私に言ってくる。


「だから言ったじゃない。アリゼオの王立合奏団より凄いって!」


 私は思わず自分のことのように嬉しくなってミハエルに自慢する。


「いやぁ……、さすがにここまでとは思わなかったからさ……。なぁ、母さん」


「本当に素敵な音楽に素敵な歌声」


 いつの間にかナターシャもカウンターへ来てイロハの歌声に聴き入っている。


「竜のお姉ちゃんたちマジですごいな、アスリン!」


 芋の皮むきをしていたフロルも手を止めて感動している様子だ。


 やっぱりイロハたちは凄い。この場にいる全員の心を掴んでいる。これなら彼女の正体がドラゴニュートだと知れ渡ったとしてもきっと大丈夫だと思う。


『春よ、来い』の演奏が終わると、間髪入れずにそのままハルが二曲目を奏で始める。ハルとユッキーは満面の笑みを浮かべている。


 フードを深く被ったまま歌っているイロハも口元から笑みがこぼれていた。三人とも彼らの言葉で言うライブを楽しめているように感じる。二曲目の曲は、『やさしさに包まれたなら』。この曲も先程の曲と同じ女性歌手の歌だそうだ。


 お客さんたちの中には立ったまま手拍子をしてリズムに乗っている人もいる。この地方では珍しい女性歌手に感銘を受けたのか、特に小さなマチルダや女性のお客さんたちが目を輝かせて喜んでいた。


 気が付くと西風亭のレストランの外にも人だかりができ始めていた。巡回中の憲兵も足を止めて、店の前の人だかりに紛れて聴き慣れない音楽に惹かれているようだ。これだけの演奏ができる一座や詩吟に出会えることは、なかなかないので当然だと思う。


 二曲目の演奏が終わると辺りはしんと静まり返る。そして、拍手と歓声に包まれて再び店内が賑やかになる。


「いいぞぉー! 兄ちゃんたち! あんたらどこから来たんだ?」

「この辺りじゃ見たこともない楽器だけど、それは何て言うんだ?」

「歌い手のお譲ちゃん、フードを取って顔を見せてくれよ!」


 お客さんたちは、演奏を終えた三人に次から次へと詰め寄るように席を立っている状態だ。直接イロハがお客さんたちに触れられないよう、ハルがイロハとお客さんの間に入る。殆どのお客さんにアルコールが入っているので、収拾がつかなくなってしまいそうな不安が過ぎる。


 このままじゃまずいかも……。


 私はミハエルを見ると彼は頷いた。私が何とかこの場を制するようにと言う合図だ。


「はいはーい! 皆さんっ! 少し落ち着いてくださーい!」


 私は給仕用の金属製のトレイを両手に取り、それをぶつけ合わせて大きな音を立てて注目を集める。お客さんたちはビックリしたのか、騒がしくなっていた店内がしんと静まり返った。


「何だ、アトカか……。大きな音で驚いたじゃないか」


「皆さん、驚かせてごめんなさい。ちょっと騒ぎになってきたので……。彼らのこと、私からも紹介させてください。彼らはここから遥か遠く、北方のアシハラからやって来た私の友人なの」


 私は大きな音でびっくりしてしまったお客さんに謝罪しながらイロハたちを紹介する。


「ほう……。道理で私らが知らない楽器を扱うわけだ」


 楽器について質問しようとしていた中年の男性は、未開の異文化を持つアシハラから来たということに納得しているようだ。


「皆さん、聞いてくださいっ!」


 その時イロハが大声でお客さんたちに呼びかけた。西風亭のレストランは再び静かになる。店内のお客さんだけでなく、店の外で立ち聴きしていた人たちも一斉にイロハに注目する。


「私がフードを外すと、皆さんに怖い思いをさせてしまうかもしれません。私も正直なところ、バケモノを見るような目で人から恐れられてしまうのがとても悲しいです。でも、私がフードを外しても怖がらずに最後まで歌を聴いていただけませんか? 私は絶対に誰かを傷つけたりしませんので!」


 イロハの一言で店内がまたざわつきだした。


 お客さんたちはイロハが何を言っているのかよくわかっていない状況だと思う。歌い手の女性が、自分の顔に何かしらのコンプレックスを抱いていると感じている程度だろう。いずれにしても、彼女が取った行動はとても勇気のある行動だ。本当にイロハは強い。


 私も何か力になれないかと周りを確認した。そして、レストランの入り口に立つ二人の憲兵の中に、ミハエルの幼馴染のクラウスがいるのを見つけた。彼ならきっと、イロハを捕らえようとせずわかってくれるはず。


「お願い、クラウス! 彼女には感情があって普通の人と変わらないの! 誰かに危害を加えたりすることはないから、彼女を拘束したりしないで!」


 私はクラウスたちの元へ駆け寄って、これから姿を現そうとしているイロハに剣を向けないよう懇願した。


「ん? 何を言ってるんだ、アトカ?」


 さすがにそれだけの説明では、クラウスにイロハのことを理解させるのは無理だった。クラウス自身もイロハの言葉を聞いていたはずだけれど、彼女の言っていることがわからなかったようだ。


 ユッキーとハルは頷き合って演奏を始める。そして、イロハが歌い始める直前、私の予想通り彼女はフードを外して素顔を現した。


「ドラゴニュートだっ!」


 誰かが叫ぶと暫く店内に悲鳴が飛び交った。しかし、混乱した店内はイロハの歌声と念話によってすぐに静まり返った。


「こ……、これは……」


 透き通るイロハの歌声は、私の予想通り彼女たちの世界の共通語によるもので、神を祝福する『アメイジンググレイス』だ。イロハは竜の力である念話を使い、彼女の声とは別の手段で、この場にいる皆に歌詞の意味を脳の中に直接伝えてきた。


 目を閉じて祈るように歌うイロハに、この場にいる全員の視線が釘付けになっている。私の隣にいるクラウスも剣の柄に手を掛けたまま微動だにせず聴き入っている。


 透き通るイロハの歌声とユッキーのバイオリンが共鳴して美しいハーモニーを奏でる。熱心なジュダ教司祭である常連のトーマスは、孫娘のマチルダの頭を撫でながら涙を流して聴いていた。


「ね、彼女は大丈夫。お願い、クラウス。手に掴んでいる武器を収めて」


「あ、あぁ……。たしかに彼女はドラゴニュートなのに大丈夫みたいだ。ちゃんと感情も制御できているようだし……。感情を抑止できるドラゴニュートに会うのは初めてだ。それにしても、本当に美しい歌声だ……」


 クラウスも驚きと感動でいっぱいのようだ。剣を鞘に納めてからまたイロハの歌を聴いている。彼も熱心なジュダ教徒であるため、この歌は特別な意味で彼の心に響いたようだ。イロハの歌が終わると店内はしばらく沈黙が続いた。その後一斉に拍手が沸き起こる。


「姉ちゃん! 俺はドラゴニュートなんて気にしないぞ! たった今からあんたらのファンだっ!」


「お姉ちゃん凄く奇麗な歌声だったよー!」


 トーマスに頭を撫でられているマチルダも、喜びで目をうるうるさせて拍手をしながらイロハに声を掛けている。


 演奏を終えた三人は、互いに顔を見合わせると笑顔になり、揃ってお客さんたちにお辞儀をした。私もこの場にいる全員の心を掴んだ彼らに、感極まってしまい自然と涙が溢れてくる。


「本当に信じられないくらい凄い一座だわ……。人を襲わないドラゴニュートの少女の歌い手なんて……」

「あぁ、こりゃ大物だぞ! そりゃ最初はびっくりして腰を抜かしそうになったけど、よく見りゃあの子、奇麗な黒髪で凄く可愛いじゃないか!」


 店内だけに留まらず、夜だと言うのに噂が噂を呼んでレストランの外も路上を埋め尽くす凄い人だかりになっている。お客さんたちは誰もが興奮冷めやらないようで帰ろうとする者は誰もいない。


「皆さん、ありがとうございます。今日は長旅でレンスターへ到着したばかりなので、次の曲が最後です! しばらく街に留まって西風亭で演奏いたしますので、またお店に足を運んでください!」


 今日は最後というイロハの言葉に、お客さんたちからは落胆の声が聞こえて来る。完全にこの場にいる全員がドラゴンズラプソディに心を奪われていた。彼らのライブは大成功だ。


 ナターシャもミハエルもとても嬉しそうにしている。カウンターの脇には、フロルだけでなくアーリャの姿も見える。仕事熱心で真面目なアーリャも気になって仕事が捗らないのだろう。


 ハルとユッキーの伴奏が始まると、最後の曲をイロハが笑顔で歌い始める。彼らとお客さんたちは心が一つになっており、彼女の歌声は盛り上がる西風亭を温かく包み込んだ。演奏が終わると彼らはお客さんたちの拍手に応えるようにお辞儀をする。


「皆さん、今日は私たちの歌を最後まで聴いてくださって、本当にありがとうございました!」


 ライブの成功おめでとう! みんな、本当にカッコ良かったよ!


 私もお客さんたちと一緒に彼らに拍手を送る。長いお辞儀から体を起こしたイロハと目が合った。そして彼女は私に微笑んでくれた。


「イロハ! ぐっじょぶ!」


 私は右手の親指を立て拳を突き出し、彼らに教えてもらった言葉でイロハに称賛を送る。


「サンクス、アスリン!」


 彼女もまた私に拳を突き出して笑顔で応えてくれた。


 レンスター到着初日にして、彼らは自らの力で自らの居場所を手に入れた。

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