第35話 心安らぐ彼女の香り(上)

 ライブの中で、彩葉がケープのフードを外した時、俺はこれまでに経験したことがないくらい緊張した。打ち合わせ通りとはいえ、自らアルザルの人々に忌み嫌われるドラゴニュートであることを公表した彩葉。彩葉の勇気ある行動は、なかなか真似できるものじゃない。


 結果的に、彩葉の歌声と俺たちの音楽がリスナーの心を掴み、ライブは無事に成功を収めた。俺たちの音楽はこの世界で通用する。生活費を稼ぎながら、地球を目指す旅を始める自信に繋がった。ただ、何よりも俺が嬉しかったのは、ライブの成功よりも彩葉が人前で堂々と笑顔で歌えたことだった。


 ライブを終えて夕食をいただいたリビングに戻った俺たちは、いつもの調子でライブの成功を祝い、互いにハイタッチを交わした。


「二人ともお疲れ様! 本当にドキドキしたなぁー。初めて体育館のステージで大勢の前で歌った中二の学園祭の時以上に緊張したかも」


 ライブをする直前まで不安でいっぱいの顔つきだった彩葉も、今はいつもの元気な彼女の素顔に戻っている。竜の心は恐怖という感情がない。ただ、不安や心配という感情はあるそうで、それはドラゴニュートになった彩葉も例外ではないらしい。


「あぁ、俺も今迄で一番緊張したライブだったよ」


「彩葉、勇気があってカッコよかったぜ」


「ありがとう、ユッキー。でも、これは二人がいてくれたおかげだよ。それに恐怖を感じない竜の心じゃなければ、きっとあんなことはできなかったと思う」


「一時はどうなるかと思ったけれど、リスナーの心が掴めて俺もホッとしたよ。後半は、みんな彩葉を怖がってなかったもんな」


「うん!」


 彩葉は笑顔で頷いた。幸村と彩葉は、今日のライブが大満足だったようだ。


「そういえばさ。最近ハルから静電気が飛ばなくなってないか? ハイタッチしても全然ビリっとしないから、静電気で占いができないじゃないか」


「だからその変な占いはやめろって……。でも、そうに言われてみると、アルザルに来てから静電気が飛んでないような気がするな」


 普段から静電気が飛ぶことに自分では気が付かないこともあったので、俺は幸村に言われて初めてその事実に気が付いた。アルザルに来た時に巻いていた除電リストバンドは、彩葉と自分の血液で酷く汚れてしまったので処分した。だから、いつも以上に静電気が飛んでもおかしくない。


「本当ね。普通ならもう何度かビリってやられてるはずだよね?」


「普通と言うか、ハルが普通じゃなかったんだろうけどさ」


「何だよ、それ……」


 幸村に笑いながら言われたので、俺はソファーに腰を下ろしながらため息をつき、少し不貞腐れ気味に言い返した。


「でも、アルザルへ来て特異な体質の謎が解けて良かったじゃない」


 彩葉も俺を茶化すように、笑みを浮かべながらそう言って俺の隣に座った。アルザルへ来て良くも悪くも、本当に色々なことがあり過ぎた。俺の呪法を狙っていたヴァイマル帝国の将校たち。彩葉の命を救うためとはいえ、彩葉がドラゴニュートになったきっかけは俺にある。


「でも、俺の呪法のせいで二人を撒き込んだのはたしかだし……」


 やり場のない悔しさに、俺は床をジッと見つめた。しばらく沈黙が続く中、彩葉が俯く俺の頭に右手を置いて、俺の目の前にしゃがみ込んだ。


「はいはいっ! ハル、その話はやめよう? 私はまたこうして一緒にいられるだけで幸せなんだから」


 彩葉は俺の髪を掻き乱しながら、下から覗き込むように上目遣いで言った。耳を澄ませば彼女の吐息が聞こえてきそうな距離だ。悪戯っぽく微笑む真紅の瞳の彼女と目が合った。俺は自分の鼓動が、だんだん早くなってゆくのがわかった。


「オホンッ!」


 幸村の咳払いで俺たちは我に返った。彩葉が慌てて俺から離れる。人目を気にせずについ目の前のことに集中してしまうのは俺たちの悪い癖だ。


「やめろ! とは言わないけどさ。二人ともせめてボクが見てない所でやってくれないかねぇ……」


「悪かったよ……。と言っても今の場合、俺は不可抗力だっ!」


「ひ、人のせいにするなんて酷いじゃないっ! ハルが変に落ち込んだりするから……」


 そしてどういう訳かいつも最後はこの展開になる。もしも、地球で彩葉と付き合っていたとしても、こんな感じだったのだろうか……。


 通学時の電車の中で、のどかな安曇野の風景を見ながら、彩葉と笑いながら会話をしたり、いつもの神社を二人で歩く姿を頭の中で想像すると何だかとても懐かしく、寂しい気持ちになる。冷静に考えると、普段とあまり変わらないような気もするけど……。


「……ってば。おい、ハル?! 聞いてんの?」


 幸村がどうやら俺を呼んでいたようだ。


「悪い、ボーっとしちまった。疲れてるのかな?」


「ウソつけ! どうせ惚気た妄想でもしてたんだろう?」


「バ、バカ! 違うってばっ!」


 俺は慌てて否定したけれど、実は幸村に図星を差されて不覚にも動揺してしまった。彩葉も恥ずかしそうに顔を赤くしている。ふと、視線を感じたのでリビングの入口に目を移すと、そこにはアスリンが立っていた。俺が考えごとをしている間にリビングへ来ていたらしい。


「お客さんが一緒に飲まないかって、さ。アスリンが迎えに来たんだぜ? ボクは親睦を深めるためにちょっと行ってこようと思うけど、ハルはどうする?」


 幸村が『ボクは』と言ったということは彩葉は行かないのだろうか。彼女を見ると首を横に振って答えた。


「私はもう少し人が少なくなってから、様子を見て顔を出そうかなって……。その前にほら、日課の自稽古もしたいし」


 なるほど、彩葉らしい。アルザルへ来てからも毎日朝晩欠かさずに素振りやイメージトレーニングしているところに感心してしまう。


「俺も彩葉の稽古の様子を見てから行くよ。幸村さ、バイオリン弾いてもいいけど、ソロで余りリスナーを驚かすなよ? あと飲みすぎ注意な」


 俺はバイオリンを持ってレストランに戻ろうとしている幸村を見てそう言った。


「了解だ。『とっておき』の演奏はアスリンにゆっくり聴いてもらいたいから温存しておくさ」


「えー?! ユッキーの『とっておき』は今から演奏してくれないの?」


 アスリンは幸村の演奏を本気で楽しみにしているようだ。


「みんなの前で演奏したんじゃ、アスリンに『とっておき』にならないじゃないか……。普段練習に弾いていた映画のタイトルやクラシックあたりにしておくよ」


「その曲だって幸村が演奏すりゃ、みんな驚くぜ?」


 俺は笑いながら幸村に言った。


「かもな。じゃあ、みんな。とりあえずボクは先に行ってるぜ」


 幸村は笑顔で俺に答えてから、彩葉とアスリンに手を振り、レストランへと向かって行った。ここのお客さんにとって、バイオリンの音色なんて何世紀も未来にならないと聴けない音だ。それをその道のプロと言っていい幸村が演奏するのだから、驚きと感動に包まれるのは間違いない。


「ねぇ、イロハ。稽古って今夜もいつもの剣術の練習?」


「うん、そのつもり。なんかね、習慣って言うのかな? やらないと落ち着かないのよ。ねぇ、アスリン。西風亭に裏庭とか広い場所あるかな?」


「少し離れたところにハウスワイナリーがあるのだけど、その向かいに空き地があるわ。そうだ! フロルに案内させるね。フロルー? ちょっとこっちへ!」


 アスリンはそう言うや否や、厨房の土間でジャガイモの皮剥きを一生懸命していたフロルを半ば無理矢理に呼びつけた。


「なんだよ、アスリンさん。人遣いが荒いなぁ……」


 幸村がリビングのテーブルに置いていった腕時計はもう二十一時を過ぎている。アルザルでは当たり前のことなのかもしれないけれど、こんな夜まで一生懸命仕事をしなければならない少年を不憫に感じた。


「これからイロハが剣術の練習したいみたい。あなた剣術に興味あるでしょ? イロハをワイナリーの向かいの空地へ案内してあげて」


「わかったよ、アスリンさん! 竜の姉ちゃん剣術できるの? すげー!」


 フロルは目を輝かせて彩葉の袖を引っ張り、率先して案内を始めた。


「あ、待って、フロル。引っ張らなくてもちゃんとついて行くから……」


 フロルに引かれてリビングから退室する彩葉は、俺に早く来いと言わんばかりの視線を送ってくる。とりあえず彼女の稽古を見ると言った手前、俺も二人について行こうとソファーから立ち上がった。その時アスリンが、俺に聞こえるように呟いた。


「フロルはね、戦災孤児なの。野党化した敗残兵がフロルの住んていた村ごと焼き払って……。だから彼は強くなりたいって……。彼はまだ小さいけれど、一人で毎日イロハみたいに木剣で剣術の練習をしているのよ」


「そうなのか……。辛いんだな、フロルも。でもさ、彩葉ならきっとフロルの良い師匠になれるはずだぜ、アスリン」


「そうね。でも、フロルがその剣術を実戦で使うことがないことを願っているわ。あの子には幸せになってもらいたい」


「そうだよな。戦争なんてない平和が一番だよな」


「うん。レンスターは平和に見えるけれど、戦争はつい最近まであったし、まだ爪痕は色々なところに残っているわ。今でも貴族の謀叛が噂されたりするけど、今はヴァイマル帝国の動向が一番気になるかな……。帝国が何を目的としているのかわからないし……」


「全くだよ。俺たちもあいつらのことをよく知らないと、仮に地球へ戻れても、また襲われる可能性だってある」


「そうよね。ハル、希望を捨てず焦らずに行きましょ!」


「あぁ、ありがとう。アスリン」


 つい先日知り合ったばかりの俺たちに、アスリンは献身的で本当によくしてくれる。トロルに襲われて危なくなっているところを助けたとはいえ、このエルフの少女は本当に健気で思いやりがあるいい子だ。


 俺たちよりずっと年上だろうから、『いい子』なんて言ったら失礼になるかもしれないけれど……。

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