第32話 テルースの彼方から(上)

 ボクたちのこれまでの経緯をナターシャさんとミハエルさんに伝え終えた時、窓の外はすっかり陽が落ちて暗くなっていた。リビング内はシャンデリアの照明で明るく照らされている。シャンデリアの光源は、蝋燭の火を用いて灯すものではなく、ボクの予想と異なる魔法的な仕組みだった。


 シャンデリアに取り付けられた複数のガラスの容器の中は、その一つひとつにフワフワと揺れる発光し続けている小さな玉が浮いており、それが室内を明るく照らす感じだ。これはアスリンから聞いていた、オーブを使った錬金術の魔法技術だった。


 明かりを灯す際に、ミハエルさんは小指の爪くらいの小さなガラス玉を潰してガラスの容器の中に粉のようなものを入れ、それはすぐに発光体となった。照明の明るさは裸電球以上、蛍光灯以下といったところだろうか。


 アルザルに出回っているオーブは、小型の薄いガラス膜に覆われた容器に、各属性の効力を持つ粉末状の魔術触媒が錬金術師たちによって詰め込まれている。使い方はいたって簡単で、オーブのガラス膜を潰して中の媒体を使用目的の対象に触れさせるだけだという。


 百年ほど前に開発されたこの革命的な技術は、当初は量産ができず高価なものだったそうだ。しかし、現在は職人が増えて生産技術も進み、大量に生産されることで安価になった。


 当初の軍事用の用途の物だけに限らず、かまどに火をつけたり、タンク代わりに飲料水を貯蔵したり、また、洗剤や香水、化粧品といった日用品に至る物まで生産されている。もはや暮らしに便利なオーブは生活の必需品だ。


 その影響からオーブを製造する過程で仕事をするガラス職人や錬金術師に富裕層が多いという。この錬金術という優秀な魔法技術のおかげで、ボクが思っている以上にアルザルの生活水準は高いように感じる。この技術は、地球で言うところの産業革命に匹敵するレベルの技術革新なのかもしれない。


「そうなると、みんなは古い伝承に登場する星、テルースの彼方から来たってことになるのか……。驚きが度を超えていてまだ信じがたいけど、この話はジュダ教の司祭や関係者にはしない方が無難だ。ジュダ教は、万能神ヤハウェを崇めていて、その使途である天使以外の宇宙の民の存在を完全に否定している。ジュダ教は憲兵とも交流が深いから、因縁をつけられて拘束されてしまう可能性があるから気をつけてくれよ」


 ボクたちの話を聞き終えたミハエルさんがそう忠告してくれた。どうやらアスリンが言っていた通り、アルザルの宗教で最大勢力を誇るジュダ教は、地球をはじめとする外界の存在を本気で否定しているようだ。


 アスリンはあまりジュダ教に詳しくないと言っていたけれど、ミハエルさんはある程度詳しそうに感じた。ジュダ教の神様というヤハウェ神は、地球のユダヤ教の神のはずだ。オカルト雑誌にもよく登場するので、ボクはその名前を知っていた。


「はい、アスリンにもそう言われました。ジュダ教徒には気をつけます」


 ハルがミハエルさんに答えた。


「でも本当に驚きで一杯よ。使い方がわからないけれど、これがあなたたちが地球と呼ぶテルースで作られたものなの?」


 証拠として用意したボクの腕時計やスマートフォン、それに折り畳み傘に彩葉のオーディオプレイヤー。ナターシャさんは、これらを手に取り驚きを隠せていない。折り畳み傘のナイロンの素材や電子機器の液晶パネルなど一つひとつにとても興味を示していた。


「これらはオーブのように錬金術の力ではなく、電気というエネルギーを元にして動く生活の補助的な役割をするものなんです。今は生憎、電気が切れてしまったので動きませんが……」


 さすがにアルザルに来て六日経ち、どの機器も充電が切れてしまっているので説明しても実践ができない。機器類が動く仕組みをハルが簡潔にナターシャさんとミハエルさんに説明する。


「私もね、出会ったときにこの装置でイロハたちの世界の音楽を聞かせてもらったり、の絵を見たのだけど、本当に凄い技術ばかりなの。ちょっと動かなくなってしまったのは残念だけど……」


 スマホの写真に感動したりオーディオプレイヤーで音楽を聞いたことがあるアスリンが捕捉してくれる。


「電気という仕組みが良くわからないけど、雷撃の呪法や照明用の雷属性のオーブみたいな物なのか?」


 ミハエルさんがハルを見て質問をする。


「ミハエルさんが言った、それに近いかもしれません。金属に触るとバチっと痺れる静電気や雷も電気の一種です」


 ハルがミハエルさんの質問に答えるとミハエルさんは頷いている。どうやらミハエルさんは、電気の存在を何となく理解してくれたのだろう。


「アダプターさえあれば、俺の呪法で充電できるんだけどなぁ……」


「まじで? でも生憎ボクはアダプターなんて持ってきてないな……」


「私、オーディオプレイヤーの充電器だったら持ってるわよ?」


 そう言うと彩葉はリュックのポケットを開けて中をガサゴソと探し始める。


「あった! オーディオプレイヤー用の端子だけど、ユッキーのスマホもこれで充電できるんじゃない? よく部活の間に部室のコンセントで充電させて貰ってたのよ」


「こんなの持ち歩いていたのはそういうことか……。でもおかげで充電に困らなくなったね! 後で頼んだぜ、ハル」


「あぁ、任せとけって。俺も早く言えば良かったな……」


 ボクはスマホが復活できるかと思うと胸が躍った。もうカメラとしての機能しか役に立ちそうにないけれど、折角だから写真をたくさん撮っておこうと思う。特にアスリンの写真は待ち受け画面にして保存したい。


「ユッキー、何かやましいこと考えてない?」


 彩葉から軽蔑するような視線を感じてドキッとさせられる。でもボクは彼女のこの視線が割と嫌いじゃない。


「い、いえ……。何も疾しいことは考えてませんって、彩葉さん……」


「何だかわからないけれど、またが動くようになるの?」


 ボクたちのやり取りを不思議そうに見ていたアスリンが訊いてきた。


「うん、これがあると充電って言って、ハルの電気の呪法を溜めることができるの。そうすれば、その溜めた電気でこれが動くようになるのよ」


 興味しんしんなアスリンに彩葉が答える。


「でも、こんなもの見せられたら、想像すらできなかった高度な文明を持つと言われるテルースの存在を信じざるを得ないな、母さん」


「まったくね……」


 ミハエルさんとナターシャさんは、ボクたちが話した経緯を完全に信じてくれているようだ。


「イロハ、また動くようになったら聞かせてね。あ、そうだ。ナターシャにミハエル! 聞かせると言えば、三人は音楽の腕がとっっってもすごいの! アリゼオの王立合奏団よりハッキリ言って凄いわ!」


 アスリンに出会った日のライブコンサートを思い出したのか、彼女は興奮して『とても』をかなり強調してナターシャさんとミハエルさんに伝えた。


「まぁ、それは楽しみね。ミハエル、食事を済ませたら、旅の疲れがあるかもしれないけれど、三人に僅かな時間だけでも演奏を頼んでみてもいいかしら?」


「そうだな、母さん。近頃うちの店に来る吟遊詩人は、幸の薄そうな奴ばかりで宣伝効果にすらならなかったし……。アスリンがそこまで褒めるんだ。俺からもお願いしたいけど、どうだろう?」


 ナターシャさんとミハエルさんもボクたちの演奏に興味を示している。荒野で演奏した時、アスリンは喜んでくれた。きっと、ボクたちの音楽はレンスターで通用するはずだ。ただ、どんな演奏なのか知らないけれど、王立の合奏団と比較されるのは何気にプレッシャーだった。


 ミハエルさんが言っていたというのは、西風亭の一階で営む酒場を兼ねた飲食店のことだ。西風亭は三階建ての構造で、旅人が宿泊する客室が二階部分にあり、宿の三階はアスリンを含めたモロトフ親子と使用人たちの住居になっている。


 西風亭の収益の大部分は、旅人からの宿泊費より飲食店で得られているとレンスターに向かう途中でアスリンから聞いていた。普段はミハエルさんがカウンターに立って夜遅くまで酔っ払いの相手をしているという。今はまだ夕食のピークタイムではないので、住み込みで働く使用人たちが切り盛りをしている状況だ。


「ハル、彩葉。ボクたちのライブデビューは予想より早くなりそうだね」


「あぁ、ありがたいな」


 ハルもまたボクと同じ気持ちだと思う。ここが地球ではないとしても、公式にライブができるのが嬉しそうだ。


「私も歌える機会があるなら挑戦したいと思うのだけれど……。私が表に出ることでお店の宣伝効果がマイナスになって迷惑にならないかな?」


 そう言いながら彩葉は自信なさそうに俯いている。自分がドラゴニュートであることを気にして、ライブを行うことに躊躇ちゅうちょしているようだ。彼女がドラゴニュートになった経緯はボクにだって責任がある。普段から元気で明るい彼女の辛そうな表情を見るのは本当に心苦しい。


 彩葉の言い分はもっともだけど、それを承知でナターシャさんやミハエルさんはボクたちにライブの話を持ちかけているのだと思う。その証拠にナターシャさんたちは、笑顔でボクたちの様子を見守っている。


「安心しろよ、彩葉。いつだって俺は彩葉のそばにいるからさ」


「ありがとう、ハル……」


 彩葉はボクの隣に座るハルに寄り添うように目を瞑りながらそう言った。いくら二人がお互いの想いを告げて恋人関係になったからと言って、ボクの目の前でイチャイチャされるのは正直腹立たしい。


 熱中するとすぐ周りが見えなくなってしまうのが、この二人は大きな欠点だ。


「おいおい、二人ともボクの存在も忘れないでくれよな。ボクだっていつでも彩葉の味方なんだぜ? あと、ハルの味方もついでにしてやるからな」


 ボクは不貞腐れ気味に窓の外を見つめながら呟いた。もう窓の外はすっかり暗くなり外の様子はわからなかった。


「私だっているんだからね」


 向かいに座るアスリンもハルと彩葉を見ながら微笑んで言った。


 初対面のナターシャさんやミハエルさんだっているのに、この二人は本当に我を忘れて恥ずかしくないのか、まったく……。


「ユッキーもアスリンもありがとね! くよくよしてちゃだめだよね、私」


 ようやく、周りの視線にも気づいたのか、彩葉は顔を赤く染めて慌ててハルから離れながらそう言った。


「幸村、いつもありがとな。俺からも礼を言わせてくれ」


 ハルも後頭部に手を当てて、照れ臭そうにボクにそう言った。


「はいはい、今更何を言ってんの? まぁ、どうせボクは駄菓子のオマケだけど応援くらいさせてもらいますよ」


 ボクは少し自嘲気味にハルを見つめてニッと笑ってやった。嫌味に気付いたのか、少し不機嫌そうになるハルの表情が面白い。


「あー、若いっていいわよね、ナターシャ」


「そうね、アスリン」


 ナターシャさんとアスリンは顔を見合わせて笑っている。


「ナターシャとバルザの若い頃を思い出しちゃうなぁ。ナターシャたちもあんなだったわよ?」


「ちょっとアスリン! 大人をからかうもんじゃないわよ?」


 目がやや本気で怒るナターシャさんがアスリンに顔を寄せて言う。仰け反るような体勢でナターシャさんから目を逸らし、両手を上げて誤魔化し笑いをするアスリン。そんな彼女を見つめる彩葉もクスクスと笑い始めた。長いポニーテールが床についてしまわないようそれを抑えるアスリンの仕草がまた可愛らしい。


 この子は、本当に天使だな……。

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