第83話 クニルプスの下で

 賑やかな西風亭の店内は、今晩もドラゴンズラプソディの素敵な音色が響き渡る。彩葉さんの奇麗な歌声は、何度聴いても惹きつけられる。軽快に爪弾くハロルドさんのギターも素敵だし、何しろ幸村さんのバイオリンは、天才と言っていいレベルだ。


 連日の雨にもかかわらず、彩葉さんたちがミニライブを演奏する時間帯は、西風亭が常連さんで満員の状態になる。今晩も満員の常連さんを相手に、アスリンさんはお客さんたちと一緒に楽しむかのように、笑顔で給仕の仕事を手伝っている。


「まさか、あのユッキーにバイオリンの才能があったなんてねぇ……」


「ザーラ姉、昨夜も同じこと言ってましたよ? 今日はいつもより飲み過ぎです……。それに、西風亭に毎晩来て飲んでいたら、ヘニング大尉に叱られてませんか?」


 私は、トランプカードを扇状に持つザーラ姉に忠告した。その日の任務が終わると西風亭に訪れるのは、ザーラ姉だけでなくヘニング大尉を除く五小隊のメンバー全員だった。彼らは、西風亭で彩葉さんたちのミニライブを聴いたり、昔から五小隊で流行っているシュヴァルツ・ペーターをしながら西風亭の閉店まで飲食している。


 シュヴァルツ・ペーターは、彩葉さんたちの時代の日本でも有名な遊び方のようで、日本語では『ババ抜き』と呼んでいるそうだ。


 ここにトランプカードがあるのは、カードゲーム好きなクラッセン伍長がいつでもトランプカードを持ち歩く習性があるからだ。行軍先で急な長期滞在になった場合の暇潰しに便利らしい。褒めるところではない気もするけど、これも古参兵の知恵というものなのだと思う。


「心配ないですよ、フロイライン少尉。俺たちは毎日、朝から夕方までレンスターの兵士たちに、銃器の取り扱いや戦術を指導している。外出で西風亭へ行くことは、ヘニング大尉の承認済みです」


 ザーラ姉を庇護ひごするように、クラッセン伍長がヘニング大尉からの許可をアピールした。


「そうは言うものの……、飲酒の許可が出たわけじゃありませんがね……」


 常識人のライ上等兵が、苦笑いしながらクラッセン伍長とザーラ姉をたしなめるように言った。


「まぁまぁ、硬いこと言わないで下さいよー、ライ上等兵。西風亭の酒と料理は、とにかく美味しいし、何より異動しちまったキアラのことが心配なんです。ここに来ると、素敵な音楽だって聞けるじゃないですかー」


 ライ上等兵をなだめるザーラ姉の言葉は、少し呂律が回っていない。


 ライ上等兵は、苦笑いしたままザーラ姉のトランプカードを一枚引いた。どうやら手元のカードとペアになったようで、嬉しそうな表情でペアになったカードをテーブルの上のカードの山に捨て置いた。


「でも、たしかにベーテル一等兵が言うように、ユッキーの演奏技術は本当に凄い。自分も多少バイオリンの心得があるのでわかりますが、彼が昨日演奏したシャコンヌ。あの曲を暗譜して、あそこまで演奏できる奏者は、間違いなくプロの腕です。バッハ好きのヘニング大尉が聴いたら喜ぶでしょうね。あ、どうぞ、クラッセン伍長の番です」


 ライ上等兵は、幸村さんの演奏の腕を絶賛しながらクラッセン伍長に自らのカードを差し出した。


「国営放送でよく耳にした、ララ・アンデルセンのリリー・マルレーンも良かったが、二十一世紀の日本ヤーパンの音楽も素晴らしいもんだな。昨晩は、ユッキーのバイオリンの独奏。一昨日はアイリッシュ系の民謡フォルクスリート。あの子たちがプロのバンドマンではなく、ただの学生ってのが驚き……って……ちっ」


 彩葉さんたちの歌に聴き入りながら、ライ上等兵が差し出したトランプカードを選でいたクラッセン伍長は、選んだカードを引いた途端に舌打ちをした。たぶん、ジョーカーを引いたのだろう。本当にわかりやすい。


「プッ……」


 そんなクラッセン伍長の子供のような反応に、ザーラ姉が我慢し切れず吹き出した。私も思わず彼女につられて笑ってしまった。


「ほらほら、笑ってないで。フロイライン少尉の番ですよ」


 クラッセン伍長は、不貞腐れた表情で私に言うと、手に持つ四枚のカードを私に差し出した。結局、私は彼らの誘いを断り切れず、一緒にシュヴァルツ・ペーターをしている。私がクラッセン伍長から引いたカードは、スペードのエース。手持ちのダイヤのエースと合わせ、ペアになったカードをテーブルの上に乱雑に積まれたカードの山に捨て置いた。


「シュトラウス少尉、五小隊の雰囲気って、いつもこんな感じなんですか?」


 私の右隣りで質問したのは、昨日の配置換えで五小隊が搭乗するⅢ号戦車、通称『クランプス』の装填手として、後方支援の六小隊から転属したオラフ・ヘルマン一等兵だ。


「そうですね。私は五小隊から異動となってしまいましたが、私が所属する前から、このような感じだったみたいですよ。歴戦のエースであるヘニング大尉を始め、本当に素晴らしい隊員たちばかりですから、ヘルマン一等兵もすぐに馴染めると思います」


 私は手持ちの最後のカードをヘルマン一等兵に差し出しながら、彼の質問に対して回答した。彼が転属してきた理由は、戦闘中行方不明になった装填手のリンケ二等兵の補填だ。射手を務めていたアンデルセン一等兵の代わりは、私と一緒に五小隊の支援活動を担当していたライ上等兵が担当することになった。


 五小隊の皆が陽気に振る舞っているのは、フォルダーザイテ島基地で失った仲間たちの影響が大きい。士官が集められたミーティングで、士気向上を図るために多少の軍規に触れることがあっても、大目に見るようヘニング大尉から言われていた。


 戦死したアンデルセン一等兵を埋葬した時は、陽気なクラッセン伍長も肩を震わせて泣いていた。口に出さないけど、辛いのは皆同じだった。


「なるほど、昔から……って。シュトラウス少尉、もう上がりなんですか?」


 ヘルマン一等兵は、私がゲームを終えたことに気がついて驚いたようだった。


「はい、おかげさまで」


「はぁ?! キアラ、これで三連勝じゃないか?! 高レートで賭ける時は、私もキアラの幸運にあやからせて貰いたいよ」


 ザーラ姉は、私に幸運がある言ったけど、私はそう感じたことは一度もない。もし、本当に私が幸運なら、マリョルカ島で赤毛の魔女と蔑まされずに済んだろうし、二度も家族を失うことだってなかっただろうから……。優しかった父のことを思い出すと、また涙が出そうになる。


「私に肖ったりしたら緊張して色々失敗しますから避けた方がいいですよ、ザーラ姉。そもそも、レンスターじゃ、ライヒスマルクなんて使えないじゃないですか……。私の取り分は皆さんで分けていただいて結構です。丁度きりもいいので、少し外の風に当たってきますね」


 私は席を立ち、込み上げてくる涙を誤魔化しながら言った。


 あの激しいフォルダーザイテ島基地攻略戦から約半月が経った。しかし、私はまだ心の整理ができていない……。特に、父のことを一度考えてしまうと、しばらく自分で感情を制御できなくなる。こうなると思い切って泣いてしまった方が、気持ちの整理が早くつく。


「キアラ……。雨の降りが強くなってるから……、トイレに行くなら足元に気をつけて行きなよ……」


「はい……」


 ザーラ姉が、席を立った私に優しく声を掛けてくれた。彼女は私の感情の変化に気がついている。キルシュティ半島に不時着してから、レンスター入りするまでの数日は、彼女がずっと私を介抱してくれたのだから……。





 私は厨房脇の奥の勝手口のドアを開けて屋外へ出ると、小振りだった雨が、いつの間にか音を立てて降っていた。


 雨季というだけあって、レンスターは断続的に雨が降り続いていた。時々、雨脚が強くなったり止んだりする時間もあるけど、基本的に大西洋沿岸のヨーロッパ地域のような、傘が要らない程度の霧状の雨が降る時間帯が多い。


 西風亭内から、大きな歓声と拍手が沸き起こった。彩葉さんたちの最後の演奏が終わった歓声だと思う。屋外へ出たものの、私には行く宛がなかった。五小隊の皆に涙を見せぬように抜け出しただけなのだから当然だ。


 さすがにこの雨の降りでは、少し歩くだけでずぶ濡れになる。このまま勝手口のひさしの下で、私は西風亭の壁に寄りかかりながら、自分の心が落ち着くのを待つことにした。


 今日は、帝竜暦六八三年十一月七日。私たちがレンスター入りしてから、既に十日余り経過していた。


 あの日以来、コーラー少尉が率いる六小隊と数名のレンスターの騎士たちが、交代でエスタリアとの国境付近のラムダ街道の監視を続けている。しかし、依然として遊撃旅団の動きはなかった。


 北伐の遅延の原因に、キルシュティ基地の参謀を務めるリヒトホーフェン上級大将の行方不明など、いくつかの要因が挙げられるけど実際の理由は明確ではない。しかし、遊撃旅団が主力旅団に合流する期限は、帝竜暦六八三年十二月末と定められていた。いずれにしても、間もなく何らかの動きがあるだろうとヘニング大尉は予測している。


 私は父の仇を……、仲間たちの仇を討つ準備はできているつもりだ。私の目から涙が頬を伝わって流れ落ちた。


 五小隊から離れ、アスリンさんを警護するレンスターの特殊魔導隊に編入されたとはいえ、機会があれば必ず土属性の呪法を操るドラッヘリッターを討ってみせる。たぶん、あの岩石を操る呪法の使い手は、マーギスユーゲントで同僚だった属性八柱の一人、マイラ先輩で間違いないと思う。


 着陸寸前のギガントが、突然地面から隆起した岩壁に激突したあの場面は、私は一生忘れられない。もう何度もあのシーンが夢に出てくる。その度に、夢の中の私が『行かないで』と、父に呼びかけるのに、父が搭乗する七番機の運命は毎回同じだった。


 背後で、ガチャッとドアが開く音がした。


 私は慌てて涙を拭った。


 西風亭の勝手口のドアから姿を現したのは、ミニライブを終えた幸村さんだった。


「おっと、こんなところにいたんだ? キアラの姿が見えなかったから、どこへ行ったのかと思ってたけど……。少し振りが強いし、ちゃんと傘を差さないと濡れちまうぜ? 大事な時なんだし、風邪なんて引いてられないっしょ?」


「幸村……さん……」


「ほら……。これに入って」


 そう言って、幸村さんは折りたたんだクニルプスを展開し、私が濡れないように差し出してくれた。


「あ……、ありがとうございます。幸村さん、このクニルプスは地球から持って来たのですか?」


「クニル……プス? この折り畳み傘のこと?」


 折り畳み傘。そのままだったので意味は通じた。日本では折り畳み式の携帯傘のことをクニルプスと呼ばないらしい。


「そうです。折り畳み式の携帯傘のこと、ドイツではクニルプスと呼んでました。語源は製造元の社名だと思うので、日本と呼び方が異なるのかもしれませんね」


 言語翻訳の精霊術でも、難しい熟語や略語、それから方言などは変換されないとアスリンさんは言っていた。


「へぇー。そう言う呼び方なんだね。折り畳み傘、っていうよりオシャレでいいかもな。うん、クニルプス。いい響きだ」


 何だか一人で納得している幸村さんを見て、私は思わず笑みがこぼれた。


「やっと笑ってくれた。キアラはやっぱり笑顔の方が似合うよ。美人さんなんだから涙なんて似合わないって。それより、キアラ。ボクはトイレ行こうと思うんだけど、折角だから連れションしない?」


「は……、はい……」


 幸村さんから突然、笑顔が似合うとか美人とか言われて混乱していた私は、意味を考えずに彼の誘いを受けてしまった。冷静になって意味を理解した途端、私は恥ずかしくなって足元を見つめた。地面の水たまりに無数の雨粒が落ち、その数と同じだけの波紋が水たまりに広がってゆく。変な沈黙が続き、クニルプスに当たる雨の音だけが聞こえてくる。


「あーあ、『何を言ってるんですか、幸村さん!』って、言われて絶対断れると思ったのに……。予想が外れちゃったなぁ。まぁ、トイレはすぐそこだけど、こんな雨だしさ。せっかくだし、二人でクニルプスに入って行こうよ」


「は、はい……。でも……」


「ん? 何?」


「深い意味はないのですが、『雨の夜に、男女が一つのクニルプスの下で街を歩くと結ばれる』って言う、縁結びの言い伝えがありまして……」


「いいじゃん、ボクはそう言うの好きだし歓迎だよ?」


 ニヤニヤしながら話す幸村さんは、どこまで本気で言っているのか全くわからない。どうせ、リンケ二等兵みたいに私をからかっているだけだと思うけど……。


「はぁ……。そう言う冗談は結構です!」


 私は一歩前に出て振り返り、幸村さんが言う冗談を制した。


「今のはいつものキアラだね。ボクはちょっと安心したよ」


 幸村さんは私の隣に移動し、私が雨で濡れないように再びクニルプスを差し出してくれた。妙に優しく振る舞う幸村さんと目が合うと、私は恥ずかしさで彼から思わず目を逸らしてしまった。そして私たちは、歩調を合わせるように最寄りの公衆トイレに向かって歩き始めた。


「ねぇ、キアラ。辛いことがあったらさ。抱え込まないで言ってくれよ? 一人で思い悩むより絶対にいいしね。それにさ、泣きたいときは泣けばいいんだ。溜め込んだストレスを発散すれば、次に繋がるしさ。それは君だけじゃない。ボクだって辛い時は、ちゃんと話すから」


 ハロルドさんや彩葉さんも言っていた。幸村さんは、普段はヘラヘラして変態な思考だけど、友達思いで頼りになるって……。きっと、このことなのだと思う。


「幸村さんでも、泣きたいことってあるんですか?」


「そりゃ、あるさ……。この前の演習の時、ボクはアスリンに勇気を振り絞って、告白したつもりだったけど……。勝てない戦はしない主義の、このボクがだよ? ところが、アスリンは、ボクの言葉の意味に気づいてくれていないというか……」


 たしかに幸村さんは、先日の演習の終わり際に、アスリンさんに告白とも取れそうなことを言っていたことを思い出した。ただ、あれが告白というのは、ちょっと……。


「今思い出しました。あれって……、本当に告白だったんですか?」


「え? 何かダメだった?」


「ダメも何も……、『君の側で守りたい』と、言われれば女性なら嬉しいです。でも、あの場面じゃ、ムードも何もないし、周りは公王陛下だけでなく大勢の人がいましたし……。アスリンさんじゃなくても、はぐらかしますよ……」


「マジかぁ……」


 本気だったんだ、この人……。でも、好きな人がいるって何だか羨ましい。ハロルドさんと彩葉さんだってそうだ。あの二人の場合、見てる方が恥ずかしくなる場面も時々あるけど……。もう、あの二人は婚約とかしているのかもしれない。


「で、でも、私が見てる限りですけど……。その後もアスリンさんと普通に話したり、冗談言ったりしてますよね?」


「あ、うん。いつも通りに接してくれているから……」


「それなら、まだ脈はあるんじゃないですか?」


 焦る幸村さんの顔色が明らかに悪くなったので、私は何となく幸村さんをフォローをした。


「そ、そうかな……?」


「そうですよ! もしアスリンさんが嫌だと思っていれば、幸村さんのことを避けるでしょうし……。大事なのは、タイミングとムードです、はい!」


「そ、そうか……。もう少し、様子を見て次はキアラの意見を参考に頑張ってみるよ。ありがとう、キアラ」


「どういたしまして」


 誰の悩みの相談なのか、わからなくなったところで、私たちは目的地の最寄りの公衆トイレに着いた。公衆トイレといっても男女兼用で個室のトイレが一室あるだけだ。


 アルザルは、地球でいう十一世紀前後の文明社会だと思う。しかし、レンスターは、古代ローマ帝国のように下水用の地下水路が巡らされており、衛生環境が良好な都市だった。裏路地にはこのように個室の公衆トイレがいくつも設けられており、また、公衆浴場の数も大陸南部と比べて圧倒的に多い。


「キアラ、先にどうぞ」


「いえ、私はただついてきただけですから……。ここで待ちますので遠慮せず使ってください」


「そっか。ここってさ、夜に出ることがあるらしいんだよねぇ……」


「出るって、何がです?」


 幸村さんが何を言っているのかわからず私は訊き返す。


「出ると言えば、幽霊に決まってるじゃないか、キアラ」


 はっきり言って、私は余りそう言うのは得意ではない。地球では、見える人にしか見えない不明瞭な存在だったけど、アルザルには確実にそれがいる。禁呪法の死霊術がある世界なのだから、彷徨う霊がいるのは当然だった。


「や、やめてください! 変なこと言われたら、怖くなるじゃないですか……」


「じゃあ……、一緒に入る?」


 幸村さんが、トイレのドアを開けて、トイレの中を指差しながら私に尋ねた。


「それもお断りしますっ!」


 まったく、こう言うところは本当にリンケ二等兵にそっくりだ。


 僅かな間のできごとだったけど、幸村さんのおかげで、私の心を覆っていた厚い雲は、いつの間にか振り払われていた。もし、この場に父がいたら……。きっと、微笑ましく私たちを見守ってくれていると思う。


『別れがあるから、新しい出会いもある。人の縁とは、運命的な力で互いを結んでいるものだ』


 昔、私が父によく言われた言葉だ。私はその言葉の本質が今わかった気がした。





 そして、その翌日。


 いよいよ遊撃旅団による北伐が始まった。

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