第2章 ジュダの聖戦
第84話 北伐作戦
帝竜暦六八三年十一月八日。
小雨が降り続く朝のレンスターに大聖堂の鐘が鳴り響いた。その物々しい鐘の鳴り方は、レンスターの緊急事態を知らせるものだった。鐘の音で目が覚めた俺たちは、自分では起きられない彩葉を起こし、特殊魔導隊として五人揃ってレンスター城へ登城した。
さすがに明るいうちから、文明の産物である折り畳み傘を差すわけにはいかないので、撥水用の油膜のオーブを外套に塗って外を歩くことになる。ある程度の雨避けになるオーブだけど、頭部の肌や髪から伝わる雨の雫が衣装を濡らすため、余り気持ちがいいものではない。ナイロン製の傘やレインコートのありがたみが本当に良くわかる。
突然鳴り響いた緊急事態を知らせる鐘の音に、レンスターの街は朝から騒然としており、巡回する憲兵に混ざる甲冑に身を包んだ騎士や兵士たちの姿が目に付いた。
戦の気配を感じた旅人や行商たちは、雨の影響による街道の路面の心配よりも戦による略奪を恐れ、レンスターを離れるための荷造りに追われている様子だった。
俺たちがレンスター城へ到着すると、既にレンスターの重鎮とヘニング大尉率いる訪問騎士団が招集に応じていた。緊急招集の内容は、予想通りエスタリアとの国境で監視を続けていた斥候隊が、エスタリア側の動きを探知して前線からレンスター城へ戻ったことによるものだった。
コーラー少尉が率いる斥候隊は、機動性の高い側車付きオートバイR75とエディス城で俺と幸村が奪ったキューベルワーゲン三号を活用していた。そのため、正規のレンスターの偵察隊であれば軍馬で二日程掛かる距離を、夜明けと同時に僅か三時間強でレンスターに情報を持ち帰っている。
やはり、ヴァイマル帝国武装親衛隊こと
戦車のデカールからSS装甲師団は、ダイムラーSS中将が率いる第七SS装甲師団(第七軍)とギレスSS中将が率いる第八SS装甲師団(第八軍)の二個師団と判明した。ヘニング大尉たちが持つ情報によれば、北伐の遊撃旅団で間違いない。いよいよ北伐作戦が始まったということだ。
友軍の戦力事情に詳しい四小隊のノイマン中尉の話によれば、目の前にいる第七軍と第八軍の戦力は、それぞれⅣ号戦車が四輌ずつとⅢ号戦車が五輌ずつで戦車の合計は十八両。トラックなどの支援車両の数を含めると、車輌の数は四十輌を超えるという。
また、装甲師団に従属する歩兵戦力は、合計四個中隊から編制されており、約四百名を越える人数だ。エスタリアの歩兵や騎兵と合わせると、千六百人近い大軍ということだった。
一方、レンスターの正規の兵員数は、騎士団や戦闘訓練を積んだ自由農民を含めて約二千人。所持する近代兵器は、Ⅲ号戦車が二輌とⅡ号戦車が一輌。機銃が取り付けられたキューベルワーゲンと側車付きオートバイR75が一両ずつ。それから、輸送用の半装軌車のトラックを含めても車輌は僅か六輌しかない。
ギガントの機銃を全て外し、それをレンスターの外郭に銃座を作るなどしても、戦力的な面で圧倒的に劣っている。
◆
「我々が確認したところ、北伐作戦を開始した遊撃旅団は、ラムダ街道の分岐点で軍を二手に分けて進軍しております。主力と思われるSS第七軍は、ラムダ街道の分岐をそのまま西進してバクスター方面へ進軍しました。一方、エスタリアの兵およそ千五百名とSS第八軍が、分岐点から街道を南進してレンスターへ向かっている状況です! エスタリアに随伴する第八軍の分隊の戦力は、Ⅳ号戦車五輌とⅢ号戦車が四輌。それから支援車両数台と歩兵一個中隊です」
斥候隊を指揮するコーラー少尉が、レンスターの重鎮や武官が集められたレンスターの大広間で、改めて陛下に状況を伝えた。もちろん、俺たち特殊魔導隊も大広間に用意された座席の前列に座り、緊急で開催されたこの軍議に参加している。
「我々も舐められたものだ。レンスターに向けられた軍勢は、帝国の本体ではなく、別働隊と不可侵条約を一方的に破棄したエスタリア軍とはな……」
コーラー少尉の報告に、怪我から復帰したバッセル卿がレンスターの騎士団が座る席で悔しそうに言った。
「まぁ、そう言うな、バッセル卿。敵の油断と戦力の分散は我らの好機だ」
「ジャスティン導師の言う通りだ、バッセル。ラムダ街道の分岐点からレンスターまで、千名を越える歩兵の行軍となれば、早くて五日は掛かるだろう。和平が困難であれば、不法に進軍を進めるエスタリア勢を、どこで迎え撃つのが最良か検討せねばならぬ。策がある者は遠慮せず意見して欲しい」
公王陛下が、バッセル卿を
「ハロルド、何か両案はないだろうか? アトカ襲撃事件の際も、ハロルドの策が功を奏した。遠慮なく考え付く案を言ってくれ」
堅牢のロレンスが、突然俺に意見を求めてきた。彼はその場に居合わせる者の中から最良の策を持つ者を探す『最善の知恵』という不思議な呪法の使い手だ。しかし、レンスター周辺の地理の知識がない俺にプランはなかった。俺の意見など求めずに、直接『最善の知恵』を使ってもらいたいものだ。
戦車と銃火器を持つ歩兵が含まれたエスタリアの大軍を、レンスター近郊で迎え撃つ場所など訊かれても、俺より周りにいる武官たちの方が詳しいだろう。エスタリア軍は北から来ている。
レンスターより北側の地理について俺が知っている場所は、マグアート子爵の居城だったエディス城があるパッチガーデンだけだ。意見を求められたまま無視するわけにいかないので、俺はとりあえず防衛の拠点として使えそうなパッチガーデンを挙げることにした。
「申し訳ありません。レンスターの地理に詳しくない自分としては、近郊で戦に向く地形はパッチガーデンしか知りません」
「エディス城か……。たしかにあの丘の上からの監視はやりやすかったな」
俺の発言に幸村が相槌を入れた。あの時、幸村がエディス城に現れたキューベルワーゲンに乗った帝国兵を狙撃した場所も、眺望が良いパッチガーデンの丘の上からだった。
「貴族の……、それもマグアート子爵家の私有地……か。考えもつかなかったが、あの地形は戦に向いているやもしれぬ……」
バッセル卿の隣に座るダスター卿が神妙な面持ちで俺を見ながら言った。
ダスター卿は考えもつかないと言った。つまり、貴族が所有する土地を戦場に選択することは、フェルダート地方の社会通念上、常識的にあり得ないことなのかもしれない。結果的に、俺たちは失礼な発言してしまった可能性がある。他の貴族や騎士から批判されて、面倒くさくなる前に謝ってしまおう。
「先日、エディス城を監視する任務に就いた時に知った場所でしたので……。マグアート子爵の私有地ということは存じておりましたが、貴族諸侯の私有地を候補に挙げてしまい申し訳ありませんでした」
俺は席を立ち頭を下げて謝罪した。俺の謝罪の意味を理解した幸村は、慌てて俺に合わせるように席を立って頭を下げた。心配そうな表情で、彩葉まで席を立ち俺たちと一緒に頭を下げた。
「三人共、
陛下が謝罪する俺たちに声を掛けた。俺たちが体を起こすと、ロレンスさんが陛下に代わり俺に意見を求めた理由を話し始めた。
「要らぬ気遣いをさせてすまなかった、ハロルド。実は、ハロルドのその意見が僕の呪法『最善の知恵』が判断していた。レンスターを含む、フェルダート地方の貴族主義社会は、貴族が主君から土地を与えられることで、主君と主従関係を結び忠誠を誓うもの。自らの所有地が戦場になることを恐れ、離叛する貴族の話も珍しくない。そのため、古来より貴族の所有地を戦場に選択することは避けられてきた。従って、僕自身もそうだが、レンスターの人間に貴族の領地を戦場に挙げるという発想はないのだよ」
俺は黙ったままロレンスさんに頷いた。
「丘陵地から街道を見渡せ、かつ、障壁となる集落があるなら我らの戦車が、
レンスターの周辺の地図を見ながら、ノイマン中尉がヘニング大尉を見ながら意見した。
「我々の実力の見せ所ですね、ノイマン中尉。もし、我々の情報が漏れていれば、SSが軍を二手に分けるようなことはないはず。連中が我々の存在を知らないことは大きいです」
Ⅱ号戦車の車長を務めるハールマン少尉が、ノイマン中尉に相槌を入れた。
「距離的にパッチガーデンまで三十キロメートル前後か。移動に一日要するとして、二日あれば簡易的な塹壕や重機関銃の配備も可能だろう。ラムダ街道の分岐点からレンスターまでの経路上にあるパッチガーデンは、奇襲や防衛戦に適した場所であることは間違いない」
ヘニング大尉も満足そうに頷いた。古参兵が集う訪問騎士団の自信溢れる雰囲気は、不安そうな表情だったレンスターの騎士たちの士気を高めた。
「で、ですが……。伝統ある
そう言ったのは、年齢の割に頭頂部の髪が後退しているビスナウ男爵だった。
「領民を想うビスナウ男爵の言葉は
ロレンスさんが陛下に伺った。
「うむ。パッチガーデンの領民は、ビスナウ男爵が所有するグラステール、または、近年開拓が進むレンスター郊外のモルフォ地区に移住権と土地の所有を認める。パッチガーデンの領民の避難をビスナウ男爵、そなたが引き受けて貰えぬか?」
陛下はロレンスさんの言葉に快く頷き、ビスナウ男爵に領民の避難を任命した。
「勿体なきお言葉。領民の暮らしが約束できれば、それ以上のことを私は望みませぬ。領民の移住は、私にお任せください」
ビスナウ男爵も陛下の意見に納得したようだ。
「さて、レンスターの指針を固めようと思う。相手方に動きがなければ、本日の夕刻に我らからエスタリアの軍勢に使者を派遣する。交渉が決裂すれば、戦は避けられないだろう。エスタリアの軍勢がパッチガーデンに来るまで最低三日は掛かる。訪問騎士団の主力部隊と魔導隊を含むレンスターの軍勢千七百の主力軍は、バッセル卿を総大将としてパッチガーデンに布陣せよ。進軍経路は、アルスター方面から迂回して向かえ。直で向かう街道を使えば、エスタリアの斥候に見つかる可能性がある」
「「御意!」」
陛下の言葉に臣下たちは大きな声で返事をした。陛下は満足そうに頷きながら、更に言葉を続けた。
「また、レンスターを完全に留守にするわけにはいかぬ。レンスターの守備は、副騎士長のダスター卿が指揮を執り、兵三百を率いてレンスターの防衛に当たれ。それから、非戦闘員の貴族諸侯と内政官は、レンスター市街に居住する国民や、各々が所有する領地の民に現状を知らせ、混乱が生じぬよう努めよ」
「「承知しました!」」
「私からは以上だ。この雨の季節に戦など前代未聞であるが、各員の健闘を祈る!」
陛下の裁断に一同が起立し、陛下に向けて一斉にレンスター式の敬礼やヴァイマル帝国式の敬礼をした。
「それでは、これにて軍議を終了する」
ロレンスさんの号令で、軍議は解散となった。
◆
軍議に参加していたレンスターの重鎮たちは、慌ただしくそれぞれの持ち場へと向かって行く。結局、今回も俺の意見が採用される流れになったけど、本当に大丈夫なのか不安になる。ロレンスさんが使った呪法なのだから彼を信用するしかない。
「アスリンさん、私事で申し訳ないのですが、ヘニング大尉らと話をする時間をいただいてもよろしいでしょうか? 五小隊の皆としばらく会えなくなりそうですので……」
不安と寂しさが入り混じる複雑な表情で、キアラが律義にアスリンに訊いた。
「うん、もちろん! キアラ、私の護衛だからって気を遣わなくていいからね。時間の許す限りゆっくりしてきてね」
「ありがとうございます!」
キアラはアスリンに礼を言うと、嬉しそうに五小隊が集まる大広間の入口の方へと向かって行った。そんなキアラを、アスリンは微笑ましそうに見送っている。
「戦争になれば、次に会えるのはいつになるかわからない。ひょっとしたら、もう……。だから、遠慮することなんてないのに……。あの子は気を遣いすぎね……」
「ねぇ、アスリンさん……。さり気なく、縁起でもないこと言ってません?」
「あら、ユッキー。私が言ったことは本当のことよ? だから悔いがないように何事も取り組まないとね」
アスリンの呟きに突っ込む幸村。でも、たしかにアスリンの言う通りだ。俺は自分が後悔しないよう、全力で彩葉やみんなを守ってみせる。
「ねぇ、ハル。本当に戦争になっちゃうのかな?」
俺の傍らで彩葉が俺に訊いてきた。そうなって欲しくないけど、たぶん戦争の回避は難しいように感じる。
「わからない。でも、雰囲気は一色触発って感じだよな……。俺たち特殊魔導隊の任務は、ダスター卿らと共にレンスターの防衛だから、どちらかと言えば安全だろうけど……」
「そうだよね……」
彩葉は不安なのだろう。俺の左腕を両手で掴み、小刻みに震えている。俯いているので表情は見えないけど、きっと彩葉は例の
「もし戦争になっても、必ずみんなで生きて帰ろう。俺たちの地球へ……」
俺は空いている右手で彩葉の髪をそっと撫でた。彩葉のサラサラの黒髪から漂う、洗髪用のオーブの花の香りが心地よい。それと同時に彼女の側頭部に生える二本の鋭い角を見ると胸が痛んだ。
「うん……」
彩葉は俺を見ずに返事をし、そのまま身を預けるように俺の左腕に寄り添ってきた。
「オホン!」
またこいつが側にいることをすっかり忘れていた。
彩葉も幸村の咳払いでビクンと首を
その後、幸村からしばらく文句を言われたことは言うまでもない。
◆
それから半日後の夕刻、多数の護衛に護られたエスタリアの使者がレンスターを訪れた。
彼らは、軍馬や馬車を用いることなく雨の中を徒歩でレンスター入りした。恐らく車両に乗ってレンスター近郊まで移動し、監視の目が届かない場所に停車して、そこから白々しく歩いて来たのだと思う。
エスタリアの本体がいる場所は、直線距離にして約百キロメートル離れている。しかし、コーラー少尉の斥候隊がキューベルワーゲンを使って情報を持ち帰ったように、自動車を使えば僅か三時間強で移動できる距離でもあった。
レンスターへ訪れた使者の数は、護衛を含めて約三十名いる。交渉を行うだけの人数にしては多すぎる数だ。彼らがここに来るまでに使用した車両は、大人数が乗れるバスかトラックを用いたと考えた方がいいだろう。
もちろん彼らは、ただの使者ではなかった。エスタリアの軍人だけでなく、公王陛下やアスリンに因縁を持つマグアート伯爵やヴァイマル帝国の親衛隊の制服を着た将校と軍人たちの姿もあった。
エスタリアからの使者が、堂々と正面からレンスターに訪れた目的はわからない。
降伏勧告か、和平か……。それとも……。
しかし今は、訪問騎士団の戦車部隊やバッセル卿が率いるレンスターの主力軍が、パッチーガーデンに向けて出発した後だ。レンスターを守備するダスター卿以下三百名の兵士が防衛の要となっている。当然、その中に俺たち特殊魔導隊も含まれている。
鉄壁の剣豪の彩葉。キアラと俺の呪法。臨機応変なアスリンの精霊術。そして幸村の射撃術。いざとなれば、俺たち特殊魔導隊が五人で力を合わせれば、どんな相手が来たとしても、レンスター側に犠牲を出すことなく切り抜けられると思う。
戦力差は不利でも、情報戦は俺たちの方が有利だ。エスタリアと帝国の親衛隊は、俺たちの存在はもちろん、ヘニング大尉らヴァイマル帝国国防軍がレンスターの背後にいることを知らないのだから。
ただ、相手に知らないことがあるように、俺たちも相手のことを全て知るわけではなかった。
まさか、レンスターに訪れたエスタリアの使者たちの中に、俺たちが懸念するSSの特殊部隊が紛れていただなんて……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます