第82話 雨の季節の到来(下)

「あ、あの……。このような時に不躾ぶしつけなお願いですが……」


 私一人が悩んでいても解決しない。特異な能力を持つからという理由だけで、ハルと彩葉を戦争の道具にしてはいけない。


「そなたからの要望など珍しいな。いかがした、アトカ?」


「は、はい……。陛下。黒鋼のカトリ、そしてハルとユッキーの三人は、不慮の事故でアルザルへ来たテルースの民です。私は、命の恩人であり掛け替えのない友である彼らを、北伐との戦に巻き込むことを強く反対します!」


「アスリンッ!」


 私が言い終わると同時に、彩葉が怒ったような強い口調で私の名前を呼んだ。彼女のスカートの背面が浮き上がる。彼女の尻尾がピンと立った証拠だ。彩葉は、きっと怒るだろうと思っていた。私は彼女と目を合わさず陛下に進言を続ける。


「陛下、彩葉が……。この度のヴァイマル帝国の侵攻による東フェルダート地方の危機において、フェルダート同盟に所縁あるアルカンド地方の諸国へ、援軍の要請に赴く必要があるかと思います! 今すぐ発てば、援軍もまだ間に合いましょう。その使者として、フェルダート同盟の盟主である、リチャード・レンスター公王陛下の従士である黒鋼のカトリが、最適であると、私は……っ!」


 私がまだ言い終わらないうちに、ひざまづく私の左肩に誰かが手を置いた。夢中で陛下に進言していた私は、その気配を感じ取れず、驚きの余り言葉を失ってしまった。私は首をすくめたまま、恐るおそる左肩越しの人物を見上げると、私の左肩に手を置いたのはユッキーだった。彼は怒ってなどおらず、穏やかな表情で私を見つめていた。


「ねぇ、アスリン。君がボクたちを戦火から逃れるように、必死で計らってくれているのはよくわかる。凄く嬉しいし、ありがたいぜ? 平和な国で生まれ育ったボクは、知らない世界へ来て、戦争に巻き込まれるなんて冗談じゃないって思ってる。いつ死んでしまうかわからない。自分より先に大切な人が死んでしまうかもしれない。それを考えるだけで、ボクは怖くてたまらない。今すぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯さ」


「ユッキー……」


「でもね、アスリン。三号に乗って移動しても、燃料は僅かしかない。これから長い雨の季節が始まるわけだし、徒歩で行ける場所だって限られているだろ? 逃げる場所なんてないじゃないか……。どこにいても危険なら、武器や兵力が充実しているレンスターにいる方が安全だと思うんだ」


「で、でも……、鋼鉄竜や地球の兵器の数は相手が圧倒しているのよ?! 目に見えない銃の弾が、当たったら死んじゃうのよ?!」


 ユッキーが言っていることは正しいと思う。でも、私も本当のことを言っているつもりだ。


「そりゃそうだけど、それを言ったらアスリンだって同じじゃないか。ボクには、彩葉やハルみたいにスゲー能力があるわけじゃない。でも、アスリン。何もできないかもしれないボクだけど、せめて君の笑顔くらい守りたいと思ってる。だからボクは君の側で君を支えたい。君の力になりたいんだよ。そんな理由で……、レンスターに残るのはダメかな?」


 ユッキーは最後に親指を立て、いつもの彼らしい笑顔で私に言った。ユッキーの言葉は、本当に嬉しい。目元に涙が込み上げてくるのがわかる。しばらく沈黙が続いた。


「アスリン、俺も幸村の意見と同じだ。一部、聞いている方が恥ずかしくなるような台詞を言っていた気がするけど……。とにかく、今からどこかへ向かおうとしても雨の中じゃ限度がある。それは、雨の季節が終わるまでレンスターに留まるように、俺たちに勧めたアスリンが一番わかっていると思う。それに、俺たちは、アスリンを含めた西風亭の人たちやこの国に恩がある。自分にできることで、その恩を返したいと思ってる。もちろん、好んで戦争に参加したいだなんて、これっぽっちも思っていないぜ?」


 変な沈黙はハルの言葉で遮られた。ハルもユッキーと同じ意見のようだ。少し不機嫌そうな表情の彩葉は、言わずと知れたことだろう。私が黙ったままでいるとハルは更に言葉を続けた。


「それにさ。もしも、キアラたち訪問騎士団が敵の拠点を占領できれば、そこには油田がある。つまり、アスリンが幻影で隠した輸送機に乗って移動できるってことなんだ。そうすれば、徒歩で一年以上掛かると言ってたエルスクリッド地方にだって、ヴァイマル帝国を経由すれば、ひとっ飛びじゃないかってさ。そうですよね、ヘニング大尉?」


「そうだな。ハロルド君の言う通り、我々がキルシュティ基地を占領できればそれも可能だ。一度本国に戻った後に、君たちを可能な場所まで空路で送ることを約束しよう」


 ハルの問いにヘニング大尉が答えた。空を飛んで移動するという発想はなかった。たしかに、あの船がヴィマーナのように空を自由に飛べるのであれば、エルスクリッド地方にだってすぐに行けるのかもしれない。


「アスリン、私もね、戦争で大切な人を失うかもしれないと想像するだけで、こうして体が震えて来るの。ドラゴニュートになる以前の私だったら、と感じている証拠。だから……」


 彩葉はカタカタと震えながら、頬が引き攣ったように笑っている。恐怖という感情がない彼女は、私たちが恐怖を感じる場面になると、胸が高鳴るように高揚感に満たされるのだという。今の彼女がまさにそれだった。


「彩葉……。その笑顔、ちょっと怖いかも……」


 私は目尻に溜まった涙を指先で拭いながら彩葉に言った。自分で言っておきながら、つい可笑しくなって笑ってしまった。


「ちょ、ちょっと……! アスリン酷い! 結構気にしているのにっ!」


 彩葉は顔を赤く染めて、語尾を強めながら恥ずかしがった。彼女は、恐怖の代わりに湧く高揚感からの愉楽の笑みが、自分でも不気味に見えると普段から気にしていた。


「ちょっと、なんでハルまで笑ってるのよっ!って、陛下まで……。もう……」


 気がつくと周りの皆が、恥ずかしがる彩葉を見て笑っていた。こういう場面で毎度思うことだけど、彩葉の過剰な反応は、彼女の魅力の一つだと思う。


「ところで、アスリンさん。ボクへの回答は……、どうなりますかね……?」


 私の隣で立ったままのユッキーは、自身を指差しながら私に訊いてきた。北伐の侵攻が始まれば、戦力的に劣勢であることに変わりない。けれど、始めから負けると決まっているわけじゃない。ユッキーだけじゃなく、ハルと彩葉も、この戦局を何とか乗り越えようという気持ちは同じだった。


 誇り高きレンスターの騎士たち。盟約を結び、レンスターと共に戦うことを誓った訪問騎士団。堕ちた天使の力を持つハルとキアラ。そして、黒鋼竜ヴリトラの魂を宿したドラゴニュートの剣士彩葉。もし、私たちが力を合わせて遊撃旅団に勝利できれば、エルスクリッド地方を目指す近道にも繋がる。


 一人で悩まず、皆ともっと話し合うべきだった。百年以上生きていながら独り善がりだなんて、私は自分が恥ずかしい。


「そ、そうね……。私はもっとみんなの意見を聞くべきだったわね。ユッキーの言う通り、どこへ行っても危険な場所だし、今はレンスターが一番安全かもしれないわね」


「そ、そうだよ。アスリン! ……ってそれだけ……?」


 先ほどユッキーは、私の側で私の笑顔を守りたいと言ってくれた。仲間としてなのか、異性としてなのか。どちらとも取れる曖昧さがある言葉だけど、本気で言ってくれたことに変わりないと思う。でも、もし彼が異性として私に言ってくれた言葉なら……。


 少し昔、私がギルと生活をしていた頃。ほろ苦い思い出となった経験から、私は人とエルフの生きる時間が余りに異なること学んだ。だから、ユッキーには申し訳ないけど、今は曖昧に誤魔化す感じで丁度いいと思う。私は若干不服そうなユッキーに笑顔を作って応えた。


「ハハハ……。ヴァイマル帝国の演習だけでなく、日ごろ見せぬアトカの少女のような振る舞いも見られ、大変有意義な時間になったぞ。さて、アトカよ。私個人としての意見だが、ユッキーが言うように、今はレンスターが最も安全だろう。書簡を届ける旅に出てたとしても、増水した河川を渡れず、すぐに足止めされるはずだ。そうなれば、そのまま北伐に巻き込まれる可能性も十分考えられる」


 陛下は、優しい口調で私にそう語った。少女のような振る舞いなどと、陛下に言われてしまうと少し恥ずかしくなる。


「風のアトカ。そなたは風の精霊術を使って、訪問騎士団の飛行船を隠蔽し、彼らの言語を翻訳している。そなたは、我らにとって最重要の要人である。もし、そなたが倒れるようなことがあれば、我らは言語を失い北伐の遊撃旅団に抗うどころではなくなる。黒鋼のカトリ、ハロルド、ユッキーよ」


「「はい!」」


 突然陛下に名を呼ばれた三人は、その場にひざまづいて返事をした。


「アトカが心を許すそなたらに頼みがある。片時も離れず、全力でアトカを守ってもらいたい」


「「承知しました!」」


 三人は息を合わせて、私を守れという陛下の頼みを承諾した。


「し……しかし、陛下! それでは……」


「安心せよ、ジャスティン導師。私はこの者たちを、一兵士として前線に送るつもりがないというだけだ。突出したカトリとハロルドの力は、借りねばならぬ場面も出てくるだろう。その時は、アトカも協力して彼らと行動を共にして貰いたい。それでよいか、ジャスティン、アトカ?」


「御意」

「はい、陛下……。お心遣い、感謝します」


 私は陛下に深く感謝の意を述べた。ジャスティン導師も陛下のお言葉に納得したようだ。陛下は、私の気持ちを察してくれている。だから、なるべく四人で一緒に行動できるように言ってくれたのだと思う。陛下の隣に立つ彩葉も、満足そうに私を見つめて頷いた。


「差し出がましいようですが、陛下。風のアトカの護衛に、我が隊からシュトラウス少尉が参加することをお許し願いたいのですが……」


「ヘニング大尉?!」


 ヘニング大尉の発言に、キアラが驚いたように上官の名を呼んだ。ハルと同じ堕ちた天使のキアラ。彼女が私の警護についてくれるのは心強いけど、今の彼女の驚き方を見た限り、ヘニング大尉の発言は唐突のことだったのだろう。


「ヘニング大尉。訪問騎士団は、人手が足りておらぬと思うが……」


 公王陛下が三十名に満たない訪問騎士団の戦力を懸念した。


「たしかに、我が部隊は人手が足りておりません。全ての兵器を稼働させるために、陛下からレンスターの兵をお借りしなければならない状況です。しかし、シュトラウス少尉は、堕ちた天使の力を持つ強力な呪法の使い手です。後方支援に置くには惜しい存在で、戦車に搭乗すれば彼女の力が活かされません。風のアトカの警護をしながら、ハロルド君と共に少数精鋭で行動をした方が効率が良いはずです」


「で、ですが大尉! 私はこれまで通り皆さんと共に前線で戦えます! アスリンさんの警護が嫌だというのではありません。皆さんとても優しくていい人ばかりですし……。ただ、私は共に戦ってきた仲間と、これまで同様に戦いたいのです!」


 キアラは私たちを見て、一瞬申し訳なさそうな表情をしつつも、自らの主張をヘニング大尉に伝えた。


「少尉、これは命令だ。先ほども言ったように、少尉の呪法は少数精鋭による奇襲に長けている。気持ちはわかるが、感情より戦術を優先してくれ」


「承知……しました、ヘニング大尉。我がままを言って申し訳ありませんでした」


「こちらこそ、急な話ですまなかったな、シュトラウス少尉。それでは陛下。ジャスティン導師の要望もあります。我が隊のシュトラウス少尉の呪法をご覧ください」


「承知した、ヘニング大尉」


 陛下がヘニング大尉に返事をすると、キアラはヘニング大尉に一度敬礼をしてから、ハルが雷撃でバラバラにした飛行船の鉄屑の方へ向きを変えた。


 キアラは俯いて祈るように両手を組み、そっと目を閉じた。しばらくそのままの姿勢で集中するキアラ。ハルの呪法と異なり、キアラの呪法は、手元に炎の塊が現れるのではないらしい。ただ、それでも彼女から凄まじいマナの流量を感じる。その証拠に、彼女のセミロングの赤い髪がゆらゆらと浮き上がるように揺れている。


 魔力が十分溜まったのか、キアラが顔を正面に向けて目を開けると、飛行船の残骸の真下からレンスターの外郭よりも高い火柱が立ち上った。火柱は、飛行船の残骸の半分を包み込むように少しずつ広がってゆく。炎の熱は、二百メートル程離れているこの場所まで伝わってくる。浜辺に転がる鉄の塊が、炎の熱で橙色に輝きながら溶融してゆくのがわかる。鉄が溶けるだなんて、かなりの高温である証拠だ。


「す、凄い……」

「鉄が溶けてる……のか?」


 彩葉とハルがキアラの呪法を見て息をのむように呟いた。やがてキアラは、ゆっくりと一度深呼吸をしてから、組んだ手を解いて呪法を解除した。彼女が作り出した火柱は、地面に吸い込まれるようにスッと消えた。


「まさか、シュトラウス少尉の呪法の力もこれほどとは……」


 ジャスティン導師は、キアラの呪法を見て息をのんだ。


「見事だ、シュトラウス少尉! その力を我らの勝利とアトカの護衛のために使ってくれ」


「お褒めいただき光栄です、陛下。至らない点も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」


 陛下が、拍手をしてキアラの呪法を賞賛すると、キアラは陛下に礼を述べると共に深く頭を下げた。それから、キアラは私を見つめて会釈をすると、私の前に歩み寄ってきた。


「ヴァイマル帝国第二○二装甲師団第五魔導戦車部隊から転属となりました、ジークリンデ・キアラ・フォン・シュトラウス少尉です。皆さま、改めてよろしくお願いします!」


 彼女は姿勢を正してから、改めて自己紹介と挨拶をした。こういうところは、軍人としてしっかり叩き込まれているのだなと感心させられる。


「こちらこそ、キアラ。私の方こそ、よろしくお願いします」


 私も改めてキアラに挨拶をする。彼女に微笑みかけると、彼女も笑顔で応えてくれた。


「よろしくな、キアラ」

「私の方こそ、よろしくお願いします」

「ボクは大歓迎だよ、キアラ! これからもよろしくな!」


 ハル、彩葉、それからユッキーが、キアラに歓迎の言葉を送ると、彼女は大きな声で笑みを浮かべて返事をした。


「はい!」


 こうして私の警護を主な目的とした、レンスターの特殊魔導隊が結成された。この先、たくさんの困難が待ち受けていると思う。けれど、どんな状況になったとしても、この四人と一緒なら何とかなるような気がする。


 カルテノス湾の上空に浮かぶ、暗く重たい雲の隙間で閃光が走った。空に響き渡る雷鳴は、雨の季節の到来を告げていた。

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