第81話 雨の季節の到来(上)

 時々遠くで雷鳴が聞こえる、重たい雲に覆われた空の下。訪問騎士団による戦車の実演が披露された後に、指導を受けたレンスターの兵士たちによる機関銃の実演が行われた。


 機関銃で射撃をするためには、弾薬という錬金術でオーブにあたる触媒を使用する。訪問騎士団が所持する弾薬は無限ではない。そのため、実演と言っても本格的な訓練ではなく、レンスターの兵士たちに機関銃の射撃の感覚と攻撃力を体験してもらう内容だった。


 機関銃の実演に使われた標的は、騎士に見立て真鍮の鎧を着装した三十体の木製の人形たちだ。まるで紙切れ同然に撃ち抜かれた真鍮の鎧。無数の銃弾を浴びて粉々になった人形たち。レンスターの兵士たちは、保身のために鎧を着装するという常識が、銃火器の前では全く通用しないことを悟る重要な体験になった。


 機関銃の実演が行われている間、私は公王陛下から別の任務を与えられていた。任務の内容は、風の精霊術を使って森林の幻影を作り出し、訪問騎士団が所有する、二機の飛行船を周囲から見つからないようにすることだった。


 私は、これ程大きな幻影を作ることが初めてだったので、悔しくも成功するまでに二度も失敗し、公王陛下が用意してくださった、貴重で高価なマナストーンを八つも無駄にしてしまった。


 そもそも、あの魔力的な力を感じない鉄の塊が、自由に空を飛べるだなんて、私には信じられない。地球の文明の産物は、本当に毎度驚かされる。


 私が幻影を作り終えて、陛下の元に戻った時は、全ての演習の行程が終了しており、演習開始時のように首脳陣が集まって会合が行われていた。その結果、訪問騎士団のレンスター入りは、私の幻影で戦車を隠しながら、人目を避けて夜間に実施することが決定していた。私はその旨を、陛下から直接告げられた。


「訪問騎士団が夜間にレンスター入りする件、承知しました。それよりも陛下、幻影を作り出す際に失敗を重ね、貴重なマナストーンをいくつも無駄にしてしまいました。誠に申し訳ございません」


「苦にするでない。ご苦労だった、アトカ。これだけの大きさの幻影ともなれば、そなた以外に作れる者はおらぬ。失敗を重ねたと言うが、結果的に成し遂げたのはさすがだ。ヘニング大尉、これだけの森林に見立てれば人目につかぬと思うが、いかがだろうか?」


 私が陛下に失態を詫びると、陛下は私を叱責するどころか労ってくれた。そして陛下は、私が作り出した幻影をヘニング大尉に確認する。


「これなら、どこから見てもただの森。SSの斥候に、たとえ上空から偵察されても気づかれることはないでしょう。風のアトカ、言語翻訳の精霊術に引き続き、あなたの精霊術に毎度救わております。夜間にレンスター入りする際も幻影で支援いただけるそうで、心から感謝いたします」


「いえ、ヘニング大尉。私の方こそ、お役に立てて光栄です」


「ヘニング大尉。礼を言わねばならぬのは我々も同様だ。今日はそなたらのお陰で、非常に有意義な演習が行えた。そなたらが扱う武器の前では、我らの剣や鎧の効果は薄く、敵の不意を討つ戦術と機動力が重要であることが良くわかった」


「礼など勿体ないお言葉です、公王陛下。この演習で、我々も収穫がございました。アルスター製の戦闘用のオーブは、戦車が相手でも十分効果が期待できます。ところで、陛下。最後に一点だけよろしいでしょうか?」


「何なりと申してみるがよい、ヘニング大尉」


「はい、それでは遠慮なく。シュトラウス少尉の話によれば、そちらにおられるハロルド君の呪法は、Ⅳ号戦車を破壊できる威力があるとか。可能であればこの場をお借りして、彼の呪法を拝見したいのですが……」


「なるほど。実は、私もハロルドが使う呪法をまだ実際に見たことがない。……どうだろう、ハロルド? ヘニング大尉の頼みを聞いて貰えぬか? できれば、私もそなたの呪法を見ておきたい」


 ヘニング大尉がキアラの話を聞いているのであれば、ハルたちが親衛隊に襲われてアルザルに来た経緯を知っているはずだ。結果的にヘニング大尉の要望は、陛下自身の言葉としてハルに尋ねる形になった。


「ヘニング大尉の話は私も賛成です、陛下。私だけでなく、レンスターの宮廷魔術師たちは、以前からハロルドの呪法に興味を示しております。この者から感じる計り知れないマナは、呪法使いであれば誰もが興味を示しましょう。また、この際ですから、シュトラウス少尉の呪法も拝見したいものです。ヘニング大尉、いかがでしょう?」


 陛下とヘニング大尉の話を聞いていたジャスティン導師も、ハルの呪法の披露を陛下に推奨すると共に、キアラの呪法にも興味を示した。私もキアラの呪法を見たことがないので、彼女の呪法は興味がある。


「承知しました、ジャスティン導師。ハロルド君の後で良いな、シュトラウス少尉?」


「は、はい。御命令とあれば!」


 ヘニング大尉とキアラは、ジャスティン導師の要望を二つ返事で引き受けた。一方、ハルは、まだ答えを出さずに彩葉を見つめている。しばらくの間を置いて、ハルは彩葉に返事をするように頷いた。きっと、彩葉が念話でハルに何か助言をしたのだと思う。


 しかし、ここでハルの呪法の威力が知れ渡れば、彼の力はきっと戦争の道具として最前線に投入されてしまうと思う。従士になった彩葉がいる手前、陛下に命令されれば、ハルはきっと断らずに前線へ赴くだろう。私の一番の不安はそこにあった。


「承知しました、陛下。ヘニング大尉のご希望通り、自分の雷撃の呪法をご覧に入れます」


 ハルが陛下に答えた。


「ちょっと、ちょっと! 今の見てたぜ、二人とも? そうやって彩葉は、ボクに内緒で念話でハルにこっそりエロい話をして……」

「してませんっ! てか、ユッキー? 真面目にしないと怒るよ?!」


 もう十分怒っている彩葉は、間髪いれずにユッキーに反応し、竜の力を使って指先を黒鋼の刃に変えて、彼の喉元にそれを突きつけた。ハルのことで不安に駆られていた私の気持ちは、ユッキーのいつものヤキモチから来る悪ふざけで一旦遮られる。


「は、はひ……」


 結末がこうなることはわかっていただろうに、ユッキーは全然懲りないというか……。さすがに、彩葉の能力を目の前で見た訪問騎士団の士官たちは、目を見開いて彼女の竜の力に驚いていた。或いは、ユッキーは、意図的に彩葉の能力をヘニング大尉たちに見せようと……。彼に限って、そんなことないか……。


「おい、幸村、時と場をわきまえろって! 今は城内じゃないけど陛下の御前なんだぜ? 彩葉もいちいち相手にしていたらダメじゃないか……」


「ご、ごめん……ハル。皆さま、申し訳ありませんでした……」

「申し訳ありませんでした!」


 ハルに注意され、彩葉は竜の力を解いて素直に頭を下げて詫びた。彼女のお辞儀に合わせるようにユッキーも謝る。ヘニング大尉の脇に立つキアラは、そんな二人を見て苦笑いをしている。


「いや、お気になさらず……。若さと活気は見るだけでも励まされる。それより黒鋼のカトリ、敵にもドラゴニュートがいることは、シュトラウス少尉から聞いて知っていると思いますが……。我々がレンスター入りした後で構いません。君が持つの竜の力を教示いただけますか?」


 彩葉は陛下を見つめると、陛下は彩葉に頷いて応えた。


「はい。明日にでも、私の中に宿る黒鋼竜ヴリトラの力をお見せすることを約束いたします」


「感謝する、黒鋼のカトリ」


 彩葉の言葉に、ヘニング大尉は満足そうに礼を述べた。


「すみません、早速呪法をお見せしようと思うのですが……。ヘニング大尉、呪法のターゲットは、あの黒焦げになった手前のギガントでよろしいですか?」


 ハルがヘニング大尉に質問した。


「あぁ、それで構わない」


 ハルは、あの巨体の飛行船を本気で破壊するつもりなのだろうか。たぶん、彼ならそれができるような気がする。でも、目標としている飛行船は、レンスターの軍勢が全力を挙げて、やっと半壊させたような状態だ。もし、ハルが本当に破壊してしまったら、私が抱く不安の通りの展開になってしまうかもしれない。


 私は周りに気がつかれないように、そっと精霊術を詠唱し、風の精霊と契約を交わしてハルだけに届くよう言葉の伝達を送った。


『ハル、お願いだから聞いて! ハルの本当の力を見せてしまったら、少なくともジャスティン導師や魔導隊があなたを手放さなくなる。だから、できる限り呪法の力を抑えて!』


 ハルは、自信に満ちた表情で、私に向けて親指を立てながら頷いた。咄嗟に詠唱した伝達の精霊術は、ハルにうまく伝わらなかったかもしれない……。


「では! 陛下。やるからには全力で行きます!」


 そう言って、彼は目を閉じて集中し、水平に伸ばした右手に、青く輝く雷の塊を作り出した。


 雷の塊は、バチバチと稲妻をほとばしらせており、周りの空気も巻き込んで帯電させているかのように思える。そして、僅か五秒程で雷の塊は直径一メートルくらいの大きさにまで成長した。


「何たる魔力だ……」


 ジャスティン導師がハルが作り出した雷の塊を見て絶句した。二号を壊す時やファルランに撃ち込んだ雷の塊より、今のハルの手元に作り出されている雷の塊は圧倒的に大きい。雷雲が近くに存在する影響もあるかもしれないけど、彼の呪法は、時間や経験と共に成長を続けているような気がする。


 そしてハルは、右手に溜めた雷の塊を自らの正面に移動させ、左手を添えて目標の飛行船に向けて解き放った。ハルが放った雷の塊は、青白く輝く長槍のような形に姿を変えて、二百メートル程離れている目標目掛けて勢いよく飛んで行く。


 雷の塊が命中すると、目が眩むような激しい閃光と共に、重たい金属同士がぶつかるような轟音が海岸一帯に響き渡った。目の奥に焼きついたチカチカする光の残像が消えると、飛行船があった場所には、粉砕した鉄屑が一面に散乱している状態だった。そして、その鉄屑の残骸に帯電した電気が、バチバチと音を立てながら青白い稲妻を飛び散らせている。


 この場にいる誰もがハルを見つめて唖然としている。ハルのことを良く知るはずの彩葉だって、文字通り開いた口が塞がっていない状態だ。


 もちろん、私だってびっくりだ。凄いとしか言いようがない。けれど、これはいくら全力でやると言ってもやり過ぎだ。もはや、人がなせる業ではない。


「さすが……、ハロルドさん。本当に凄いです!」


 ハルと同じ堕ちた天使の末裔であるキアラは、ハルが使った呪法の威力を賞賛した。


「な、なぁ……。何だかハル、呪法の威力が上がってないか?」

「私もそう感じた……。もしかして、成長している感じ?」


 ユッキーと彩葉は交互にハルに質問した。


「どうなのかな? 今日はいつもより調子がいいような気がしたんだ。エネルギーというか……、この場合魔力って言うのかな? 前に使った時より溜めやすかったり、呪法を使っても疲労が少ないというか……」


 照れ臭そうにハルが返事をすると、不安そうな表情だった彩葉の顔が綻んだ。


「そっか。でも、無理はしないでね」


 ハルを気遣う彩葉に、ハルは優しい笑顔で彼女に頷く。


「ハロルド、そなたの正体が何であれ、今はレンスターに協力を要請願いたい。陛下、この者をレンスターの魔術師として登用いただけぬでしょうか?」


 この場に居合わせる首脳陣は、ハルたちの素性を知る者ばかりだ。ハルの呪法を目の当たりにしたジャスティン導師は、ハルが本当に堕ちた天使の末裔であると悟ったのだろう。ハルをレンスターの正規の魔術師として登用するよう陛下に強く嘆願した。


「無論、そのことは以前から考えていた。しかし、黒鋼のカトリを含め、ハロルドとユッキーの素性は、そなたも存じているであろう。本来であれば、この国のために戦う理由はないのだ。私は、この件については、彼らの意思に委ねるつもりでいる」


 陛下のお考えは、私と似ているのかもしれない。きっと、ハルたちをなるべく戦争に巻き込みたくないのだと思う。それを知って、私は少し安心した。陛下の言葉を聞いた彩葉とハルは、複雑そうな表情で互いを見つめていた。


「陛下! 北伐が迫る中、さすがに奇麗事ばかりでは通りませぬ。レンスターの騎士たちや兵たちは、先程のハロルドの呪法を視認しております!」


 ジャスティン導師が珍しく陛下に強く意見した。戦力的に不利な状況を打開するためにも、ハルの力が必要だという導師の言い分はわかる。


「陛下。この際ですからはっきり申し上げます。ハロルド君の呪法の力は、敵の一個大隊の戦力に匹敵するでしょう。私も導師の意見に賛成いたします」


 ヘニング大尉も、陛下にハルのことを強く推している。訪問騎士団としての立場上なのか、彼らの最終目標であるキルシュティ基地占領のための戦略的な目的なのか、それはわからない。ただ、このままでは、ハルが戦争の道具として使われてしまう。


 平和な世界で育った命の恩人である三人を、異界の星の異国の争乱に巻き込んではいけない。家族に別れすら言えずにアルザルへ来た彼らは、故郷である地球へ帰るべきだ。


 アルカンド地方を経由すれば、帝国の主力がいるという西フェルダート地方を避けて、彩葉が目的としているエルスクリッド地方にあるグラズヘイムに行けるはずだ。隣接するアルカンド地方の諸国へ、陛下の従士である彩葉を使者として派遣し、援軍要請を願う書簡を届けて巡れば、三人はきっと戦火を逃れて目的地へ辿り着ける。


 これは、帝国の北伐のこと知ってから、私が考えていた三人を戦火から逃がす方法だった。ずっと陛下に伝えそびれていたけど、今がそのことを伝える最後の機会だと思う。


 私は意を決して、この案を進言するために陛下の御前でひざまづいた。

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