第62話 レンスターの陰
「今日も一日お疲れ様! かんぱーいっ!」
恒例になりつつある西風亭のライブが終わり、店仕舞いの後片付けを手伝ったボクたちは、今日も一日を労う彩葉の乾杯の音頭で杯を交わした。いつもと違う光景は、乾杯の席に公王陛下の従士、堅牢のロレンスが加わっていることだ。
時刻は二十三時を過ぎている。まだ未成年のアーリャとフロルは、今日の仕事を終えて自室で休んでいるため、店内はボクたち五人の他にミハエルさんとナターシャさんしかいない。
「途中から聴かせてもらったが、相変わらず君たちの演奏は凄いな。ハルとユッキーも変わりがなさそうで何よりだ。レンスターの暮らしはもう慣れたかな?」
「ありがとうございます、ロレンスさん。西風亭の皆さんのおかげで、だいぶ慣れました」
ハルがロレンスさんに挨拶をした。ハルは灰色のドラゴニュートの一件があるから、ロレンスさんが覚えていて当然だ。しかし、ロレンスさんはハルだけではなく、ボクのことも覚えていたようだ。
「堅牢のロレンス、宴の時はお世話になりました。ボクのことを覚えていてくれて恐縮です」
ボクもハルを見習ってロレンスさんに挨拶をした。彼は公王陛下の軍師も務めているため、ボクたちが地球から来ていることや、ヴァイマル帝国の実態を公王陛下から伝えられている。
「ユッキー、堅苦しいのはなしだ。今日は公的な要件もあるが、個人的に西風亭のワインをいただきに来ているからね。それに、あれだけの演奏をした演奏家を忘れる者など誰もいないよ」
「なんか、そう言われると照れますね……」
ボクはロレンスさんのことを、もう少し気難しくて固い人なのかと思って緊張していた。しかし、直接話してみると、案外気さくで親しみやすい人に感じる。彼は仕事とプライベートを分けているようだ。
「ユッキーがしっかりした挨拶をするなんて意外だったなぁ」
アスリンがボクを見ながら、悪戯っぽい笑顔を浮かべて茶化してきた。
「そりゃあ、ボクだって社会的な常識くらい心得ているさ」
アスリンに答えながら、ボクはつい彼女の笑顔に見惚れてしまう。本当にこの子の笑顔は、いつ見ても癒される。
「ところで、西風亭に公王陛下の従士が勢揃いしちゃって大丈夫なんです?陛下の護衛とか?」
ハルがロレンスさんに質問した。たしかに、公王陛下直属の従士が全員がここにいる。
「あぁ、それなら心配ない。今日は僕の代わりに、父が陛下の警護を担当してくれている」
「ロレンスさんのお父様も城で働いてるんですか?」
彩葉もロレンスさんの父親のことを知らないようで彼に尋ねた。
「あら、言ってなかったかしら?ロレンスの父親は、騎士長のバッセル卿よ」
「「えぇーっ?!」」
ロレンスさんの代わりに答えたアスリンの一言に、ボクたちは驚き、自然に三人の声が揃った。
「知らなかったのなら、驚くのは無理もないか」
ロレンスさんはアスリンを見て苦笑いした。
「ロレンスの本名は、ロレンス・バッセル。ロレンスもいずれ『バッセル卿』と呼ばれるようになるはずよ」
「そうだったのですか……。毎日のように顔を合わせておきながら、色々と無知ですみませんでした」
彩葉は席を立って謝っている。
「いやいや、誰からも聞いていないなら、僕の方から申告しない限り、親子だなんて気付かなくて当然さ。謝らないでくれ、カトリ。むしろ、君に恥をかかせてしまうところだった。詫びなければならないのは僕の方だ」
言われてみると、髭面で彫りが深い、インパクトのあるバッセル卿の顔と全く似ていない。きっと母親似なのだろう。
「たしかに全然似てないですね……」
ボクは思わず本音を言ってしまった。
「ハハハ……。よく言われるよ、ユッキー。ところでアトカ、本題に入る前に確認したい。精霊術の結界は今も貼ってあるか?」
ロレンスさんは、カウンターでグラスを拭くミハエルさんや、空いたテーブルの片付けをしているナターシャさんに聞こえないくらいの声で、急に真面目な顔つきになってアスリンに尋ねた。
「えぇ、もちろんよ。ロレンス」
「承知した。皆も飲みながらで申し訳ないが、アトカ襲撃事件の進捗状況を聞いて貰いたい」
「ロレンスさん、お酒の席でこんな大事な話をしちゃって大丈夫なんですか?」
彩葉が心配そうにロレンスさんに言う。
「アトカの風の結界術に勝る安全な場所はないよ。まだ酒を飲んだ内に入らないし問題ないさ」
「なるほど」
彩葉は納得したのか、ロレンスさんの説明に頷いた。たしかにアスリンに敵意を持つ者が、彼女に近寄るだけで感知する結界の中ならば安全な気がする。
「それで、アスリンを襲撃した黒幕がわかったんですよね?」
「あぁ、その通りだ、ハル。大きな声では言えないが……。黒幕の容疑者として浮上したのが、陛下の従兄であられる、内政大臣のエリック・マグアート子爵と、その息子トマス・マグアート伯爵だ。このことは陛下も存じ上げている」
「どうしてマグアート家が? しかも、対象がなぜ私なの……?」
アスリンが訝しげな顔つきでロレンスさんに質問した。
「単刀直入に結論を言うと、彼らはアトカの風の精霊術の存在が邪魔なようだ。特に結界術と虚偽の見破りが……、な」
「どういうこと……なの?」
今のロレンスさんの言葉だけで、レンスターの陰で、陰謀が
「実は昨日、東区で誘拐未遂があってね」
ロレンスさんは少し小さな声で、淡々と語り始めた。
「その騒動で駆けつけた憲兵隊に抵抗した荒くれ者のたち中に、トマス・マグアート伯爵の従士、『疾風のファング』と呼ばれる者がいた。しかも、ファングは、先日ファルランが使用した白亜竜の血と同じ成分の竜の血を所持していたのだ。幸い、交戦した憲兵が、竜の血を飲む前にファングを討ったため、大きな被害は出ていない。しかし、誘拐事件と竜の血。これが何を意味するかわかるな?」
「つまり、先日のファルランさん件を含め、『疾風のファング』の主であるマグアート伯爵が大きく係わっているということですね?」
話の流れを整理したハルが、ロレンスさんを見て質問した。
「そういうことだ。少なくとも従士の行動は、主であるトマス・マグアート伯爵の責務でもある。竜の血の所持と誘拐未遂だけでも、伯爵の有罪は確定だ。しかし、そのトマス・マグアート伯は、現在大使としてエスタリアへ滞在中なのだ」
容疑者であるトマス・マグアート伯爵は、レンスターにいないということだろうか?
「トマス・マグアート伯爵の母君がエスタリアの出身なのよ。エスタリアとの戦争は終結して十二年経つけど、まだまだ怨恨が絶えない状況が続いている。そこで、両国に
ボクたちが沈黙していたためか、ロレンスさんの説明にアスリンが経緯を捕捉してくれた。
「状況は理解したけど……、そのまま伯爵が姿を晦ませたり亡命されてしまったら、どうなってしまうのですか?」
彩葉がロレンスさんに心配そうに尋ねた。
「現在、マグアート伯爵に逮捕状と帰国命令が出されている。エスタリアに対して、伯爵の引き渡しを要求しているところだ。しかし、伯爵に亡命されてしまうと少々厄介になる……」
「それでは、手も足も出ない状況なんですか?」
ハルが不安そうなアスリンを見つめたまま、ロレンスさんに質問した。
「いや、まだ手はある。誘拐未遂に関わった荒くれ者たちから、『疾風のファング』が、伯爵の父親である、エリック・マグアート子爵の屋敷に出入りしていた情報が得られた。子爵はこの件について完全黙秘を貫いている状態だが、証拠さえ掴めば、子爵を拘束して尋問することが可能だ」
「回りくどいことをせずに、容疑があるなら、アスリンが直接子爵に精霊術を使って見破るとか。それじゃダメなんですか?」
ボクがロレンスさんに質問すると、彼は大きく首を振った。
「たしかにその方法でも真実は暴けるだろう。しかし、子爵という爵位を持つ要人に対して、筋を通さない尋問などを行えば、他の貴族たちの反発を煽りかねない。子爵という地位は、公王陛下の爵位である公爵に次ぐ地位なのだ。他の貴族たちとの
「そうでしたか……。政治絡みもあって難しい問題なのですね……」
どうやら貴族社会というものは、たとえ君主の命令でも一筋縄にいかない面倒臭い社会らしい。
「まったくその通りだよ、ユッキー」
ロレンスさんは、ボクの言葉を溜め息交じりに肯定した。
「ただ、筋さえ通せば、他の貴族諸侯は非常に協力的になる。マグアート親子は従士の失態に焦っているはずだ」
マグアート家が陰で叛逆を企てているのであれば、アスリンが使う精霊術の存在が邪魔になるのことに納得できる。けれど、ボクはアスリンの命を狙う奴らを許すことができなかった。
「つまり、子爵を逮捕するための準備として、まず誘拐未遂に関わった荒くれ者たちを尋問し、アスリンの精霊術で、『疾風のファング』とマグアート子爵の関係を明白にする、ですか?」
「察しが良いな、ハル。君の推測通りだ。誘拐未遂に関わった荒くれ者たちの尋問は、五日後の午後に行うことになっている。ただ、これは偽りの情報だ。実際に尋問を行うのは明日の午前に行う。急ではあるが、明日アトカは尋問に協力してもらいたい」
「わかったわ」
緊張した様子でアスリンがロレンスさんに頷いた。
「ロレンスさん、質問です。どうして明日の昼に取り調べを行うのに、五日後なんて偽りの情報を流したのですか?」
彩葉が挙手してロレンスさんに質問した。何か意図があるのだろうけど、ボクにもわからなかった。これは、ハルやアスリンもわからない様子だった。
「実は、エリック・マグアート子爵の長女、ゾフィー・マグアート様は、メアリー公女殿下の侍女をなさっている。明日の朝、城内で勤めるゾフィー様に、それとなく尋問の日程が伝わるようにする。そうなれば、焦っているマグアート子爵は、何かしらの行動を起こすだろう」
「なるほど、巧妙な策略ですね」
ハルも納得した様子で頷いている。
「これは陛下の策でもあり、僕の『最善の知恵』という呪法で、陛下の案が最良であると判断した。ただ、危険は伴うだろう。カトリはアトカの護衛を勤めて貰いたい」
「わかりました。必ず私がアスリンを守ります」
ロレンスさんは彩葉に頷くと、ボクとハルを交互に見つめ真剣な表情になる。
「恐らく、今回の件以前から噂されていた王位継承権が絡んでいるだろう。それも子爵を拘束できれば全てわかる。部外者であることを承知で、ハルとユッキーにも頼みたい事があるのだが……」
何となく危険を伴うことは想像がつく。でも、これは大切なアスリンを守るためだ。彩葉も積極的に立ち向かおうとしている。ハルとボクは顔を黙って見合わせ頷いた。当然、ロレンスさんに対する答えはイエスだ。
「もちろん、協力させてください」
ハルがロレンスさんに答えた。
「ハルが圧倒的な呪法を持っているのは知っている。ユッキーも密かに強力な射撃術を心得ているとアトカから聞いた。君たちは、バッセル卿を始めとする、レンスター家の騎士たちと共に、マグアート子爵の屋敷を見張って欲しい。子爵が屋敷から逃亡しようとしたところを、殺害せずに拘束してもらいたい」
アスリンがボクの銃のことを、ロレンスさんに伝えているのであれば、彼女の期待をボクが裏切るわけにはいかない。
「ロレンスさん、ボクだってやる時はやりますよ!」
「すまない、ユッキー。頼りにしている」
もしかしたら小さな衝突があるかもしれない。しかし、バッセル卿を始めとするレンスター家の騎士たちと、ハルがいるならきっと大丈夫だ。アスリンだって彩葉がいれば心配ない。きっとうまく行くはず。
「よし、みんな。明日は頑張ろうぜ。アスリンは俺たちにとって大切な仲間だ。絶対にマグアート親子の尻尾を掴んでやろうぜ!」
「「オー!」」
ハルの号令にボクと彩葉は声を揃えて返事をした。
「みんな、ありがとう」
アスリンはとても嬉しそうだ。彼女の瞳の奥に薄っすらと涙が浮かんでいるのが見えた。マグアート家に直接的な恨みはないけど、ボクの天使を泣かせる奴は本気で許さない。
「子爵を捕らえることができれば、トマス・マグアート伯爵を支援する者もいなくなる。逃亡先もすぐにわかるだろう。僕も今夜はアトカの警護を兼ねて、西風亭に泊まらせてもらおうと思う」
「わかったわ、ロレンス。二階の客室に空き部屋があるから大丈夫よ。あなたにも感謝しなくちゃね」
アスリンが笑顔でロレンスさんに礼を言った。
「礼なんて要らないさ。僕にとってアトカは兄弟子ならぬ、大切な姉弟子だ。僕の方こそ、何度世話になったか数え切れないよ」
「それじゃ、お互い様ってことにしましょ。せっかく乾杯した後だし、もう少しだけワインをいただいて、明日に備えて休みましょうか」
アスリンの提案に、ロレンスさんを始めボクたちは揃って頷いた。彩葉も葡萄ジュースではなく、眠るためのワインをハルに注いで貰っている。
「あ、そうだ!そう言えば今日、レンスター城の帰りに大聖堂で、見覚えのある片眼鏡を買ったんだけど……」
突然、彩葉が何かを思い出したかのように、スカートのポケットに手を入れて何かを探し始めた。そして、彼女が取り出したのは、ボクも見覚えのある、青白く光る片眼鏡だった。
「ちょっと彩葉、それって……!」
ボクの口から思わず言葉が漏れた。それはボクたちがアルザルへ来るきっかけとなった、ヴァイマル帝国の将校がかけていた片眼鏡と同じものだった。ボクと同じく、ハルもこの片眼鏡に驚いている。
きっと、ハルもボクと同じように、
しかし、この後ボクたちは、この片眼鏡の用途とハルの呪法の関係性に、衝撃を受けることになる。
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