第61話 ゲールモノクル

 レンスター公王陛下の従士となった私は、これまでバイトなど働いた経験がなかったので、毎日疲れ果てるまで従士の仕事に励んでいた。しかし、竜の体質は凄いもので、西風亭に帰宅する頃には、どれだけ疲れていても心身ともに回復していた。


 私に与えられる主な仕事は、陛下を含む要人の警護と衛兵の練成だ。学校の授業で得た知識は全く役に立たず、むしろ、剣道でつちかった礼儀作法や人付合いの方が断然役に立った。働くということの大変さと責任の重さが身に沁みつつも、充実していたのか、この二十日間はあっという間だった。


 今日の私の公務は、公王陛下の正規の従士として認められる交剣の儀への出席と、儀式に参加するために久々に登城したアスリンの警護だ。交剣の儀が無事に終わると解散となったため、アスリンと私は、西風亭へ帰るためにレンスター城を後にしたところだ。


 レンスター城内にいる時は気がつかなかったけど、城外へ出ると西からの強い風が、唸るような音で空に響いていた。昨日のアルスターからの帰り道で、私だけが聞いた唸るような空の音は、もしかしたらこの風の前触れだったのかもしれない。


「ねぇ、彩葉。彩葉って本当に……、あがり症なの?」


 隣を歩くアスリンが、交剣の儀でガチガチに緊張していた私のことを疑っているようだ。首を傾げた際、サラッと彼女の肩から流れ落ちるシルバーブロンドの髪は、同性でも惹きつけられるほど奇麗でドキッとさせられる。


「アスリン、信じてないでしょう?」


「だって彩葉は、あんな凄い模擬戦をしたり、人前で歌ったりするじゃない? いつも平然としているように見えるし……」


「昔からよくそう言われたけど、そうに見えるだけ。本当はいつも足なんてガクガクしているんだよ、私」


「そっか。ドラゴニュートは怖いと思うことがないって言ってたけど、ちゃんと緊張とかするんだね」


「うん。不安や焦りはしっかりと感じるからかなぁ」


「怖いということが、楽しい時の高揚感に似ているって言っていたし、精神的にも結構大変だよね?」


「そうね……。まだ完全に慣れないけど、最初は気持ち悪かったよ」


「私にできることがあったら、何でも協力するから。だから辛かったり、困ったことがあったら遠慮なく言ってね」


 アスリンは、人が忌み嫌うドラゴニュートである私を本気で心配してくれている。もう十分過ぎるくらい助けてもらっていると思う。彼女がそばにいてくれるだけで心強いし凄く嬉しい。


「ありがとう、アスリン。アスリンのおかげで私は居場所ができた。本当に感謝しても足らないよ……」


 アスリンに感謝を伝えると、目に熱いものが浮かんでくる。私は手首でそっと、目に浮かんできた涙を拭った。


「あ、また彩葉は泣いてる。本当に泣き虫だなぁー」


 そっと私の前でしゃがみ込んだアスリンは、フードの中の私の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑いながら私にそう言った。


「もう……」


 ため息混じりにアスリンに苦笑いすると、彼女は舌を出し、両手を広げてクルクルと回りながら笑いだした。何だか彼女の仕草を見ていると、私より遥かに年上だなんてとても思えない。


 少女のようにはしゃぐアスリンを目で追っていると、視線の先にレンスター大聖堂の入り口に立つ、背の高い初老のジュダ教の司祭が視界に入った。


 司祭は、私の視線に気がついたのか、こちらを見て丁寧にお辞儀をした。私も彼に一礼して応える。距離的に三十メートルほど離れていたけど、司祭が左目だけ青白く光る片眼鏡をかけていることに気がついた。


 あの片眼鏡は……。


「彩葉? どうしたの?」


 司祭の青白く光る片眼鏡を見つめていた私を不思議に思ったのか、アスリンが私の側に寄ってきた。


「ううん、別に大したことじゃないけれど……」


「あ、そう言えば、レンスター大聖堂をまだ案内してなかったもんね。ちょっと寄ってみる?」


「大聖堂って、モルフォ修道院みたいに気軽に寄れるものなの?」


「うん。施設の中は関係者しか入れない場所もあるけど、基本的に解放されているから誰でも入ることができるの」


 厳粛そうな大聖堂だったので、気軽に入れないものだと思っていた。それは私の思い込みで、日本の神社やキリスト教の教会のように、万人に向けて開放されているようだ。


「ジュダ教って戒律とか厳しそうだから、大聖堂は閉鎖的なのかと思ったけれど、修道院と同じように開放的されているのね。ところで、アスリン。あのジュダ教の司祭がかけている、淡く光っている片眼鏡は……、何て言うの?」


 私の問いに、アスリンもジュダ教の司祭をジッと見つめた。


「あー、あれはゲールモノクルと呼ばれる片眼鏡よ。何でもあのモノクルをかけてアヌンナキを見ると、後光が差すように淡く光って見えるとか何とか。それがどうかしたの?」


「ゲールモノクル……。私たちを襲って来たヴァイマル帝国の将校が、ゲールモノクルをかけていたの」


「ということは……、彩葉たちを襲ったヴァイマル帝国の将校がジュダ教の関係者……だったのかな? 帝国があるレムリア大陸南部は、ジュダ教があまり盛んではないらしいけど、何だか少し気になるわね」


 アスリンも不思議そうだ。私はますますあのゲールモノクルという片眼鏡が気になってきた。


「ねぇ、アスリン。あの淡く光る片眼鏡は、大聖堂で手に入ったりするの?」


「たぶん献金で銀貨を寄付すれば譲ってもらえると思うけど……。欲しいの?」


「買えるようなら、かな。もしかしたら、何かわかることがあるかもしれない」


「オッケー、彩葉。早速行ってみましょ」


 私はアスリンに頷いて、彼女と一緒に大聖堂の入口にいる背の高い司祭に近づいた。


「こんにちは、司祭様」


「こんにちは、風のアトカ。貴女は噂の黒鋼のカトリですね? 噂で聞いております。ようこそレンスター大聖堂へ」


『黒鋼のカトリ』という私の二つ名を知っているのであれば、私がドラゴニュートであることも知っているはず。私は躊躇してアスリンを見つめた。彼女は私の視線に気づき、私に頷き返した。


「えぇ、彼女はまだレンスター大聖堂を訪れたことがないみたいなので、寄らせて貰っても大丈夫かしら?」


「もちろん、人は平等です。ジュダ教はいつでも献金や教えを諭される者を歓迎しています。見学だけでも構いません。どうぞ中へお入りください」


 司祭がそう言うのだから、きっと私が入っても大丈夫なのだろう。


「ありがとうございます、司祭様。ご迷惑を掛けないようにいたしますので、見学させてください」


 私は司祭にお辞儀をすると、彼は笑顔で私に頷き聖堂の扉を開けてくれた。大聖堂の中は薄暗く、私の視界がモノクロになった。これは光が少ない場所でも物が見える私の暗視の特徴だ。周囲はモノクロでも、光が強い箇所はしっかりとカラーで見ることができる。


 天窓から差し込む陽の光が、鮮やかなステンドグラスを輝かせて幻想的だった。テレビや歴史の教科書の写真で見た、キリスト教の大聖堂のイメージに近いかもしれない。


「何となく見たことがあるような風景で、少し懐かしい感じがする」


 大聖堂の通路を進みながら、私は前を歩くアスリンに言った。大理石のような石造りのためか、私たちの足音がコツコツと響き渡る。ここでライブをやったら、レンスター城以上の音響効果が得られる気がする。


「彩葉たちの日本にも、このような聖堂があったりするの?」


「ううん、日本にこのような立派な大聖堂はないかも。世界のずっと遠いところにあるのだけど、ユッキーの持っているスマホみたいなやつで、世界中の物が見られるのよ。だから日本にいても誰もが知っている感じ」


「何となくしか想像できないけど……。でも、彩葉たちの学習能力の高さは、きっと高度な文明の恩恵もあるのね」


「私はどちらかというと落ちこぼれ。勉強は苦手なんだよね。試験はいつもギリギリだったよ」


「武芸だけじゃなく学問でも競争があるんだ?」


「むしろ、学問が全てかも……。ハルはいつでもトップだったからなぁ」


「そっか、彩葉たちの国は戦争がない世界なんだものね。それにしても、たしかにハルは凄いよ。もうシュメル語の読み書きができるわよ」


「ウソっ?! さすがというか……」


 少し驚いたけど、ハルは昔から何をやらせても呑み込みが早く、誰よりも先を目指そうとする努力家だ。まぁ、彼のそんなところも惹かれたりするのだけど……。


「彩葉だって十分凄いじゃない! 彩葉の剣技は、天使たちより凄いかもよ?」


「大袈裟だよ、アスリン。大体ジュダ教会でそんなこと言ったらダメじゃない!」


 周りの司祭たちに聞こえたら面倒くさいことになりそうだ。私は彼女に人差し指を立てて静かにするよう促した。雑談しながら歩く私たちは、大聖堂内にいる熱心なジュダ教の信者たちに、すでに不審な目で見られているかもしれない。


「さすがに雑談が多いと目立っちゃうね。熱心にアヌンナキやヤハウェに対して、祈りばかり捧げている彼らを見るとなんだか可哀相ね」


 たしか、アスリンはジュダ教が嫌いだと言っていた。だからと言って、大聖堂内で彼らを馬鹿にしてたら、公王陛下の従士とはいえきっと厳罰だ。


「こらこらアスリン、神様を怒らせないように静かにしておこうよ」


「ごめんごめん。天罰が下されないように静かにしておかないとね」


 やがて大聖堂の広間が見えてくると、そこには天使の像が立っており、十名を超える信者たちが祈りを捧げていた。広間の手前で、老女の司祭がテーブルの上に神器や経典を並べて販売しており、私はその神器の中にゲールモノクルがあるのを見つけた。


「アスリン、ゲールモノクルが置いてあるけど、販売しているのかな?」


「たぶん、そうだと思うけど……」


 私はアスリンに頷いて、老女の司祭の元へと向かって話しかけた。


「司祭様、そのモノクルを一ついただけますか?」


「ゲールモノクルをお求めでしたら、献金は銀貨三十枚になります」


「高っ!」


 アスリンも相場を知らなかったのか、驚きのあまり思わず声を出してしまったようだ。老女の司祭は、そんなアスリンをジッと睨む。アスリンは慌てて口元に自らの左手を当て、私の陰にスッと隠れた。


 老婆が答えた高額な値段には、私だってびっくりだ。銀貨が一枚あれば、五人家族が十日くらい食べ物に困らない額だ。


 でも、この片眼鏡があれば、何かの手掛かりになるかもしれない。私は公王陛下から、従士の支度金として金貨を三枚いただいていたので、躊躇なくゲールモノクルの代金を支払って受け取った。


「お二方に天使の加護がありますように」


 老女の司祭は、私たちに深々と礼をしながらそう言った。青白く光るのは、レンズではなく加工された縁のフレームのようだ。レンズ自体も度が入っているわけではなかった。


 目的の物が手に入れられた私たちは、司祭にお辞儀をしてから大聖堂を後にすることにした。


「そうだ、彩葉! このままマリーゼの『陽の見湯』へ寄って行かない?」


 大聖堂の出口を目指し、通路を歩きながらアスリンが私に提案した。


「うん、ちょうど私もそう思ってたところ」


 アスリンにマリーゼさんが営む『陽の見湯』を紹介して貰ってから、私は毎日のようにアスリンと一緒に通っていた。湯船こそないけれど、陽の見湯のお湯はとても気持ちがいい。私たちは互いに同じことを考えていたようで、顔を見合わせて笑ってしまった。


「とりあえず、ちょっと高い買い物だけど、何かの手掛かりに繋がるといいね」


 私が手に持つゲールモノクルを見ながらアスリンが言った。


「うん。ゲールモノクル、青く光るだなんて不思議な片眼鏡だなぁ」


 私は購入したばかりのゲールモノクルの縁を摘まみ、モノクルのレンズ越しに天窓の近くのステンドグラスを見つめた。先程と同じように、ステンドグラスは陽の光を浴びて美しく輝いている。


 もしも神様が本当にいるのなら、一日も早く私たちが地球へ戻れる手助けをして欲しい。もちろん、地球へ行くことを楽しみにしている私の隣で微笑むアスリンだって一緒だ。リギルとウルグに照らされ、多彩な色に輝くステンドグラスを見つめながら、私は心の中でそう願っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る