第60話 交剣の儀

 ファルランたちの一件以来、私は基本的に外出を控え、西風亭で待機する日が続いている。何者かに狙われているのは私だけど、卑屈な真犯人はどんな手を使うかわからない。


 公王陛下は、私だけでなく西風亭の人たちにも被害が出ないようにと、一階のリビングを間借りする形で、衛兵が常駐するようになった。ハルやユッキーもいつも私の近くにいてくれる。十分な警護のおかげで、私はあれから誰かに狙われるようなことはなかった。


 もしも、私がキルシュティ半島で彼らと出会えていなければ、鋼鉄竜の調査から戻れたとしても、ファルランたちに殺されていただろう。彼らとの出会いは、本当に運命的な出会いだったのだと確信している。


 西風亭で待機する期間、私はハルとユッキーにシュメル語を教えたり、彼らの言葉や地球の知識を学んでいた。アクセントが難しかった彩葉の名前やユッキーの本名も、正しいアクセントで言えるようになった。


 私が驚いたのは、彼らの学習能力の高さだ。特に、ハルの言語学の呑み込みの早さは突出しており、たった二日でシュメル語の文字を読めるようになった。今では簡単な言葉であれば書けるようになっている。


 私の風の精霊術で、彼らの言語をシュメル語に翻訳しているため、文字を声に出せばその言葉の意味が理解できる。その方法で文字を読めたとしても、書くためにはどうしてもシュメル語の単語を理解しなければならない。しかし、ハルにはそれができている。


 このペースなら新年を迎えるまでにシュメル語を習得できると思う。彩葉やユッキーが言っていたように、彼らが通っていた学び舎でハルが首席だったという理由が納得できた。


 何でも、三人が生まれ育った地球の日本という国では、生まれてきた子供が兵士や農奴として育てられることはなく、誰でも平等に学者として教育を受けて育つのだという。


 生活が豊かで争いがなく、科学が栄えた文明の社会を私は上手く想像できない。それでもきっと、遠い宇宙の果ての彼らの星は、素敵な世界なのだと思う。


 私たちが西風亭で勉学に励む一方、従士になった彩葉は、毎日のようにレンスター城に赴き、公王陛下の護衛や衛兵たちの剣術を指導していた。ドラゴニュートの女剣士、黒鋼のカトリ。彼女の名前を知らない者は、もうレンスターにいないかもしれない。


 昨日みんなで買い物に行ったアルスターでも、衛兵や錬金術師の中に、黒鋼のカトリを知っている者がいた。初対面の人に名前を呼ばれて驚く親友のことが、私はとても誇らしかった。


 そんな私の親友は、まもなく授与される従士の証を見つめたまま表情が硬くなっている。彼女が見つめる純金製のバングルと勲章として扱われるケープの留め金具には、レンスター家の紋章と彩葉の名前が刻まれている。


 この場にいるのは、公王陛下を始め私たち三名の従士と宮廷魔術師の長であるジャスティン導師の五名だけだ。顔見知りしかいないのに、彩葉はいつもと違って落ち着きがない。大勢の人の前で歌ったり、模擬戦だって堂々とできるのに、小さな授与式で緊張する彩葉を見るのは不思議な感じがする。


 私たちの前に立ったジャスティン導師が、陛下と私たちに一礼した。


「それでは従士勲章を授与した後に、交剣こうけんを行います」


 ジャスティン導師の進行で儀式が始められた。交剣の儀とは、レンスターなど、フェルダート地方で古くから伝わる、主君に忠誠を誓う伝統の儀式だ。主君が差し出した剣に臣下たちが剣を添え、最後に新たに忠義を誓うものが剣を添えるという簡単な儀式だ。


「まず陛下、これらの品を黒鋼のカトリに」


「承知した」


 陛下は、バングルと留め金をジャスティン導師から受け取ると、彩葉が羽織るケープのクリップを外し、レンスター家の証である留め金具に交換した。その後陛下は、黒鋼の鱗を隠すために包帯が巻かれた彼女の左腕に、レンスター家の紋章が刻まれたバングルを丁寧に取り付けた。


 この証があればフェルダート地方を始め、周辺諸国でレンスター公王直属の従士として保証される。これで私にもしものことがあったとしても、彩葉であればきっとうまくやっていけるだろう。


「黒鋼のカトリ。これでそなたは、私の正式な従士となった。この半月同様、これからも胸を張って公務に励んで欲しい」


「ありがとうございます、陛下。少しでもお役にたてるよう努力いたします」


「それでは、交剣の儀に移行します。各々方、こちらへ」


 ジャスティン導師の指示で、陛下と三人の従士は十字の形に集まり、帯刀した剣をそっと抜いた。


 まず、公王陛下がレンスター家に伝わる宝剣を、彩葉に向けて水平に差し出す。続いて私とロレンスが剣を陛下の宝剣に自らの剣をそっと添えた。


 私が所持しているのは短剣なので、陛下の隣で少しだけ前に出る形になる。そして、最後に重なり合った剣に、彩葉は自分の剣をゆっくりと添えた。


 彩葉の剣は、ヴァイマル帝国の将校がヴリトラの額に突き刺した聖剣だと言っていた。私はこの聖剣をこれだけ近くで見るのは初めてだった。


 聖剣の剣身は、丁寧に研ぎ澄まされており、刃毀れなどの傷が一つも見当たらない。美しく輝くその刃は、見る人を惹きつける力も宿しているように思える。


「これは……?!」


 公王陛下は、彩葉の聖剣を見て絶句した。


「はい、聖剣ティルフィング。黒鋼竜ヴリトラがそう呼んでいました」


 私は刀剣に全然詳しくないけれど、それでも聖剣ティルフィングという剣の名前は聞いたことがあった。おとぎ話に登場する天使たちが、悪魔や邪竜を倒すために鍛え上げた魔力を持つ剣だという。まさか、彩葉の剣が、その伝説の聖剣だとは思いもしなかった。


「ティルフィングは、太古に天使が作り出したという聖剣で、古い伝承では劣化することがなく、竜の鱗ですら容易に斬り裂くという代物。僕も拝見するのは初めてです。黒鋼のカトリ、陛下のためにその剣で働いてもらいたい」


 彩葉はコクリとロレンスに頷いた。さすが、剣士としての腕も立つロレンスは刀剣にも詳しい。彼が知るティルフィングの伝承を彩葉に説明した。


「さて、儀式を続けさせていただきます。汝、黒鋼のカトリよ。リチャード・レンスター公王陛下の従士として、その責務を全うし、主君のために御身を差し出せ。そなたは主君に対し、忠義を誓えるか?」


「はい、誓います!」


 ジャスティン導師が彩葉に尋ね、彼女は凛とした声で導師に答えた。


「堅牢のロレンス、それから風のアトカ。双方は、黒鋼のカトリをレンスター公王の従士として認めるか?」


「「はい、認めます」」


 私とロレンスは声を揃え、ジャスティン導師に答えた。


「リチャード・レンスター公王陛下。黒鋼のカトリは、これより正式に陛下の従士として認められました」


「うむ。よろしく頼むぞ、カトリ」


 陛下はジャスティン導師に満足そうに頷くと、まだ緊張している様子の彩葉に優しく声を掛けた。


「はい! よろしくお願いします、陛下」


 彩葉は嬉しそうに頷いて陛下に答えた。思わずドキッとさせられる素敵な笑顔だ。外見だって可愛らしい彼女の笑顔はとても魅力がある。揺れる黒髪がとても奇麗で羨ましい。もしも私が男だったら、きっと彼女に惚れたと思う。


「これにて交剣の儀を終了いたします」


 ジャスティン導師は一礼すると、そのまま後方へ下がった。


「ジャスティン、多忙なところすまなかった。黒鋼のカトリをよろしく頼む」


「御意。それでは私はこれにて失礼いたします」


 ジャスティン導師は、陛下と私たちに一礼して会議室から退室した。彩葉もジャスティン導師にお辞儀をしている。相変わらず彼女は礼儀正しい。


「アトカ。そなたには長く不自由な思いをさせて申し訳なく思っている。変わりはないか?」


 陛下が私を見て心配そうに尋ねた。


「勿体なきお言葉です、陛下。休養がしっかりとれていますので、この通り私は大丈夫です」


 私の身を心配してくださる陛下に、私も彩葉を見習ってお辞儀をして答えた。


「安心したぞ、アトカ。カトリも聞いてくれ。実はアトカを襲撃した事件の調査に進展があった。そのことについて、今夜ロレンスを西風亭に向かわせ詳細を伝える」


 陛下が私と彩葉に言った。


「僕が西風亭に行くのは久しぶりだ。ナターシャさんに特製シチューをいただきたいと伝えておいてもらいたい」


「わかったわ。ミハエルとナターシャに伝えておく」


 私はロレンスに頷いて返事をした。


「ロレンスさんが……、西風亭に……ですか?」


 ロレンスが西風亭に来るということに驚いたのだろう。彩葉が目を丸くしてロレンスに質問した。


「あぁ、僕だって休暇くらいあるし、昔はよく西風亭に通ったもんさ」


「本当、あの頃は毎日よく来るなぁって思っていたわ」


 まだロレンスが騎士見習いだった頃、本当に毎晩のように、彼は西風亭を訪れていた。


「へぇ……、意外です。ロレンスさんにそんな時代があっただなんて。あー、でも本当に今日は緊張しました。やっと肩の力が抜けたというか……」


 彩葉は両手を上げて背伸びをしながら言った。


「ねぇ、彩葉。まだ陛下の御前よ?」


 陛下と従士しかいない今は、暗黙の無礼講となっているけど、私は彩葉を揶揄してみた。


「も……、申し訳ありません、陛下」


 彩葉は顔を真っ赤にして陛下にぺこぺこと何度もお辞儀をして謝っている。そんな彼女を見た陛下とロレンスは、顔を見合わせて大笑いした。


「人前では注意してくれよ、カトリ」


「今は私と私の従士しかおらぬ。気にすることはない、カトリ」


 ロレンスは彩葉に注意を促したけど、陛下は彩葉を優しく擁護した。


 今回に限らず、陛下はいつも彩葉に優しい。三年前に流行った風土病でお亡くなりになった、カルマ公女殿下の姿と重ねて見ているためだと思う。ちょうど彩葉と同じ歳だし、髪型など雰囲気が似ているところがある。


「実は私、本当はかなりのあがり症でして……。それに、よく周りを見ろとハルに叱られます……。本当に申し訳ありませんでした」


 安心したのか、彩葉は恥ずかしそうに陛下に謝罪した。本当に、こんなに可愛らしいドラゴニュートがいるだなんて想像すらできなかった。


「彩葉があがり症というのは意外ね。周りが見えなくなることについては、私から見ればハルもお互い様だと思うけどなぁ。陛下、ハルと彩葉の二人は似たもの同士の恋仲なのです」


「ちょっと、アスリン?!」


 私がそれとなく陛下に二人の関係を伝えると、彩葉は私の袖を引っ張りながら、眉を吊り上げて私を見つめた。彼女は本当に似たもの同士という自覚がないのだろうか?


「ハハハ。ハロルドやユッキーも変わらず元気にしているかね?」


 陛下は笑いながら、ハルとユッキーのことを彩葉に尋ねた。


「はい。二人にも変わりありません。少しずつですが、私たちの目的地の情報も得られています」


「そうか、雨の季節が終わり次第、情報が得られた場所へ旅立つがよい。それまで私の元で働いて欲しい」


「はい……」


 彩葉はどこか寂しそうに陛下に返事をした。旅の目的がある彩葉たちは、レンスターに滞在する期間に限りがある。そのことを知る陛下の表情も、どこか少し寂しそうだ。


 本来従士は、自由市民として身分が保証される傭兵に近い。傭兵との線引きが曖昧なところもあるけど、大きな違いは、忠誠を誓う主人がいることだ。また、主人は従士の行動に責任を負わなければならない。


「さて、陛下。そろそろ雨季に備えた、レンスター川の治水工事の視察の時間になります」


 ロレンスが陛下の公務の時間が迫っていることを告げた。


「もうそのような時間か。アトカ、まだしばらく不自由な思いをさせるが辛抱してくれ。カトリもハロルドに協力してアトカの警護を頼む」


「「はい!」」


 私と彩葉は声を揃えて陛下に返事をした。彩葉と目が合うと私たちは互いに微笑んだ。黒を基調とした彩葉の衣装に映えるレンスター家の証に、窓から差し込むリギルの光が当たった。


 眩しく輝く金の留め金と同じくらい、彩葉の笑顔は輝いて見えた。

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