第63話 雷天使ラミエル

 彩葉がスカートのポケットから取り出した、青白く光る片眼鏡を見て、俺はしばらく身動きが取れなかった。あの時の光景が、まるでつい先ほど起きたできごとのように脳裏に蘇った。


 突然目の前に現れた、黒鋼の竜とヴァイマル帝国の軍人たち。


 背中に銃弾を浴びて倒れ、俺の腕の中でどんどん冷たくなっていく彩葉。


 そして、煮えたぎる激しい憎悪と怒りが、俺の呪法の根幹となったあの瞬間。


「ねぇ、彩葉。それがジュダ教の大聖堂で売ってたのか?」


 幸村の声を聞いて、俺は我に返った。


「うん、そうなのよ。ゲールモノクルっていう名前なんだけど、どうやって目に掛ければいいんだろう? フレームもないし何なの、これ?」


 彩葉は幸村の質問に答えながら、淡く光るゲールモノクルの淵を摘まみ、片目を瞑って眉をひそめている。片眼鏡の掛け方がわからなくて苛立っているようだ。


 彩葉だってゲールモノクルを見た時、少なからずあの日のことを思い出したはずだ。彼女の表情や態度を見る限り、すでにトラウマを克服できているのかもしれない。


「この形状のモノクルは、眼窩がんかに嵌める物だ。僕の父のように、顔の堀が深い人種でないと残念ながら難しいだろうな」


 店仕舞い後の西風亭を訪れている堅牢のロレンスが、彩葉にゲールモノクルの説明をした。


「えぇー……、結構高かったのに残念だなぁ……」


 彩葉は残念そうに溜め息をついた。


「高かったって、いくらしたんだ、これ?」


 俺が参考までに値段のことを彩葉に聞くと、彼女は俺から顔を背けた。


 マジで高かったんだな……。


「銀貨三十枚……。ちょっと、私も高いかなって感じていたのだけど……」


 おい、高すぎだろっ!


 答えにくそうにしている彩葉に代わり、アスリンが言った。銀貨一枚が日本円で大体一万円くらいだ。本来なら、高校生が簡単に払える金額ではない。


「さ、三十枚っ?!」


 声に出して驚いた幸村は、文字通り開いた口が塞がっていない。しかし、教会で購入したものなら、寄付として扱われ返品などできないだろう。アルザルへ来て、無駄遣いは避けようと話し合ったけど、彩葉なりに無駄ではないと判断してのことだと思うし、俺はそれを尊重したい。


「まぁ……。お金はまた稼げばいいし、ヴァイマル帝国とジュダ教の関連で収穫があるかもしれないしな」


 俺が彩葉をフォローすると、安心したのか彼女の表情に笑顔が戻った。素直な彼女は本当にわかりやすい。


「まったく、最近ハルは彩葉に甘いからなぁ……。ロレンスさん、ゲールモノクルは何に使う物なんですか?」


 さり気なく俺に嫌味を言いながら、幸村がロレンスさんにモノクルの用途を尋ねた。


「ジュダ教徒が、天使たちを崇拝しているのは知っているだろう? ただ、天使たちは人や獣の姿で現れるため、彼らを判別するのが難しい。そこで考案されたものがゲールレンズだ。そのレンズは、天使が所持する膨大なマナを光源に変える性質があって、レンズ越しに天使を見ると淡く光る。そのレンズを使った片眼鏡が、ゲールモノクルという訳さ」


「そういう用途があったのですか」


 ロレンスさんの説明に幸村が頷く中、彩葉がレンズ越しに片目を閉じてキョロキョロと周囲を見渡した。そして、彼女は最後に隣に座る俺を見ると、両目を見開いて驚きの表情を見せた。


「ん? 俺、何か汚れているか?」


 俺の服がワインなどで汚れているのかと思い、俺は席を立って自分の衣装を確認した。


「ううん、違うのハル。ねぇ、ロレンスさん。このモノクルを覗いて光るのは天使だけなの?」


 目の前で座る彩葉が疑問符を投げかけた。


「私はジュダ教に詳しくないからよくわからないけど、きっとそうじゃないのかな?」


「ゲールレンズ越しに見て、淡く光る対象は天使で間違いないよ。僕たちのような人間やエルフ族の魔術師が持つマナくらいでは、そのレンズが反応しないはずだ」


 アスリンの言葉にロレンスさんが補足して答えた。


「じゃあ、ハルが光って見えるのは……、何でだろう?」


「はぁ? 何言ってるんだ、彩葉?」


 きっと冗談で俺を茶化しているのだろうと思い、俺は自席に着座しながら答えた。


「いや、だってほら……。アスリンも見てよ」


 彩葉は向かいの席に座るアスリンに、ゲールモノクルを手渡しながら言った。


「ん? どれどれ?あ……」


「何だよ、アスリンまで……」


 アスリンも驚きの表情で、そのまま幸村にモノクルを渡すと、幸村もレンズ越しに俺を覗き込んで二人と同じ表情になった。


「うわ……、冗談なんかじゃなく、マジで光ってるぜ?!」


 ロレンスさんも気になったのか、自席を離れ幸村の脇へ移動した。そして幸村が持つレンズ越しに俺を見つめる。すると、彼の顔つきが明らかに変わったのが俺にもわかった。


 俺が天使……、アヌンナキに関係しているということなのか?そんなことがあるはずがない。


「ハルの雷の魔法が関係している可能性はないですか?」


 彩葉が不安そうな顔つきでロレンスさんに質問した。


「人間のマナに反応するという話は聞いたことがないな……。それではゲールレンズの意味がないからね。その証拠に魔術が使える僕や高位の精霊使いであるアトカを見ても光らないだろう?」


「たしかに……、二人とも光りませんね。でもハルは……、やっぱり光ってるな……」


 ゲールモノクル越しに、ロレンスさんとアスリン、それから俺を交互に見つめて、幸村が答えた。


「彩葉はハルと幼馴染よね? ハルは心当たりがないみたいだけど、彩葉はわかることあるかしら?」


「アルザルに来るまで、ハルの魔法のことは知らなかった。変だなって感じたのは、昔から静電気が凄かったことくらいかな?」


「あぁ、たしかにアルザルに来るまで、ハルは静電気マンだったな」


「なんだよ、そのモンスターみたいな扱いは」


 シャンデリアのオーブの光が、俺のグラスに注がれたワインの表面に映り込み、ゆらゆらと揺れている。思い当たる節があるとすれば、あの日俺たちを襲った帝国の将校の言葉くらいだ。


「ロレンスさん、もしもの話ですけど、ハルが天使なのだとしたら……、どうなるんです?」


「はぁ?! そんなことあるわけないだろう、幸村!」


 俺は幸村の発言に納得がいかず、少し強めの口調で反論した。たしかに地球にいた頃から、魔法が使える秘密はあった。だからと言って俺は普通の人間だ。


「まぁ、ちょっと落ち着けって。仮の話だってば」


 幸村が俺をなだめた。俺自身、突然のことで気が動転していたのはたしかだ。単に認めたくなかっただけかもしれない。幸村が言うように、今は冷静にならなければ駄目だ。


「悪かった、幸村。俺は冷静さを欠いていたよ。ロレンスさん、俺からもお願いします。仮の話でいいので教えてください」


 俺はロレンスさんに改めて伺った。ロレンスさんの隣で座る幸村は、親指を立てて俺に頷いた。


「申し訳ないが、正直どうなるかわからない。そもそも、天使たちの存在意義や目的を知るのは、ジュダ教の高位の司祭くらいだろう。ハル、君の家系で天使の血を受け継ぐ者の伝承とか心当たりがないか?」


「そ、そんなことって……。天使……、アヌンナキと人間の間に子なんてできるんですか?」


 俺はロレンスさんからの予想外の質問に、逆に質問で返してしまった。


「古い経典『エノクの書』によれば、それは可能らしい……。残念ながら、僕は熱心なジュダ教徒ではないから詳しくは知らない。ただ、グリゴリと呼ばれる天使の一団が、ヤハウェ神の命令に背き、天使たちの社会から堕天使として追放された。そして、グリゴリはテルースの人間の女たちと交わり子を儲け、魔術や文明を伝えたという話だ」


 自席に戻りながら話すロレンスさんの言葉に、俺は頭が真っ白になった。離反したというアヌンナキたちと、俺の先祖の間に生まれた子がいたとしたら……。俺の先天的な静電気だとか雷の呪法は、天使の血筋が原因で覚醒した遺伝的なものだったりするのかもしれない。考え方次第で色々と辻褄が合ってくる。


「ハル……、顔色悪いけれど大丈夫?」


 あまりの衝撃で俯いていた俺の左手に、彩葉が自分の手を添えて心配そうに見つめてくる。少しひんやりする彼女の手は心地よい。ドラゴニュートになってしまった彼女の不安は、俺が抱える不安と比較にならないだろう。そんな俺が、これ以上彼女に心配を掛けるわけにはいかない。


「あ、あぁ……、大丈夫。ちょっと衝撃的だったからさ。ロレンスさん、一ついいですか?」


「僕にわかることなら」


「ロレンスさんはラミエルという天使の名前を知っていますか?」


「あぁ、知っている。『裁きいかづち』と呼ばれる雷天使らいてんしラミエルは、グリゴリの天使たちでもシェムハザ、アラキバに次いで、その圧倒的な破壊力から裁きの天使として有名だ」


 きっとそれだ……。


「おい、ハル……。これってヴァイマル帝国の将校が言ってた奴じゃないか?! それに、エノクの書だなんて、まるで旧約聖書じゃないか……」


 幸村も帝国とラミエルの関係に気がついたようだ。ヴリトラが言っていた通り、ヴァイマル帝国は間違いなくアヌンナキこと、アルザルの天使たちと通じている。


「俺は旧約聖書の内容までわからないけど……。でも、たぶん何となくだけど、謎が解けたような気がするよ」


 幸村は俺と目が合うと黙って頷いた。


「ねぇ、ハルとユッキー。わかったことがあるなら、教えてもらえるかな?」


 俺と幸村の会話を聞いていたアスリンが、俺たちに説明を求めた。黙って俺を見つめ頷くロレンスさんも同意見なのだろう。彩葉も状況を飲み込めていないだろうし、俺は三人に推測を伝えることにした。


「これはあくまでも推論だけど、天使は地球でも実在していた。アヌンナキの社会から堕天使として追放された、グリゴリの雷天使ラミエルは、遥か昔に地球の人間との間に子供を儲けた。それは、俺の先祖……なのだと思う。俺が使える呪法は、理由はわからないけど、ラミエルから授かったものであるような気がする」


「あの時、ヴリトラが守護するシンクホールを越えてやってきた、ヴァイマル帝国の将校は、ハルを見てはっきりと言ったんだ。『ラミエル、裁きの雷はまだ覚醒していないのか?』ってね。それが何を意味するのかわからない。けど、帝国は明らかにハルを必要としているようだった」


 俺の説明に続いて、幸村が三人にあの時のヴァイマル帝国の将校の言葉を伝えた。


「もし、俺に『裁きの雷』と呼ばれるラミエルの力があるならば、帝国の将校の言葉の辻褄が合う。ヴリトラを討伐して、ドラゴニュートになろうとした理由までわからないけれど……」


「そっか……。天使たちの目的はわからないけど、何かを企てていることは確実みたいね。それに、ハルの呪法が天使の能力だとするなら、あなたの呪法の破壊力に納得できるわ」


 アスリンは、俺を見ながら言った。俺たちの説明に頷いていた彩葉の表情は、先ほど以上に不安そうだった。


「心配ないぜ、彩葉。仮にさっきの推測が当たっていたとしても、これからも変わらないさ。俺は俺のままだよ」


 俺は左手に添えられた彩葉の手をそっと握って頷いた。彼女は安心したのか、俺を見つめて微笑みながら頷いた。


「うん、わかった。私、ハルを信じてるよ。私も私のままだから私のことも信じてね」


「当たり前じゃないか」


 俺は彩葉に大きく頷いて見せた。


「そうだぜ、二人とも。これからだって何も変わることなんてない。ボクたちはいつまでも親友さ」


 そう言って幸村は俺に拳を突き出してくる。


「あぁ、もちろんだ!」


「うん! 私たちは変わらないよ。いつまでもずっと!」


 俺も幸村の拳に自分の拳を当て、グータッチを交わしながら答えた。幸村は続けて彩葉ともグータッチを交わす。そんなやり取りをしている俺たちを、アスリンとロレンスさんも喜ばしそうに見守ってくれている。


「とりあえず、このことは他言無用だ。熱心なジュダ教に知られたら面倒なことになりかねない。ヴァイマル帝国や天使の動きも気にしなければならないが、まずは明日の目先の計画を優先させて貰いたい。少し長くなってしまったが明日に備え、今夜はもう休もう」


「「はい!」」


 俺たちは揃ってロレンスさんに返事をして頷いた。ロレンスさんの言う通り、明日のマグアート子爵の行動次第で、アスリンを襲撃した事件が解決に向かうかもしれない。今は、明日のことを第一に優先させなければならない。


 俺は左手の指先に小さな雷の玉を作り出した。これが雷の天使ラミエルの持つ『裁きの雷』だとするなら、ヴァイマル帝国が俺を求めた理由が気になる。でも、きっとそのうちわかる時が来るだろう。

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