第58話 ブリーフィング

 コンコン……。


「失礼します! 皆さん、お待たせして申し訳ありませんでした!」


 五小隊の兵舎のドアをノックして、私は待機室内へと入り、到着が遅れた旨を詫びた。すでに集合していた五小隊の全員が一斉に私に注目する。とりあえず、まだ隊別のブリーフィングが始まる様子はなく、ヘニング大尉を始めとする全員が適当にくつろいでいたので安心した。


 五小隊の兵舎の待機室の広さは、十メートル四方の小部屋で、部屋の奥のドアの先には、下士官と兵卒が寝泊まりする簡易的な個室が用意されている。


 待機室のレイアウトは、一人掛けのソファが正方形のソファテーブルを囲むように四脚並べられ、その横にはバーテーブルと簡易的なカウンターチェアが三脚。それからパーティションを挟んで執務用の机が配置されている感じだ。


 ヘビースモーカーなアンデルセン一等兵は元より、ライ上等兵以外の全員が喫煙者のため、煙草を吸わない私は待機室に入る度に匂いに悩まされていた。今も部屋の天井付近に煙草の煙が層状になって漂っている。


 完全な男社会だけあって、壁には少し卑猥なポスターが貼られていたり、お世辞にも室内は奇麗と言えない。それでも女性兵であるベーテル一等兵がいるだけ、他の小隊よりマシらしい。それでも私は、この部屋で生活できるベーテル一等兵の精神力の強さに感心させられる。


「はーい、少尉が来たのでここまでっスね! この回はお流れってやつで! 少尉、助かりましたぁー」


 一人掛けのソファに座りトランプゲームをしていたリンケ二等兵が、ソファテーブルの上に自分が持っていたカードをばら撒きながら私に声をかけてた。きっといつものように賭けゲームをしていたのだろう。


「おい、リンケ! 負けが込んでいるからと言って、それはきたないぞ! この回と言うのは今のゲーム終了までだろう?!」


 左手にトランプカードの束を持ったベーテル一等兵が、後ろに束ねたポニーテールを揺らしながらテーブルに右手をつき、リンケ二等兵に怒鳴るように立ち上がった。


「まぁまぁ、ザーラちゃん。たしかにフロイライン少尉が来ると決めていたし、今回はリンケを許してやってくれ」


「はぁ……。わかりました、伍長が言うなら……」


「さっすが、伍長。助かりましたっ!」


 調子の良いリンケ二等兵は、クラッセン伍長に敬礼している。


「けれど、チャラはこの回だけだ。払えないと泣きつかれても困るからな。それまでに負けた二十五ライヒスマルクは支払ってもらうぞ、リンケ」


「わ、わかってますよ!ライ上等兵殿」


 リンケ二等兵がライ上等兵に釘を刺され、不貞腐れ気味に返事をした。そんないつもと変わらない彼らを見ていると、明日の不安が薄らいでゆく。彼らも緊張しているはずだろうけど、それを表に出さないところが古参兵の風格なのだろう。


「シュトラウス少尉、お父上との話はもう済んだのか? 私もまだ茶を淹れたばかりさ。さぁ、少尉も立ってないでこちらに掛けたまえ」


 バーテーブルの椅子に座るヘニング大尉が私に席を勧めた。大尉が座るバーテーブルには、ティーポットとセレン茶が淹れられた湯気が立つマグカップ置かれている。


「はい、それでは失礼します」


 私は待機室の床に腰を下ろし、咥え煙草で黙々とゲートルを磨いているアンデルセン一等兵を横目で見ながら、ヘニング大尉の隣の椅子に腰かけた。


「どうだ、少尉もセレン茶を飲むかね?」


 私が席に着くと、大尉は新たなカップを手に取り私にセレン茶を勧めた。私は大尉の好意をありがたく頂戴することにした。


「大尉、それではお言葉に甘えさせていただきます」


 ヘニング大尉は黙って頷くと、ティーポットのセレン茶を空のカップに注ぐ。


「どうぞ、フロイライン少尉殿」


 クラッセン伍長の私の呼び方を真似ながら、ヘニング大尉はセレン茶で満たされたカップを笑顔で私の前に差し出した。


 プッ……。


 吹き出したのは、口元を手で押さえているクラッセン伍長だろう。ソファテーブルの上に散らばったトランプのカードを束ねているベーテル一等兵も声を殺して肩で笑っている。敢えて見ないけど、リンケ二等兵も笑っているに違いない。


 ゴホン……。


 ワザとらしく咳払いをしたのは、アンデルセン一等兵だ。


 普段から無口な彼なりの静かにしろという合図なのだと思う。クラッセン伍長が、口で言えばいいのにと言わんばかりに両手を挙げて首を振る。ヘニング大尉とクラッセン伍長、それからアンデルセン一等兵は、ポーランド侵攻以前からずっと同じチームなのだという。三人の信頼関係は特に強いイメージだ。


「まぁ、硬くならず気ままにやってくれていい。私はそんな五小隊だからこそ、居心地が良いのだ。今頃各小隊で明日に備えた対策をしていると思うが、我々がやることは変わらない。簡単なブリーフィングを済ませ、後は雑談でもして明日に備えよう」


「「はいっ!」」


 一同が揃ってヘニング大尉に返事をした。


「シュトラウス少尉が大佐殿と話をしていたってことは、安全な後方からの出番ってことっスよね?」


 リンケ二等兵が期待の眼差しで私を見ながらそう言った。


「い、いえ。そんなことはありません! 父は家族だからと言って、そういうところで特別扱いしない人です」


 父の名誉のために私はリンケ二等兵に否定した。


「リンケ、残念だが作戦会議の結果、むしろその逆だ。我々が搭乗する四番機のギガントがフォルダーザイテ島の前哨基地に向けて先陣を切ることになった」


「えぇー、マジッすか?!」


「先陣だなんて腕が鳴るな、アンデルセン!」


「おう!」


 愕然とするリンケ二等兵。キリっと無言で身を引き締めたライ上等兵。先陣を喜ぶクラッセン伍長とアンデルセン一等兵。同じ隊でも反応はまちまちだ。


「何でまたうちのギガントが先行するです? 歩兵連隊が先に降りて足場を作ってから戦車部隊がってのがセオリーだと思いますが……?」


 ベーテル一等兵が不安そうにヘニング大尉に質問した。


「我々が先陣を切る目的は着陸ではない。着陸すると見せかけて、滑走路上のエミールを狙う」


「輸送機のギガントで最新鋭戦闘機を爆撃っすか……。そりゃ斬新ですね」


 クラッセン伍長が驚いた。


「しかし、ギガントに下方ハッチはありませんし、どのような爆薬を使うのです?」


 ライ上等兵からの質問に私は思わず下を向いてしまう。気を紛らわすために、ヘニング大尉が淹れてくれたセレン茶のカップをそっと口元へ運んだ。


「主力となる火器は、シュトラウス少尉の呪法による火球だ」


 ヘニング大尉の言葉に、兵舎内はしばらく沈黙が続いた。恐るおそる私が顔をあげると、リンケ二等兵が口をあんぐりと開けている。他の隊員も驚いた顔つきだ。


「……冗談……ッスよ……ね?」


 予想通り最初に口を開いたのはリンケ二等兵だ。


「そりゃあ、ますます……斬新ですね……」


「ちょっと、待って下さい。クラッセン伍長までっ! 一応精いっぱい頑張るつもりです! これが冗談でしたら、私だってこんな胃が痛くなるような思いはしませんっ!」


 恥ずかしさと室内の重い沈黙に耐え切れず、私は席を立って皆に言った。


「まぁ、少尉だって頑張れば……きっと、一つくらい当りますよ!」


 ライ上等兵はいつものように私を慰めてくれているのだろうけど、彼の発言から私に対する期待度が低過ぎてフォローになっていない。


「まぁ、そう皆でシュトラウス少尉を冷やかすな。アンデルセン、少尉のサポートを頼めるか? 少尉が真下に向けて火球を落とすタイミングを伝えてやってくれ」


「了解です。カラビナーのスコープあたりを利用して、何か台座になりそうな物を考えておきますよ」


「なるほど! それならば、もしかしたらシュトラウス少尉でも……」


 急にリンケ二等兵の表情が明るくなり、私に対してニヤッと笑った。本当にこの人は失礼だ。私の不貞腐れている顔が表に出ているのか、ベーテル一等兵が私に向けて両掌を上下に動かし、気持ちを抑えるようにジェスチャーで促してきた。私はいつものリンケ二等兵の戯言と諦め、溜め息混じりに彼女にそっと頷いた。


「それでは各員、事前確認だ。とにかく、シュトラウス少尉は当てることよりも呪法に集中して、アンデルセンの指示に従って欲しい」


「はい、了解です」


 私はヘニング大尉に返事をした。


「シュトラウス少尉の呪法攻撃は、滑走路の上空五十メートルほどからの低空飛行で行う。右翼側のハッチを開け、右旋回しながら機体を傾けての攻撃だ。シュトラウス少尉とアンデルセン一等兵は安全ベルトを厳重に装着し、エミールを撃破に専念。他の隊員は右翼側の銃座に配備し、エミールに乗り込もうとする空軍ルフトバッフェの搭乗員を狙え」


「「了解!」」


 五小隊の一同は、一斉にその場で起立してヘニング大尉に敬礼した。


「先陣を切る我が四番機の後を、二番機と三番機、それから五番機と六番機が続くだろう。我らの未来の行方は明日の一戦にあると言っていい。七機のギガントを操縦する空軍の搭乗員は、元々国防軍であるが武装SSに籍を置く者がいることも事実。直前で情報が漏れる可能性もあるがそれは想定内だ。エミールの破壊と上空からの機銃掃射はそのためだ。ブリーフィングは以上とする」


「少尉。俺は応援してますよ。頑張りましょう!」


 普段と違う優しい笑顔でリンケ二等兵は私を応援してくれた。彼のこのギャップが私は少々苦手だ。一瞬言葉に詰まりどう対応していいかわからなくなりつつも、私はリンケ二等兵に素直に礼を言った。


「あ……、ありがとうございます、リンケ二等兵。私、精一杯頑張りますので」


「あらま、フロイライン少尉の顔色が、また髪の色みたいになっちまったぞ」


 クラッセン伍長の言う通り、顔が熱くなるのが自分でもわかった。


「さぁ、少尉。明日は皆を信じて困難に挑もう」


 ヘニング大尉は私の肩に手を置き優しく笑顔で頷いた。


「はい!」


 この人たちとだったら私は頑張れる。心からそう思える。危険を伴う実戦は初めてだけど、私は力強く大尉に返事をした。


「しかし、ヘニング大尉はシュトラウス少尉に特別優しいですよねぇ」


「もしかして、ヘニング大尉は、シュトラウス少尉くらいの娘さんがいたりしませんか?」


 ベーテル一等兵が、ライ上等兵の言葉から何か感じ取ったのか、ヘニング大尉に質問した。軍属には積極的に身の上話をしない人が割と多い。


 ポーランド侵攻以前から、ドイツは常に戦争と隣り合わせにあった。戦闘になれば命を落とすこともある。親しくなった友の死は辛い。そのことから親しくなり過ぎぬよう互いに距離を取る習性があったのかもしれない。


 私は戦友の死を経験したことがないけれど、決して経験したいと思わない。この五小隊のメンバーから、誰かが欠けてしまうことなど考えたくもない。


「ライやベーテルにはお見通しか。まぁ、正直に言うと今年で十五になる娘がいた……というのが正解か。今ではもう生きているかどうかわからない。仮に生きていても私より年上の老婆だろう。せめて幸せな人生を全うしていてくれたらと心から思っているよ……。少尉を見ているとどうしても娘と被せて見てしまうことがある」


 ヘニング大尉は自嘲気味にそう言った。


「それって大尉のご家族は……」


「地球だ」


 リンケ二等兵が質問しようとしたところ、アンデルセン一等兵が煙草に火をつけながら大尉に代わって答えた。ソビエトとの東部戦線から、家族と離ればなれになったままアガルタへ向けての転戦命令が出た国防軍の軍人も多いと聞いている。


「シュトラウス少尉は大尉の娘さんのような存在。守る者があるから戦えることもあります。自分は悪いことだと思いませんよ、大尉」


 ライ上等兵がヘニング大尉に言った。ヘニング大尉も笑って頷いている。


「たしかにライの言う通りだ。俺にとってもフロイライン少尉は妹みたいな存在ですぜ」


 ヘニング大尉もクラッセン伍長も私を家族同様に見てくれている。それがとても嬉しく温かい気持ちにさせてくれた。


「かくいう俺には婚約者がいたんだが……、六十年も経過してるっていうし、ヘニング大尉の話じゃないけど、もうすっかり婆さんなんだろうなぁ……」


 クラッセン伍長の寂しげな遠い目が印象的だった。シンクホールを使ってアルザルへ来た時、死の天使アズラエルから六十年近く経過したことを告げられ、愕然としたことを覚えている。


 シンクホールは一方通行のようで、アルザル側からの入り口がどこにあるか、天使たちから公表されていない。地球からアルザルへ来ることはできても、こちらから会いに行くことができないのが現実だった。


「突然の転戦は軍人の宿命だ。しかし、私は正直、ロンメル将軍が奮戦していたエル・アラメインに向かわされると思っていたがな。まさかアガルタ行きなど思いもしなかった」


「自分もですよ、大尉」


 ヘニング大尉とアンドレセン一等兵は当時を思い出すかのように顔を見合わせ苦笑しながらそう言った。


「明日は早朝からの出撃だ。今夜は早く休まなければならないが何かが足らない。何だと思う、フロイライン少尉?」


 クラッセン伍長が突然私に振ってきた。


「な、何でしょうか?」


「酒っスね、伍長?!」


「正解だ、ユルゲン・リンケ二等兵! 半月後には一等兵に昇進だったな。前祝いでもするか」


 リンケ二等兵はクラッセン伍長に正解だと告げられ拳を突き上げて喜んでいる。


「ありがとうございます! んじゃ、自分が買い出しに行ってきますよ」


「あ、私も同行するぞ、リンケ」


 ベーテル一等兵がリンケ二等兵と共に買い出しへ行こうとした時、ヘニング大尉がポケットから鍵を取り出して二人に声を掛けた。


「我々は、フォルダーザイテ島の前哨基地を制圧した後は、恐らくネオ・ベルリンへ向かうことになるだろう。しばらくネオ・バイエルンに戻らないとあれば、士官控室のクローゼットの中に眠る、私の秘蔵のオリビエート産の白ワインを提供しようと思うが、どうかな?」


「「おぉー!」」


 私以外の皆が盛り上がった。ドイツでは十六歳になれば飲酒は合法だ。しかし、私はあまりアルコールが得意ではなかった。


「もちろん、少尉も飲みますよね? オリビエートって言ったら、イタリア産の本場物ですよ! 戦場でパスタ茹で過ぎて飲料水がないとか馬鹿なこと言うヤツらですけど、料理と酒の味だけは保障できます。そもそも地球産だという時点でレア物です!」


 リンケ二等兵が私にワインを勧めてきた。同盟国だったイタリアのことを褒めているのかけなしているのかわからない言い方だ。


「は、はい……。でも、私あまり飲めないので一口だけで結構ですからね」


「リンケ、少尉はそう言ってる、無理は禁物だ。明日の作戦に支障が出ない程度に頼むぞ」


 ヘニング大尉が笑いながらリンケ二等兵に言った。


「わかってますよ、何だか俺、信用ないっスねぇ……」


 皆が大尉に釣られて笑いだす。五小隊のメンバーは、明るくて思いやりがあって私は大好きだ。あまり親しくなりすぎるなという人もいるけど、私にとって五小隊は第二の家族と言えるほどの大切な仲間たちだ。


『クルセード作戦』が成功し、天使たちもSSを見限って私たち貴族連合ユンカーと国防軍の味方になってくれている。全ては順調に向かっている。私は疑うことなくそう思っていた。


 そう、私たちが彼らと遭遇するまでは……。

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