第57話 ジーク・ハイル・ヴァイマール

 レムリア大陸南部は、豊富な地下資源に恵まれた土地だけど、冬が長い寒帯気候に属している。私たち地球移民による急激な人口増加から、現地民たちが保有していた耕作地や牧畜だけでは、当初から食糧事情が危ぶまれていた。


 そこでヴァイマル帝国は、農地拡大政策を行い、大陸南部を平定した後に現地民と協力してサザーランド地方に広大な耕作地を開墾した。その結果、昨年収穫された小麦は、食糧事情に悩む帝国領民の食糧自給率を大幅に向上させた。この政策により、地球からの移民者二万五千人と現地民十七万人の食糧事情は安定化すると思われた。


 しかし、その収穫期を目前に控えた、ヴァイマル帝国最大の耕作地帯が異常気象に見舞われた。そう、今月初頭にネオ・バイエルンを襲ったあの大雪だ。この大雪の影響で帝国の食糧問題は、去年の備蓄では間に合わないことが明白となり、極めて深刻な状況に陥っていた。


 広大なエルスクリッド砂漠の厳しい気象条件を越えねばならない陸路事情とカルテノス湾の暗礁群や未発達な海路事情により、現地民たちの大陸南北間の交易は、これまでほとんどされていない状況だった。


 食糧危機による飢餓や大規模な反乱を恐れた元老院のネオナチは、天使たちからの承諾が得られたことを宣言し、大量の食糧備蓄と肥沃な土壌を有するフェルダート地方との交易ではなく、制圧に踏み切る選択肢を選んだ。


 今から半月前の帝竜暦六八三年十月七日、ネオナチの指示を受けた武装親衛隊本部の命令で、ついに『北伐作戦』による進軍が開始された。フェルダート地方の平定を三ヶ月以内と定めた侵攻作戦は、ドイツが得意とする陸上戦力と航空戦力をふんだんに用いた機動戦術による電撃戦だ。


『北伐作戦』に参加する軍団は、基本的に武装親衛隊を中心に編制された。エルスクリッド砂漠を縦断して陸路を侵攻する主力旅団と空路による輸送で東フェルダート地方から侵攻する遊撃旅団による同時進行による作戦だ。


 主力旅団の構成は、最新鋭の重戦車を有する装甲師団を主軸としている。武装親衛隊八個師団と国防軍二個師団による戦車五十輌からなる正規軍の他に、ヴァイマル帝国建国以前の既存国家の軍や部族の戦士たちを含む総勢一万名を越える大軍勢となっていた。


 その中にはアーネンエルベがトゥーレの一族と呼んで調査をしていた、精霊術を巧みに操る不老長寿のエルフ族の姿もあった。彼らの積極的な従軍は、直面している食糧危機の他に、働き次第でフェルダート地方の領土が与えられるというネオナチとの契約が理由だった。


 一方、空路でカルテノス湾を越える遊撃旅団は、武装親衛隊二個師団と私たちネオ・バイエルンに駐屯する第二〇二装甲師団による、中戦車十八輌を含む正規軍で編制された機動部隊だ。


 遊撃旅団の各師団は輸送機により、キルシュティ半島北岸の油田にある前哨基地に一度集結する。その後、東フェルダート地方の主要都市と穀倉地帯を制圧しながら、最終的に主力旅団と交戦する、フェルダート地方西部の大都市国家群を背面から挟撃するという作戦だ。


 空路の輸送には、第一次先遣隊がドイツからチベットへ向かう際にも活躍したギガントが使われる。この大型輸送機は、ある程度の悪路でも離着陸が可能で、一度に百名以上の兵員が搭乗できる。また、二十五トン級のⅣ号戦車程度の中戦車であれば積載して輸送できる優れた性能を持っている。


 私たちは予定通りにいけば、明日の早朝ネオ・バイエルンを出発し、カルテノス湾に浮かぶフォルダーザイテ島の前哨基地を経由して、すでに先着している武装親衛隊麾下きかの二個師団に合流するはずだった。


 しかし、出撃を明日に控えた夕刻に、貴族連合ユンカーと国防軍の一部が結託した『クルセード作戦』が実行されたという連絡がネオ・バイエルン基地に届いた。


 国防軍西部方面隊の六個師団がヴァイマル帝国首都ネオ・ベルリンをほぼ無血で制圧し、元老院のネオナチの幹部や幕僚たちを逮捕することに成功したという。


『クルセード作戦』が成功した。


 これでネオナチと親衛隊の圧政から解放される。この情報に私たちは歓喜した。





 私たち第二〇二装甲師団は、国防軍東部方面隊司令官であるスレーゲル中将の指揮で『北伐作戦』を取り止めて『クルセード作戦』に加わった。その後すぐに、秘密警察と僅かなネオナチのSS将校を拘束し、私たちをキルシュティ基地へ輸送するために滑走路に着陸していた七機のギガントを含めてネオ・バイエルンを制圧した。


 ネオ・バイエルン陸軍基地に掲げられていたハーケンクロイツの赤い旗は降ろされた。


そして現在、私たち第二○二装甲師団に所属する士官が基地内の作戦会議室に集められ、スレーゲル中将から『クルセード作戦』の状況と今後の展開が伝えられている。


「ネオ・ベルリンの元老院に巣食う、ネオナチと名立たるSSシュッツシュタッフェルの幕僚たちが逮捕されたという。人々を不要に苦しめたネオナチの圧政は今後のアルザルの統治に必要とされない! 彼らは正当な裁きを受けるだろう! 我々国防軍は、良心に従い勇気を持って国と民への忠義を貫く。食糧危機となった今こそ、国内外を問わず、争いではなく全ての人民が手を取り合わなければならない!」


 中将の傍らには、参謀を務める私の父、シュトラウス大佐の姿もある。アーネンエルベに所属するために、半ば強制的にSSに所属させられていた父と私は、すでに左腕の鍵十字の腕章やSSの襟章を取り外している。


「我らが国防軍がネオ・ベルリンを制圧したことを知れば、フェルダート地方の入口まで進軍している主力旅団は、恐らく反転してくるだろう。ここからが我々の今後の活動を示す本題だ。シュトラウス大佐、説明を頼む」


「承知しました」


 スレーゲル中将に代わり、会議室中央に用意された黒板の元へと父が向かった。


「ネオ・ノイシュタットの北側、エルスクリッドとの国境を流れるティルベー川に架かる橋梁は、我らに加勢していただいた天使たちによって全て破壊された。ネオナチは、天使たちの支援を受けていると言っているが、天使たちは度が過ぎた彼らを見限り、実際は我ら国防軍にくみしている。主力旅団が反転しても、彼らは帝国領内へ戻れず燃料が尽き、やがて行動不能となるだろう。首都を制圧した国防軍の六個師団は、その時が来るまで動かずに待機する。主力旅団には、我らの同志国防軍の二個師団も従軍しているため、いずれにしてもすぐには動きは取れないはずだ」


 現在の戦力布陣が描き込まれた黒板の前に立つと、父はその地図に指揮棒で示しながら説明を始めた。父は、じっと父を見つめる私の視線に気が付いたのか、私を見るなり周囲に悟られない程度にそっと頷いた。その表情から、『クルセード作戦』が完璧に進められていることがわかった。


「また、我ら第二〇二装甲師団は、ネオ・ベルリン制圧に直接貢献したわけではないが、結果的に帝国が有する七機全てのギガントを奪取できたことは大きな意味がある。これは我々の迅速な移動を可能にすると共に、フォルダーザイテ島基地から先行して出撃した遊撃旅団を孤立させたという二面性の効果がある。我らは首都ネオ・ベルリンの同胞と逸早く合流する必要があるが、その前にフォルダーザイテ島基地のSS空軍ルフトバッフェを制圧し制空権を確保する必要がある」


 父は、指揮棒の尖端を地図上のネオ・バイエルンからフォルダーザイテ島が記載されている位置へと大きく動かした。具体的な戦術指示に整列する士官たちの表情に緊張が走った。


「フォルダーザイテ島へ直行できる空路は、ここネオ・バイエルンからのルートのみだ。そのため今のところ、フォルダーザイテ島基地に『クルセード作戦』の情報は伝わっていない。しかし、一日一度の定期の航空便の存在がある。明日の定期便を鹵獲したとしても、捜索隊がフォルダーザイテ基地からやってくるだろう。現在の我々には、空軍に対抗できる術がない。従って、我らはこの機を逃さず、明日の早朝、〇四三〇まるよんさんまるにネオ・バイエルンを発ち、フォルダーザイテ島基地の破壊、または、制圧を行うことになった」


 スレーゲル中将は、情勢と作戦概要を説明する父の元へ移動し、整列する私たち士官に振り向いた。今度は父に代わりスレーゲル中将が説明を始めた。


「明日の早朝、我々は、『北伐作戦』の予定時刻通りにフォルダーザイテ島へ向かうことになるが、我々国防軍に航空機を操縦できる者は少ない。七機のギガントの搭乗員は、『クルセード作戦』の参加を表明した者たちとはいえ、先程までSS空軍に所属していた者たちだ。基地の管制に悟られぬよう通信は我々が行うが、不審な動きに気づけばすぐにフォルダーザイテ島基地の航空隊が迎撃してくるだろう。フォルダーザイテ島基地への着陸は、歩兵連隊が搭乗する一番機と七番機から行う。戦車部隊が搭乗する他の機体は、上空旋回時に機銃掃射でSS空軍の航空機を可能な限り破壊して欲しい。質問がある者は?」


 スレーゲル中将が質問の有無を確認する。すると、私の上官であるヘニング大尉が挙手した。


「ヘニング大尉、申してみよ」


「はい! フォルダーザイテ島の航空戦力と駐屯するSSの兵数はいかほどでしょう?」


「クルセード作戦に参加表明したギガントのSS搭乗員の情報によれば、エミールが五機とスツーカが十三機だ。兵の数については航空機の搭乗員と整備士を合わせて三十名程度という情報だ」


「承知しました。ギガントの着陸は一機ずつ。最低でも各機十分程度掛かるでしょう。その間にエミールが一機でも離陸した場合を考えると……、厄介ですね……」


 スレーゲル中将やヘニング大尉が言うエミールとは、メッサーシュミットBf109E型の愛称で、ナチスドイツの空軍が誇る高性能の戦闘機のことだ。


「その通りだ。そのため一機でも多く先に叩く必要がある。ヘニング大尉の副官は魔女のシュトラウス少尉だったな?」


 スレーゲル中将は、父をチラッと見ながらヘニング大尉に続けた。


「はい、彼女が何か?」


 ヘニング大尉がスレーゲル中将に質問する。私は、突然名前を出され動揺した。父の方を見たけれど、父もスレーゲル中将の意図がわからなかったようで、私に軽く首を振った。


「シュトラウス少尉、君の炎の呪法は、天使の力を持つというのは本当かね?」


 スレーゲル中将が私をジッと見つめ問いただした。


「は、はいっ! まだ祖国にいた頃ですが、私は、大天使ラファエルに炎天使の力を持つ末裔であると告げられました」


 マーギスユーゲント時代、大天使ラファエルにそう言われたことを正直に答えた。ラファエルの話によれば、地球で呪法が使える者は、かつて人間界に堕ちた天使たちの末裔であり、その中でも私は属性八柱ぞくせいはちはしらと呼ばれる炎属性を担う炎天使ラハティの生まれ変わりなのだという。


 しかし、私のように天使の末裔と言われたユーゲントの同僚には、天使たちと同等の威力を持つ呪法の使い手も存在していた。シーラッハ先輩やマイラ先輩、それから寄宿舎で同室だったリーゼルは、特に攻撃的な呪法の威力が優れていた。彼らは現在、親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターに所属しているはずだ。


「それではシュトラウス少尉に命令する。少尉が搭乗する四番機は、先行して滑走路上方を通過。その際、上空からエミールを破壊できるだけ率先して破壊してもらいたい。こちらの犠牲を最小限に抑えるため、頼めるか?」


 私はスレーゲル中将の質問に即答できず、責任重大な命令に足が震えていた。


 上空から火炎の呪法で爆撃しろだなんて無茶だ……。たった五メートルの距離の動かない標的に火球を当てられなくて左遷されたのに……。


「お任せ下さい。最善の努力をいたします」


 私に代わって答えたのはヘニング大尉だった。私は驚いてヘニング大尉を見つめると、大尉はまじめな顔で私に頷いた。私は諦めて力なく大尉に頷き返す。


「はい……。最善を尽くします」


 私はスレーゲル中将に敬礼した。直接見たわけじゃないけど、父が視界の片隅で酷く私を心配していたのがよくわかった。


「よろしい! 少尉の働きに期待する。他に質問がある者はいるか?」


 ヘニング大尉以外に質問者がないことを確認すると、スレーゲル中将が解散を宣告して敬礼をした。


「それでは軍議はこれで終わり解散とする。明日、出発の三十分前までに、各隊は指定されたギガントに搭乗し待機せよ。我らに勝利と栄光を。ジーク・ハイル・ヴァイマール!」


「「ジーク・ハイル・ヴァイマール!」」


 私たち士官も一斉に姿勢を正し、敬礼と共に呼称で司令官に応えた。





 私はヘニング大尉の後に続いて作戦会議室を出た。五小隊の兵舎へ向かう通路を歩きながら、私の前を歩くヘニング大尉が私に話しかけてきた。


「シュトラウス少尉。少尉が呪法に自信を持っていないことは知っている。だが、スレーゲル中将の言うように、上空からのエミールを破壊するには極めて有効的だ」


「は、はい……。わかってます……、しかし!」


「少尉! 少尉が一人で背負うことはない。アンデルセンを信じろ。彼は古参の狙撃手だ。彼の合図に合わせて真下に向かって火球を落とせばそれで良い。部下を頼りなさい」


 私が言いかけたところでヘニング大尉は私を制してそう言った。私はハッとなり、一瞬その場に立ち止まった。


「はい……。大尉の仰る通りです。少し気が楽になりました」


 すぐに我に返り、ヘニング大尉に返事をしながら彼の後を追った。


「それで良い。各員がそれぞれの役割を果たす。それが部隊だ」


 ヘニング大尉は、微笑みながらそう言った。大尉と話しながら廊下を歩いていると、通路の前方に父が立っているのが見えた。


「キアラ。少し良いか?」


「はい、お父様。どうされました?」


 父に呼び止められた私は、上官であるヘニング大尉に一礼してから父に返事をした。


「シュトラウス少尉、私は先に兵の元へ戻っている。親子水入らずの時間は限られる。ゆっくりされると良い」


 ヘニング大尉は私にそう告げ、父に敬礼する。


「申し訳ない、ヘニング大尉。明日は娘のことをよろしく頼みます」


「最善を尽くします、シュトラウス大佐。それでは、また明日」


 父と私はヘニング大尉に敬礼して、五小隊の兵舎と向かう彼を見送った。


「お父様、念願のクルセード作戦が成功しましたね! 明日のフォルダーザイテ島が攻略できれば、やっと平和な時代が来るのですねっ!」


 ヘニング大尉の姿が見えなくなると、私は敬愛する父に抱きついて喜びを伝えた。父の首筋から香水のいい香りがする。


「こら、キアラ。やめないか。さすがに公の場で人に見られるのはまずい。迂闊な行動は慎みなさい」


「ごめんなさい、お父様。私つい嬉しくて……」


 思わず自宅にいる時のような行動を取ってしまったことを反省しながら私は父に謝った。


「油断は禁物だ。『クルセード作戦』はたしかに成功した。しかし、混乱しているとはいえ、先行した遊撃隊が東フェルダートをそのまま攻略に移行する可能性は極めて高い。我らが国を立て直す間に、他国で多くの犠牲が出てしまうことは悔やまれる」


「たしかにお父様の仰る通りです。残忍なリヒトホーフェン上級大将が率いるSSの第九軍の装甲師団ですものね……。ドラッヘリッターも従えているSSの精鋭部隊だと聞いています。それに彼らが所持するのは、私たちと同じ中戦車ですが、アルザルの軍隊に比べたら圧倒的な戦力です」


「その通りだ。リヒトホーフェン大将は、アーネンエルベでも突出した戦術の才能を有したキレ者だ。率先してホロコーストを行うなど、その性格はあまりに残虐で有名だが……」


 父は言いかけて言葉を止めた。


「どうされました?」


「そのリヒトホーフェン上級大将だが、ギガントの搭乗員の話によると、Ⅳ号戦車を含めた一個部隊を従えたまま東フェルダートの古竜調査中に行方不明になっているらしい」


「まさか……。ドラッヘリッターと何か関わりが?」


「それはわからん。ただ、リヒトホーフェン上級大将に代わる指揮官は他にもいる。戦局は変わらないだろう。ところで、話を戻すが……キアラ。スレーゲル中将からの命令を安請け合いして大丈夫なのか?」


 たぶん、兵舎に向かう通路で父が待っていた一番の理由はこれだろう。私だって不安しかない。


「大丈夫です! と言いたいところですが、正直なところ考えるだけで手が震えます。でも、ヘニング大尉に言われました。仲間を信じろと。アンデルセン一等兵は凄腕の狙撃手なんです。彼のタイミングに合わせてやればきっと……」


「わかった。私もお前を信じよう。空軍の搭乗員や整備兵とはいえ、相手は三十名ほどいる。多少の抵抗もあるだろう。本格的な実戦になるが無理せずヘニング大尉の指示に従うのだ」


「はい、お父様。お父様もお気をつけて」


「うむ。今日は各小隊のブリーフィングが終えたら早めに休みなさい。おやすみ、キアラ」


「はい。おやすみなさい、お父様。ご武運を!」


 父と私は互いに敬礼し、そして挙手した手を下ろすと互いに微笑んだ。親子で歴史を動かすような大規模な作戦に参加できるだなんて、私は少し誇らしかった。父に手を振って別れを告げると、私は五小隊の皆が待っている兵舎へ続く廊下を急ぎ足で進んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る