第49話 雪原に靡くハーケンクロイツ(下)

 二つの太陽が輝く地球から遠く離れた別の惑星アルザル。ここは人間だけでなく、亜人種を含む人類以外の知的生命体や伝説の竜族が共存する水の惑星だ。地球から約四光年離れたケンタウロス座α星の三重連生のうち、ウルグと呼ばれる恒星の第三惑星なのだという。


 昼間でも輝くセレンと呼ばれる星が、三重連星のもう一つの恒星らしいけど、太陽と呼べる明るさ程ではなかった。


 光が一年掛けて進む一光年という距離は、約九兆四千六百億キロメートル。その距離を時速百キロメートルで進むとなると……、約千八十万年かかる計算らしい。頭が痛くなるような天文学的な数字だ。


 惑星アルザルの人類の社会は、『魔術』が存在する代わりに文明的な科学技術が地球より千年以上遅れていた。二十世紀中期の文明との差は歴然としており、地球から移民することになった私たちは、理不尽な思いや不満があったとしても、この世界で生きて行かなければならなかった。


 天使たちは、アルザルの荒野に到着した私たち第一次先遣隊に対して、この地にドイツの移民地を築き上げるまでの間、天使たちが持つ技術や呪法を提供し、協力を惜しまないことを約束してくれた。そこで、第一次先遣隊を指揮するカール・グローガー中将は、天使たちに忠誠を誓い、彼らが要求する案件を受け入れた。


 天使たちの要求とは、戦車や航空機の兵器の製造と開発を固く禁じるという内容だった。既にアルザルに持ち込んだ、戦車を含む車両や航空機の使用は禁止されず、また、それらを稼働させるための化石燃料の採集や弾薬類の製造は認められた。そのことに対する理由や詳細は、一部の上層部にしか知らされていない。


 先遣隊は、まず化石燃料を始めとした地下資源の採集を優先させ、道路や航空機の滑走路を整備して交通の安定化を図った。その後、天使たちの介入で現地の民が治める周辺国を対話で併合し、時には圧倒的な軍事力を行使して破竹の勢いで領土を拡大させた。


 周辺国を併合する中で、現地の人々からが統治しない集団に対する国への理解が得られないことが多かった。そこで第一次先遣隊は、自らの集団をナチスドイツから派遣された部隊としてではなく、かつてのドイツ皇帝ホーエンツォレルン家の血筋を引く幼い皇帝を即位させて、一つの国家として独立することを決意した。


 それからすぐにヴァイマル帝国が誕生した。国号の由来は、ナチスドイツ変遷前のヴァイマル共和国にあやかったものだ。政治体制は完全な帝政ではなく、元老院を設立してプロイセン王朝時代から続く貴族連合ユンカーと軍の上層部を主体とした寡頭制かとうせいが採られた。


 封建制度が根強く浸透するアルザルの社会情勢は、その土地で暮らす半数以上の人間が貧困層と奴隷だった。そこで、ヴァイマル帝国が領土を拡大する中で執った政策は、平定した領土内の奴隷を解放し、貧民層に対して労働と平等権を提供した。また、大陸南部に巣食う妖魔族や野蛮な亜竜種を駆逐し、人が安心して住める領域を拡大していった。


 圧倒的な軍事力と政治力を誇示し、領民の心を掴んだヴァイマル帝国は、多くの現地の民から熱烈な歓迎を受けた。そして僅か一年でレムリア大陸南部を平定し、軍事国家としてアルザルの世界に名を轟かせることになった。





 ヴァイマル帝国が建国されて一年半が経ち、抵抗勢力がなくなると、アルザルの暮らしが平和で穏やかに感じられるようになっていた。私だけじゃなく、先遣隊として移民したドイツ国民は、軍人や民間人を問わず皆がそう感じていたと思う。


 しかし、今から二ヶ月半前の初夏のある日、ヴァイマル帝国の社会情勢が一変する事件が起きた。


 私たちがアルザルへ来て以来、最初で最後となる祖国からの後続の移民者が、天使たちに連れられてやって来たのだ。彼らは、ゲシュタポの局長を務めたハインリヒ・ミュラー上級大将を始めとする僅か数十名の極右のナチ党幹部ばかりだった。


 ナチ党の幹部たちは、終戦後に包囲されたベルリンから天使たちの船に乗って脱出し、チベットからアルザルへやって来たのだという。雄弁で圧倒的なカリスマ性を誇ったナチ党の独裁的指導者、アドルフ・ヒトラー総統は自ら命を絶ち、天使が予言した通り、一九四五年五月に首都ベルリンが陥落してナチスドイツは無条件降伏したという。


 ナチ党に所属する者や武装親衛隊ことSSシュッツシュタッフェルは、第一次先遣隊の中にも大勢存在していた。元々彼らはヒトラー総統の護衛や党内治安の警護が目的とする組織だ。SS上層部に強いリーダーシップを執る指導者がいなければ、彼らはそれなりに冷静で、正規の国防軍と同一の軍事組織を構成していた。


 しかし、終戦間際に及ぶまで執拗なホロコーストを実行し、社会に闇をもたらせた極右のナチ党の幹部たちが、ヴァイマル帝国の表舞台に現れたことで、それまで静かだった親衛隊は、本性を現すかのように変貌した。昇進したハインリヒ・ミュラー元帥が、ヒトラー総統の遺志を継ぐ体制を執ると、結束主義の彼らは国防軍と分離してSSを再結成させた。


 やがて後続の移民者たちは、ナチ党からネオナチ党と名を改め、次々と元老院に入閣を果たした。そして、ネオナチに所属していない貴族諸侯や政治家は追放し、寡頭制を敷いていた元老院は、事実上ネオナチに占拠されてしまう。


 ネオナチが元老院を占拠してから、一旦は落ち着いた反抗勢力による武力による反発が各地で相次ぎ、長く平和が続くと思われたヴァイマル帝国に暗雲が漂い始めた。ネオナチとSSが、武力で反抗勢力を粛正する中、追放された貴族連合と表向き中立を維持する私たち国防軍は水面下で結託していた。


 しかし、旧式の戦車が割当てられた国防軍より、最新鋭の戦車や航空機を所有するSSの方が、戦力的な面で私たちを凌駕していた。いずれにせよ、今後ヴァイマル帝国を二分する状況になるのはたしかだ。


 異常気象による食糧危機を打開する案件として、ネオナチが選択した大規模な北伐が開始させれば、『クルセード作戦』が実行され、手薄になった帝都ネオ・ベルリンをネオナチから奪還する日が来るだろう。





「はぁー……、寒いっ! いっそのことシュトラウス少尉の呪法ってやつで雪を焼き払えないんスかね?そうすりゃ、除雪なんてあっという間なのに……」


 リンケ二等兵が、半ば投げやりにスコップですくった雪の塊を滑走路の外へと放り投げながら愚痴をこぼした。


「火炎の呪法では暖をとることはできても除雪まで無理です、リンケ二等兵。そもそも、私の腕じゃ目の前の雪の塊にだって当てられるかどうか……」


「知ってますよ、少尉。ヘタクソな少尉が左遷されたおかげで、こうして同じ隊になれたんですから、自分としては満足してますよ」


「ちょ……、いくら本当のことでも傷つきますっ! 上官に対する暴言で軍法会議モノですよ?!」


 私はリンケ二等兵にそのものズバリのことを言われ、恥ずかしさから思わず言い返した。私の呪法を見た天使ラファエルは、私のことを炎天使ラハティの末裔と呼んだ。地球で魔法が使える者は、かつて天使たちの社会から人間界に紛れた、堕天使たちの末裔なのだという。ただ、それが何を意味するのか、結局天使ラファエルは私に教えてくれなかった。


 自分で言うのも恥ずかしいけれど、私が作り出す火炎の威力は相当高い。周囲からそれなりの高い評価も得ていた。しかし、作り出した火球の命中性が余りに酷いことも事実だった。リンケ二等兵が言う通り、本当にヘタクソなのだ。ちなみに、銃の射撃の腕は月並みにある。ならばどうしてと訊かれると、銃を撃つ感覚と全く異なるので上手く説明できない。


「さーせん、少尉。以後気を付けますっ! でもほら、シュトラウス少尉が優秀だったらドラッヘリッターへ行っちゃったんでしょう? いやー、あんなのにならなくて良かったっスよ!」


「私もドラッヘリッターには、抵抗があったので否定はしませんけれど……」


 私が所属していたアーネンエルベ麾下のマーギスユーゲントでは、優秀な成績を修めた呪法使いは、親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターと呼ばれる、SSの特殊部隊に所属することになっていた。そして、志願した者に天使から伝えられたすべで、人間の力を超越した寿命を持たない半竜のドラゴニュートになる機会が与えられた。


 ただ、誰もがドラゴニュートになれるわけではないらしく、精神が崩壊して暴走した者はその場で射殺されるケースもあったとか。


 天使から炎天使ラハティの末裔と呼ばれ、周囲から期待されていた分、私に対する落胆の声が大きかったことは知っている。そのせいで父にも迷惑がかかったはずだ。けれど、ドラゴニュートの姿になるのは嫌だったし、人格が崩壊したり人間でなくなることが怖かった。


 マーギスユーゲントでは、それなりに頑張っていたつもりだったので、左遷という結果は正直悔しい。ただ、親衛隊付けのままではあるけど、私は東部辺境方面隊の国防軍に配属されたことに満足している。第二〇二装甲師団は、大佐である父が参謀を務めていることもあって個人的に都合が良かった。


「その辺にしておきな! ちょっと言いすぎだよ、リンケ。少尉、こんな奴は放っておきゃいいさ。リンケの奴は、ただ少尉とお話したいだけなんだ。コイツ、兵舎じゃ少尉の話ばかりしてるんだよ?」


 そう言ったのは軍でも希少な女性兵士のベーテル一等兵だ。地球にいた頃は、従軍看護婦だったそうだけど、今ではⅢ号戦車の通信手を担当している。私にとって頼りになる姉的存在だ。


「そうなんですか?! もう……、余り変な悪口とか言わないでくださいね。こう見えて、私は結構傷つきやすいので」


 私がリンケ二等兵を見つめながらそう言うと、彼はニヤッと笑って頷いた。


「わかってますって。そういう正直なところ、俺は好きですよ、シュトラウス少尉」


「な……」


「ほら、リンケ。口ばかり動かしてないで手も動かせ。フロイライン少尉の顔が髪の色みたいに赤くなっちまってるじゃないか」


 除雪プレートが取り付けられたⅢ号戦車に燃料を給油しながらそう言ったのは、五小隊の戦車の操縦士であるクラッセン伍長だ。彼はいつも私のことをお譲さま呼ばわりするけど、言動も行動も嫌みがなく、陽気でとても親切な熟練の下士官だ。


「シュトラウス少尉。除雪作業も後一時間で交代の時間です。部下の戯れに負けず頑張りましょう」


 そう言って私を励ましてくれるのはライ上等兵だ。私とライ上等兵は、いつもペアを組んでⅢ号戦車の後方支援を担当している。ライ上等兵は、五小隊でも戦車乗りではないので私と同じグリーン基調の制服だ。私とライ上等兵以外の五小隊のメンバーは、黒服にベレー帽という戦車兵独特の制服で統一している。


「ありがとうございます、ライ上等兵。いつもあなたの励ましに助けられてます」


 私は減らず口のリンケ二等兵を見て、溜め息をつきながらスコップを動かして雪を掬った。黙々と煙草を吸いながらスコップを動かしている無口なアンデルセン一等兵以外、この五小隊のメンバーは、本当によく喋る。SSの連中と合同の時は、いつも私が呼びつけられて叱られる程に……。


「ライはいつもイイところ持って行くなぁ。そうだ、フロイライン少尉、景気づけに歌でも歌いながらやりませんかね?」


「はぁ? 歌ですか? 基地私たちを監視しているSSにでも聞かれたりしたら怒鳴られますよ?」


「イイっスね、伍長! 恒例のアレでお願いしますよっ!」


 クラウス伍長の提案にリンケ二等兵が食いつき、大きな声でパンツァーリート歌い始めた。私の指摘など全く聞いていない。


 すると、彼の歌に合わせるように、ベーテル一等兵とライ上等兵がリンケ二等兵に続いてパンツァーリートを歌い始める。リズミカルで戦車兵を鼓舞するこの歌は、私も嫌いじゃない。クラッセン伍長だけでなく、無口なアンデルセン一等兵までも歌い始めた。


 本来なら、これを止めて正す側である私も、彼らを止めることを諦めて一緒にパンツァーリートを口ずさむ。


 完全に部下たちに舐められているように見えるけど、彼らなりに親衛隊付けの特務少尉である少女兵の私に、親しみを持って接してくれているのが伝わってくる。私は本当に素晴らしい隊員たちと仕事ができることに感謝しなければならない。


 気がつくと、私たちの隣で滑走路の除雪作業をしている七小隊もパンツァーリートを熱唱していた。私たち五小隊も彼らに負けてなんていられない。


「皆さん、隣で歌う七小隊に負けてなんていられませんよっ! もっと大きな声で、張り切って除雪作業を頑張りましょう!」


 私は隊員の皆にそう呼び掛けて鼓舞した。


「「オーッ!」」


 皆は拳を突き上げて私に応えた。雪原と化したネオ・バイエルン基地の滑走路にパンツァーリートが響き渡る。辺りの空気は冷え切っていたけれど、除雪作業をする五小隊のメンバーは、心も体も温まっていた。


 滑走路脇の掲揚台に掲げられた真紅の鍵十字の旗が視界に入った。私はクルセード作戦の成功を信じている。きっと、あのハーケンクロイツがこの基地から降ろされる日もそう遠くないだろう。

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