第50話 アトカ襲撃事件の容疑者

 セレンの光を浴びてマナを充填した私は、レンスター城のバルコニーから客間へと戻り、まだベッドで眠るイロハを起こさないようにそっと着替えを済ませた。革製のスリングベルトには、護身用の拳銃を入れてある。


 昨夜、私たちが王城の宴に出席している中、憲兵たちの働きによって、一昨日の夕方に私を襲撃した事件の調査が進展した。傭兵がよく集まる数件の宿に、『堅牢のロレンス』の策で憲兵隊からねぎらいの酒が提供された。気分を良くして酒に酔った傭兵たちから、事件に関する有力な手掛かりとなる情報を聞き出すことに成功したのだ。


 そのため、夜が明ける前に事件の容疑者たちと接触し、状況次第で逮捕に踏み切るという任務が、宴の終わり際に陛下から出された。正確に言うと、これはロレンスの任務で命を狙われた私の任務ではない。しかし、私はどうしても確かめたいことがあったため、ロレンスに同伴を願い出た。


 ハルの推理通り、私を襲った容疑者たちは、装身具を売る露天商たちに雇われた傭兵たちの中にいた。容疑者たちは、現在もローギスという名の傭兵宿に滞在しているという。


 容疑者たちの名前は、ファルランとリカルド、それからマーカスの三人組だ。彼らは、私が傭兵家業をしている頃に、何度も組んで仕事をしたことがある顔馴染みだ。私が使う風の精霊術の特性を良く知るファルランたちだから、風の結界を突破することができたのだろう。


 まだ彼らが犯人と確定した情報ではないので、現在は容疑者の段階だ。私は虚偽を見極める風の精霊術が使えるので、直接会って話をすれば真相はすぐにわかる。


 優しくて家族思いなファルランが、私の命を狙うだなんて想像できない。リカルドやマーカスだって仲間を大切にする気さくでいい人たちだ。彼らが冤罪であることを信じたい。仮に事実であったとしても、何か人には言えない理由があるはずだ。


 しかし、もし事実であれば……。公王陛下の従士を手に掛けようとした罪は決して軽くないだろう。でも、何か不当な理由があるのなら、刑が少しでも軽くなるように、私は公王陛下に願い出るつもりでいる。


 傭兵宿ローギスへ向かう準備ができた私は、ロレンスたちが待機する憲兵隊の駐屯所へ向かうため、客間のドアを開けて廊下へ出る。すると、そこにはハルが廊下の壁に寄りかかりながら立っていた。彼は私と目が合うと片手を上げて話し掛けてきた。


「よっ。おはよう、アスリン。ロレンスさんから聞いているぜ? アトカ襲撃事件の容疑者が特定できたんだってな。水臭いのはお互いなしだって言っただろう?」


「おはよう、ハル。なんだ、ロレンスから聞いてたのね……。でもこれはまだみんなと会う以前の問題だと思うし、それに……」


 言い訳する私の言葉を遮って、ハルが少し怒った風な口調で私を咎める。


「なんだ……、じゃないって。それが水臭いっての! 彩葉を起こしてもらっていいかな? まだ寝ているんだろう? 黙って行ったらマジギレすると思うしさ……」


 ハルはドアが開いた客間の奥で眠っている、イロハのベッドを指差して私にそう言った。彼はもう怒ってはおらず、笑顔だった。恐らく私の行動を予測したハルが、私と同じようにロレンスに頼み込こんで、今回の件に対して同伴させてもらうことになったのだと思う。危険が伴うかもしれないけど、ハルとイロハがいるなら心強い。


「わかったわ、ハル。危険が伴うかもしれないし、安全第一だからね」


「あぁ、もちろんだ。じゃ、俺はここで待ってるよ。婦人用の客室だし入ったらまずいだろうから……」


「うん。わかった。ちょっと待っててね」


 私は再び部屋に戻り、ぐっすりと眠るイロハのベッドの脇へと移動した。


「イロハ、イロハ。起きて……」


 イロハは普通にしていれば全く眠くならないらしいのだけど、ワインなど酒類を飲むとあっという間に眠ってしまう。これは元々の体質なのか、或いは、ドラゴニュート特有のものなのか本人にもわからないらしい。


 イロハの眠りはとても深く、揺すったり頬を撫でるくらいではなかなか目を覚まさない。放っておけば何日も眠り続ける勢いだ。しかし、昨日の朝に彼女を一発で起こす方法を発見した。イロハの尻尾の付け根の裏側をそっと撫でると、変な声を上げて飛び跳ねるように目覚めるのだ。私は早速ベッドの中に手を入れてイロハの尻尾をそっと撫でた。


「ぁはぁぁぁぁっ?! ……ちょ、ちょっと……、アスリン?! 何をするの?!」


 昨日と同じだ。イロハは色っぽい声を出して仰け反るように体をくねらせながら飛び起きる。彼女は驚いた様子でパチパチと瞬きをしながら私を見つめた。クランベリーのような彼女の赤い瞳は、夜行性動物のように光って見える。予想通りの反応でちょっと面白い。


「朝早くから起こしてごめんね、イロハ。私を襲った容疑者の居場所がわかったの。それで、間もなくロレンスたちがそこへ向かうので……、私も同行しようとしたのだけど……。部屋を出たところでね、……黙って行くな、とハルに止められて、今こうしてイロハにも報告しているところ」


 私は笑って誤魔化しながら、遠まわしにイロハに経緯を伝えると、彼女は状況を理解したのか、黙ったままベッドから立ち上がり、下着姿のままクローゼットに掛けた黒いドレスを取り出して着替え始めた。


 イロハの表情は怒っているように感じた。変な起こし方をしたことより、やはり何も言わずに行こうとしたことが原因だと思う。妙な沈黙がしばらく続いた。


 怖いなぁ……。絶対に怒ってるよ……。


 やがて宴の時に着ていたドレスに着替え終えたイロハが、壁に立て掛けた剣を手に取ってゆっくりと私を見つめたまま近づいてくる。私は思わず目を逸らした。


「ねぇ、アスリン、そういうことは先に言わなくちゃダメじゃない! 私たち仲間でしょう?! 大切な親友が危ない場所に向かおうとしているのに、私はその時『ベッドで寝ていました』だなんて耐えられない! アスリンはもう一人じゃないの! 今度からちゃんと先に言ってね」


 予想通り、私はイロハに叱られた。本気で怒った彼女の顔は少し怖かったけど、その言葉が嬉しくて涙が出そうになった。迷惑はかけられないと、黙って行こうとした自分が恥ずかしい。


「うん、ありがとう。ごめんね、イロハ」


「私の方こそごめんね、アスリン。ちょっとキツく言い過ぎたね」


 私たちは互いに顔を見つめ、黙って笑顔で頷いた。私たちのようなエルフ族と違って、人間は歳を重ねると少しずつ衰えてゆく。しかし、イロハはドラゴニュート。きっとエルフ族のように老化することがないと思う。いつまでも彼女が側にいてくれると思うと、私は孤独から解放されたような気持ちになった。


 コンコンと客室のドアがノックされて沈黙が破られた。すっかり忘れかけていたけど、廊下でハルを待たせていたのを思い出した。


「そうだ、イロハ。廊下でハルを待たせたままだったの。ロレンスの集合時間にはまだ余裕があるけど、準備ができたなら行きましょ」


「うん。それにしてもハルは良く起きられたわね。いつも寝起き悪いのに……」


「何だか、ロレンスが起こしてくれたみたいよ」


「なるほどぉ」


 納得したようにイロハが頷いた。


「ハル、おまたせ。丁度準備ができたところよ」


 私が客室のドアを開けるとドアの前でハルが待っていた。ハルはイロハに気がつくと片手を上げて笑顔でイロハに声を掛ける。


「おはよう彩葉。今日はすぐに起きられたみたいだな」


「うん、おはよう、ハル」


「今日もアスリンが起こすのに手こずっているようだったら、さすがに俺も手伝おうと思ったんだけど……。アスリンも彩葉を起こすコツ掴んだみたいだなぁ」


「うん、昨日の朝のことだけど、イロハを起こす時に気がついたの。今日も試してみたら大成功よ」


「ほほぉー。アスリンの代りに俺が起こすこともあるし教えてくれよ、アスリン」


 ハルが早速興味を示して私に聞いてくる。さすがにユッキーに教えたらダメだと思うけど、ハルとイロハは恋人同士なのだから問題ないと思う。


「えぇとね……」


「いや、待って! 知らせなくていいからね、アスリン。あれはダメ! 絶対に教えたらダメッ! 色々な意味でダメッ!」


 私がハルに言おうとするとイロハは耳まで顔を赤くし私の言葉を遮り、なぜかハルに詰め寄っている。


「わかったよ、そこまで言うなら聞かねぇってば……」


 ハルはイロハの勢いに押され、肩の高さまで両手を上げて仰け反るように数歩下がった。本当に二人を見ていると、若いころの純粋だったバルザとナターシャそっくりだ。


 あの二人の場合、バルザの方が奥手だったけど、ハルとイロハはイロハの方が奥手な感じがする。もう少しイロハの方から隙を見せてもいいような気がするけど、とにかく二人を見ていると心が和む。そして、悪戯心で私は風の精霊術を詠唱し、そっとハルに伝えた。


『イロハを起こすのに有効なのは、尻尾の付け根の裏よ。たぶん、そこはすごく敏感な性感帯ね。意外とあの尻尾、裏側はフニフニして柔らかいわよ』


 予想通りハルは目を見開いて、顔を赤くして私を見つめた。私はそっと彼に頷く。二人とも本当に可愛い。


「ちょっとアスリン?! 今、精霊術を使ってハルに言ったでしょ?!」


「え……? 何のことかな? ハルは何か聞こえた?」


 私は目を逸らして惚けながらハルに振る。


「し、知るわけないじゃないか……。何も聞こえてねぇよ……。本当だぜ、彩葉?」


「も、もう……知らないっ! そんなことより、駐屯所に行くんでしょう? 早く行かないと」


 イロハは顔を真っ赤にしたままそう言うと、私とハルをジッと見つめてからブツブツ言いながら一人廊下を歩き始めた。ハルは私に両手を上げて首を竦めて見せた。


 ちょっと……、やり過ぎたかな……。


「アスリン、一応相手が抵抗すれば嫌だけど戦わなければならないだろうし、少し緊張して行こうぜ……」


「うん、わかっている……。しかも相手は私がよく知っている人たち。ロレンスは抵抗するなら殺害もやむを得ないと言うと思うけど……。二人ともお願い、なるべく彼らの命を奪わないで」


「あぁ。でもアスリンや彩葉が危ないって思ったら俺は躊躇しないぜ?もう二度と後悔しないって決めたんだ」


 握られたハルの拳は震えているように見える。


「うん、わかってる。本当になるべくでいいので……、お願いします……」


「アスリンの大切な仲間だった人たちだもんね。きっと何か理由があるのよ」


 先を歩くイロハも立ち止まって振り向き、拳を握りしめて力強く私に頷いてくれた。


「ありがとう、イロハ」


 イロハの機嫌も治ったみたいで少し安心した。


「ところでハル。ユッキーはどうしたの?」


「そういえばユッキーの姿を見てないわね……。まさか……?」


「呆れることにそのまさか……だよ、アスリン」


「たしかに昨夜、結構な勢いで注がれてワインを飲んでたものねぇ……。この前ほど飲んでいなかったけど、あの飲み方じゃ仕方ないわよ」


 昨夜の宴の途中で彼が披露したバイオリンの音色は、アルザル世界の常識を逸脱した音色だった。彼の演奏に感動した公王陛下や貴族諸侯から、ユッキーは持て囃されてワインをたくさん注がれていた。


「はぁ……、全く何やってるんだか、あの男は……」


 イロハは右手で額を押さえながら、目を瞑って首を振った。


「そういう彩葉だって、幸村がダウンする前にテーブルに突っ伏してたよな?」


 ハルが意地悪っぽい笑みを浮かべてイロハに絡んだ。


「う、うるさいっ! だって仕方ないじゃない、公王陛下に勧められたワイン一口も飲まないわけにいかなかったし……」


 この場にユッキーがいたら、『いつものが始まった』と言っただろう。


「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。それにしても、ユッキーって本当に凄い演奏家なのね。ユッキーは私に聴かせるための『とっておき』と言っていたけど、まさかあれほどの音楽だとは思わなかったわ。一人で演奏していたのに、まるで何人も奏者がいるかのような演奏だった……」


「バイオリンは幸村の取り柄だしな。順位を競うコンクールは嫌だとか言ってるけど、何だかんだで好きなんだよ、あいつ」


「ほんとだよねぇ……。音聞いていれば素敵なのになぁ」


 イロハが『だけ』を強調して言った。


「ユッキーは色々なところでもう一歩な男の子なんだねー」


「たしかに……。顔だって悪くないし、性格も友達思いで根は優しいんだけどなぁ。間違いなく下心丸出しなところと、あの卑猥なところがダメなのだと思う。本気でスケベだし、あいつ……」


 考えながらユッキーのことを語るイロハは、途中から何かを思い出したのか、不機嫌そうな顔つきになって語尾が強くなっていた。イロハは本当に表情が豊かな子だ。


 三人でしゃべりながら廊下を歩いていると、レンスター城入口近くの憲兵隊駐屯所が見えてくる。


 それにしても、私の命を狙った容疑者の追跡に、自ら同行することになるなんて滑稽な話だ。


 容疑者として挙がっているファルランやリカルド、それにマーカスのことを考えると、とても心が痛む。


 彼らとは、専属の固定の傭兵仲間ではなかったけれど、彼らは一人で活動していた私によく声を掛けて仕事に誘ってくれた。だからそれなりに思い出もある。


 美味しい鍋料理を作ってくれたり、隊商の護衛で山賊に襲われた時、危なくなった私を必死で守ってくれたり。クロノス魔法帝国の遺跡調査では、皆で財宝をたくさん手に入れたこともあった。


 緊張しているせいか、憲兵隊駐屯所のドアをノックする私の手が小刻みに震えているのが自分でもわかった。誰も傷つかずに穏便に事件が解決にしてくれることを、私は心から願っていた。

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