第51話 灰色のドラゴニュート(上)

 俺たちは憲兵隊と協力して、傭兵宿ローギスを取り囲んだ。ローギスの周囲は閑散としており、早朝から明かりが灯っている建物はほんの僅かだ。しかし、俺たちが取り囲んだローギスだけは、酒場を兼ねた建物一階のホールから煌々と明かりが漏れている。


 窓から中を覗くと容疑者であるファルランたち三人の姿があった。こんな早朝だというのに、容疑者たちが背負う荷物は異常に大きい。恐らく、レンスターから離れようとしているのだろう。


 この任務の作戦を整理する。まず、俺と彩葉とアスリンの三人が、アスリンの精霊術で気配を消してローギスの裏の勝手口から突入する。アスリンが彼らと交渉して解決できればそれで終わる。交渉が決裂して、容疑者たちが正面の入口から逃走を図った場合、飛び出したところを予め待機させた憲兵隊が取り押さえるという作戦だ。


 万一、容疑者たちが抵抗して戦闘状態になったとしても、ローギスの内部か人通りのない早朝の東区の大通りであれば、一般人を巻き込む可能性が低いという堅牢のロレンスの案だ。オーソドックスな作戦だけど効率的なところが個人的に好感が持てる。


 ロレンスさんの合図で、早速六名の武装した憲兵隊が東区の大通りに面したローギスの正面入り口に展開した。突入が近づくに連れて緊張感が高まる。


「ハル、イロハ。準備はいいかしら?」


「バッチリだ」


「いつでもどうぞ」


 俺と彩葉がアスリンに答えると、彼女はこちらの様子を伺うロレンスさんに手信号を送った。各班の準備状態を確認したロレンスさんは、改めて突入の手信号を送ってきた。


「それじゃ、行くよ! イロハ、硬化の準備をしながら先頭お願いっ! もし施錠されていたら後で弁償するので破壊して構わないわ」


「はいっ!」


 アスリンの精霊術で音漏れを防いでいなければ、彩葉の元気の良い返事は隠密行動の意味がなくなるレベルだ。彼女が誰かの指示に対して元気よく返事をするのは、体育会系独特の体に染みついた癖なのだと思う。


 ローギスの裏口は施錠がされていなかった。ローギスへ侵入すると、通路は明かりがないため真っ暗だ。しかし、暗視の能力がある彩葉はどんどん通路を進んでゆく。


 しばらくすると目が慣れて来て、突き当たりのドアの隙間から照明の灯りが漏れているのがわかった。ボソボソと男たちの話し声が聞こえてくる。どうやらあのドアの先が容疑者たちがいるホールだろう。


 先頭を進む彩葉がドアの前で立ち止まり、俺とアスリンを見つめる。彩葉の目は、暗闇の中だと不気味に赤く輝いて見える。アスリンが頷くと彩葉は竜の力で全身を黒鋼の鱗で硬化させ、扉を開けて抜刀しながらホールへ突入した。


 音もなくドアが開き、黒い鱗に包まれたドラゴニュートが剣を構えて突っ込んでくるのだから、容疑者たちが驚かないはずがない。俺も銃を構えて彩葉に続く。


「な、なんだてめぇらはっ!!」


「ファルラン! その女、例のドラゴニュートだ! やべぇぜ……」


「糞ったれが! もう気付かれてたのか……」


「だから、俺は昨夜のうちにさっさとずらかろうって言ったんだよ、リカルドッ!」


「黙れマーカス。そもそもお前が先に酒を飲み始めたんじゃねぇかっ!」


 責任転嫁をしようとしているのか、容疑者たちは互いに罵り始めた。正面の強面のリーダー格の男がファルラン。そして弓を所持しているのがリカルド、片手斧を構えたのがマーカスだろう。ただ、動揺しながらも武器を構えるところが熟練の傭兵らしい。俺が銃を構えても全く動揺しないのは、銃の存在自体を知らないのだから当然だ。


 容疑者たちの言葉から察するに、裏で誰かの指示があるのがわかった。それに姿を伏せてきた彩葉の存在を知っているようだった。


 彩葉を見て『やばい』と言ったのは、昨日の模擬戦を知っている。彼らの雇い主は貴族か騎士か……。


 ファルランは大きな曲刀を彩葉に向けて構え、ジリジリと間合いを詰める彩葉に正対した。


「うるせぇぞ、お前ら! その噂のドラゴニュートが目の前にいるんだ。……もう足掻いたって手遅れだろうよ。おおかた、入口の向こうは憲兵隊が待ち構えてるって寸法だろう。そうだろう、アトカ?」


 数少ない情報からの的確な分析だ。一筋縄ではいかないかもしれない。最悪、一人だけ捕らえれば他は殺めても構わないというロレンスさんの方針だけど、彼らとアスリンは旧知の仲だ。俺の雷撃を当てれば、多分一撃で仕留められると思う。ただ、できる限りそれは避けたい。


「えぇ、その通りよ。ファルラン。なぜ私を狙ったの?」


「フハハハハ、野暮だなアトカ。それが依頼だからだ……ぜっ!」


 ファルランは言い終わらないうちに、目の前にいる彩葉に対して奇襲攻撃を仕掛けた。ファルランが真一文字に両手で薙ぎ払った曲刀は彩葉の左側胸部を斬りつける。しかし、ガーンという鈍い金属音とともにファルランの曲刀は弾き返され、彼自身も体勢を崩して数歩後退した。


 一方、不意打ちされた彩葉は、体重が軽くなっているせいか、思い切り吹き飛ばされてホールの壁に叩きつけられた。


「イロハっ!」


 アスリンが彩葉の名を叫ぶ。俺は衝撃のあまり声も出せず、一目散に彩葉の元へと駆け寄った。


「お、おいっ、彩葉?! 大丈夫かっ?」


「う、うん……、油断しちゃったね。見事な逆胴をされちゃった。ちょっとヒリっとしたなぁ」


 彩葉は駆け寄った俺に苦笑いをしながら答えた。俺は彩葉の無事を確認して胸を撫で下ろすと共に、ファルランを睨みつけた。ファルランは今の攻撃で彩葉を仕留めたと思ったのだろう。マーカスに支えられながら体勢を立て直すファルランは、驚いた形相で彩葉を見つめている。


 本当に怪我がなくて良かった……。この容疑者たちと交渉なんてできるように思えない。俺は右手の銃をファルランに向けたまま、左手を彩葉に差し出した。


「馬鹿……。こんな時に決まり手の名前とか言ってる場合じゃないだろ? ほら、立てるか?」


「うん、大丈夫。あぁ……、ドレスが大きく破れちゃってる……」


 彩葉は、俺が差し出した手に自分の手を添えながら、斬られた左脇のドレスの解れを残念そうに気にしていた。彩葉の表情は不気味に微笑んでいるけど、これは本来なら恐怖を感じているのだと思う。


 その証拠に彼女の手は震えている。破れたドレスの隙間から彼女の薄いピンク色の下着が垣間見え、俺は慌てて目を逸らしてファルランを睨みつけた。


「そこのてめぇら、人前でイチャついてんじゃねぇぞっ! しかし、刃物が効かねえとか、噂通りのとんでもねぇバケモンだ……。けど、羨ましい限りだぜ、お嬢さん」


 ファルランはホール内のテーブルを蹴り倒しながら、俺と彩葉を睨みつけて罵声を浴びせてきた。


「彩葉はバケモノなんかじゃねぇよ!」


 俺はファルランの一言にカチンときてその場で否定した。


「うるせえぞ、ガキが!」


 ファルランの奥でリカルドが椅子を蹴り飛ばしながら俺を罵った。さり気なく障害物を散乱させているのは威嚇というより、足場を悪くさせて乱戦に備えての作戦に思える。


「ファルラン! リカルドとマーカスも聞いて! 何か理由があるのでしょう? 陛下には私からも釈明するから! お願いだから武器を収めて!」


「ありがとよ、アトカ。だが、俺たちはもう後に引けねえんだ。リカルド、狙いはアトカだ。せめて最期くらい仕事は全うしようや!」


「ヘッ、ついてねぇぜ……」


 リカルドは自嘲気味に小言を言いながら、床に唾を吐いて廊下の入口に立つアスリンに向けて矢を番えてゆっくりと弦を引いた。俺は咄嗟に右手に持つ銃をファルランからリカルドに向けた。何が彼らをここまで狂信的にさせるのか……。


「アスリン、危ない! 下がれっ!」


 俺は狙われているアスリンに向かって叫んだ。誰からの依頼だか知らないけど、かつての仲間の命を狙うだなんてどうかしてる。マーカスも片手斧を構えて、徐々にアスリンに近づいてゆく。アスリンの目に涙が浮かんでいた。グググッと、アスリンを狙うリカルドの弓音が聞こえて来る。もう限界だ……。


「ハル、私があの斧を狙うからハルは弓をお願い!」


 彩葉は小声でそう言うと、俺の返事を待たずに再び黒鋼の鱗で全身を覆い、硬化しながらアスリンに近づく斧を振り上げたマーカス目掛けて飛び込んでゆく。


 彩葉の狙いが自分ではなくなったと確信したファルランも、アスリンに向かって大きな曲刀を構えた。俺の心の奥に沸々とやり場のない怒りが湧いてくる。


 こいつらは何がなんでもアスリンを殺すつもりだ……。させるものか! 俺は意を決し、リカルドに向けている銃を発砲した。


 パンッパンッパンッパンッパンッ!


 乾いた大きな音が五発。ファルランとマーカスは、発砲の音に驚いてその場で立ち止まり俺を見つめた。俺の撃った弾丸は、リカルドの左肩と首筋に二発命中した。リカルドは短い叫び声を上げて矢を落とし、その場で崩れるように倒れて首筋の銃創を押さえながら転げ回る。


 彩葉は俺に気を取られているマーカスの懐まで一気に飛び込む。彩葉の接近で我に返ったマーカスは、慌てて彩葉を目掛けて斧を振り下ろした。しかし、彩葉はそれを滑り込むように身を低くしてかわし、振り向き際にマーカスの足を目掛けて彼女の剣を突き刺した。彩葉の鋭利な聖剣は、マーカスの大腿部を貫通して木製の床に突き刺さった。


「ぐあぁぁぁっ!」


 悲痛な叫びを上げてマーカスもその場に倒れた。致命傷ではないにしても、もう立ち上がることはできないだろう。見ている方が痛くなりそうだ。


「ごめんなさいっ!」


 彩葉はマーカスにそう言うと、剣を抜かずにその場から離れ、アスリンに向かおうとするファルランの前に立ってアスリンを庇った。そして一度硬化を解除してから、左右の手に竹刀くらいの長さの黒鋼の刃を作り出す。


「なっ……! クソッたれがっ! そこのてめぇは、魔術師か?! よくもリカルドをっ!」


 銃声に驚いて立ち止まったままのファルランは、次々と倒れるリカルドとマーカスを交互に見て混乱しているようだった。アスリンの前に彩葉が立ちはだかると、今度は俺を睨みつけながら言ってきた。銃弾の当たり場所が悪かったリカルドはもう動いていない。


「さぁ、次はアンタだ。武器を捨てて投降してくれ」


 俺が構えるP38の弾装にはまだ四発残っている。俺とファルランの距離は、先ほど撃ったリカルドより近い。右手に持った銃をファルランに向けたまま、左手に小さめの雷の塊を作り出して準備する。作りだした雷の塊は、バチバチという音を立てながら青白く輝く。


「チクショウ……」


 その時、俺が撃った銃声音でローギス内の異変に気付いた憲兵隊が、ホール正面の入口のドアを表から開けてロレンスさんを先頭に突入してきた。


「そこまでだ、ファルラン! 投降しろっ!」


 ローギスの入口に立つロレンスさんは、ファルランに弓を向けて投降を呼び掛ける。ロレンスさんに続くように、四人の憲兵たちも弓を構えてファルランを狙う。


「ファルラン、あなたには奥さんと二人の娘さんもいるじゃない。お願いだから武器を捨てて投降してっ!」


 アスリンも懇願するようにファルランに投降を呼びかけた。


「悪いな、アトカ……。全て裏目に出ちまってんだ。これまで……、ありがとな。今まで色々と楽しかったぜ、アスリン。」


 ファルランはこれまでと一変して、穏やかな口調でアスリンに振り向いてから笑顔で彼女の名前を呼んだ。すると、腰のポケットに入っていた小瓶を開けてそれを一気に飲み干した。

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