第2章 堕ちた天使たち

第48話 雪原に靡くハーケンクロイツ(上)

 結露で曇る窓ガラスをそっと拭いて外を眺めると、士官執務室の向こう側は相変わらず白銀の世界が広がっている。唯一、色を識別できるものは、風に揺れて雪原になびくハーケンクロイツの赤い旗だけだ。


 目の前の樹木の枝に降り積もった雪が、その重さに耐えきれずに落下した。しかし、その音は辺りに伝わることなく周囲の雪に吸収され、まるで何事もなかったかのように静寂が辺りを支配している。


 深々と降り続く雪は、かれこれ降りだしてから七日目になる。この収穫時期に降り始めた予想外の大雪のおかげで、ヴァイマル帝国国防軍ネオ・バイエルン基地は、昼夜問わず市街地へ繋がる街道と軍用機の滑走路の除雪作業を余儀なくされている。


 私が所属する五小隊も他隊と同様に、一日三回の除雪作業が交替で巡ってくる状況だ。連日の雪かきのせいで、足の指先が霜焼けになり始めて痛痒い。


 私がドイツからへ来てから三度目の十月だ。しかし、今年は去年や一昨年と比べて明らかに気温が低い。これは空に輝く二つの太陽のうち、ウルグの活動が弱くなったことが原因だと上層部は言っていた。


 ここは惑星アルザル。太陽が二つあるためか、地球の環境と大きく異なり、季節は存在するけど安定した四季が巡って来るわけではない。生命が活動する惑星として考えると、この星は地球よりも厳しい環境下の惑星なのだと思う。


「そろそろ除雪の交代時間になるな、シュトラウス少尉」


 執務室の窓から外を眺める私に、直属の上官であるヘニング大尉が自席から声を掛けてきた。


「はいっ! ヘニング大尉」


 私は声の主に向きを変え、姿勢を正して敬礼した。右手を突き出すように上げるナチ式の敬礼ではない。私たちはヴァイマル帝国国防軍だ。武装親衛隊とは違う。


「今この部屋は私と少尉の二人だけだ。そうかしこまらなくても良い」


 ヘニング大尉は私を見て微笑みながらそう言った。私と大尉は丁度親子ほどの年齢が離れている。彼は、新米の士官である私に対しても、古参兵と同等に分け隔てなく接してくれる紳士的な上官だ。


「お気遣いありがとうございます、大尉」


かねてから計画されている『クルセード作戦』が実行に移される日もそう遠くないだろう。そうなれば我々はいつでも戦えるよう準備をしておかねばならない。除雪作業もその作戦の内だと思って励んで欲しい」


「はい! しかし、この雪は……、いつまで続くのでしょうか……」


 私は大尉に返事をしつつ、大規模作戦名の重圧から思わず窓の外を見つめ、溜め息混じりに弱音を吐いてしまう。沈着冷静なウッツ・ヘニング大尉は、アルザルへ来る直前までA軍集団と呼ばれる、戦車乗りのエースたちが集まる装甲集団で活躍していた古参の戦車長だ。きっと私の心などすでに見抜かれているだろう。


「ハハハ、こればかりは生憎、私も想像がつかない。さぁ、昼食前のひと踏ん張りだ。心の迷いは部下を危険に晒してしまうぞ、少尉。敵は内にある……。色々な意味でな」


 大尉は自分の胸に右手を当てて、笑いながら私に答えた。案の定、私の心は大尉に見抜かれていた。


 この収穫期における想定外の大雪で、ヴァイマル帝国の食糧自給難が明白となった。現在のヴァイマル帝国の国政を担うネオナチは、国民の食糧を確保するため、大陸北部へ向けて大規模な北伐を計画している。


 その際、手薄になった首都ネオ・ベルリンの元老院に巣食うネオナチ本部と武装親衛隊本部を制圧するクーデターが、貴族連合と国防軍が計画している『クルセード作戦』だ。


「申し訳ありません、大尉。気を引き締め、除雪作業に取り掛かります!」


「良い心掛けだ、シュトラウス少尉。それでは、一〇三〇ひとまるさんまるまでに滑走路に兵を集合させ、三小隊から作業を引き継いで欲しい」


「承知しました!」


 私は再度ヘニング大尉に敬礼し、一礼してから執務室を後にする。そして部下の兵たちが待機するの兵舎へと向かった。部下と言っても、全員私よりも年上で、実戦経験もある頼りになる先輩たちだけど……。





 私の名前は、ジークリンデ・キアラ・フォン・シュトラウス。本来であれば、十六歳の私は国防軍に入隊できる年齢ではない。しかし、アーネンエルベに所属する魔術師は例外で、SSシュッツシュタッフェルこと武装親衛隊の魔導少尉という階級が与えられ、父が参謀を務める東部辺境方面隊の国防軍に派遣された。


 私の所属は、ヴァイマル帝国国防軍第二〇二装甲師団第五魔導戦車部隊で、部隊長のヘニング大尉を支える魔術師として副官を務めている。


 もちろん、魔術師という肩書き通り、私には魔法が使える。私の魔法は、炎属性の呪法と呼ばれるもので、頭の中でイメージすれば直径五十センチメートルくらいの火球を作り出し、対象に向けて飛ばす主に攻撃的なものだ。


 私のこの特異な能力は、生まれた時から使えたわけではない。この力が覚醒したのは、私が六歳の時に起こった惨劇が発端だった。


 私の本当の家族は、平穏な暮らしを求めてアイルランドから温暖なマヨルカ島に移民した漁師だった。しかし、不幸なことに私たち家族は、一九三六年の夏に起きたスペイン動乱に巻き込まれ、私の目の前で両親と兄妹がテロリストたちに殺された。


 その時、私の中で何か湧き立つような、不思議な力がみなぎったことを今でもはっきりと覚えている。それを契機に、私は頭の中にイメージをするだけで、大気中に炎の塊を作り出せるようになった。しかし、それから私は赤毛の魔女とさげすまれ、人と接することを禁じられて孤児院の地下で過ごすことになった。


 そんなマヨルカ島の魔女の噂を聞きつけ、私を養女として迎えようという人物が現れた。その人が、当時ベルリン郊外の政府の特殊機関アーネンエルベで魔術の研究をしていた私の父、ジークフリート・ヨハネス・フォン・シュトラウス伯爵だ。アイルランド生まれの私がドイツ国籍を持つ理由は、そういう経緯があった。


 養父が私を迎えた当初の目的は、単に魔術の研究の材料としてのことだったと思う。しかし、独身で実子のいない養父は、高学歴で地位の高い伯爵という身分にもかかわらず、孤児だった異国の魔女を本当の娘のように接して育ててくれた。


 それから私は、優しい父が所属するアーネンエルベの魔術研究所で勉学に励みながら人並みに幸せな幼少期を過ごした。


 父が所属するアーネンエルベという機関は、元々民間の古代遺産協会だった。その後、どういうわけか超常現象に興味を持ったナチ党の意向で国の公式機関として吸収された。


 その時、父は半ば強制的に武装親衛隊に入隊し、子供だった私も魔術師として親衛隊に籍を置くことになった。本来なら、金髪碧眼のアーリア人至上主義を唱えるナチスの親衛隊が、私のような赤毛のケルト民族をSS機関に入れることなどありえなかった。しかし、魔術が使える者は、規制や人種よりも能力を優遇された。


 正直なところ、子供ながらにホロコーストでユダヤ人を迫害するSSやゲシュタポと呼ばれる国家秘密警察のことが、恐ろしくて大嫌いだった。


 アーネンエルベが国の公式機関となってからは、SS最高指導者であるハインリヒ・ヒムラー長官や彼の側近カールマリア・ヴィリグート少将の指示の下で、アーリア人種の人類学をはじめとする、外宇宙の知的生命体との接触や不死の民トゥーレ伝説、さらには、地底都市アガルタの本格的な調査が行われるようになった。


 そもそも、私たちがこの惑星アルザルに来ることになった発端は、それらのオカルト的な調査の結果にあった。当時、一三歳だった私は、父から告げられた想像を超えたそのニュースに驚愕したことを覚えている。


 それは、祖国ナチスドイツがポーランドを侵攻してから、三年が経過した一九四二年九月のことだった。


 カール・グローガー武装親衛隊大佐が率いるアーネンエルベの調査団が、インドから遥か北東のチベットの山中で、地球外生命体との接触に成功したというものだ。彼らは自らを天からの使者アヌンナキと呼称し、また、の入り口を伝えてきた。


 アーネンエルベに接触してきたアヌンナキの名前はラファエル。彼らは遥か星々を航行する巨大な宇宙母船ヤハウェを拠点としている宇宙の民で、かつて地球上で栄えたカナンの民やシュメール人に対して文明を与えた天使なのだという。


 私は日曜日の礼拝の度に、父に連れられてキリスト教会を訪れていたけれど、実物の天使を見るまで、神様なんて古代の人間が作り出した空想上のものだと思っていた。しかし、天使は実在していた。





 天使と接触したアーネンエルベは、直ちにアガルタの極秘調査と移民のために第一次先遣隊を編制した。


 第一次先遣隊は、概ね制圧したスターリングラードやカスピ海沿岸のバクー周辺の油田地帯を支援する『東方支援旅団』という名目で編成された。その規模は、アーネンエルベ麾下きかの武装親衛隊と国防軍の戦車八十輌を含んだ一個師団の大部隊だった。


 また、『旅団』は軍属だけにとどまらず、アーネンエルベに所属する学者や産業技術者、それからアーネンエルベに所縁のある旧ドイツ帝国時代の貴族や政治家を含めた多数の民間人も、家族を同伴する形で先遣隊に編制された。当時、まだ軍族ではなかった私も父と共に彼らの旅団に加わることになった。


 自らを『死天使』と称するアズラエル。私が初めて見た天使の姿は、大聖堂の壁画に描かれているような白い翼を持つ天使ではなく、異常な程に赤く輝く大きな瞳が特徴だった人間と然程さほど変わらない姿をしていた。


 地底都市アガルタへ向かう私たち第一次先遣隊の数は、軍属と民間人を含めて実に二万五千人に上った。死天使アズラエルの案内で『東方支援旅団』は、昇進したカール・グローガー中将の指揮の下で、ソビエト連邦との激戦区を垣間見ながら、長大編成の列車や航空輸送機を用いてカザフ経由でチベットを目指した。


 女性や子供など多数の民間人が含まれていたのにもかかわらず、その動きは驚くほど迅速で、『旅団』は一ヵ月も経たずにチベットの山中の巨大な洞窟で全て合流を果たした。


 その巨大な洞窟は、大型の航空機でさえ容易に侵入できる広さで、その洞窟の奥に『アガルタの入口』があった。それは、シンクホールと呼ばれる天使たちが作り出した暗紫色の霧に包まれた星と星を結ぶ転移装置だった。


 得体の知れない装置を目の前に、軍属や民衆から不満が出始めた。極秘で動かなければならない理由だって怪しい。その霧の先に何があるかわからないし、本当に地球以外の世界が存在する保障だってない。ましてや、死天使と名乗る怪しい宇宙人が導き手だ。親衛隊の中には、自分たちがしてきたホロコーストのように虐殺されるのではと恐れる者もいた。


 不満と恐怖で混乱し始めた民衆の前に、死天使アズラエルは、地底の洞窟内をシアターとして具現化した未来の映像を映し、『旅団』内の全てのドイツ人に地球の未来を宣告するものだった。その映像が魔術なのか科学技術なのかわからない。ただ、白黒ではなくカラーではっきりと映し出されリアリティが溢れていた。


 洞窟の天井に映し出された映像は、燃えるベルリン。巨大な爆弾で焼ける世界。人類が存在しない氷結した地球……。


 もう間もなくナチスドイツや大日本帝国を始めとする枢軸側が無条件降伏し、やがて大量破壊兵器が乱用され人類は絶滅し、地球は厚い雲に閉ざされて長い眠りにつくという。そして、地球上の人類という『種の滅亡』を防ぐために、私たちがシンクホールを使って惑星アルザルへ向かうという衝撃的な内容だった。


 この時、アズラエルの言葉を信じずに騒いだ者がいた。しかし、その者たちは、アズラエルによって一瞬で跡形もなく消滅させられてしまった。呪法か何かを使ったのだと思うけど、死天使の力は本物だった。


 人類が天使に逆らうことはできない。


 アズラエルの行動は、そのことを人々の脳裏に焼き付けるのに十分なパフォーマンスとなった。それ以降『旅団』から不平の声があがることなく、全ての者がシンクホールを使って惑星アルザルへ向かうことになった。


 世界が未曾有の戦争状態にあったこのタイミングで、天使たちが枢軸側のナチスドイツの前に現れた理由はわからない。しかし、このアガルタの発見は、二分された世界を一つにできるかもしれない発見だったにもかかわらず、諸外国は元より国内のヒトラー総統を始めとするナチ党幹部にも公表されることがなかったという。


 天使たちの目的の真相を知るのは、アーネンエルベでも僅かな幹部のみで、それなりの役職にいた父ですらわからないという。私たちは結果的に天使たちに救われたのか、何かの目的で利用されているだけなのか。未だにそれもわからない状態だ。


 ただ、一つ言える事実は、毎日が戦争状態だった地球の暮らしより、惑星アルザルの暮らしの方が生活が充実していたということだ。


 そう、あの日彼らがアルザルに現れるまでは……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る