第23話 一人の夜は長く感じる
アスリンの歓迎ライブをした後、私たちは昨晩のようにハルが魔法で作りだした照明で辺りを照らしながら二日目の野営に就いた。
ハルはいつものように鍋に水を張り、電撃の魔法でお湯を沸かして缶詰を温める。今回はそれに加えてジャガイモを蒸かし岩塩で味付けをした。もうすっかりハルが炊事担当になっている。
私たちはライブの時に使った丘の上の平たい一枚岩に腰掛けて、暖めた缶詰と蒸かしたジャガイモを頂いた。
「最初はもうダメかと思ったけれど、素敵な出会いができて素敵な歌も聴けた。結果的に最高の一日だったなぁ」
「そう言ってくれると嬉しいかも」
ライブのリスナーはアスリン一人だったけれど、私たちの音楽を満喫してもらえたようで私も嬉しい。昨日演奏したアメイジング・グレイスは、私たちが殺めたヴァイマル帝国の軍人たちへの追悼だった。だから、今日は本格的なライブができたので久々に充実した気持ちになれた。
「限られているのに、食べ物まで分けてもらって本当にありがとう」
「それはお互い様だよ、アスリン。それよりさ、あの気持ち悪いトロルって……本当にエルフを食べたりするの?」
ユッキーが恐るおそるアスリンに質問する。
「そういう場面を直接見たことはないけれど本当のこと。食べる前に儀式みたいなことするようだけれど……。トロルは私たちエルフ族の天敵なの。あー、考えるだけでもゾッとする……」
「気持ち悪いだけじゃなく恐ろしい奴らだな。まだ近くにいたりするのか?」
ハルもトロルのことを心配しているようだ。アスリンは今朝のことを思い出したのか目元に涙を浮かべている。
「このキルシュティ半島はトロルの生息地みたいだからまだいると思う。一応、精霊術で結界を敷いてあるから近づいてきたらすぐにわかるわ」
「それなら安心だ。もしまた襲ってくるようなら、その時は俺たちに任せてくれよ」
「えぇ、ありがとう。頼りにしてます」
アスリンは私たちの素性を理解してから、もう私のことを見ても怯えたり驚くような素振りは見せなくなった。ヴリトラから聞いてはいたけど、私はドラゴニュートがここまで忌み嫌われていると思わなかった。ただ、そんな私が彼女が暮らす街へ入っても大丈夫なのか、それが気懸りだ。
アスリンはこんなトロルが生息しているような危険なところにどうして一人で来たのだろう。私は感じた疑問を直接彼女に尋てみる。
「ねぇ、アスリン。アスリンは公王様の任務をいつも一人でやっているの?」
「任務の内容にもよるけれど、今回は単独遂行だったの。公王陛下だって鋼鉄竜が生物だと思っていたくらいだし、私一人なら、風の精霊術でいつでも身を隠すことができる。だから今回の調査は特に身軽な方がいいだろうって。かなり心細かったけどね」
「なるほど。それでもこんな場所で一人は辛いな……。普段は一緒に行動する特定の仲間がいる感じなの?」
ユッキーも普段の彼女の行動が気になっているようだ。
「ううん、今は特定の仲間って言う人はいないわ。公王陛下直属の従士は、私以外にもう一人いるけれど、彼は陛下の護衛や政治的助言が中心。私の担当は主に諜報活動だから、複数で行動するとしても基本的に少人数なの。必要に応じて城の衛兵が護衛についてくれる感じ。従士になる以前の傭兵稼業をしていた頃は、特定の仲間と行動していた時期もあったけれどね」
「結構大変な仕事なのね。傭兵稼業時代の仲間だった人たちは、今は別に行動している感じなの?」
私は彼女のかつての仲間が今は何をしているのか気になった。
「ギルは引退してから奇麗な奥さんをもらってアリゼオ王国の王都で武器商人になったし、ナターシャとバルザも夫婦になってから傭兵稼業を引退してレンスターで宿を経営しているわ。バルザは三年前に流行った風土病で亡くなってしまったけれど、息子のミハエルがナターシャを支えて宿を継いでくれたから安心よ。私の今の住まいはそのナターシャの宿なの」
「みんな引退している感じなんだ? それにしてもアスリンはちゃんと働いてるんだもんなぁ。偉いって思うよ、ボクは」
「あら、ユッキー。私のこと子供扱いしているでしょう?エルフの年齢は見た目で判断したらダメよ。こう見えて傭兵稼業時代から、かれこれ四十年以上このような仕事をしているわ」
「マジでっ?!」
「マジよ」
少し得意気に話すアスリンにハルもユッキーも驚いている。私だってびっくりだ。私より少し背が高いけれど、彼女の容姿は中学生くらいの顔立ちなので、年齢的に私とそれほど差がないと思っていた。彼女はいったい何歳なのだろう。
「ボクらの住んでいた地球ではエルフって架空の存在でしかなかったけれど……。長生きっていう設定は本当だったんだ?」
「純血のエルフ族は加齢による体の衰えがないから基本的に長命だけれど、不死ではないの。病気や怪我が原因で、私の知っている同族も随分亡くなっているわ。あ、そうだ。お互い気を遣ってしまうから敬語なんて使わないでね」
「不老ではあるけど不死ではない……。なるほど。他にエルフのような肉体的な寿命がない種族っていたりするのかな?」
ハルは不老では無い種族に興味があるのかアスリンに尋ねる。
「アヌンナキのような天使たちや竜族、それと竜の血を受け継ぐドラゴニュートね」
「ドラゴニュートも……なのか?」
ハルは私を見つめながら小声で呟く。
「うん。だから不老の肉体を求めてドラゴニュートになりたがる人間やドワーフが後を絶たないのだと思う」
これほどドラゴニュートが忌み嫌われているのに、ドラゴニュートになろうとする人が後を絶たない理由がわかった気がする。全然実感が湧かないけれど、私には加齢による衰えがなくなったということなのだろうか。
「ねぇ、アスリン。私はもう歳を取らないって言うこと?」
「伝説の竜帝シグルドはずっと青年のままだったと言うし、たぶんそうなるのかな。意思のあるドラゴニュートを知らないから断定はできないけれど……」
「凄いじゃないか、彩葉!」
「そうかな……? よくわからないけれど、いつか一人になっちゃうって思うと寂しいよ……」
ユッキーは羨ましそうに私に言うけれど、私だけ時間が止まったかのように周りから取り残され、いつか一人になってしまうと思うと寂しく辛い。また胸の奥に湧いてくるこの高揚感は、本来の私だったら怖いと思っている証拠だ。
「でもさ、彩葉。ヴァルハラへ行って神竜王に会えば、ドラゴニュートから人間に戻れる可能性だってあるかもしれないんだろう?」
ヴリトラと話をした時に、私は人ではなくドラゴニュートだ。地球に戻ると生きていけないと言われた。人間にもう戻れないとは言われていないけれど、直観的にもう人間に戻ることはできないような気がする。それでも、ハルが諦めていないのであれば、私が先に諦めるわけにはいかない。
「そうね。まだ戻れる可能性だってあるかもしれないものね」
「イロハ……」
アスリンは私を心配そうに見つめている。人間社会で生活している彼女は、加齢による衰えがないことで
「辛くなるような話をしちゃってごめんね、アスリン。そうだ、アスリン。この世界は天使や竜と共存していることはわかったけれど、他にも神様みたいな存在っているの?」
少し雰囲気が重くなってきたように感じたので私は話題を変えた。
「えぇと、目撃例が殆どないから本当に存在するのか架空の存在なのか不明だけれど……。トロルなどの妖魔族や一部の人間が崇めているレプティリアンという悪魔と呼ばれている存在くらいかな。悪魔は天使と同じように宇宙の民らしいけれど、
「ううん、気にしないで、アスリン。やっぱり悪魔みたいなのが……、存在するんだ……」
「悪魔は天使と敵対する宇宙の民……。何となく天使と悪魔が伝承で戦っている理由がわかる気がするな」
私だけでなくハルも納得したように呟く。
「アスリンの説明から想像すると、天使と違って悪魔ってエイリアンみたいな存在なのかな……」
ユッキーが嫌なことを言うけれど、気持ちが悪い異形の宇宙人を想像すると、もうエイリアンしか想像できなくなった。
「ジュダ教ではレプティリアンだけじゃなく、天使の社会に背いて追放されたアヌンナキのことを、堕ちた天使として悪魔扱いするそうよ」
「堕天使……。彼らの社会もきっと複雑なんだろうね。でも、天使に会えるなら会ってみたいな。凄い美人がいたりするかもしれないじゃん? あ、でも人型限定ね。怪物みたいなのはちょっと御免だな……」
もはやオカルト好きなユッキーは、完全に楽しんでいるようにしか思えない。
「それと、ジュダ教は天使以外の宇宙の民の存在を邪悪なるものと教えているようだから……。みんなの素性は絶対に信頼できる人以外に明かさない方がいいわ」
天使以外は邪悪な存在だと言うことがジュダ教の常識なら、私たちの素性が広まれば命を狙われてしまうかもしれない。きっとアスリンはそのことを注告してくれたのだろう。
「それは怖いな……。肝に銘じておくよ、アスリン。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして、ユッキー。レンスターまで行けばもっと有力な情報も入るだろうし、みんなの衣類や生活用品も買い揃えられる。それに屋根の下で疲れを取ることもできるわ。みんなは私の命の恩人。しっかりお礼をさせてもらうからね」
「ありがとう。助かるよ、アスリン。好意に甘えさせて貰うよ」
ハルは私たちを代表してアスリンに礼を述べる。
「ううん、お礼をするのは本当に私の方。ナターシャの西風亭は美味しい料理とワインを出してくれるから楽しみにしててね」
「ワインって私たちまだ未成年だし……」
アルコールに躊躇した私がアスリンにそう言うと彼女は不思議そうな顔をした。
「テルースは誰でもお酒を飲めないの?」
「ボクたちの国では二十歳になる前に酒を飲んだら罰せられるんだよ」
「何それ? レンスターは美味しい葡萄酒で有名な街で、お勧めのブランドも多いから絶対に飲んでみて。大丈夫、レンスターでは子供だってワインを飲むのは当たり前だし罰せられることはないから。何事も挑戦しないとね!」
アスリンは無邪気に微笑みながら私たちに言う。郷に入れば郷に従えという言葉もあるし、風土の文化に慣れてゆくことも必要なのかもしれない。いずれにしても彼女の案内があるのは本当に心強い。感謝してもしきれないほどだ。
「とりあえずレンスターまで数日かかるだろうし、明日こそ早朝から出発したいから今日はもう休もうか」
「そうだな。休める時にしっかり休まないと、だね」
ハルの意見にユッキーが頷く。アスリンも頷いて二人の意見に賛成している。
「彩葉は寝ずに見張りをしたんだから、今日こそちゃんと休んでくれよ。俺と幸村が交代でしっかりと見張るから」
「大丈夫よ、ハル。運転で疲れているだろうし、むしろハルの方こそ休んで。何だか今日も……全く眠気が無いのよ……。よくわからないけれど、ドラゴニュートってあまり眠る必要がないのかも」
「それはそれで心配だけど……。彩葉、ハルみたいな無理はしないでくれよ?」
「ユッキー、ありがとう。本当に大丈夫。夜目も利くし聴覚も良くなってるから、私は見張りに最適なはずよ。眠くなったらちゃんと言うし」
「私の風の精霊術で見張りは務まるからイロハもしっかり休んだ方がいいよ?」
アスリンは心配そうに私を見つめるけれど、私は変態二人と一緒に二号で眠ろうとしているアスリンの方が心配だ。
「うん、私のことは大丈夫。それよりこの二人は変態だから。アスリン、何かあったら大声出すのよ?!」
「ちょ……、何もするわけないだろう……何だか信用ないな」
「当たり前じゃない! 昨夜のこと忘れたの?!」
「幸村の変態は否定しないけれど、俺のは事故だって言ってるじゃないか……」
この期に及んでまだ否定するか……。本当にハルは昔から頑固だ。
「大丈夫よ、イロハ。私の結界の精霊術で二人は私に近づけないようにしておくわ」
また今朝のことを言い返されないか一瞬不安になったけれど、アスリンがうまく流してくれた。
「それができるなら安心ね」
車の中なら毒虫やゲテモノなどに睡眠を妨害されることもないだろうし、外で眠るよりはいいのかもしれない。
「ちぇ、信用ないな……」
「ユッキーは特に信用ゼロ!さぁさぁ、三人とも二号へ戻ってゆっくり休んで」
もちろんユッキーはハル以上に信用できないので私は念を押しておく。
「でも彩葉、本当に少しでも眠くなったらいつでも交代するからな」
「うん、ありがとう。その時はそうするね」
私はハルの気遣いに素直に礼を述べた。
「礼を言わなきゃならないのはボクたちの方だ。好意に甘えさせてもらうよ、彩葉。それよりさ、寂しくなったらいつでもボクを呼んでね」
優しそうな口調で言うけど、両手で何かを揉むような卑猥なことを連想させるユッキーの手つきが腹立たしい。
「間に合ってます! 本当に気遣いなしで!」
私がシッシッと振り払う仕草をすると、ユッキーは項垂れて二号へと向かい始める。
「ありがとう、イロハ。無理はしないでね。おやすみなさい」
「おやすみなさい、アスリン」
三人は二号へと向かって畳んである幌を張ってから車内へと入っていった。車両のドアを閉める際に、アスリンは私に大きく手を振ってくれたので、私も彼女に手を振り返す。
ドラゴニュートはもしかしたら本当に眠る必要がないのかもしれない。それでも、学園祭の時の夢を見たり、夢の中でヴリトラと会話をしたのだから、全く眠らないことはないのだと思う。まだまだ自分の体のことなのにわからないことが多すぎて不安だ。
私はライブの時に使った丘の上の大きな一枚岩に腰掛けた。
足元の草むらからはコオロギに似た虫の鳴き声が聞こえてきて、日本の秋を思わせるような風情だ。今夜は昨晩と違って少し風が冷たく、剣道着だけでは少し肌寒い感じがする。残念なことに水浴びをする場所はないし、水も限りがあるので今夜は体を拭くのも我慢だ。
昨晩に引き続いて見張りを買って出たけれど、やっぱり一人の夜は長く感じる。
私は両手を一枚岩について空を見上げた。そこには満天の星たちが輝いている。
生まれ故郷の安曇野から眺める星空も奇麗だけれど、街の明かりが全くないアルザルの星空は、それ以上に幻想的で美しかった。
私は昔に思いを馳せながら空に瞬く満天の星たちを眺め続けていた。
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