第22話 竜の歌姫

 このキルシュティ半島は、半島の入り口にそびえるキルシュティ山という活火山の影響で、有毒ガスと痩せた土地で農作物が育たないため、比較的大きな半島の割に全く開拓がされず集落も存在しないらしい。そのため周辺のどの主要都市からも、この半島を目指した街道が存在せず、馬車などの車両を使った移動ができない地域だという。


 このキューベルワーゲン二号が軍用車両であるため、何とか荒野を走ることができるといっても、湿地帯への侵入や河岸段丘の崖を登ったりすることはできない。そのため、しばらく進んではUターンの繰り返しで、俺たちは何度も迂回を繰り返しながらレンスターを目指して西へと進んでいる。実質的な速度は、時速にして十キロメートル出ているかどうかだろう。煩わしさはあるけれど、それでも燃料が続く限り、歩くより何倍も速く進むことができていると思う。


「ねぇ、ハル? 今この車を停めることってできる?」


 助手席に乗っているアスリンが突然俺に訊いてきた。彼女はもう自動車のことを鋼鉄竜と呼ばなくなっていた。文明の産物である自動車の存在を知るまでは、ヴァイマル帝国が竜の亜種を飼い慣らして乗っていると思っていたらしい。


「ん? 別に停めようと思えばいつでも停められるけど?」


「じゃ、ここで停めてもらってもいいかな?」


「あ、あぁ。平らな所で停めたいから少しだけ待ってくれ」


 理由はわからないけれど、二号を停止するようにアスリンに言われた俺は、彼女に返事をしながら平らな場所を探す。


「アスリン、どうしたの? 大丈夫? 車酔いとか?」


「ごめん、アスリン。スケベなハルが変なことをしたならボクも謝るぞ」


 後部座席の彩葉と見張りをしながら銃座に取り付けた機関銃を構えている幸村が、心配そうにアスリンに尋ねる。


「俺は何もしてねぇよ、幸村! そもそもお前にだけはそんなこと言われたくねぇぞ?!」


 少しカチンと来た俺は、幸村の発言に反論しながら比較的平らな場所に二号を停める。健全な男子たるものスケベであることは当たり前だとしても、さすがに幸村と一緒にされては困るってもんだ。


「ううん、そう言うことじゃないの。さっきからおかしいなと思って様子見ていたのだけれど、ハル……あなた、怪我してるでしょう?」


 アスリンは怒ったような顔で俺をじっと見つめる。怒った顔の彼女も凄く可愛らしい。悪路を進んでいるとどうしても肩の傷が痛んだ。あまり顔に出していたつもりはなかったのだけれど、車の揺れで痛む左肩を庇っていた俺の行動を不自然に思い、彼女は俺の怪我に気付いたのかもしれない。


「あ……あぁ、これは昨日のかすり傷だし……大した事ないって。アスリンの車酔いじゃなくて良かったよ」


 助手席に座っているアイドルのようなエルフの少女が、下から覗き込むように真剣な眼差しで見つめてくるので、俺は恥ずかしさで思わず顔を背けた。


「大したことないとか! ちょっとハル、その傷を見せて」


 アスリンは運転席に座る俺のシャツの左袖を有無を言わさず捲りあげ、止血帯を解いて傷口を確認する。キューベルワーゲンの運転席は左側なので、俺の左肩の傷口を確認するアスリンは、立ち位置的に俺の上に上半身を乗り出す形になる。先ほどと逆に、今度は俺が下から彼女を覗き込むような状況だ。彼女の動きに合わせて揺れるワンピースの胸元の隙間から、彼女の胸の谷間が視界に入って来る。


 ちょっと、アスリン……。この体勢はヤバイだろ。


 俺は目のやり場に困ったため、再びアスリンの顔を見る。けれど、真剣な顔つきの可愛らしい彼女の顔を直視するのが余りにも照れ臭くて結局すぐに視線を下げる。


 不可抗力とは言えこれはまずいアングルだ。


 俺は更に視線を横に逸らすことで、この状況から免れることができたと思った。しかし、今度はその視線の先で不機嫌そうな顔つきの彩葉が、俺を軽蔑するような目で見つめてくる。


 違う! これは事故だ……。少し役得感あるけど……。


「ほら、傷が膿み始めてるじゃない。ちゃんと手当てしないと治るまでに時間かかるし、感染症も心配よ? 私が癒しの精霊術を使うから絶対に動かないでね」


 アスリンは俺の傷口付近に右手を当ててブツブツと呪文のような物を唱え始める。呪文を唱える彼女の長い髪が俺の頬に当たってくすぐったい。サラサラの彼女の髪からはとてもいい香りがする。アルザルにも香りのいい香水があるみたいだ。


 しばらく経つと、俺の左肩から痛みが消えてゆくのがはっきりとわかった。アスリンの右手が微かに緑色に光っているのが見えるけど、これが風の精霊なのだろうか。


「これでよし、と」


 俺の傷の手当てが終わるとアスリンは助手席へと戻る。


「アスリン、ありがとう。すっかり左肩が楽になったよ。動かしても全く痛くない。本当にすごいな、癒しの精霊術って」


「どういたしまして。傷のある怪我は放っておいたら感染症になることもあるし、我慢せずに絶対に知らせてね。ハルだけじゃなくてイロハとユッキーもだよ」


「うん、わかった。遠慮しないで言うようにするね」


「もちろんだよ。もう痛みはないけれど、昨日銃口触ってヤケドした指先も治せたりする?」


 幸村の期待に満ち溢れている顔を見れば、単にアスリンから魔法を掛けてもらいたいだけなのがバレバレだ。


「痛みがないようなら無理ね」


「そ、即答……」


 容赦のないアスリンの返しに幸村の欲望は見事に粉砕された。彼女は早くもこの男の扱いに慣れてきたようだ。


「アスリン、ユッキーの見かけに騙されたらダメ。が着くレベルの変態だから本気で気をつけて。今の調子であしらっていいからね」


 やたらと『ド』を強調して彩葉が言う。


「わかった。気をつける」


 彩葉の助言に対してアスリンも悪戯っぽく幸村を見ながら笑って同意する。


「そ、そんなぁ……」


「な・に・か?!」


「すみません、何でもありません!」


 昨夜のこともあってか彩葉の目と口調はかなり冷たい。怖気付いた幸村は即座に彼女に謝る。


「たしかに安易に考えていたけれど、感染症は怖いな。かすり傷だからと舐めてかからない方がいいよな。アスリン、心配かけてごめん」


「ううん、ハル。私こそごめんなさい。もっと早くに気づけば良かった。昔ね、大切な仲間が大したことないような傷口から発症した感染症が原因で、亡くなってしまったことがあったの。もうその時みたいな思いをしたくないから……」


 俺は感染症の存在を忘れていた。俺たちにとってここは未知の世界だし、まだ知らない病原菌や地球では死滅したはずのウィルスだっているかもしれない。


「辛いこと思い出させてしまってごめんね」


 彩葉もアスリンに謝る。


「ボクからもお礼を言わせてくれ、アスリン。本気で心配してくれてありがとな。ハルはすぐ無理をするから、アスリンもそういう時は遠慮無く叱ってくれよ」


「おいおい、幸村。俺はそこまで無理しているつもりはないぜ?」


 俺自身にそういうつもりはないのだけれど、周りからはそう見えてしまうのだろうか。


「ええ、その時はそうさせてもらうわ」


 アスリンは笑顔で幸村に答える。彼女の笑顔は、それを見た者を虜にする魔法的な力さえ感じる。彩葉の前で言うと面倒臭いことになりそうだから、このことは心の中に留めておこうと思う。


 怪我の治療を終えた俺たちは、再び二号を走らせて西へと進み始めた。


 俺たちは二号に乗りながら、アスリンからこの世界の常識的な日付や時間の仕組みなどについて教えてもらうことができた。





 アスリンの話を聞く限りでは、人間社会におけるアルザルの武器や産業技術などの科学的な文明のレベルは、産業革命以前の中世くらいだと思う。大型帆船の羅針盤や活版印刷機、黒色火薬などといった発明品はまだ存在していないらしい。交通手段は、徒歩が基本で、馬や駝鳥が牽引する馬車や鳥車が存在しているという。


 一方、科学技術の代わりに錬金術と呼ばれる魔法技術が発達しており、錬金術で精製されたオーブと呼ばれる使い捨ての道具が安価で流通しているそうだ。オーブを使用することで、清潔な飲料水の確保や火を起こしたり明かりを灯すなど、人々の生活水準は中世後期から一部は近代文明に匹敵するという感じだ。しかし、高度な現代文明社会で当たり前のように育った俺たちにとって、いずれにしても過酷な生活条件となることは間違いない。


 驚いたことに、時間の概念はアルザルでも六十進法が使われており、地球とほぼ同じだった。一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒。一ヶ月は三十日としっかりと区切られており、十二カ月で一年になるのだという。ただ、少し異なるのが暦の上で、週や曜日と言うものはないらしい。


 また、一年がリセットされる正月に十日程度の閏日が、各地のジュダ教の教会から各国の行政機関へ伝えられ、祭日として取扱われるようだ。一年の日数を合計すると、おおよそ三百七十日程度となり地球とあまり差がなかった。


 正月の祭日は、恒星をめぐる公転周期の調整なのだと思う。ジュダ教が天体観測などしている様子はないそうなので、きっとアヌンナキが指示をしているのだろう。アヌンナキは、地球で暮らす俺たちより高度な科学文明と魔法を有しているのにもかかわらず、人類に対して必要以上に技術を提供したりしないらしい。どうやらアヌンナキこと天使たちは、人間社会への直接的な干渉を行っていないけれど、世界の秩序を監視してコントロールしているようだ。


 かつて地球で栄えた古代文明の時代から使われている暦や時間の概念がアルザルでも同じなのは、人々が天使と崇めているアヌンナキが、双方の星の文明に携わっているからなのかもしれない。





 陽はすっかり傾いて夕方になり、間もなく第二の太陽ウルグが西にそびえる高い山の尾根に沈もうとしている。アスリンが言っていたキルシュティ山という活動火山だ。彼女の話では、あの山を超えればレンスターまでそう遠くないと言う。


 小高い丘に二号を停めて辺りを眺めると、キルシュティ山の周りには丈の低い樹木の森が広がっている。その森を直接キューベルワーゲンで進むのは難しそうだ。俺たちに与えられた選択肢は、ヴァイマル帝国が上陸してきたと思われる海岸線まで迂回してから西へ進むか、この先は徒歩で森を突き進むという具合になりそうだ。


 どの道、夜間に道のない荒野を進むということは無謀なので、俺はアルザルへ来て二日目の夜をこの丘で過ごすことを提案する。


「今夜はここでキャンプをしよう。そしてアスリンに約束した通り、歓迎ライブを始めないか?」


「了解、この時を待っていたぜ! 早速トランク開けて楽器を用意しようぜ、ハル」


「あぁ」


 俺はテンションが上がっている幸村と一緒にトランクを開けて楽器の準備を始める。


「あそこに大きな一枚岩があるからあの辺りでどうかな?」


 彩葉が丘の頂上にある一枚岩を指差して言う。


「了解。あそこで演奏しよう」


 丁度腰掛けたりするのに良さそうな感じだったので俺と幸村は彼女に賛成する。


「ハルとユッキーは変わった楽器持っているのね」


 俺たちが用意している楽器を覗き込むように見ているアスリンから、楽器について質問される。


「あぁ、これはギターという弦を弾いて音を出す楽器なんだ。俺が愛用していたものはこの世界に持って来れなかったけれど、たまたまヴァイマル帝国の兵士が持っていてさ。この車に積んであったのを頂いたんだ」


「リュートに似ているけれど。ギターって言うのね。どんな音か楽しみだな」


 アスリンの答えから、ギターに似ているリュートと言う弦楽器はこの世界にも存在するようだ。


「アスリン、ボクの楽器はバイオリンっていうんだ。小さなギターみたいだけれど弦を弾くのではなくて、こうして弓を使って弦を擦ると音が出るんだよ」


 幸村は説明しながら昨年の学生コンクールで演奏したと言っていたブラームスの『バイオリン協奏曲』の序盤の一小節を奏でる。


 いつものおちゃらけた幸村が弾いているとは思えないくらいに澄んだ美しい音色が夕焼けに染まる荒野に響き渡る。


「わぁー! ユッキー、何その音色?!」


 アスリンは聞いたことのないバイオリンの音色に感動したようで、両手を合わせて目を輝かせて幸村を見つめている。


「ね、いい音色でしょ? アスリン、ボクのこと見直してくれた?」


「うんうん、本気で見直した! ユッキー凄い! もっと聴かせて欲しいな」


「続きはボクたち三人で君に届けるよ」


「楽譜がないから暗譜してある慣れた曲で頼むぜ。最初は幸村の選曲で、その次は彩葉の選曲で行こう。この世界で演奏しても通用するかどうか確かめながらやってみよう」


「了解だ。ボクも望月楽器で買った白紙の五線紙を使って忘れないうちに譜面作らないとだなぁ」


「暗譜だと限られちゃうし、学園祭で演奏したものからかなぁ?」


 そんな俺たちのやり取りをアスリンは楽しそうな表情で見つめている。リスナーはたった一人だけれど、俺たちは久しぶりのライブに胸が踊る。俺のギターは趣味の延長だとしても、彩葉の歌声は歌手顔負けだし、幸村のバイオリンの腕はプロレベルだ。とにかく最高のライブをアスリンにプレゼントしたい。


「それじゃ行くよ。準備はいいかな?」


「あぁ、バッチリだぜ」


「いつでもどうぞ」


 俺と彩葉は幸村に合図をする。幸村は俺たちを確認すると、ドヴォルザークの『新世界より』第二楽章を奏で始める。これは俺たちが初めて学園祭でライブをした時にエンディングで使った曲だ。


『遠き山には日は落ちて』


 鮮やかな夕焼けに染まるキルシュティ山に沈む夕陽を前に、幸村らしい雰囲気からリスナーを包み込もうとする選曲だ。


「ユッキーらしい選曲だね」


 風に揺れる黒髪を右手で押さえながら、彩葉は俺に笑顔で語りかける。目の色が真紅になっても、尖った角が生えたとしても彩葉は彩葉のままだ。時々見せる彼女の色っぽい仕草に、俺は相変わらずドキッとさせられる。


「あぁ、本当だな」


 俺も幸村の伴奏に合わせてギターを奏でながら彩葉に答える。


 そして彩葉の優しく澄んだ歌声が、バイオリンとギターの音色に混ざりオレンジ色の夕陽に染まる荒野に響き始める。アスリンは目を閉じて俺たちの演奏を聴き入ってくれている。


 やがて曲が終わるとアスリンは立ち上がって拍手してくれた。


「みんな凄いよ! 予想以上よ、本当に!」


 アスリンは目を輝かせながら心から感動してくれているのがわかる。俺たちは顔を見合わせると、思わず笑みがこぼれる。


「じゃあ、次は続けて二曲いいかな? 歌詞は私たちの母国語じゃなくて、英語という私たちの世界の共通語なのでアスリンに直接わからないかもしれないけれど……、アスリンに初めて語りかけた時みたいに、竜の力を使って念じて伝わるように歌ってみるね」


 彩葉が提案したのは念話のことだろうか。意外と面白いかもしれない。


「竜の念話を歌に乗せて届ける……か。竜の歌姫なんていうのもちょっと洒落てるね」


「でしょう、ユッキー? 試してみてもいいよね、ハル?」


「もちろん。やってみようぜ!」


 アスリンも頷いている。彼女は本気で楽しそうだ。彩葉も心から楽しんでいるように見える。つい昨日、あんな事件があったばかりなのに、前向きな彼女の笑顔を見ると俺の不安な気持ちも解消された。


「グリーンスリーブス、スカボローフェアーの順で。それじゃ、スタート!」


 ライブのようなノリで彩葉が俺と幸村に合図を送る。イングランド地方の古典的民謡がアスリンにどう届くだろうか。俺もかなり興味がある。


 曲が始まると、少し切なくもある三拍子のメロディと透き通る彩葉の歌声に感極まってしまったのかわからないけど、アスリンは目を潤ませて聴き入ってくれた。どうやら彩葉は集中して意思を伝えようと歌うことで、念話の時のように言葉の意味を伝えることができそうだった。


 その後も過去のライブで演奏した曲を、合わせて十曲ほど演奏した。俺たちの演奏が終わった時、陽が完全に沈んで空に星が輝き始めていた。アルザルの澄んだ空に輝く星はとても美しく奇麗だった。当然、知っている星座なんてない。


 アスリンが喜んでくれたのだから、この世界で俺たちの音楽は受け入れられると思う。ある程度生活の基盤が確保できたら、彩葉が言っていたように音楽で稼ぎながら旅を続け、地球へ帰る道を探すという方法がいいのかもしれない。


 とにかく、今日のライブはたった一人のリスナーだったけれど、また三人揃ってライブができたことが俺は本当に嬉しかった。

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