第24話 満天の星の下で

 昨晩は時差の影響や疲れがピークだったためか、硬い二号の座席でもぐっすりと眠れた。ところが、今日は眠気はあるのになかなか寝付けずにいた。幸村も俺と同じくなかなか寝付けなかったようだったけど、今は静かに寝息を立てて眠っている。後部座席で丸くなってケープを毛布代わりにして眠るアスリンは、少しうなされ気味だ。可哀想に今朝のトロルの襲撃が余程怖かったのだろう。


 外の明るさは、東の空に昇ってきた大きな天体のおかげで、地球の満月の時以上に明るい。その星は衛星なのか惑星なのかわからないけれど、自ら光を発する恒星ではない。水と大気が存在している星のようで、宇宙から見た地球のように、青白く輝いてとても幻想的だ。


 考えごとをしたり綺麗な星空を見ていると、ますます目が冴えて眠れなくなる。


 車窓越しに夕方ライブコンサートをした丘の方を見ると、丘の上の一枚岩に腰掛けて空を見上げている彩葉の姿を見つけた。彼女はドラゴニュートになってから眠気が全くないと言って、率先して見張りをしてくれている。昨晩も一睡もしていないようだし、俺としては本気で心配だ。それに一晩中たった一人で何をするわけでもなく、見張りをしながら朝を待つというのはかなり苦痛だと思う。


 どうせすぐに寝付けなそうだったので、俺は彼女の元へ行ってみることにした。眠っているアスリンと幸村を起こさないようにそっとドアを開けると、夜の風は予想以上に涼しく感じたので、掛けていた毛布を持つことにした。ドアを閉める際も二人が起きてしまわないように配慮をしてゆっくりと閉める。二号の外に出た俺は、窓越しにしばらく車内の様子を伺う。ドアの音で二人が起きることはなかった。


 足元の草むらからは、鈴虫やコオロギに似た虫の音色が聞こえてくる。もし、この地方に四季があるとしたら、気候的に季節は秋が近いのかも知れない。星空を眺めている彩葉は、俺が二号から外に出たことに気づいたようだ。一旦こちらに振り向いた彼女は、彼女が着る剣道着の袖で目元を拭った。泣いていたのだろうか。心配になった俺は彩葉の元へ早足で向かった。


「あ、ハル。起きてたんだ?」


「彩葉……泣いてたのか? 大丈夫か? どこか具合が悪かったら無理せず言えよ?」


 夕食を済ませてからまだあまり時間が経過していなかったけれど、随分気温が下がっている気がする。丘の上を吹き抜ける夜風は、涼しいと言うより少し肌寒い。少し身をかがめて丸くなっている彩葉を見て、俺は持ってきた毛布をそっと彼女に掛けて隣りに腰を下ろす。


「ありがとう、ハル。別にね、何があったわけじゃないの。昔ね、父さんに連れて行ってもらった天文台のこと思い出していたら……。父さん元気かなって……。父さん、心配性だしさ……」


 堪えていたけれど、また彩葉は泣き出してしまった。別れすら言えず、突然たった一人の肉親と離ればなれになってしまったのだから当然のことだ。俺だって両親に何も言えずにアルザルへ来てしまったことがとても辛い。俺だけじゃなく、彩葉や幸村の失踪事件に俺が関わっていると思うと居た堪れない気持ちになる。


「そうだよな……。かっちゃん、いつも彩葉の心配ばかりしてたもんな。俺もそうだよ。父さんと母さんも、きっと俺たちのこと心配してるだろうって思うと胸がすごく痛くてさ」


 かっちゃんこと勝彦さんは彩葉の父親だ。彩葉が二歳の時に妻を亡くし、男手一つで娘の彩葉を育ててきたのだ。普通の父親よりも心配性になってしまうのは当然だと思う。割とドジなところがある彩葉をしっかり見守るように、かっちゃんによくお願いされたことを思い出す。


「こんな気持ち、私だけじゃないよね。ごめんね……」


「彩葉が謝ることじゃないさ。みんな同じだよ。俺の父さんと母さんなんて、たぶん俺のことより彩葉のこと心配してると思うぜ? いつものことだからわかると思うけど、うちの話題の中心は彩葉なんだから」


「たしかに。いつもマスターとママはハルじゃなくて私の心配ばかりしてくれてるよね。なんだか本当の両親みたい」


 思い当たる節があったようで涙を拭う彩葉から笑みがこぼれた。


「やっと笑ったな。良かった」


「心配掛けちゃったね……。ハルも寒いでしょう? 一緒に掛けよう?」


 肩に羽織った毛布を右手で持ち上げながら彩葉は俺に言う。


「あ、あぁ。それじゃ、遠慮なく」


「うん、毛布ありがとう。昨日と違って少しだけ寒いね」


 少し照れくさかったけれど、俺は一枚の毛布を二人で肩から羽織るように掛けて彩葉の側に寄る。彼女も少し照れくさそうに微笑んでいる。こんな風に隣に座って身を寄せて彼女と話をするのは何年振りだろう。昨日彩葉が目覚めたときや戦いの後に思わず抱きしめてしまったけれど、その時と違ってありえないほどドキドキする。


「俺たちさ、本当に昔から家族みたいだったもんな。小学校の頃なんてタケシやヤスタカたちから変な誤解されてたくらいにさ。あいつらも俺たちをからかっていただけだと思うけど、付き合ってるとか同棲してるとか言われたりして……。あの頃から彩葉に辛い思いさせちゃったよな」


 昔のことを思い出しているうちに気が晴れたのか、彩葉の表情はいつもの元気な笑顔に戻っている。


「ほんと、ああいう男子ってホントにガキだよねぇ……。夕食はハルの家で食べることがほとんどで、家には寝に帰るくらいだったから変な誤解されても仕方がないのかも知れない。でも、誰にもその話はしていないし見られていたわけじゃないと思うから、どうせハルに気があったヒトミが私を陥れようと、他の男子たちに有ることないこと言い回ってたのよ」


「なんだよ、それ……」


「女子って小学生でも陰険な子は陰険なのよ? 特にあの子は陰険で有名だった。私は筆箱や上履きを隠されたこともあったし。まぁ、私は何されてもいつも軽く流してたけどね」


 大人っぽく振舞うように言う彩葉だったけど、俺は彼女が言ったことと正反対の事実を見たことがあったのでちょっとからかってみる。


「ほぉ……。『いつも軽く流す』、ねぇ……」


「な、なによ?」


 予想通り、眉をひそめて怪訝けげんそうな顔つきで聞き返してきた。


「彩葉が道場の稽古帰りにタケシたちとバッタリ遭遇して口論になった時さ、持っていた竹刀振り回してタケシたち追いかけ回してなかったか?」


「はぁーっ?! な、何でそんなこと知ってるのよっ?」


 こういう時に否定したり誤魔化したりせず逆上するところが彩葉らしい。


「ハハハ。あの時さ、家の窓からたまたま見えたんだよ。追いかけてるところまでしか見てないからな。その先は知らないぞ、本当に」


 それ以来タケシたちが俺たちに全くちょっかいを出さなくなったことを考えれば、彩葉に徹底的にやられたんだろうと想像がつく。あいつらだって女子にやられてなんて言えないだろうし、真相は謎のままだったけれど今の彩葉の反応で裏が取れた。


「怪我の傷ならすぐ直るけれど、心の傷はいつまでも治らないの。だからあいつらが悪い!」


 何という正当化だ……。


「でも、彩葉は本当に素直だな」


「もう……。何だかバカにされている感じがするんだけど?」


 少しムスッとした顔で俺を上目遣いで見つめながら彩葉は言った。彼女のそういう顔は嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。


「違うってば。そういう素直なところ、いいと思うぜ」


「いい……と、思うだけ?」


 彩葉は思わせぶりな言い回しで、俺と視線を敢えて合わさずにボソッと呟いた。


「え……。いや、何て言うかさ。そう言う彩葉の素直なところも……好きだってことだよ」


 しばらく間が空いてから彩葉は俺を見つめ、我に返ったのか急に顔を真っ赤にして慌てだした。


「ちょっと……いきなりそんなこと言われたら……。は、恥ずかしいじゃない!」


 ずっと以前から臆病な俺は、自分の気持ちに素直になれなかった。けれど、彩葉がヴァイマル帝国の兵士に撃たれて死んでしまうと思った時に、初めて彼女に想いを伝えられずにいたことを後悔した。もう二度と後悔なんてしたくないし、色んな意味で彼女が俺の前から遠くへ行ってしまうことが本気で耐えられない。


 彩葉にはずっとそばにいて欲しい。辛いことがある時は頼って欲しい。嬉しいことがある時は共に喜び合いたい。だから仮にフラれたとしても、俺はちゃんと彩葉に正直な気持ちを伝えようと決心した。


 成り行きなところがあるかもしれないけれど今がその時に思えた。


「俺さ、わかったんだよ。彩葉が死んじまいそうになった時、もう二度と会えないなんて嫌だって本気で思ってさ。自分の気持ちすら告げてないのにお別れなんて冗談じゃないって思ったんだ。もう後悔なんてしたくないから」


「ハル……」


 彩葉は驚いたような恥ずかしそうな複雑な表情で俺を見つめたまま俺の名前を呼ぶ。


「物心が付いた頃から彩葉が側にいるのは当たり前だった。最初はずっと家族みたいな感覚だったけれど、タケシたちにからかわれるようになった頃から、彩葉は兄妹じゃないんだって意識し始めてさ。こんな時にこんな場所で言うのも卑怯な気がするけど、俺はずっと前から彩葉のこと好きだった。一応言っておくけど、家族とか友達としてなんかじゃなくて異性としての好き、だぜ?」


 恥ずかしさと緊張で心臓がバクバクと脈を打っているのがわかる。彩葉は返事をせず、俯いてしまい、肩が震え出した。また泣いてしまったのだろうか。


 告白するとしてもタイミングが悪かったかも知れない。俺の緊張や恥ずかしさは一気に消え失せ、不安と自責の念で額や手に汗が滲み出る。彩葉が辛い気持ちでいる今でさえ、俺は結局自分の意思を優先させてしまうような自分勝手な奴だ。


「ごめん、突然過ぎたよな。こんな得体の知れない場所に来て早々、俺は自分勝手だった。ごめん、今の……、忘れてくれ……」


「嫌だ、忘れない! 違うの。私……、嬉しくて言葉が出なくて……。私もハルが大好き。誰よりも、ずっと、昔から……。でも私、身も心もこんな風になっちゃったから……。もう……」


 彩葉は涙を流したまま慌てた様子で、俺の謝罪を否定するように言う。毅然としていたけど、やはり彼女なりにドラゴニュートについてコンプレックスがあるのは間違いない。でも、それは当然のことだ。もし、俺が彼女の立場なら、彼女のように振舞うことすらできる自信がない。


 それより俺は、彩葉が俺と同じ気持ちでいてくれたことが何より嬉しく、また、彼女の涙の理由が俺の身勝手さに対するものではなかったことに安心した。


 ドラゴニュートに対するコンプレックスからか、再び彩葉は俯いてしまった。羽織るように掛けている毛布の下から、俺は彼女の肩にそっと手を回して抱き寄せる。彼女は驚いた表情で俺を見つめる。


「綺麗な黒髪も、そのパッチリした目も、透き通る声も、整った輪郭だって何も変わってないぜ? たとえ姿が少し変わったところで、俺にとって彩葉は彩葉だ。大切な存在であることに何も変わらない。性格だって今まで通り。いつもずっとそばで見ている俺が言ってるんだから大丈夫、安心しろよ。彩葉は今だって可愛いぜ」


 自分で言いながら照れ臭かったけれど、俺は彩葉を見つめて微笑みかけながらそう告げた。彼女も涙を浮かべたまま微笑んで、目を閉じて俺の肩にそっと寄り添う。普段見せたことがない彼女の仕草に自分の心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのがわかる。


「ありがとう、ハル。私もね、ずっとハルに自分の気持ちを伝えたかったんだ……」


「彩葉……」


 俺に寄り添ったまま彩葉はそう告げた。少しひんやりとする彼女の体温は、ドラゴニュートの影響なのか、人の体温に比べると少し低い感じがする。


「でもね、家族みたいにいつも一緒だったでしょう? 今の私には表現が難しいけれど、本当の気持ちを告白してハルにその気がなくて断られてしまったら、一緒にいることすら辛くなってしまう気がして……。それが怖かったのだと思う」


 彩葉は竜の心のせいで恐怖を感じなくなったせいなのか、当時の心境を思い返してもそれを自分自身で言葉にすることが難しそうだ。


「俺もそうだったからわかるよ。いつもそばにいるのが当たり前になっていたというか、近過ぎたんだよな、俺たち」


「そうね。でもハルが想いを伝えてくれて、私は本当に嬉しい。またハルと再会できただけでも私は幸せだったのに……。これが死後の世界じゃなくて良かった……」


「俺のせいで巻き込んじゃって本当にごめんな」


「ハルのせいじゃないよ。誰だって予想できないよ……。あんなの……」


 彩葉の言う通り、俺だって予想すらできない事件だった。けれど、引き金は間違いなく俺だ。


「たしかにそうだけどさ……。俺の魔法が目的でアルザルから地球まで来るような奴らだ。魔法のことは誰にも言ってなかったし、いつまたあいつらが襲ってくるかわからないのが正直怖い……」


「もし、そんなことがあれば、その時は必ず私がハルやみんなを守る! ヴァイマル帝国の兵士たちに直接的な恨みはないけれど、私たちの敵であることに変わらない。私だって誰も失いたくないもの」


「ありがとうな。俺もその気持ちは同じだよ。彩葉が竜の力ですげぇ強くなったのはわかるけれど、絶対に大丈夫っていうわけじゃないだろう? 無理はしないでくれよ」


「うん。約束する。だから私だけじゃなくてハルも無理しないって約束して」


「あぁ、わかった。約束だ」


 俺は寄り添う彩葉の髪をそっと撫でた。自分の想いを伝えたと言うことに、まだあまり実感が湧かないけれど、いつも以上に彼女のことが愛おしい。


「ハルが私のことを好きって言ってくれて、こうして隣にいることが何だか夢みたい」


「俺もだよ」


「私、ハルが思ってるほど強くないし、結構ずるい女だよ?」


 寄り添ったまま彩葉は、俺を上目で見つめながらそう言う。


「知ってる。何年一緒にいると思ってるんだ? そういう時は俺が彩葉を守るし頼ってくれると嬉しいな。ちょっとずるいところだって可愛いと思うし好きだぜ」


「私、ハルに執着しちゃうかもしれないよ?」


 彩葉は俺に微笑みながら言う。竜の心には、恐怖という感情がない代わりに何かに執着するという感情があるらしい。彩葉はそのことを言っているのかもしれない。彼女に執着されると言うのであれば本望だし光栄だ。


「そんなの大歓迎だ。俺の心は彩葉のもの。辛い時も嬉しい時もずっと一緒にいような」


「ハロルド、大好き!」


 彩葉は俺の背中に両腕を回して抱きついてそう言った。俺も彼女をしっかりと受け止め、両手で彼女を包み込んで抱き寄せる。そして、目を瞑った彼女の艶やかな唇にそっと自分の唇を重ねた。


 満天の星の下で、俺たちは愛を誓い合った。

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